エピソード 2ー5 前世の記憶は最大限に活用します

「フィオナお嬢様」


 込み入った話があるからとアイリスが目配せをすると、フィオナは素直に身を離して「じゃあ私は汗を流してくるね」と他のメイドを従えて立ち去っていく。

 それを見たアルヴィン王子が目を見張った。


「ずいぶんと気に入られたようだな」

「フィオナお嬢様はとても素直で可愛らしいですから」


 自画自賛――というか、アイリスは確実に姉馬鹿的ななにかになりつつある。

 フィオナを穏やかな眼差しで見送り、それからアルヴィン王子へと向き直る。レベッカを雇うと聞かされた彼は、何処か楽しげな顔をしていた。


「それで、レベッカを専属にする、と?」

「少し嘘を吐きました。正確には彼女の子供達を専属に雇いたいと思っています」

「……子供達、だと?」

「なにか問題がありますか?」


 アイリスは澄まし顔で首を傾げた。

 だが、レベッカの子供は使用人ではない。アルヴィン王子も詳しくは把握していないが、レベッカの年齢からして子供は大きくとも十代、おそらくは前半であることがうかがえる。

 問題もなにも、問題しかないというのがアルヴィン王子の本音だろう。

 だが――


「いや、おまえが選んだのならなんの問題もない」


 アルヴィン王子は後ろに控えているレベッカに視線を向けることもなく応じてみせた。

 そこから、アイリスはある可能性に思い至る。


(丁度良いわ。この場はわたくしとレベッカ。それにお兄様とクラリッサだけだもの)


 さり気なく周囲を確認したアイリスは、話をするのに丁度良いと判断した。


「彼女が内通者だと気付いていたのですね」


 アイリスはその憶測を口にした。

 アルヴィン王子は好奇心が強い。ゆえに、なぜアイリスが彼女の子供を専属にすると決めたのか、気にならないはずがない。なのに一言も追及がなかった。

 それはなぜか? レベッカの前で色々と追及したくなかったからだ。


 ――その指摘を受けたアルヴィン王子は果たして、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 だが、それを見たアイリスは逆に安堵する。


 なぜなら、いまのアルヴィン王子がレベッカの裏切りを知っているのなら、前世の彼もレベッカの裏切りを知っていたと言うことになる。けれど、前世のアイリス――つまりフィオナはこの後、レベッカの起こした事件に巻き込まれる。

