エピソード 2ー2

 王族御用達の大きな馬車が三台、それに使用人達が使う馬車が数台。加えて、それらの馬車を取り囲むように配置された護衛の騎士達という一行。

 それだけの余裕があるというのに、アイリスの乗る馬車には人がひしめいていた。


 アイリスの隣にフィオナが座り、向かいにはアルヴィン王子。加えて、使用人は代表としてメイドのクラリッサが席に着いている。


「まぁ……いつものことなので今更ですが」


 最初は――つまり、アイリスがアルヴィン王子の馬車でレムリアに向かった頃は、相応のドレスを身に纏い、礼儀もそれなりに持って同席していたのになぁと、アイリスは独りごちる。

 だがいまのアイリスは、馬車旅に適したラフな服装。一応はドレスの体をなしているが、ワンピースといった方がしっくりくるだろう服を纏っている。

 ついでに言えば、いまのアイリスは窓枠に肘をついてくつろいでいた。


 なお、フィオナも似たような調子だし、アルヴィン王子もそれはあまり変わりない。隣国の賢姫が同席しているとは思えないようなくつろぎ方である。

 ほどほどの緊張感を保っているのはメイドのクラリッサくらいだろう。そのクラリッサですら、メイドという立場から見ればくつろいでいる方である。


「……なんだ、アイリス、なにか言いたげだな?」

「いえ、最近、緊張感がお留守だなぁと思いまして」


 それを聞いたアルヴィン王子はクラリッサと顔を見合わせた。


「なんですか? なにかおかしなことを申しましたか?」

「おまえ、俺と共にレムリア国に向かう馬車で爆睡していたのを忘れてないか?」

「……ああ」


 ポンと手を打った。

 アルヴィン王子の指摘通り、アイリスの緊張感が足りていないのは最初からである。もっとも、いまよりはマシだった、という意味では間違っていないのもまた事実。

 それがいいのか悪いのか、どうでもいいと思考を打ち切って、アイリスは窓の外を眺めた。舗装されていない道は、馬車の乗り心地が悪い。


「街道の整備も、そろそろ始めた方がいいですよね」

「アイリス、おまえ。そうした方が車内でうたた寝しやすい、とか思ってないか?」

「それはもちろん思っていますよ。ですが、街道の整備は流通の要です。といいますか、リゼルは既に街道の整備を始めているので、後れを取ることになりませんか?」

「……なに?」


 建築中の町は両国の中間地点にある。けれどそれは距離的な話でしかない。もし片方の街道だけが整備されることになれば、移動時間に開きが出来るだろう。

 これはわりと失態なのでは? とアイリスが呟くと、フィオナが口を開いた。


「街道の整備なら、既に担当チームが結成されているはずだよ。完成が少し遅れたとしても、リゼルの街道よりも快適な街道を作る方がいいって、色々と考えているみたい」

「ほぅ……」

「フィオナ王女殿下、よく確認していましたね」


 アルヴィン王子が感嘆の息を吐き、アイリスがにっこりと微笑んだ。そんな二人の反応に反比例して、フィオナはむぅっとふくれっ面になる。


「二人ともほんとは知ってるくせに。そうやって、いきなりテストするのやめてよ~」


 という訳である。

 最近のフィオナはとても勉強熱心なので、アイリスが抜き打ちでテストを始めたら、アルヴィン王子が面白がって参加して今日に至る。

 ただし、やめてといっているフィオナだが、褒められて喜んでいるのが丸わかりだ。彼女自身、自分の成長が目に見えて、しかも評価されるのは嬉しいのだろう。

 彼女はピンクゴールドの髪を揺らして「あのね」と続けた。


「街道の整備は大変だけど、時間を掛ければ完成は難しくないと思うの。でも、魔物の被害はそういう訳にもいかなくて。エリスさんに頼んだらなんとかなる?」

「エリスに、ですか……?」


 エリスというのは、魔族の少女の名前だ。

 魔王の側近で、とても強力な魔族だ。そんな彼女に協力を仰げば、魔物の被害をなくすことが出来るだろうか――と、アイリスは考えを巡らす。


 魔物の大半は獣と同じで、人間が彼らの行動を縛ることは不可能。それが人間にとっての常識なので、魔物の行動を縛ろうなどと考えた者はいなかった。

 だが、魔族は兵として魔物を従えている。

 それはつまり、魔物を従える方法が存在するということに他ならない。


「……エリスに、聞いてみる価値はありますね」


 可能かどうかは分からない。可能だとしても、魔族にだけ可能な手段という場合もある。それでも、この大陸から魔物の被害をなくすことが出来るのなら、その価値は計り知れない。


