エピソード 1ー2 戦場の社交界

 もくろみ通りに興味を引いたまでは良かったが、なぜか仇敵であるアルヴィン王子と踊ることになったアイリスは、どうしてこうなったのかと困惑していた。

 そうして困惑しているうちにエスコートされて、ダンスホールへと連れてこられた。


 音楽に満たされた煌びやかなダンスホールを照らし出す魔導具の明かり。その一つがアイリス達へと降り注ぎ、二人の存在を浮かび上がらせる。

 金の貴公子と白金の貴婦人。

 両国を代表するかのような美男美女の登場に周囲の者達の注目を集めていく。


「お手をどうぞ、お嬢様」


 アルヴィン王子がホールドの構えを取った。

 それを見たアイリスは、なぜ自分を破滅させた相手と踊らなくてはいけないのかと葛藤する。だが、彼に取り入ることでレムリア国に渡る道が開けるのもまた事実。

 意を決してアルヴィン王子の懐に飛び込んだ。


 触れあった部分を通して伝わる熱にアイリスの琴線が刺激される。懐かしくて恨めしい。そんな不思議な感覚を抱きながらアルヴィン王子を上目遣いで睨みつけた。

 アルヴィン王子はまず、ベーシックなリードを示す。クローズドチェンジから入ってナチュラルターン、リバースターンと続く王道のフィガー。

 かと思ったら、続けてセオリーを無視したフィガーに繋げる。


 ダンスは基本的に、男性のリードを女性がフォローしてステップを踏む。男性のリード次第で、どのようなステップを、どのようにでも組み合わせられると言うことだ。

 けれどそれが出来るのはほんの一握りの者だけ。


 ダンスには決まった順に足を運ぶステップがあり、様々なステップを組み回せたフィガーがあり、またそのフィガーを組み合わせたルーティーンが存在する。

 つまりクローズドチェンジから入れば、次はナチュラルターン、もしくはナチュラルスピンターンといったように、ある程度のセオリーが存在するのだ。

 だが、アルヴィン王子はそのセオリーを無視したルーティーンを組んでいる。


(わたくしが何者か、これはお兄様からの問いかけですね)


 アイリスがどのような性格なのか、どのようなダンスを好むのか探っているのだ。だからアイリスはそのリード全てに完璧なステップで応えて見せた。

 自分には苦手な構成なんてない。

 どんな組み立てでも完璧に踊って見せるという意思表示だ。


 もしそれを言葉にすれば不遜と取られかねない。けれどアイリスはよどみなくステップを踏んで、アルヴィン王子のリードを華麗にフォローする。

 アルヴィン王子の口元がニヤリと吊り上がった。


 アイリスがピリリと張り付く気配を感じ取る。刹那、アルヴィン王子が示すリードの難易度が跳ね上がった。上級のバリエーションは序の口で、セオリー無視の組み立てが続く。

 なにより、一歩一歩の歩幅が大きい。


 アルヴィン王子は二十歳で、アイリスは十八歳。既に背は伸びきっているが、音楽に合わせてステップを踏む以上、一拍で移動できる距離には限界がある。

 だが、アルヴィン王子は限界など知ったことかとばかりに大きなステップを踏む。


(大きい……けど、いまのわたくしならついて行ける)


 普通の令嬢であれば――否、アイリスでも以前なら足をもつれさせていただろう。それくらいに激しいステップで、武術の経験でもなければ付いていけない。


 けれど、いまのアイリスは賢姫であるだけでなく、剣姫としての記憶も併せ持つ。鍛えていないために身体能力では前世に遠く及ばないが、その足運びは達人のそれだ。

 アルヴィン王子の無茶な要求に、楽しげな笑顔すら浮かべてみせる。


 続けて、アルヴィン王子が意地の悪いリードを示し始めた。あえて初動に溜めを作ってリードを分かりにくくして、付いてこれるかと挑戦状を叩き付けてくる。

 それはまるで、剣での模擬戦を繰り広げているかのようだ。


(前世のわたくしはお兄様に及ばなかった。だけど――)


