エピソード 4ー1

「……どういう、おつもりですか?」


 アイリスはこくりと喉を鳴らし、擦れそうになる声でイーヴォに問い掛ける。彼は緑の瞳の瞳を怪しく輝かせ、その皺の深い顔をニタリと歪ませた。

 ゾクリと悪寒が走り、本能的に彼は敵だと理解する。


「貴方は、最初からこうするつもりだったのですね」

「いまごろ気付いても無駄だ、賢姫アイリス。――であえ! 人間が裏切ったぞっ!」


 イーヴォが声を荒らげる。一瞬の間を置き「なにごとですか!?」と声が響き、次の瞬間には魔族の護衛達が部屋に踏み込んできた。

 そんな彼らが目にしたのは、血だまりに倒れるマルコの姿。


「これは……いったい、なにがあったのですか!?」

「我らに不利益な取り引きを人間に迫られ、それを拒絶したマルコが殺されたのだ」

「――なっ!?」


 魔族の護衛達がどよめき、同時に人間サイドの者達も驚く。この場にいた者からすれば茶番も同然だが、外にいた者にとってはそれが嘘とは分からない。


(いけない。このままでは、魔族と人間の戦争が始まってしまう!)


「聞いてください。彼を殺したのは我々ではなく、そこにいるイーヴォです!」


 アイリスが真実を打ち明けるが、帰ってきたのは憎悪の籠もった視線だった。


「戯れ言を言うな! イーヴォ様がそのようなことをするはずがなかろう! マルコ様を指す害するに飽き足らず、イーヴォ様に罪を着せようとは許しがたい!」


 アイリスの言葉は火に油を注ぐ結果となった。彼らの後ろでイーヴォがニヤリと笑う。それから思いだしたかのように痛ましげな表情を作り、護衛に命を下した。


「もはや人間の言葉は信じるに値しない。彼らは魔王様の信頼を裏切ったのだ。許すことは出来ない! マルコの弔い合戦だ、彼らの首を取れ!」

「「「――はっ!」」」


 魔族の護衛達が剣を抜いて部屋に流れ込んでくる。

 アイリス達の護衛も慌てて剣を抜く。フィオナ、アルヴィン王子、それにエリオット王子やジゼルも同様に戦闘態勢を取り、両者のあいだで斬り合いが始まった。


「決して、殺してはなりません!」


 アイリスは戦闘を始めた面々に警告する。

 それに悲鳴を上げたのはジゼルだった。


「お姉様、そんなことを言っていられる状況ではありませんわ!」

「いいえ、いまはそういう状況です! ここで実際に魔族を殺せば対立は免れない。それこそイーヴォの思うつぼです。決して殺さず、彼らを無力化しなければいけません!」

「ですが……っ」


 ジゼルはエリオット王子を護りつつ、自慢の魔術を行使している。どうやら精霊の加護はちゃんと得られたようで、魔術の威力が向上している。

 だが同時に、制御には苦心しているようだ。


 そして、ジゼルの不安定さに気付いたエリオット王子が、自分がまえに出ようとしてジゼルに抑えられてる。互いに護ろうとする思いから逆に焦りが生じている。


 他の者達も同じだ。

 殺すつもりの魔族に対し、味方は殺すなと命じられている。

 圧倒的に不利な状況で、味方は徐々に押され始める。

 だけど――


「ようは全員叩きのめせば、いいんだよねっ!」


 ピンクゴールドの髪を煌めかせ、身を翻して剣を振るった剣姫。フィオナの攻撃を受け止めた魔族の護衛は吹き飛ばされ、壁に叩き付けられてぐったりとする。

 死んではいないが、明らかに無事では済まないだろう重症だ。

 それを見たアイリスは――


「その通りです」


 平然と、フィオナの行為を肯定した。

 重要なのは国民感情だ。どのような事情があっても、同族が殺されたとなれば、彼らの流れは止められなくなる。だから、決して殺す訳にはいかない。

 だが――


 イーヴォの策略で交戦するも、誰一人として命に別状はなかった。

 そういう報告であれば、大抵の人は安堵するものだ。

 たとえ、どれだけの者達が再起不能に陥っていたとしても。


 むろん、アイリスとて、可能であれば被害は最小限に抑えたいと思っている。だが、それは味方の危険を去らしてまで為すことではない。

