エピソード 3ー9 前提条件を忘れていませんか?

 農水大臣とは、この国に存在する役職の一つだ。

 その名の通り、農業や治水についての権限を有する大臣である。つまりは、フィオナに出した干ばつによる飢饉の対策が彼の管轄に思いっきり関わっていると言うことだ。


「理解してくださっているのなら話は早い。なぜ、あのフィオナ王女殿下にあのような理想論をお教えしたのかお答え願いたい」


 丁寧な口調だが、その緑色の瞳の奥には隠しきれない怒りが滲んでいる。アルヴィン王子が「おまえ、一体なにを言ったんだ?」と興味を示した。


「大したことは申しておりません。フィオナお嬢様に体験学習をしていただこうと思い、課題をお出ししただけです」

「だけ、ではありませんっ。フィオナ王女殿下は将来女王になられるお方。実現不可能な理想論を教えないでいただきたい!」


 ゲイル子爵が声を荒げた。そのただならぬ剣幕にアルヴィン王子が軽く目を見張る。それを察したレスター侯爵が諫めるように彼の腕を引く。


「こらこら、ゲイル子爵、少し落ち着き給え」

「しかし、このままでは未来の王女が誤った道を進まれてしまいます!」


 レスター侯爵が仲裁をしてくれるが、それでもゲイル子爵は高ぶりを抑えきれない。見かねたアルヴィン王子が、自分に事情を話せとゲイル子爵を促した。


「はっ。では申し上げます。先月、フィオナ王女殿下が干ばつによって不作が発生した場合の対応について質問に来られたのです。どうすれば皆を助けられるか、と」


 ゲイル子爵はそのときの受け答えをアルヴィン王子に話し始めた。

 その内容とは、アイリスが出した課題。

 もうすぐ干ばつによって食糧難に陥るが、近隣諸国からの支援は期待できない。それを前提として、どのような対処をするべきかという問題。


「それを聞いた私は、アイリス嬢がフィオナ王女殿下に現実を教えようとしているのだと考えました。女王となるものであれば、命の選別をおこなう必要がある、と」

「ふむ。フィオナには少し早いと思わなくもないが……それなら理解できる話だぞ?」


 アルヴィン王子が理解を示す。

 ゲイル子爵は「私も王子に同意見です。それならば口を出すことはありませんでした」


「違った、ということか」

「はい。先日、フィオナ王女殿下から予算申請が届きました。水車を開発して量産するために資金が必要なので許可して欲しい、と」

「つまり、フィオナがまだ現実を理解していない、ということか?」

「その通りです。ただし、その原因はアイリス嬢にあると考えます」


 ゲイル子爵、続いてアルヴィン王子達の視線がアイリスに向けられる。

 王子の目は、おまえはなにを言ったんだと問い掛けていた。


「わたくしの提示した二択に対して、フィオナ王女殿下は葛藤なさっておいででした。ですから選ぶ必要はないとお教えしたのです。全員を救いたければ、そうすれば良い、と」


 二人に手を下して八人を救うか、なにもせずに十人を見殺しにするか。二つの選択肢を提示したが、そのうちのどちらかを選べとは言っていない。

 ゆえに、全員を救いたいと言ったフィオナに対してヒントを与えた。

 干ばつによる食糧不足を補えないのであれば、干ばつを防げば良い。そうすれば、食糧不足による二択など選ぶ必要はなくなる。


「それは……」


 ゲイル子爵だけでなく、アルヴィン王子からも批難するような視線を向けられる。


「アイリス、本当にそのような課題を出したのか?」

「はい、たしかにそのような課題を出しました」


 素直に答えると、アルヴィン王子の顔がますます困惑していく。


「それは……つまり、全力で対策を立てた上で挫折させ、全てを救おうとするのは世迷い言であると理解させる荒療治、ということか?」

「いいえ。フィオナ王女殿下は剣士として絶えず壁にぶつかっています。世の中には不可能なことがあると知っている彼女に、そのような荒療治は必要ありません」


 アルヴィン王子が沈黙する。

 それから、彼は酷く困惑した顔で「では、おまえは一体どのような意図で、そのように不可能な課題を出したのだ?」と問い掛けてくる。


