エピソード 1ー2

 コンマ零秒以下の刹那。先生として説明をしていたはずのアイリスがフィオナの懐の内に飛び込み、殺さずの魔剣を振るっていた。

 フィオナも反射的に剣を振り上げる。

 その切っ先がアイリスの振るった剣に触れた瞬間、フィオナは目を見張った。アイリスの振るった一撃が、想像の何倍も重かったからだ。


(嘘っ、私が力で押されてる!?)


 フィオナは剣姫だ。

 見た目は小柄な女の子だが、その力は屈強な大男に勝るとも劣らない。対して、アイリスは技量こそ優れているが、その力は見た目とそれほど乖離していない。

 なのに、フィオナが力で圧倒されている。いくら後手に回ったからとはいえ、こんなこと普通ならあり得ない。そこまで考えたフィオナは不意に理解した。


(そうだ、精霊の加護)


 いつ発動させたのかはともかく、精霊の加護を発動させているのなら、その力にも納得がいく。ならば自分も加護を――と力を使った瞬間、アイリスが剣を引いた。

 精霊の加護による強化を上乗せして押し返そうとしたフィオナはつんのめる。加えて出足を払われたフィオナは見事に転び――


「まだっ、だよっ!」


 前方に身を投げ出しながらも地を蹴ったフィオナは、上下が逆さまになりながらも身体を捻る勢いだけで剣を振るった。

 それは不完全ながらも、生身のアイリスに致命傷を負わせる威力を秘めている。がむしゃらな一撃で寸止めは不可能だが、殺さずの魔剣なのでアイリスを傷付ける心配は要らない。

 逆に言えば、フィオナはその一撃が確実に決まると確信していた。


 事実、フィオナの一撃はアイリスの肩口に吸い込まれ――

 ガキンと、鈍い音が響く。まるで、盾に剣を叩きつけたような音と衝撃。けれど、フィオナの振るった剣は、たしかにアイリスの肩口に直撃している。


「――拳精霊の加護!?」

「正解です」


 次の瞬間、虚空で無防備を晒したフィオナは為す術もなく投げ飛ばされた。かろうじて受け身を取るが、起き上がろうとしたところに剣を突きつけられては為す術もない。


「……ま、まいりました」

「いまの敗因は分かりますか?」


 差し出されたアイリスの手を取って立ち上がり、フィオナは自分が負けた理由を考える。正直、力量差がありすぎるからと言うのがフィオナの正直な感想である。


「……分からない。精霊の加護は全力で使わないようにしたんだけど……気付いたら、アイリス先生に上手くあしらわれてた」

「そうですね。加護は加減していました。ですが、加護を使おうという意識は変わっていませんでした。いまから押し返すという意思があからさまでしたよ?」

「あ……そっか」


 加護の使用を最小限に留めたとしても、これから使うと相手に知らせてはやはり隙が出来る。それを理解したフィオナは今度こそ上手く加護を使おうと剣を握り直した。


「とはいえ、一対一の戦いで加護を切り替えるのは難しいですね。まずは……」


 あれこれと考えを口にするアイリスに背後、フィオナの視界にアルヴィン王子が現れた。


 彼は音もなくアイリスの背後に歩み寄ると、そのサラツヤなプラチナブロンドを指で掬い上げる。またぶっとばしますよとか言われるだけなのに――とフィオナは溜め息をついた。