「フィオナ王女殿下、お手柄かもしれませんよ」

「魔物の被害がなくなったら嬉しいね」


 最近まで、魔族の存在が忘れられつつあったとはいえ、いままで誰も思い付かなかったことを思い付いた。その思いつきがどれだけ凄いか、フィオナは気付いていないようだ。

 アイリスは可愛いなぁと微笑んで、フィオナの髪を優しく撫でつけた。


 だが、エリスに再会するのはもう少し先だ。

 商船を使って食料と技術の支援をしたのが数ヶ月まえ。いまは互いに自国の者達を説得するための時間が必要ということでしばらく連絡が途切れている。

 連絡を取るのにも、往復で一ヶ月くらいかかるというのも大きな理由の一つだ。


 そんな訳で、エリスから話を聞けるのはもう少し先。それに、人間には魔物を従えることが不可能だった場合のことも考える必要がある。


 その場合の対策としてアイリスが考えたのは、商隊の行き来を定期便にして、出来るだけ纏めることだ。そうすることで、少ない護衛で対応することが出来るようになる。

 それに合わせて、乗合馬車なども走らせればなおよし、という訳である。

 ――と、そんなことを考えていると、不意に馬車が停止した。


 その瞬間、アイリスは防御用の魔術を思い浮かべ、アルヴィン王子とフィオナは腰の剣に手を掛けた。だらけきっていたその身が一瞬で刃のような鋭さを纏う。

 ほどなく、護衛の一人が報告にやってきた。


「報告いたします。前方百メートルほど先に故障したとおぼしき馬車、それに襲いかかる魔物と、防衛に当たる冒険者を発見しました!」

「そうか。――フィオナ、おまえが指示を出せ」


 え? と、フィオナが呆けたのは一瞬。

 彼女はすぐに指揮官の顔になった。


「一隊は先行して救援に向かいなさい。残りは私達と共に、後から合流します。罠の可能性もあります。周囲の警戒を忘れないように!」

「はっ!」


 フィオナの指示の下、護衛をしていた騎士の一団が馬を掛けて救援に向かう。それからほどなく、残りの護衛を率いる馬車も動き始めた。

 そんな中、フィオナがなんとも言えない顔でアイリスとアルヴィン王子に視線を向けた。二人は、ニヤニヤというか、ニヨニヨといった表情でフィオナを見守っている。


「なにか言いたいことがあるなら言ってよ!」

「いいえ、なにもありません。的確な判断だったと思いますよ」

「そうだな。周囲の警戒を促しつつも、迅速に一隊を救援に向かわせた判断は悪くない。騎士の報告によれば、冒険者と魔物が交戦中と言うことだからな」


 言い方は悪いが、馬車が魔物に襲われている――などの報告であれば、手遅れの可能性も視野に入れて、護衛を二つに分ける危険を冒さないという判断も必要になる。

 よって、詳しい報告を聞いて判断する必要があった。


 だが、報告は『冒険者が、魔物と交戦中』だ。

 交戦中であれば、それはある程度拮抗していると言うことだ。そこにわずかでも戦力を投入すれば、味方に流れを引き込める算段である。

