エピソード 3ー3

 グラニス王の指示によって内密に訪れた屋敷。そこでアイリスを出迎えたのは元レスター侯爵のブルーノであった。

 アイリスは社交辞令の挨拶を交わし、彼が座る向のソファに腰掛けた。


「……やはり、生きていたのですね」

「陛下がなにかおっしゃいましたか?」

「直接的なことはなにも。ですが、ほのめかしてはいらっしゃいました」


 グラニス王はあの日、こう言った。

 レスター侯爵には死をもって補ってもらう、と。

 償うのではなく、補う。


 ブルーノの死を偽装することで、本来であれば連座に問われるレスター侯爵家の面々を救った。彼自身は死で罪を償っていないので補う、という意味。

 あの日、アイリスはそのように受け取っていた。


「……わしの生存に気付きながら、なぜ黙っておったのだ? わしはそなたに、王族殺しの濡れ衣を着せようとしたのだぞ?」

「あくまで、可能性に気付いていただけですから。もしも、フィオナ王女殿下が害されていたのなら、もちろん黙っていたりはしませんでしたが……」


 そうでない以上、自分にはどうでもいいことだと切って捨てる。


「それに、貴方は死をもって罪を補い、生をもって罪を償っているのでしょう。貴方が生かされているのは、このような状況を見越してではありませんか?」

「……というと? なにかあったのか?」

「王宮に、魔族の手先が潜り込んでいるという情報を手に入れました」

「魔族だと!?」


 ブルーノがテーブルに手をついて立ち上がる。

 直後、扉がノックされ、部屋の外を護っている護衛が顔を覗かせた。アイリスが問題ないと応じると、護衛はかしこまりましたと扉を閉める。

 そのやりとりを経てブルーノに向き直ると、彼は恥じ入った顔で座り直した。


「……すまぬ、取り乱したようだ」

「いいえ。貴方がいまもなお、国の行く末を憂えているようで安心いたしました。ですが、これから先は更に受け入れがたい事実が続きます。どうか、気を静めてお聴きください」

「うむ、聴かせていただこう」


 ブルーノが居住まいを正した。そんな彼に向かって、アイリスは単刀直入に問い掛ける。貴方が重用していた執事は、一体どこで雇ったのか、と。


「執事だと? それは、つまり……っ」

「はい。魔族である可能性があります」


 ブルーノがグラニス王を怨んだのは、実の娘のように可愛がっていた娘、リゼッタを魔物の襲撃で失ったからだ。

 彼女の死に王族に過失があったことはグラニス王も認めている。


 だが、その二人の娘であるフィオナを殺そうとした理由。両親の結婚が望まれぬものであったため、その二人のあいだに生まれたフィオナが許せなかったと言った。

 その事実はグラニス王に否定されており、前世の記憶を持つアイリスも同意見である。


 ならばなぜ、ブルーノがなぜそのように思い込んだのか? そこに魔族の介入による意識誘導があったとすれば、その疑問に説明がついてしまうのだ。

 すなわち――


「わしは、魔族に操られていたのか?」

「その可能性をたしかめるためにも、貴方の執事についてお聞かせください」


 アイリスが問い掛けると、ブルーノは「たしか……」過去に想いを馳せた。


「……あれは、そう。いまから二十年ほど前、リゼッタと王太子が結ばれた年だった」

「フィオナ王女殿下の両親が結ばれた年、ですか?」

「そうだ。ちょうどその年に、長年わしに仕えていた執事が事故で亡くなったのだ。そうして新たな執事を募集したところ、知り合いから紹介されてやってきたのがその執事だった」


 アイリスはその言葉に込められた情報を吟味する。

 ブルーノが後見人であるリゼッタ。彼女が王太子妃となった年に、執事が事故死して、新たな執事がやってきた。その後、王太子夫妻が事故死した。

 一つ一つを見れば偶然である可能性が高いが、気になる点が多すぎる。


「教えてください。リゼッタ様と王太子が不仲だと、フィオナ王女殿下が望まれずして産まれてきた子供だと貴方が思ったのは、その執事が原因ですか?」

「……どのような過程があろうとも、すべての責任はわしにある。だが、その上で切っ掛けを思い返せば、たしかに執事に思考を誘導された心当たりはある」

「そう、ですか……」


 アイリスは注意深くブルーノの様子を観察する。

 自分の罪の言い訳を探しているようには見えない。彼は自分の罪を認めた上で、冷静に自分が道を誤った原因を思い返しているように思えた。


「ではもう一つだけ。その執事を貴方に紹介したのはどなたですか?」

「それは――」


 彼が口にしたのは、最近アイリスが耳にした家名の当主。そしてその娘こそ、リストのトップに書かれている魔族とされる人物だった。

 それから質問を重ねるが、出てくるのはリストの信憑性を高める情報ばかりだった。

 アイリスはこめかみを押さえ、無言で天を仰いだ。


 ここまで来ると、リストが本物である可能性は非常に高い。

 すべてが魔族の仕業という訳ではないだろうが、ブルーノの暴走には魔族がかかわっていた可能性が高そうだ。

 ならば、フィオナの両親が魔物の襲撃で亡くなったのも偶然ではないのかもしれない。

 他にも、前世で起きたフィオナの暗殺未遂、追放、魔の森での襲撃など。

 魔族の関与を疑い出せば切りはない。


(もしこれらすべてが魔族の仕業だとして、私は魔族を許せるの?)


