エピローグ

 アルヴィン王子とアイリスが婚約してから一年が過ぎようとしていた。そんなある日、城にある会議室では交易の会談がおこなわれていた。


 魔王側の参加者はディアロス陛下とエリス、それにディアロス陛下の重鎮が数名。続いてリゼルからは王太子となったエリオット王子、それにその婚約者であるジゼルと家臣達。

 最後に、レムリアからはグラニス王とフィオナ王女殿下、それにアルヴィン王子とアイリスが参加している。


 話の内容は、交易の拡大についてのあれこれで、主に交易を増やすという方向で話し合いが進んでいく。この一年で、人間と魔族の親密度は増している。

 その甲斐もあって、話し合いはスムーズに進んでいった。

 そして会議が終わった後、アイリスはディアロス陛下に声を掛けられる。


「アイリス、あの男と婚約したそうだな」

「ええ、まあ……したと言うか、させられたと言うか……」


 アルヴィン王子との婚約を受け入れてはいるアイリスだが、あの日のこと――というか、賢姫である自分が罠に嵌められたことはいまだに引きずっていたりする。

 そんな引っかかる物言いをするアイリスを前に、ディアロス陛下は首を捻った。


「なんだ、望んだ婚約ではないのか?」

「それは……」


 言葉を濁す。

 だが、そんなアイリスの表情を見たディアロス陛下は面白くなさそうに息を吐いた。


「あれか、ツンデレというヤツだな。たしか、預言書に書いてあった」

「……失敬な。というか、そんな話をするために呼び止めたんですか?」

「いや、少し伝えておきたいことがあってな」


 ディアロス陛下が真面目な顔をする。

 どうやらちゃんとした用事があるようだと判断。会話に割り込もうとしていたアルヴィン王子を視線で制止して、「どのような用件でしょう?」とディアロス陛下に尋ねた。


「そなたの魂の件だ。色々悩んでいるのではないかと思ってな」

「……まあ、思うところがないといえば嘘になりますね」


 預言書にある原作乙女ゲームのストーリーによれば、ジゼルからフィオナ、そしてジゼルへと巻き戻り転生を遂げている。

 対して、アイリスは一度だけ。

 この生が終わったとき、自分がどうなるか分からない。

 とはいえ――


「気にしても仕方ないと割り切っていますよ」


 フィオナとして精一杯生きた後、アイリスとして生きている。ならば、もう一回誰かに転生したとしても変わらない――と、アイリスはそう考えていた。

 そうして笑うアイリスに、ディアロス陛下が不意に次の言葉を投げかけた。


「幸せな最後を迎えたとき、魂は輪廻から抜け出すだろう」

「……なんですか、それ」

「初代魔王の残した言葉だ。ゆえに、そなたは自由に生き、そして幸せになれ――と、婚約に対する祝いの言葉として贈るつもりだった。いまのそなたには不要だったかもしれぬが、な」

「いえ、教えてくださってありがとうございます」


 アイリスは深く頭を下げた。


「そうか。伝えた意味があったのならよかった。……では、明日を楽しみにしている」


 ディアロス陛下はそう言い残して退出していった。


「あいつになにを言われたのだ?」


 ディアロス陛下の後ろ姿を見送っていると、いつの間にか隣にやってきたアルヴィン王子が声を掛けてくる。アイリスは「魔王陛下をあいつ呼ばわりですか?」と半眼になった。


「俺の婚約者殿にちょっかいを掛ける男はあいつ呼ばわりで十分だ。それで、ずいぶんと穏やかな表情をしていたが……一体なにを言われたのだ?」

「大したことじゃありません。精一杯生きて、幸せになれと、そういう話です」

「なるほど、輪廻の話か」


 ぼかして答えたというのに、アルヴィン王子は核心を突いてくる。アイリスは目を瞬いて「よく分かりましたね」と素直に感心した。


「ふっ、どれだけ一緒にいると思っている」

「たかだか数年程度ではありませんか」

「おまえはフィオナと過ごした時間も同じように言うつもりか?」


 ああ言えばこう言う。アイリスと常に舌戦を繰り広げているアルヴィン王子は、アイリスのあしらい方を覚えつつある。

 やり込められたアイリスは唇を尖らせつつ、そういえばと口を開いた。


「シールートの港町はずいぶんと発展しているそうですね」

「魔族との交易の拠点だからな。隠れ里との交易品が流れる影響も大きいだろう」


 レムリア国はいま、魔族との交易の拠点であるシールートの港町と、隠れ里との交易の拠点である建築中の町、そしてそれぞれを繋ぐ王都。その交易ルートを中心に発展を遂げている。

