エピソード 2ー7 前世の自分はとても……

 アイリスがまだフィオナだった頃。

 寝室で眠っていた彼女は嫌な気配に目を覚ました。同時に敵意が向けられていることを察したフィオナはベッドの上を転がる。

 寸前まで自分がいた場所にナイフが突き立てられていた。


「曲者っ!」


 飛び起きて寝ずの番の護衛を呼ぶが反応がない。

 襲撃者は複数。

 護衛は既に殺されたと判断したフィオナは迷わず窓に駆け寄った。


 フィオナの寝室は三階。まさかと襲撃者の反応が遅れる。フィオナはその一瞬で窓を蹴破り、月明かりの降り注ぐ夜空へとその身を踊らせた。


 月光を受けて煌めくピンクゴールドの髪。

 夜空を舞う妖精はけれど、重力にひかれて落下する――が、精霊の加護を発動させたフィオナは受け身を取って中庭に降り立った。


「誰か、曲者よっ!」


 フィオナの叫び声に、にわかに周囲が騒がしくなる。味方の声がする方に逃げようとするが、立ち上がろうとしたフィオナは足の痛みを感じてうめき声を上げた。


 もしかしたら折れているかもしれない。少なくとも走るのは無理だ。さすがのフィオナでも三階から飛び降りるのは無理があったらしい。

 そして――


「まったく、驚かせてくれるな」


 ロープを使ってするすると窓から伝い下りてくる襲撃者達。フィオナが逃げるよりも、味方が駆けつけるよりも、襲撃者が迫る方が速いと理解させられる。


(せめて、なにか武器があれば……っ)