 実のところ、剣姫であるフィオナもアルヴィン王子には及ばない。彼より六つ年下であることが最大の理由だが、彼の動きに反応速度が追いつかなかったのだ。

 だが、いまのアイリスは彼の動きに反応出来ている。鍛え方では完全に劣っているが、ポテンシャルは前世の身体より上のようだ。

 アイリスはその反応速度を生かして、アルヴィン王子のリードに追随する。


 クルリとターンを決めるアイリスのプラチナブロンドが舞い広がり、シャンデリアの明かりを受けてキラキラと煌めいている。

 その光景に見蕩れる男達が溜め息を零すが、アルヴィン王子も負けてはいない。

 完璧なリードでアイリスを輝かせつつ、そして自分を見ろとばかりにステップを踏む。その整った顔に浮かぶ笑顔に女性から黄色い声が上がった。


 至高のダンスを繰り広げる二人は、周囲の視線を惹きつけて止まない。

 他のどの組よりも情熱的で、それでいて優雅。ダンスホールの主役となった二人は、けれど更なるステージへと駆け上がる。

 アルヴィン王子がこの国には存在しない、レムリア国のステップをリードで示したのだ。


 アイリスが知らないはずのステップ。けれどアイリスはよどみなくそのステップを踏んでいく。エキゾチックなステップに周囲から感嘆の溜め息が零れた。


「なぜおまえが我が国のステップを知っている?」

「いいえ、知りません。ただアルヴィン王子のリードが優れているだけです」

「抜かせ」


 笑顔で挑発するアイリスに、アルヴィン王子もまた笑顔で切り捨てた。


 美しいリードとは、わずかな重心移動などで相手に意思を伝える。ゆえに女性が上手くフォローすれば、知らないステップでも踏むことが出来る。

 ――理論上は。


 知らないルーティーン、もしくは知らないフィガーであれば、相手のフォローを読み取って併せることも、ダンスの上級者であれば不可能ではない。


 だが知らないステップを踏むのは次元が違う。その一歩一歩でどこに、どのように足を動かせば良いのか、その動き全てをリードから読み取って踊る必要がある。

 そんなことは不可能――とは言わない。


 事実、前世の記憶を取り戻したアイリスはその域に達している。これが本当に未知のステップだったとしても、アイリスはそのステップを踏んで見せただろう。


 ――だが、アイリスはたった一度だけ、リードよりも早くステップを踏んだ。まるで、わたくしはこのステップを知っていますよ――と言わんばかりに。


 そのくせ、アルヴィン王子になぜこのステップを知っているのかと問われたら、リードの通りに踊っただけだと返すのだから、人を食った態度にもほどがある。


「アイリス、おまえの目的はなんだ?」

「あら、どうしてそのように警戒されているのでしょう?」


 そう問い返したアイリスこそが誰よりも王子を警戒している。

 会場中の注目を集めるほどの一体感を見せつけながら腹の探り合いを始める。ダンスのレベルを一切落とすことなく、アイリスは挑むように笑いかける。


「俺に関わりたくないのなら、最初から興味を惹かないようにすれば良い。おまえならそれが出来るはずだ。なのにそうしないのは、俺の興味を惹きたいから……違うか?」

「さすがはアルヴィン王子ですね」


 ふわりと微笑んだ。

 笑わない賢姫の無邪気な笑顔に周囲が「あれは誰だ」といった主旨のざわめきが上がるが、アイリスは気づかないフリをする。


「それで、なにが目的だ? ダンスの腕に免じて話くらいは聞いてやろう」


(思っていた展開とは違うけど、食いついてくれましたね)


 彼は話を聞くと言っただけで、要求に応えるとは言っていない。

 だが、それはアイリスにとって些細な問題でしかない。彼が餌に食いついた以上、後は上手く吊り上げるだけ、なのだから。


「わたくしを雇ってください」


 返事はなくて、アルヴィン王子の示すリードにわずかな乱れが生じた。彼でも動揺することがあるのだなと、そんな当たり前を今更に実感したアイリスはまた少し笑みを零す。


「おまえは賢姫だろう」

「立ち聞きしていたのでしょう? 婚約を破棄されたいまのわたくしは自由です」


 いや、そんなことはない――と、賢姫を良く知らず、けれど貴族を良く知る者なら思っただろう。だが、アイリスを縛り付けていたのは王太子殿下との婚約。

 その鎖が断ち切られたいま、彼女を止める枷はない。


「賢姫のおまえがメイドにでもなると言うのか?」


 茶化すような問い掛け。

 それもありかもしれないとアイリスは思っている。自分を破滅させた裏切りの王子。彼に仕えるのなら、その裏切りを阻止することが出来るかもしれない。

 だが、アイリスの本命はそれじゃない。


「フィオナ王女が教育係を探しているそうですね」

「なぜそのことを知っている……と、聞いても無駄なのだろうな」


 どこか諦めたアルヴィン王子の態度がおかしくて、アイリスはクスクスと笑った。

 だが、同時に相当なプレッシャーも感じていた。彼がフィオナを次期女王の座から引きずり下ろそうとしているのなら、優秀な教育係は邪魔になる。

 アイリスの申し出は竜の尾を踏んだかもしれない。


 だが、アイリスはアルヴィン王子のことを良く知っている。不確定要素は手元において監視する。そのくらいのことはやってのけるはずだ。


「……いかがですか?」

「教育係、か。あまりに情熱的な眼差しを向けてくるから、てっきり俺の婚約者になりたいとでも言うかと思ったのだがな、少し残念だ」


 アイリスが初めてステップを乱した。


「ふっ、おまえでも動揺することがあるのだな」

「……ご冗談を。最初に雇っていただきたいと言ったではありませんか。そもそも、わたくしは婚約を破棄されたばかりの傷付いた乙女ですよ?」

「……おまえが傷付いたりするのか?」

「ぶっとばしますよ」


 素の感情が零れる。

 もともと整った顔立ちであるがゆえに、彼女の怒った顔には相応の迫力があった。だが、それを見たアルヴィン王子は隠すことなく笑い声を上げた。


「笑わない賢姫も一皮剥けばなかなかどうして表情が豊かではないか。気に入った。国とのしがらみを断ち切れると言うのなら、フィオナの教育係として推薦してやろう」

「もちろん、王子のお手を煩わせるようなことはいたしません」


 ダンスのフィニッシュを決めて、アルヴィン王子に深々と頭を下げる。こうして、アイリスはレムリア国への入国許可をもぎ取ることに成功した。

 そして――



「……アイリス。そなたがザカリー王太子殿下をこっぴどく振ったという噂は誠か?」


 屋敷に戻ったアイリスは、父――アイスフィールド公爵からそのように詰問された。

 

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