 アイリスの意図を正確に理解した味方は、思い切った攻撃に転じる。防戦一方だった彼らが、少しだけ勢いを盛り返した。

 アイリスもまた、魔術で牽制しながら周囲の状況確認に努めた。


 大きな応接間――といっても限界がある。敵味方、それぞれ十人ほどがいる状況。密集状態にあるために横やりが入りやすく、双方が決め手に欠けている。

 幸いなのは、エリス級の強敵がいなかったことだろう。


 イーヴォは魔術に長けているようだが、肉体的には常人と変わらないようだ。護衛の騎士達に紛れて、散発的な攻撃魔術を放っているだけだ。

 その状況であれば、アイリスの魔術で防御が可能だ。


 そして魔族の護衛達。

 彼らの身体能力は人間より高く、更には一流の剣士でもあるようだ。

 そんな魔族の護衛に対し、味方の護衛は明らかに押されている。だが、フィオナやアルヴィン王子はもちろん、ジゼルやエリオット王子も奮戦している。

 結果として、味方は互角以上の戦いを繰り広げていた。


 拮抗した状態。

 問題は、ここからどうするか、ということである。


 魔族に死者を出す訳にはいかないが、当然ながら人間側にも死者を出す訳にはいかない。

 心配なのはこの部屋にいる者達――ではなく、屋敷にいる者や、町の住人達だ。もしもこの戦闘が拡大すれば、屋敷や町の中にも戦闘が飛び火する。


(屋敷にはアッシュやディアちゃんがいます。状況に気付けば、屋敷の人々を護ってくれるはずです。ですが、町の中にまで戦闘が拡大したらその限りじゃありません)


 町で虐殺が起きれば、事態の収拾は不可能だろう。

 人間と魔族が手を取り合う道も絶たれる。


 だから、ここで事態の収拾を図らなくてはいけない。使者の護衛として上陸した魔族でここにいないのは、エリスと数名。エリスならば、短絡的な行動には出ないだろう。


(問題は……あれ?)


 なにか見落としている――と、アイリスは視線を巡らせた。そして気付く。最初からこの部屋にいた魔族は、イーヴォとマルコの他にもう一人いたことに。


(ロスはどこに?)


 魔族側の護衛の顔を確認するがいない。

 もちろん、味方の護衛に交じって戦っている、なんてこともない。いったい何処にと視線を巡らせたアイリスは、部屋の隅になんらかの魔術が展開されていることに気付く。

 それに干渉しようとした瞬間、アイリスの魔術があっさりと弾かれた。


 怪しいと、アイリスは警戒を強める。

 敵の魔術だった場合、放置すれば思わぬ痛手を受けるかも知れない。本腰を入れて魔術に干渉しようとした矢先――扉からあらたな者達が飛び込んできた。


「これは何事ですか!」


 エリスが率いる護衛の魔族である。彼女達の出現で戦闘が一旦停止した。

 ――否、停止させられた。停止するしかなかった。マルコの亡骸を目の当たりにしたエリスが、尋常ならざる殺気を纏い始めたからだ。


 人間サイドだけでなく、魔族を含む誰もが、彼女の纏う濃密な死の気配に怯えて動きを止める。エリスを味方に引き込むことが出来れば、この状況を打開できるだろう。

 でも、もしも彼女が敵に回ったら……


 ここにいる全員で掛かっても勝てないかも知れない。


「エリス、話を聞いてください。マルコさんを殺したのはそこにいるイーヴォです。わたくし達は彼にはめられたのです。わたくしが交易を望んでいるのは知っているでしょう?」

 アイリスは震えそうになる声を必死に押さえつけて訴えかけた。


「騙されてはなりませんぞ、エリス様! この人間に有利な条約の内容をご覧ください! 彼らは魔族に対して、自分達に有利な契約を一方的に結ぼうとしたのです!」


 イーヴォがエリスに突きつけたのは、彼らとのあいだで交わそうとしていた取り引き内容を纏めた契約書だ。魔族のサインはされていないが、既に人間側のサインはされている。


(だから、あんなにも人間に都合の提案を呑んだんですね……っ)