 であれば、護衛を二つに分けるリスクを冒す価値がある。だから、最小限の部隊を迅速に送ったフィオナの判断は正解だ。

 正解なのだが――


「うぅ~、凄くテストされてる気がするよぅ~」


 フィオナは落ち着かないようだ――と、そうこうしているうちに本隊も現場に到着。その頃には魔物は一掃され、怪我人に対する手当てが始まっていた。


 アイリス達はすぐさま馬車から降りたって状況を確認する。

 フィオナが状況の報告を求めれば、さきほどの騎士が報告を開始した。


「馬車はレムリアとリゼルを行き来する乗合馬車です。車輪がぬかるみにはまって立ち往生していたところ、魔物に襲撃されて護衛の冒険者が応戦していたようです」

「そうですか。私達はここでしばらく待機しましょう。怪我人の治療を続けてください」

「かしこまりました」


 騎士が事後処理に戻るのを見送り、フィオナがちらりとアイリス達を見た。なんだか、凄く警戒しているような面持ちだ。


「そんなに警戒せずともいいではありませんか」

「だってぇ~」

「頑張ったら、また剣術のお稽古をしてあげますよ?」

「じゃあ頑張る!」


 チョロ可愛い――と、アイリスは心の中で呟いた。


「それにしても、ぬかるみですか」


 アイリスは独りごちて空を見上げた。そこには雲一つない青空が広がっている。そして空が晴れているのは今日だけでなく、ここ二、三日のことである。


「ここだけ雨が降った、という訳でもないですよね」


 局地的な雨が降った可能性もなくはないが、ぬかるんでいるのはその一帯だけだ。それがなにを意味すると言うのか。アイリスがなにを考えているか察したフィオナが問い掛けてくる。


「……アイリス先生はもしかして、ぬかるみが魔物の仕掛けた罠かもって思ってるの?」

「可能性の問題ですが……」


 魔物は基本的に獣と変わらない。だが、獣にだって狩りをする種は存在する。ぬかるみで馬車を立ち往生させ、襲撃する魔物がいても不思議ではない。

 あるいは、隠れ里への襲撃を経て、悪知恵を付けた可能性もある。


「魔族がかかわってるとか?」

「可能性はありますが、そこまで行くと、なぜ乗合馬車を襲ったのかという話になりますね」


 魔物によるただの狩りであれば、乗合馬車を襲うことに違和感はない。けれど、知能ある魔族が襲撃を仕掛けたのだとしたら、ただの乗合馬車を襲う意図が分からない。

 むろん、いまは分からないと言うだけで、なにか理由がある可能性も否定は出来ないが。


「どちらにしても、厄介なことだな」


 アルヴィン王子が呟く。その言葉の通り、これはわりと厄介な事態だ。魔族がかかわっているにしろ、そうじゃないにしろ、魔物が策を弄して人間を襲うようになった。

 それは決して見過ごせない事態だ。


「騎士を派遣して魔物を殲滅――という訳にはいかないよね」


 フィオナがむぅーっと、眉を寄せる。


「そうですね。この広い大陸で魔物を殲滅するのは不可能ですし、取りこぼしがあれば魔物は増殖します。それに生態系を壊せば、次にどのような広がりを見せるか想像がつきません」