 だが、アイリスはクルリと振り返ると、アルヴィン王子を見上げて微笑んだ。


「アルヴィン王子、ちょうどよいところに」

「邪魔者扱いしない、だと?」


 いつもアルヴィン王子を邪険にするアイリスの珍しい反応に、アルヴィン王子自身が驚いている。そしてそれは、その光景を目の当たりにしたフィオナも同じだ。


「あ、アイリス先生、どうしちゃったの?」


 まさか、自分が不甲斐ないから、お兄様に剣術を教える気になったの!? なんて、フィオナは心配をするが、もちろんそんなことはない。

 アイリスはこの国の王子に向かって満面の笑みで言い放った。


「フィオナ王女殿下の訓練を手伝ってください」――と。


「む? 俺がフィオナの訓練の手伝い、だと?」

「はい、いつもやっているじゃないですか、わたくしが頼んでもいないのに」


 チクリと普段の行動を責めつつ、手伝えと圧力を掛ける。


「……ふむ。まあ、いいだろう」


 どうせちょっかいを掛けるつもりだったのだからと、彼女の提案を呑んだ。


「それで、俺になにをさせるつもりだ?」

「模擬戦の手伝いです。フィオナ王女殿下には、連携を学んでいただきたいので」

「……連携?」

「精霊の加護は発動時に隙が大きいので」

「あぁ、そういうことか。ならば、二人纏めて掛かってこい」


 アルヴィン王子がニヤリと笑う。

 けれど、アイリスはそれをさも当然のように却下した。


「いいえ、アルヴィン王子はフィオナ王女殿下と組んでください」

「……ほぅ? それはつまり、なにか? おまえは俺とフィオナ、二人纏めて相手にすることが出来ると、そう言っているのか?」


 アルヴィン王子が獰猛な獣のように目を細める。


「訓練ですから。でも……魔術と加護もありなら、勝負にはなると思いますよ?」

「よく言った。――フィオナ、アイリスに現実を教えてやるぞ」

「もちろんだよ!」


 目にものを見せてやると意気込むアルヴィン王子に対し、フィオナもまた力強く答える。

 フィオナ目線で、アルヴィン王子とアイリスの力は拮抗している。先日は、アイリス先生が勝ったという話も聞いているが、その差はわずかなはずだ。


 であれば、そこに自分が入ってひっくり返せないなどというお粗末な結果は許されない。ここで頑張って、アイリス先生に認めてもらうよ! と、気合いを入れる。

 フィオナは最初から精霊の加護を全開にする。彼女の意識に、精霊の加護の使い方を学ぶという意識は残っていなかった。


 そして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 初っぱなからアルヴィン王子が距離を詰め、アイリスに距離を取らせない。攻撃に転じる隙を作ろうとアイリスが下がれば、同じだけアルヴィン王子が距離を詰める。

 アイリスが構築した魔法陣を、片っ端から殺さずの魔剣で斬り裂いていく。


 それを幾度か繰り返した後、後の先――アイリスの攻撃を潰して回っていたアルヴィン王子が、隙を突いてアイリスに斬り掛かった。

 だが、それはアイリスが故意に生み出した隙だ。

 アルヴィン王子の攻撃を結界で受け止めたアイリスは、自分の背後――アルヴィン王子からは一歩離れた虚空に複数の魔法陣を描き出した。

 その魔術が放たれれば、アルヴィン王子は再び防御に回らざるを得ない。

 けれど――


「フィオナ!」

「言われなくとも!」


 戦闘が開始してすぐに背後に回り込んでいたフィオナが魔法陣を斬り裂く。アイリスの生み出した魔法陣が霧散した。

 互いに至近距離。


 アイリスが魔術を行使するのに一手。

 そして、フィオナとアルヴィン王子の攻撃もそれぞれ一手。


 前後を挟まれたアイリスに、その二つを同時に防ぐ手はない。


「まずは――」

「――私達の一勝だね!」


 アルヴィン王子とフィオナ、一流の剣士達が勝利を確信して剣を振るう。

 その瞬間、二人の視界がぶれた。

 ――否。

 正確には、アイリスが飛び上がったのだ。

 だが、踏み切る余裕はなかった。飛び上がったのは精々腰の高さまで。一瞬でそこまで飛び上がる膂力(りょりょく)は脅威だが、それでも剣戟からは逃れられない。

 そう思った瞬間、アイリスの跳躍が加速した。


 キィンと、甲高い金属音が鳴り響いた。

 アイリスに空かされた二人の剣がぶつかりあった音だ。


 アイリスは飛び上がりながら、魔術で自分の身体を押し上げたのだ。

 それで一手。

 アイリスは二人の攻撃を一手で回避して見せた。


 加えて、二人の剣は打ち合わせたことでその勢いを失っている。攻撃に転じるには、剣を一度引く必要がある。対して、アイリスは虚空で――二人から距離を取っている。


「いきますよ!」


 上空でアイリスが無数の魔法陣を生み出した。

 同時に、アイリスは重力に引かれて落下する。アルヴィン王子は即座に跳び下がったが、フィオナは迎撃しようと剣を振り上げた。


「フィオナ、退け!」


 アルヴィン王子が警告を発する。それとほぼ同時、フィオナの振り上げた剣と、落下してきたアイリスが振るった剣がぶつかり合う。


 鍔迫り合いは、地面に足をついているフィオナが有利――だが、そこに放たれるは、無数の魔術。フィオナはとっさに剣を手放して身体を捻るが、真上から放たれた魔術は足元に着弾。

 フィオナは爆風に煽られ、為す術もなく吹き飛ばされた。


「いたたた……」


 芝の上を転がって、痛みに顔を顰めながら立ち上がる。

 フィオナが目にしたのは悠然とたたずむアイリス。――そして、背後からアストリアに剣を突きつけられて降参するアルヴィン王子の姿だった。

 アイリスは、アルヴィン王子の後退を読んで、その退路にアストリアを顕現させていた。


(アイリス先生と私達、ここまで実力差があったの? ……うぅん、そんなことない)