 この時点では、アルヴィン王子が黒幕である可能性が存在したのだ。


 だが、彼が黒幕ならここでボロを出したりはしない。アイリスの指摘に不機嫌そうな顔をして、レベッカの正体を知っていたと悟らせるようなことは絶対にない。

 ゆえに、不満そうな顔を隠さない理由は一つだ。


「そうか、バックにいるのが誰か調べるために泳がせていたのですね」


 つまりは、アルヴィン王子はレベッカの件に関わってはいない。

 前世でレベッカが事件を引き起こしたのは、泳がせているうちに自体が制御不能に陥ったから。あるいは、クラリッサがいなくなることが影響を及ぼす可能性もある。


 アイリスはそんな風に納得するが、逆にアルヴィン王子は表情を険しくした。彼はアイリスの突飛な行動を好ましく思っていたが、それはアイリスが有能だったからだ。

 偶然ならともかく、意図的に国に不利益をもたらす相手を笑って許すほど寛容ではない。


「そこまで理解する頭があるのなら、なぜ言葉にする前に影響を考えなかった?」

「黒幕を捜す件なら問題ありません。彼女が内通しているのは子供達を守るため。その二人をわたくしの専属として雇い、保護すると申し出ました」


 アルヴィン王子の殺気を受け流して、アイリスは柔らかな笑みを浮かべる。そして、その言葉の意図を理解できないほどアルヴィン王子は愚鈍ではない。


「……レベッカは脅されていたのか?」

「はい。ですから、その不安を取り除くことを条件に、内通者を捕まえる手伝いをしてくれるように説得いたしました」

「そうか……よくやった」


 アルヴィン王子は素早く従者を呼びつけて指示を出し、レベッカから事情を聞き出す手配をする。重要なのは、内通者にレベッカの寝返りがバレないことだ。

 だが、従者が内密にレベッカを連れて行こうとしたところでアイリスが口を挟んだ。


「お待ちください、こちらの話が終わっておりません」

「……なんだ?」

「なんだ、ではありません。彼女の子供達を雇うと申し上げたはずです」

「……子供達、か」


 アルヴィン王子は難しい顔でアイリスを見る。彼女がなにを考えてそのような要望をしたのか、その意図を読み切れないのだろう。


「保護をすることに異論はない。だが、子供達を使用人にするのは危険だ。子供達がレムリア王家を恨まないという保証がないからな」


 レベッカの子供達が無関係だと証明できない。そうじゃなくても、母親を罰せられたことで逆恨みして、王家に敵意を抱く可能性もある。

 なにかあった場合の責任を取れるのか――と、アルヴィン王子は聞いているのだ。

 普通なら尻込みする状況だが、アイリスは不敵な笑いで応じる。


「レベッカの子供はわたくしが責任を持って教育いたします」

「……そうか、ならば好きにするが良い。おまえには借りもあったからな」


 折れたアルヴィン王子に、レベッカがほうっと息を吐いた。けれどアイリスは張り詰めた空気をそのままに、もう一つお願いがあると口を開いた。


「……この上、なにを願うというのだ?」

「レベッカの減刑を」


 クラリッサと、当人であるレベッカが揃って息を呑んだ。

 アルヴィン王子は顔を険しくする。


「おまえならば分かるだろう。内通はたとえどのような理由だったとしても大罪だ。本来なら、子供達も纏めて罰した方が安全なのだ」

「わ、私は子供達が救われるならそれだけで十分ですっ!」


 レベッカが慌てたように口を挟む。

 約束された子供達の安全が反故にされたらたまらないと焦ったようだ。


「……本人もこう言っている、諦めろ」

「どうしても、聞き入れてはいただけませんか?」

「せめて協力を取り引き材料にするべきだったな」


 交渉が下手と言われたも同然だが、アイリスは不敵に笑った。


「協力は子供達の安全と引き換えでしたから」

「……なるほど」


 もしアイリスがその二つを提案していたら、アルヴィン王子は難色を示していただろう。それを予測した上で、確実に子供の安全を確保したと言うこと。


「言ってみろ。そこまで考えているのなら、他にも交渉材料があるのだろう?」

「わたくしからの情報提供。それと引き換えにレベッカの減刑をお願いします」

「……ほう? この国に来たばかりのおまえが情報提供をすると? 面白い。俺を唸らせるだけの情報を提供できた暁には、レベッカの減刑をしてやろう。……書面にするか?」

「いいえ、その必要はありません」


 アルヴィン王子が約束を反故にするならば、今後はアイリスが彼に手を貸さなくなる。それがどのような損失を生むか、アルヴィン王子なら理解できるはずだとアイリスは笑った。


「ふむ、ならばその情報とやらを聞かせてもらおう。だが、そこまで言うなら、生半可な情報では納得してやらぬからな?」

「はい。レベッカを脅して内通者に仕立て上げたのは――ウィルム伯爵です」

「な、に……?」


 驚くほどあっさりと告げられた事実に、アルヴィン王子は息を呑んだ。

 レベッカを泳がせていたのは彼女の背後にいる黒幕を見つけるため。レベッカを尋問しようとしたのも同じ理由だ。ゆえに、アイリスの情報はそこに至るためのヒントだと思っていた。