 この大陸には古くから魔物が存在し、それが食物連鎖に組み込まれている。つまり、魔物が激減すれば、魔物に襲われていた動物などが数を増やすことになる。

 そこまでなら問題ない。

 問題なのはそこから更に未来だ。たとえば、ある虫が大量発生した次の年は、その虫を主食にする鳥が数を増やす、なんてことは珍しくない。

 魔物の餌が増えた後、魔物が増えないなんて誰が言えるだろう。


「結局、場当たり的な対処しか出来ないのかなぁ?」

「そうでもありませんよ。さきほどフィオナ王女殿下がおっしゃったように、魔族に協力を得られるかもしれません。それに殲滅はともかく、魔物を間引くことは重要です」

「ん~そうだね。ひとまず、建築中の町に着いたら考えてみようか」


 そんな話し合いを続けていると、再び騎士がやってきた。


「ご報告いたします。人的被害は軽微、なれど、ぬかるみにはまった馬車が、無理に抜け出そうとしたために故障。人員を乗せて動かすのは難しい、とのことです」


 騎士はそう言って、フィオナに指示を仰ぐ。

 いままで意見を求められるのはアルヴィン王子が主だったのだが、さきほどの一連のやりとりで、いまはフィオナが指示をしていると認識したようだ。

 フィオナはちらりとアイリスを見上げた。

 大丈夫だと微笑み返すと、それに勇気をもらったフィオナが口を開く。


「幸い、私達の馬車には余裕があります。使用人の馬車を一つ空けて、彼らに使わせましょう。乗り切れない使用人は、私やお兄様の馬車に乗せてかまいません」

「かしこまりました。そのように手配します」


 ――こうして、乗合馬車の一行を加えた一団は再び動き始めた。少しの遅れを発生させたが、それも最小限に留め、一団は建築中の町へと向かって進んでいく。


 建築中の町まで、およそ一週間。

 そのあいだにも魔物の襲撃を繰り返し受けた。ただし、ぬかるみで馬車を止めるような策を弄する集団はおらず、どれも小規模な襲撃でしかなかった。


 そうして何度目かの襲撃を退け、野営の準備に入ったある日。アイリスは乗合馬車の者達から情報を仕入れるため、彼らが野営している場所に足を運んだ。

 そうして、乗合馬車の御者だった男に声を掛ける。


「すみません、少しよろしいですか?」

「はい? ――っと、あなた様はもしや、我々を救ってくださった一団の方ですか?」

「ええ、同行者のアイリスです」


 相手が気後れしないよう、気さくな感じで応じる。それでも、アイリスが平民ではないと伝わったのだろう。彼は少し姿勢を正した。


「これはご丁寧に。私は小さな商会を営むザックと申します。このたびは、我々の窮地を救っていただき、誠にありがとうございます。ぜひお礼をさせて頂きたいのですが……」

「わたくしはただの同行者なので礼は必要ありません。それより、商会というのはどういうことですか? 乗合馬車ではなかったのですか?」


 もしや、人だけでも荷物も運んでいるのだろうか? そうやって混合で配達することで生まれる利益があるのだろうか? などなど、考えを巡らすアイリスの瞳が輝いた。

 彼はアイリスの食いつきに目を白黒させつつも質問に答える。


「人を運ぶのも仕事の内ですので、今回は人を運んでいるというだけのことです」

「なるほど。では、リゼルとレムリアを行き来していることには違いないのですね。よろしければ、少しお話を伺わせていただけるでしょうか?」

「もちろん、私の話でよろしければ」


 こうして、アイリスはいくつかの情報を仕入れた。

 やはり、ここ最近は爆発的に魔物による被害が増えているらしい。といっても、襲撃の大半は小規模なもので、護衛の冒険者でも十分に対処できるレベル。

 ぬかるみにはまったときの襲撃は、彼が遭遇した中で一番大きな規模だったらしい。


「魔物の被害が増えているということですが、他の乗合馬車や商隊に同行することで、護衛を増やすといった試みはされないのですか?」

「もちろん、そういう試みはありますよ。ただ、この街道でそういう機会はあまり多くありませんね。それに、そういう時期は人気で、護衛を雇う費用もかさみますから」

「……そうですか」


 両国は友好国で、交易もおこなっている。とはいえ、それは交易が盛んという訳ではない。食料のやりとりなどが始まったとはいえ、まだまだ人の行き来は少ない。


「あちらに、老夫婦が見えますか? 彼らはリゼルに嫁いだ娘夫婦におよそ二十年ぶりに会いに行くのだそうです」

「二十年ぶり、ですか……?」


 アイリスは軽く目を見張った。

 最初に思ったのは、どうしてもっと早く会いに行かなかったのか、ということだ。だがすぐに気付く。平民にとって、隣国は決して気軽に行き来できる場所じゃない、と。


「それだけ、行き来が大変だという訳ですね」

「はい。あの老夫婦も、リゼルに渡った後は、そのまま移住するつもりのようですよ」

「帰るのも同じだけ大変、という訳ですか」


 まあ考えてみたらその通りだ。

 リゼル、レムリア間は馬車で数週間を要する。それだけのあいだ仕事を休む――どころか、護衛なども必要になる、決して安くない乗合馬車の運賃を支払うことになる。

 平民には気軽に支払える金額ではないだろう。


(街道の整備と、安全の確保が急務ですね)


「非常にためになる話でした。他にもいくつか聞かせてください」


 アイリスは続けていくつかの情報を仕入れて、御者の男に感謝の言葉を伝えた。

 

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