 フィオナは自らの考えを即座に否定する。

 いまのアイリスが本気の二人を圧倒したのは事実。だけど、つい先日まではたしかに、アルヴィン王子とアイリスの力は拮抗していたし、フィオナともそこまでの力量差はなかった。

 なのにどうして――


「精霊の加護か」


 フィオナの疑問の答えに対する推論を口にしたのはアルヴィン王子だった。


「ご明察です。いまの私は複数の加護を併用しています」


 アストリアと契約することで剣を召喚できるように、精霊の加護を得ることでなんらかの特殊な力を得ることが出来る。

 だがそれ以前に、精霊と契約することで基礎能力が上昇するという恩恵がある。


 華奢なフィオナが怪力なのもこれが原因だ。

 フィオナは、アイリスがいくつの精霊と契約しているか、正確なところは知らない。けれど、剣精霊と魔精霊、それに拳精霊の加護を持っていることは確実だ。

 筋力だけじゃない。アイリスは様々な能力が跳ね上がっている。


 ズルイ――とは思わなかった。

 フィオナはアストリアという精霊の加護を手に入れ、他者よりも大きな力を手に入れた。それはフィオナが実力で勝ち取った物だし、その力を使いこなすのにも努力を重ねている。

 複数の加護を使いこなす、それがどれだけ大変なことか理解できる。

 だから、フィオナは素直に凄いと感心し、その相手が自分の師であることを喜んだ。


「アイリス先生、もう一回やろ!」

「精霊の加護の使い方を学ぶのが目的だと、忘れていませんか?」

「うぐっ、いま思いだしたよぅ」


 精霊の加護の使い方をそっちのけで、全力で戦いに挑んでいたことを指摘されて呻く。けれどフィオナの顔には笑みが浮かんでいた。

 アイリスの教えに従うことが、自分が成長する近道だと知っているから。


「次はちゃんと加護の使い方を学びます。だから、もう一本お願いします!」


 態度をあらためて頭を下げる。


「いいでしょう。フィオナ王女殿下が加護の扱いに慣れるまで、何回でも相手をしましょう」


 こうして、フィオナは幾度となくアイリスに挑み掛かり、幾度となく叩きのめされた。


     ◆◆◆


「今日はこれくらいにしておきましょう」


 何本目かの訓練を終えた後、アイリスは額に浮かんだ汗をタオルで拭ってそう口にした。彼女の目の前には、滝のように汗を流しながら肩で息をするフィオナの姿があった。


「あ、ありがとう、ございました」


 フィオナはそう答えるのも辛そうだ。

 だが、タオルで汗を拭うアルヴィン王子にはまだ余力がありそうだ。こちらは初戦こそ全力だったが、それ以降はフィオナの訓練に付き合うことを主としていたためだろう。


(素直すぎるのがちょっと怖いですね)


 初戦の敗北でムキになるようなアルヴィン王子ではないと思っていたが、それでもそのまま大人しく引き下がるような性格でないことも理解している。

 なにか企んでいるのでは――と、アイリスは彼の姿を盗み見た。


「なんだ?」


 こっそり見ていたのが速攻でバレた。


「いえ、ご協力に感謝します」

「あぁ、気にするな。俺にとっても有意義な訓練だった」

「そうですか、それならよかったです」


 なにか企んでいませんか? というセリフは飲み込んだ。代わりに、フィオナに視線を向ける。彼女は既に呼吸を整えつつあった。驚くべき回復力である。


「フィオナ王女殿下、加護のオンオフはだいぶ慣れてきましたか?」

「……うぅ、ごめんなさい」

「どうして謝るのですか?」

「だって、加護の発動時に、上手く隙を減らすことが出来なかったから」

「でも、発動の隙を突かれる機会は減りましたよね?」

「それは、加護の発動で、どのくらいの隙が生まれるか分かったからだよ。お兄様の影に隠れて、隙が生まれても大丈夫なようにしただけで……」

「それでいいのですよ」


 アイリスは笑って、フィオナの額から流れる汗をタオルで拭った。


「いいって……どういう意味?」

「やってはいけないのは、隙が生まれることを理解せずに加護を使って負けることです。どういったタイミングで加護を発動できるか理解することは重要ですよ」


 初めての手合わせのとき、フィオナの犯したミスがまさにそれだった。切り札を使うことで、自らの敗北を確定させてしまったのだ。


「でも、とっさの状況に使えないと……」

「たしかに、切り札としては心許ないですね。だから、隙を減らすことも重要です。これから少しずつ、隙を減らしていきましょうね」

「……っ、うん、がんばる!」


 目をキラキラとさせるフィオナは可愛いなぁと、アイリスは破顔した。

 

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