 あまりに自分達に都合がよすぎて、むしろ心配になって忠告すらした。なんて言っても信じてはもらえないだろう。人間達に有利な取り引きを交わそうとした物証があるのだから。


(魔族……武力で人間に勝っている個体がいることは知っていましたが、謀略にも長けているなんて、完全にしてやられました)


 賢姫と持ち上げられていても、敵の策略一つ見抜けなかったと唇を噛む。


(いえ、まだです。なんとしても、エリスを説得しなければ)


 こんなところで、平和への道を閉ざす訳にはいかない。そう意気込むアイリスをまえに、契約書を目にしたエリスが怒りを滲ませた。


「これは……どういうことですか?」

「エリス、たしかに様々な問題はありますが、それに対する対策も織り込んでいます。決して、魔族から搾取しようとした訳ではありません」

「アイリス様、あなたには聞いたのではありません」


 ぴしゃりと弁明の機会を絶たれる。

 アイリスは唇を噛んで、逆にイーヴォは満面の笑みを浮かべた。


「よく目を覚まされました、エリス様! やはり人間は油断ならぬ生き物。魔王様が間違っていたのです。いますぐ人間とてを取り合うなどという幻想は捨てて――かはっ」


 イーヴォはみなまで言うことが出来なかった。

 彼は冷たい目をしたエリスに首を摑まれ、そのまま壁に押し付けられる。


「エリス、様、なに、を……」

「魔王様を侮辱するのは許しません。それと……勘違いしているようですが、あなたにも聞いていません。そこで大人しくしていなさい」


 エリスが手を放すと、イーヴォはその場にへたり込んだ。

 それを見届けることもなく、エリスは再びアイリスへと視線を向けた。――いや、違う。正確には、アイリスがいるよりも少し横。その視線をたどったアイリスは、さきほどの魔術の痕跡が自分の隣に移動していることに気付いた。


 みなの視線が同じところにあつまる。

 次の瞬間、魔術が霧散すると、そこにロスが現れた。


 魔族の警備隊長。いないと思ったら、姿を隠していたらしい。彼ならば、イーヴォがマルコを殺したところを見ているはずだが、彼が味方であるかどうかは分からない。

 固唾を呑んで彼の言葉を見守ると――


「そうか、伏兵まで伏せていたか。エリス様、ご覧の通りです。人間共は最初から我らを信じていなかった。兵まで伏せて奇襲するつもりだったのです!」


 そう叫んだのはイーヴォだった。

 アイリスは最初、その言葉の意味が理解できなかった。だがすぐに、イーヴォが、ロスを人間側の兵士だと思い込んでいるのだと気付く。


 だが、彼はエリスがやってきた軍船から現れ、使者の安全を守る警備隊長だと名乗っていた。なのに、イーヴォがそれを知らないなんて明らかにおかしい。

 アイリスの預かり知らぬところで謀略が巡らされている。


「どういう、ことですか?」


 不信感を込めた視線をロスに向ける。

 彼はふっと笑い――無造作に一歩を踏み出した。


 それはごくごく自然な仕草で、その行動を誰も気にも留めなかった。だが次の瞬間、ロスはイーヴォの目の前にいて、そして――

 イーヴォは壁に叩き付けられていた。


 なにが起きたのか理解が遅れる。

 次の瞬間、ようやく事態を把握した魔族の兵士達が色めき立つが、エリスが全方位に殺気を飛ばし、その死を予感させる圧倒的な恐怖をもって皆を鎮める。


「控えなさい。魔王陛下の御前ですよ」


 エリスが放った言葉はやはり理解が出来なかった。彼女が視線を向ける先には、イーヴォを見下ろす軽薄そうな警備隊長がいるだけである。

 まさかという予感すら働かなかった。


 だが次の瞬間、彼は襟に輝く宝石のついたボタンを外した。とくになにかが起きた訳ではない。少なくとも、アイリス達にとっては、なにも変わったようには感じなかった。

 しかし、それを見たエリスを除く魔族達は豹変した。

 彼らは一様に目を見張って、信じられないとその身を震わせた。


「ま、魔王様が、なぜ……」

 

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