 知らされた真実を前に、フィオナとしての感情が表に現れる。

 もしもすべてが魔族の仕業なら、誰よりも苦しんできたのはここにいるアイリスだ。前世ではフィオナとして両親を失い、アルヴィン王子に裏切られ、魔の森で魔物に殺された。

 今世でも、様々な苦難に見舞われている。


「アイリス嬢、どうかフィオナ王女殿下のことをお頼み申します」


 ブルーノの声を聞き、物思いに耽っていたアイリスはハッと我に返る。

 そうして身を震わせたアイリスの態度を誤解したのだろう。ブルーノは「殺そうとしておきながら、今更なにをと思うかもしれませんが……」と付け加えた。


「……いいえ」


 アイリスは静かに首を振った。彼女はブルーノの罪を許すつもりはない。だが、いまフィオナを心配する彼の想いを否定するつもりもない。

 正しいことを重ねた人が、今回も正しいとは限らない。過ちを犯した人が、今回も間違っているとは限らない。過去はいまを知る目安でしかない。

 重要なのは過去でなく現在、そして未来。

 だから――


「貴方の願い、わたくしがたしかに受け取りました」


 エリスが味方になり得るかたしかめ、フィオナにとっての最善の未来を選び取る。そんな決意を胸に、アイリスはブルーノが幽閉されている屋敷を後にした。



 城に戻ったアイリスは新たな調査を進めるための準備を始める。自室で作業を進めていると、調査から戻ったアルヴィン王子とフィオナが訪ねてきた。

 アルヴィン王子はどこか不機嫌で、フィオナはぐったりとしている。アイリスはネイトやイヴにお茶の用意をさせて、その場で報告会を開くことにした。


「お二人とも、ずいぶんとお疲れのようですね。なにかありましたか?」

「俺はレガリア公爵に話を聞きに言ったのだが、それはもう酷かったぞ。最初はなにも話すつもりはないと耳を貸さない。なのに、俺が誰かに唆されたのではないかと聞くといきなり全肯定で、自分は騙されただけだと言い張る始末だ」