「なぜ不可能だと思うのですか?」

「なぜ、だと? おまえなら分かっているはずだ、政治はそのように単純ではないと」

「だから不可能だとおっしゃるのですか?」

「そうだ。来るかどうかも分からぬ被害に対して過剰に備えると言うことは、それ以外の対策が後手に回ると言うことだ。そのようなことをしていては国が立ちゆかぬ」


 諭すように語るアルヴィン王子に対して、アイリスはその通りですねと肯定してみせる。

 言われるまでもなく、アイリスはそういった現実を理解している。

 物事には優先順位があり、全てに備えることなど出来ない。

 それに干ばつに対する備えはなくとも、不作に対する備えはある。それが干ばつに対して完璧な備えではないというだけで、まったく対策を立てていない訳ではないのだ。


「……分かっていながら、なぜそれをフィオナに強いる?」

「それがわたくしの教育方針だからです」


 アイリスは答えをはぐらかし、メイドにこの国の地図を用意させる。

 それを中庭の片隅にあるテーブルの上へと広げた。


「この国には大きな川と、それに流れ込むいくつかの川があり、その川沿いに街や村が発展しています。この国は降雨量が多いために、水害の恐れのある場所には街や村があまりありませんが……こことここ、この地方などは日照りによる干ばつの恐れがあります」


 アイリスの指し示したのは本流に近い支流沿いにある土地。この国は年間の降雨量が多いため、ほとんど川の水を必要としない。

 普段は支流の水だけで十分にことが足りているが、もし降雨量が減ったらその支流は干上がる可能性があり、本流の水は農地より低い場所にあるので引くことが出来ない。


 そういう農地は一つや二つではなく、軽く見積もっても五十を超える。特に危険な場所に絞ったとしても、その半分を割り込むことはないだろう。


「可能性として危険があるのは理解している。だが、この数十年で干ばつが起きたケースは一度もない。起きるかも分からぬ対策を立てる余裕はない」


 費用対効果を無視すれば対策は可能だが、国には様々な問題がある。


 たとえば、魔物への備えは建国以来の課題だし、可能性でいえばリゼル国と戦争にならないとは言い切れない。軍備の備えも決しておろそかには出来ない。

 それに農地の問題に限定しても、干ばつよりも洪水の可能性の方がずっと高い。


 なのに干ばつ対策に全てを費やしてしまったら、他の問題がおろそかになる。ゆえに発生するかも分からない干ばつに資金を費やすことは出来ないのだ。


「それに耐久性の問題もある。水車は決して長く使えるモノではない。こまめなメンテナンスも必要となるし、修理や交換の費用もかさばるはずだ」


 水車は存在するが、それは一年を待たずして壊れるような代物だ。ほとんどの農地が水車を必要としないのに、一部の農地だけで水車を使用しては維持費で採算が取れない。


「耐久力が低くとも問題はありません」

「魔導具として耐久性を上げるつもりか? だが、それでは維持費が莫大になるぞ」


 リゼル国にもレムリア国にも魔導具が存在する。たとえば明かりを灯したり、火を付けたり、水を浄化したり、高いところに水を汲み上げることも出来る。


 やろうと思えば、水車の強度を増すことも可能だが、それには魔物の核となる魔石が必要で、アルヴィン王子が指摘したように、庶民が気軽に使える価格ではない。


「いいえ、耐久力を上げるのではありません、差し当たって、ではありますが、耐久力は低くとも構わないと申し上げているのです」

「……なぜだ?」


 理解できないと眉を寄せる。

 そんなアルヴィン王子達に向かって、アイリスはさも当たり前のように言い放った。


「最初に言ったではありませんか。もうすぐ干ばつが起きるのが前提条件だ、と。干ばつが発生すると分かっているのですから、対策を立てるのは当然でしょう?」

 

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