 護身用の武器は枕の下に置いてきてしまった。なんとか立ち上がりつつ、なにか武器はないかと辺りを見回す。そこへ短剣を腰だめに構えた男が突っ込んでくる。

 絶体絶命のピンチ。


 それでも目は閉じずに敵を見据える。

 そんなフィオナの視界に黒い掛けが飛び出してきた。


 ――どんっと衝撃が走る。

 フィオナの前に飛び出してきたのは見覚えのあるメイド。


「貴方は……」

「フィオナ様、無事、ですか?」


 月明かりに照らされたのは苦悶に満ちた女性の顔。

 そこからは一瞬だった。状況を理解したフィオナは襲撃者がメイドから短剣を引き抜いた瞬間にそれを奪い、瞬く間にその襲撃者を無力化。

 他の襲撃者が攻めあぐねているあいだに味方が到着して事無きを得た。


 だけど、フィオナを救ったメイド――レベッカが負った傷は致命傷だった。手厚い手当をされて、それでも彼女が夜明けを迎えることはないだろうと聞かされた。


 フィオナはレベッカを見舞い、どうして自分を助けてくれたのかと問い掛ける。

 そうして知ったのは、襲撃者を手引きしたのはそのメイドだという事実。彼女は子供を盾に脅されて、いくつかの命令を実行したそうだ。


 だけど、レベッカはこんなことになるとは思っていなかった。彼女はアルヴィン王子の不正を暴くために協力してくれと言われていたらしい。

 だが、それが誤りだと知った。

 だから、身を挺してフィオナを庇ったのだという。


「私は、許されないことをしました。でも、どうか子供達、だけは……」


 切なる願いをもって伸ばされた手は、フィオナが掴もうとした矢先に力尽きた。

 フィオナがピンチに陥ったのはレベッカのせいであり、その願いを叶える義理はない。

 だけど、命を救われたのも事実。

 せめてもの感謝の気持ちと、フィオナは騎士に子供達の保護を命じる。だが、ほどなく兵士から伝えられたのは、レベッカの最期の願いはもはや叶えられないという現実だった。



     ◆◆◆



「……ようやく、あのときの義理を果たすことが出来ましたね」


 独りごちたアイリスは、それからネイトとイヴが城に住み込める環境を整えた。二人に課題を課して、自分自身はフィオナの教育係としての活動を開始する。

 そんなある日、アイリスはフィオナの待つ部屋へと足を運んだ。


「いらっしゃい、アイリス先生。凄く凄く待ってたよ!」

「あら、そんなにわたくしの授業を待ちわびていてくださったんですか?」

「うんっ! さっそく、剣の訓練をしよっ」


 開口一番に戦いを挑まれてこめかみを押さえた。


「ダメですよ、フィオナお嬢様。貴方は剣姫であると同時に女王になる身なのですから、礼儀作法や座学、それに歴史なども学んでいただく必要があります」

「……むぅ、どうしても?」

「どうしても、です」


 ダメですよと念を押すが、残念そうなフィオナをまえに、アイリスの毅然とした態度はすぐに崩れていく。少し考えたアイリスは「他の勉強を頑張ったら考えます」と妥協した。


「むぅ……じゃあ、一つだけ教えて? そうしたら、お勉強を頑張るから」

「……なんですか?」


 仕方ありませんねと、アイリスは持ってきた資料を机の上に並べながら問い返す。

 だけど――


「アストリアがおかしなことを言うの。加護を与えていないはずなのに、アイリス先生が自分の加護を持っている、って」


 アイリスは思わず資料を取り落とした。

 アストリアというのは、フィオナに加護を与えた精霊の名前だ。


 精霊は基本的にアストラルラインと呼ばれる地脈で暮らしている。地脈が地上に露出しているのは限られた場所だけで、そのうちの二つがレムリアとリゼルの王城にある。


 レムリアには剣精霊であるアストリアが姿を現し、リゼルには魔精霊のフィストリアが姿を現す。これがレムリアで剣姫が生まれ、リゼルで賢姫が生まれる理由である。


 ゆえに、アイリスとアストリアのあいだに接点はない。にもかかわらず、前世の記憶を取り戻したアイリスはアルトリアの加護を使うことが出来る。


 それがどういうことなのか、アイリスはいままで深く考えていなかった。だが、加護を与えていないはずの相手が加護を持っている。

 その事実に精霊が疑問を感じているらしい。


(精霊が相手だと、下手に嘘を吐くことも出来ないよね)


「剣精霊との繋がりはたしかに感じています。ですが……不完全な形ですよ?」


 これは事実である。

 アイリスが加護を受けたのは魔精霊のフィストリアのみ。だけど、フィオナとして過ごした時間の中ではアストリアを初めとした複数の精霊から加護を与えられている。


 ただし、その加護は前世のときよりも弱まっている。これは、加護を与えられたのが前世の自分であって、いまここにいる自分ではないからだとアイリスは考えていた。


「心当たりはあるの?」

「これはあくまで仮説ですが、わたくしの魂がアストリアの加護を得ているのではないでしょうか? だから、その魂を持って生まれたわたくしにアストリアの加護があるのでは、と」

「ん~そっかぁ。たしかにそうかもね。アストリアも同じことを言ってたし」


 ひとまずフィオナを納得させることには成功した。だがそれは、アイリスの前世がアストリアから加護を受ける存在だったと肯定したも同然だ。


(さすがにわたくしに前世の記憶があったり、その前世がフィオナだなんてバレるとは思えないけど、気を付けるに越したことはなさそうだね)


 そんな風に考えつつ、アイリスはパンパンと手を叩いた。


「さあ、質問は終わりです。これからは勉強をしてくださいね?」

「……分かってるけど、お勉強は集中力が続かないんだよぅ」


 少しだけ不満気なフィオナは、勉強があまり好きではないようだ。ようだというか、前世がフィオナだったアイリスはそのことを良く知っている。

 だから――


「否定から入るのではなく、どうやったら集中出来るか考えましょう。その方がずっとずっと建設的な考え、というものですよ」

「集中する方法?」

「たとえば……フィオナお嬢様。お勉強が強さに関係ないと、本当にお思いですか?」


 イタズラっぽく問い掛けると、フィオナの前髪がピクンと跳ねた。

 フィオナにとって最優先なのは強くなること。そうなるように彼女は育てられた。それでも即座に飛びついてこないのは、勉強をさせるための口実だと疑っているからだろう。


「わたくしはダンスも踊れますし、芸術もたしなんでいます。それにお嬢様に教えられる程度には学問も学んでいますし、礼儀作法だってご覧の通りです」


 上品に微笑んで、スカートの裾を摘まんでみせる。その足運びは一流の剣士のそれだ。優雅にカーテシーをおこないながら、その佇まいには一遍の隙もない。


「そのうえで、わたくしは賢姫です。もしも学問と強さが無関係ならば、わたくしがフィオナお嬢様に剣で渡り合えるはずがない。そう思いませんか?」


 おおむねは出任せである。

 座学や芸術が戦闘にまったく関係がない、とは言わない。だが、剣姫として突き詰めるのであれば、剣術に集中した方が近道だろう。

 そもそもアイリスが剣術に長けているのは、フィオナとしての人生があったからだ。

 ゆえに、この説得はフィオナの剣姫としての成長を妨げるかもしれない。


 だが、フィオナは剣姫として生き、無知であるがゆえに裏切りにあって破滅した。生まれ変わったアイリスにとっては他人事だが、前世の自分がそのような目に遭うのは忍びない。

 アイリスがフィオナの教育係を買って出たのにはそういう理由である。

 あるのだが――


「つまり、アイリス先生みたいに色々学べば、私はもっともっと強くなれるんだね! すっごーい、私も先生みたいになれるように頑張ってお勉強するよっ!」


 フィオナはあっさりと、まるで疑いもなく信じてしまった。アイリスはフィオナを可愛いと思うと同時に、前世の自分はこんなにチョロかっただろうかと微妙な気持ちになった。


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