「……それは、大変でしたね」


 彼は現在も拘束中で、正式な沙汰が下りるまでは長い月日が予想される。むろん有罪は確定間違いなしなのだが、本人はまだなんとかなると悪あがきをしているらしい。


 そのやりとりを想像し、さすがのアイリスもアルヴィン王子に同情した。同じ王族の命を狙った者同士でも、ブルーノとはずいぶんと違うと呆れ果てる。


「本当にあれとの面会は無駄骨だった。だが、リリエラや、レガリア公爵の考えに批判的だった者達は協力的でな。思った以上に情報を得ることが出来た」


 アルヴィン王子が報告を続ける。それによると、アイリスと同様の家名へとたどり着いたそうだ。アイリスがリゼルのパーティー会場で出会った、あの娘の実家である。


「では、フィオナ王女殿下の方はどうだったのですか?」

「取り潰しになったウィルム伯爵家の人達に聞き込みをしてきたよ。結果的には、私もアイリス先生や、お兄様と同じようにリストの裏付けを得ることが出来たんだけど……」


 結果を出したというのに、心なしかしょんぼりとしている。

 どうしたのだろうとアイリスはクレアに視線を向けた。彼女はすぐに紅茶のお代わりを用意して、アイリスに紅茶を注ぐときに耳打ちをしてくれた。


 どうやら、幽閉されているウィルム元伯爵から心ない言葉を投げかけられたようだ。

 彼は自分がしでかしたことを棚に上げ、フィオナが次期女王としてもっとしっかりしていれば、自分が反逆行為に走ることはなかったと言ったそうだ。

 それを聞いたアイリスは無言で立ち上がった。

 だが、部屋を退出しようとしたところでアルヴィン王子に腕を摑まれた。


「待て待て待て、どこへ行くつもりだ」

「ちょっとゴミ掃除を思い出しまして」

「誰をどんな風に掃除するつもりだ、落ち着け」

「ですが――っ」


 フィオナはいま、過去の自分と決別して努力を続けている。相手にしてみれば、そんなことは知ったことではないかもしれないが、責任転嫁をしているのは相手の方である。

 フィオナの成長を妨げるような行為は許せないと、アイリスは憤る。


「いいから落ち着け。おまえは少しフィオナを見くびりすぎる」

「なにを……っ」


 フィオナは、アイリスにとってかつての自分だ。見くびるなどあり得ないとフィオナに視線を向けた。彼女は少し困った様子で、「ありがとう、アイリス先生」と笑った。


「あのね、アイリス先生。私、ウィルム伯爵に色々と言われたから落ち込んでるんじゃないよ。いままでの自分が次期女王に相応しくなかったって気付いて反省していたの」

「……反省、ですか?」

「うん、反省。もっともっと頑張らないとなぁって。――だからアイリス先生、それにお兄様。私にこれからも、色々なことを教えてくださいね?」


 王女らしい振る舞いで協力を請う。それは、アイリスの知らないフィオナだった。

 妹が自分の手を離れたときのような寂しさを覚えると同時に、それ以上の喜びを抱く。アイリスはならばこそ、障害の排除に全力を尽くすことにした。


「分かりました。では、やはりゴミ掃除から始めましょう」

「なにも分かってないではないか!?」


 アルヴィン王子に突っ込まれる。フィオナにまで「……アイリス先生?」と呆れた目を向けられるが、アイリスは「誤解しないでください」と胸を張る。


「いま言ったのは、魔族の方です」

「あぁ、なるほど。たしかにそちらは早急に片を付ける必要があるな。だが、事件を起こした者達が唆されたという証言だけで捕まえることは出来ぬぞ?」

「ええ、だからわたくしが囮になります」

「却下だ」

「却下だよっ」


 アルヴィン王子とフィオナに揃って反対される。

 だがアイリスも今度は引かず、首を横に振ることで却下を却下した。


「リゼルから共同研究チームが派遣されてくるまで時間が余りありません。それに、証拠はなくとも、確証はあるのだから、証拠なんて作ってしまえばいいではありませんか」

「……賢姫とは思えない言葉だな。いや、賢姫だからこそ、か?」


 捏造ではなく、自ら囮になることで証拠を作る。その違いに気付いたアルヴィン王子がわずかに呆れたような素振りを見せた。


「それなら、私がするよ!」

「却下です」

「却下だ」


 フィオナの提案に、今度はアイリスとアルヴィン王子が反対する。


「フィオナ王女殿下は次期女王なのですよ? そのような無茶はさせられません」

「そう言うアイリス先生だって、隣国からの賓客だよ。私にさせられないような無茶をするのはどうかと思うな」

「たしかにその通りかもしれません。ですが、わたくしはとてもワガママなのです」


 アイリスは肩口に零れ落ちた髪を手の甲で払いのけた。そうして堂々と言い放つ姿はとても様になっている。フィオナが困った顔でアルヴィン王子を見上げた。


「アルヴィンお兄様、どうしよう? アイリス先生があまりにも堂々としすぎてて、否定する理由が見つからないよ」

「……たしかにな。人には無茶をするなといいながら、自分はかまわず無茶をするその姿勢は、ワガママ以外の何物でもないからな……」

「……ぶっとばしますよ?」


 自分で言い出しておきながら、アルヴィン王子に肯定されたらキレるワガママっぷりを発揮しつつ、アイリスは自分が囮になるのが最善だと主張する。


「アルヴィン王子は覚えていらっしゃいますでしょ? 令嬢に化け、レムリア国に入り込んでいる魔族は、あのときの彼女です」

「……あぁ、覚えてはいる。いまにして思えば、あのように振る舞っていたのは、周囲から妙な勘ぐりを受けないようにするためだったのであろうな」


 アルヴィン王子の物言いに苦笑いを浮かべつつ、アイリスは話を続ける。


「彼女達から、わたくしにお茶会への招待状が届いています。リゼルのパーティーで接触してきたことを考えても、わたくしを狙っているのでしょう。リゼルの賢姫であるわたくしがレムリアで害されたなら、両国の関係にヒビを入れるのは容易ですから」

「……そこまで分かっていて、自分が囮になる、と?」

「そこまで分かっているからこそ、わたくしが囮になるのです」


 共同開発や町造りでの妨害や、離間策の場合、様々な手段が想定されるため、相手の狙いを絞ることが非常に難しい。だが、アイリスを囮にした場合、警戒するべきなのは命を狙われることだけである。そういって説得するとアルヴィン王子が溜め息をつく。


「最近、レムリアの脳筋気質に毒されているのではないか?」

「そ、そそっそんなことはないよっ!」


 口調が乱れているアイリスは動揺しすぎである。だが、アイリスはそれでも譲らず、囮としてお茶会の招待を受けることにした。


 ちなみに――


「ねぇお兄様、アイリス先生、大丈夫かな?」

「大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば大丈夫だとは思うが、あれは周囲の心配をまるで考慮していない。以前のおまえと同じだな」

「うぐっ、気を付けるよぅ……」


 フィオナは他人の振りをみて我が振りを顧みたらしい。

 

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