 なのにアイリスの口からもたらされたのは、答えそのものだった。


 この国に来たばかりのアイリスがそのようなことを知っているはずがない。だが、ウィルム伯爵は、アルヴィン王子が黒幕として怪しんでいた男の一人だ。


「ウィルム伯爵が黒幕だというのか?」

「いいえ。ですがレベッカを操っていたのは彼です。監視して罠を張っておけば、その後ろに誰かいるかどうか、知ることも出来るのでしょう」


 前世では後手に回り、ウィルム伯爵がレベッカを操っていた犯人だと調べ上げたときには既に証拠は消された後だった。

 だから今回は最初から監視して、証拠の隠滅を謀ったところを押さえる。そのうえで、黒幕が他にいるか確かめろと言っているのだ。


「……おまえは、その情報をどこで知った?」

「あら、諜報員に調べさせたとでも答えれば満足ですか?」


 情報をもたらしたのはアイリスで、情報の入手ルートを答えるのもアイリス。ゆえに、アイリスの言葉が信じられないのなら、どこから仕入れた情報かを答える意味もない。

 そう言い放ったアイリスは不敵に笑う。


「……なるほど、お前の言うとおりだ。それに、想像以上に有益な情報だった。その情報が事実だと確認出来た時点でレベッカの罪を軽くすると約束しよう」

「ありがとう存じます」


 アルヴィン王子の言質をもぎ取って、レベッカへと向き直る。


「聞きましたね? しばらくは非自由を強いられることになると思いますが、決して重い罪にはならないはずです。それに、子供達のことも心配いりません」

「……アイリス様。ありがとう、存じます。なんとお礼を言えば良いか……」

「必要ありません。わたくしはただ、信頼できる使用人が欲しかっただけですから」


 あっさりと言い放ち、それでもう話すことはないとアルヴィン王子へと向き直った。そんなアイリスに向かって、レベッカは深々と頭を下げた。


「よし、ではもう他に問題はないな。――連れて行け」


 アルヴィン王子の指示に、従者がレベッカを連れて行く。それを見送ったアイリスは「それでは、わたくしはこれで」と立ち去ろうとするが、アルヴィン王子に腕を掴まれた。


「ところでアイリス、おまえはなぜ彼女を庇った?」

「王子のくせに機微が理解できないなんてダメダメです。わたくしが追求を嫌って立ち去ろうとしたことが分かりませんか?」

「ふっ、ならばおまえも、俺がそれを理解した上で追及していることを理解するべきだな」


 ささやかな抵抗は簡単に封じられ、アイリスは小さな溜め息をついた。だが、追及されることは想定のうちで、それに対する答えも既に決めてある。


「……以前、彼女にとても良く似た人に命を救われたんです。まぁ……ピンチになったのはその人のせいでもあったんですが」

「……なんだそれは?」

「ちょっとした自己満足ですよ」


 歴史から消し去られた未来の出来事。

 だが、それはアルヴィン王子にはなんら関係のないことだ。

 だから、アイリスは深々と頭を下げた。


「……なんのつもりだ?」

「貴方の思惑を予想できる立場にありながら自分勝手を重ねたお詫びです」

「まぁ……たしかに勝手な行動ではあったな。だが……今回は許してやる。結果的にはおまえに助けられたからな」


 アルヴィン王子は笑って、アイリスの頬に指を這わせた。免疫のないご令嬢であればそれだけで腰砕けになりそうな行為に、けれどアイリスは半眼になる。


「そういうことをするから女性に勘違いされるんですよ?」

「ふん、どうせおまえは勘違いもしないのだろう?」


(勘違いしなければ良いと言うことではないと思うんですけど……)


 そう思いつつも、無理を通した自覚のあるアイリスは溜め息を吐き、アルヴィン王子の好きに顔を触らせることにした。下手に文句を言って機嫌を損ねた方が面倒くさい。


「しかし、他人に受けた恩、か。おまえでも感傷に浸るのだな」

「あら、わたくしが血も涙もない女とでもお思いですか?」

「少なくとも、口説き落としたいと思う程度には面白いな」

「王子、面白いは口説き文句ではありませんよ?」

「……ちっ、手強いな」


 渋い顔をしてアイリスから離れる。

 アルヴィン王子が目を細めてアイリスを見た。


「……で? おまえはなぜレベッカやウィルム伯爵が内通者だと分かった?」

「それは――」


 アイリスの言葉に、アルヴィン王子は喉の奥でクツクツと笑った。



     ◆◆◆



 アルヴィン王子の執務室。

 彼が書類にペンを走らせていると、従者の一人が訪ねてきた。


「どうだった?」

「はい。レベッカは素直に話しました。こちらで押さえていた情報とも相違ありません」

「……ふむ。アイリスの話通り、か」


 レベッカは子供達を盾に言うことを聞かされていた。不審者が何度か子供に接触した上で、言うことを聞かなければ子供に危害を加えるぞと脅されていたのだ。

 ゆえに、レベッカは子供達の保護を条件に味方となった。


「それで、ウィルム伯爵を追い詰めることは出来そうか?」

「彼女が全面的に協力してくれていますからね。必ずシッポを捕まえてみせます」

「ならば、その背後に誰かいるかも確認してくれ。このチャンスを逃す手はないからな」

「むろんです。必ずや全員を押さえて見せます」


 本来であれば、レベッカとの連絡役を捕まえるのがせいぜい。良くてウィルム伯爵が犯人だと確認して終わりだったはずだ。


 だがレベッカの協力を得たことで内通者を罠に掛けるチャンスが巡った。レベッカの子供達を内密に護らせつつ、連絡役が接触してくるのを待つ。

 そうして接触があれば罠に掛け、ウィルム伯爵の尻尾を掴む。そのうえで、更にその後ろに黒幕がいればその尻尾も掴む。

 こんなチャンスはめったにない。

 ここまでお膳立てしてもらって失敗は出来ない――というのが部下の心境だろう。


「……しかし、我々ですら内通者を特定するまで相当な苦労があったというのに、アイリス様はどうやってレベッカやウィルム伯爵の裏切り行為を見破ったのですか?」


 自分と同じ疑問を抱く部下に、アルヴィン王子がふっと笑みを零す。


「……なにかおかしなことを申したでしょうか?」

「いや、俺もアイリスに同じ質問をしてな」


 どうやって気付いたのかと問うアルヴィン王子に、アイリスは唇を人差し指に添えて「それは秘密です」と笑って見せた。


「あの娘、なぜ知っているか暴いてみせろと、俺を挑発してきやがった」

「……彼女自身が敵の内通者で、これが罠という可能性は?」

「ない、とは言い切れんな」


 隣国で暮らしていた彼女がこの国の状況を知っている。

 それだけで既に怪しい。

 だが――と王子が呟くが、それは部下には届かない。疑うのなら好きにしろという言外の意志を汲み取り、部下はさっそく行動に移すべく退出していった。


(なぜ知っているかも不思議だが、どこまで知っているかも無視する訳にはいかないな。あるいは、俺の考えにすら気付いている可能性もある、ということだからな)


「……本当に面白い娘だ」


 いつか、彼女と対決する日が来るかもしれない。それはきっと心躍る対決になるだろうと、アルヴィン王子は口の端を吊り上げた。

 

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