 シールートの港町こそ、この一年でもっともめざましい発展を遂げた町となるだろう。


「もちろん、魔族への偏見が消えたわけではありませんが……」

「商人達はある意味で素直だからな」


 商人達にとって重要なのは現在と未来。過去のしがらみよりも利益を優先している。魔族は身体能力的に優れた者が多いので、雇用的な意味でも重宝しているようだ。

 人間と魔族のダブルもこれからは増えていくだろう。


「……そういえば、知っていますか? エリスが引く手数多だそうですよ」

「あぁ、多くの魔物を使役しているからな。彼女を妻に迎えれば、この大陸で無視できない勢力になると言っても過言ではない、か。対策を――」

「対策はしているのでご安心を」


 彼女が使役する魔物の運用については、レムリアの王に決定権がある。という風に契約してある。エリスが誰かの伴侶になったとしても、すぐにどうと言うことはない。


「さすがだな。褒めてやろう」


 アルヴィン王子が無造作に頭を撫で、アイリスが手の甲でぺしっとはたき落とす。


「褒められるほどのことじゃありません。あと、権力者がエリスを狙っているのは事実ですが、彼女にちょっかいを掛ける無謀な貴族はそうはいません」

「……貴族は、ということは、それ以外がいる、ということか」

「そうですね。商人や、あと……平民のあいだでも人気だそうですよ」


 アイリスがイタズラっぽく笑う。


「商人は分かるが、平民?」

「町の食堂で、料理を美味しそうに食べる姿が可愛い、だそうです」

「ほう、なるほどな」


 エリスが甘い物を前に、目をキラキラさせているところを思いだしているのだろう。アルヴィン王子が虚空を見つめてふっと笑った。


「しかし、平民が彼女を娶るには、食費で破産する覚悟が必要ではないか?」

「そこまで考えてのことではないのでしょう。憧れのようなものですよ。そういう意味では、フィオナ王女殿下もずいぶんとおもてになるようですよ」

「ふむ。最近、急に大人びてきたからな」


 再び物思いに耽るアルヴィン王子。アイリスは彼に視線を定めたまま「逃がした魚は大きかったのではありませんか?」と、軽い口調で問い掛けた。


「なんだ、嫉妬か――っと」


 アルヴィン王子がみなまで言い終えるより早く、アイリスが顎を狙って掌底を放つ――が、彼は軽く仰け反ることでそれを回避。天に突き出されたアイリスの腕を摑んで引き寄せた。


「ぶっとばすますよ?」


 アイリスが抗議するが、アルヴィン王子はアイリスの摑んだまま肩をすくめる。


「手を出す前に言えと言っているだろうが」

「どうせ避けるんだから、警告という意味では同じじゃありませんか」

「おまえ、政治的な立ち回りは根回しを十分にするくせに、こういうときは途端に荒っぽくなるな。やはり、妬いているんじゃないか?」

「ぶっとばします」


 アルヴィン王子の拘束を逃れようと腕を捻るが、アルヴィン王子はそれに対応する。静かに続く高度な攻防を前に、周囲の者達はまたかと呆れていた。

 言うまでもないことだが、端から見れば、二人はじゃれあっているようにしか見えない。周囲の者達が淡々と退出していく。それに気付いた二人はどちらともなく離れた。


「こほん。俺はそろそろ戻らねばならぬ」

「明日の準備がありますものね」

「ああ。おまえもほどほどにな」


 アイリスと話す順番を待っている――とでも言いたげな者達を横目に、アルヴィン王子は踵を返して退出していった。

 それを見届け、アイリスはリゼルの一行に視線を向ける。


「エリオット王太子殿下、ご無沙汰しております。それにジゼルも、久しぶりですね」


 社交辞令的な挨拶を交わし、そのまま立ち話を開始する。最初は軽い情報共有で、両国がそれぞれおこなっている交易について話す。

 二人はすっかりしたたかに成長していて、エリオット王太子殿下は上手くアイリスから情報を引き出そうとするし、ジゼルは妹にプレゼントを――と、堂々と甘えてくるようになった。

 アイリスはそれらを上手く躱しながらも、差し支えのない範囲で話を続ける。


「そういえば、ディアちゃんやアッシュがずいぶんとがんばっているようですよ。未知を求めて隠れ里から飛び出しただけありますね」


 またなにか新しいことに挑戦しているので、一枚噛んでみればどうかと助言する。二人は顔を見合わせて頷きあうと、アイリスに向かって笑みを浮かべた。


「ありがとう、アイリスお姉様」

「ありがとうございます。アイリスお義姉さん」


 あざとい――と、アイリスは苦笑い。だけど、アイリスと仲のよい二人の地位が盤石になることは、レムリア国のためにもなるといくつか助言を続ける。

 やがて、そうして得られた成果に満足した二人は感謝の言葉と共に頭を下げた。


「アイリスお義姉さん、忙しいところ、ありがとうございました」

「いえ、こちらこそ。レムリアに足を運んでくださったこと、心より感謝いたします」

「いえ、両国の未来のためですから」


 エリオット王太子殿下は笑って、それでは――と立ち去っていく。そうしてようやく手の空いたアイリスが周囲を見回すが、既にフィオナ王女殿下の姿はなかった。


(フィオナ王女殿下も最近は忙しいですからね)


 仕方がないと、アイリスも退出する。



 その日の夜、部屋にフィオナ王女殿下が訪ねてきた。


「フィオナ王女殿下、こんな夜更けにどうなさったのですか?」

「うん。アイリス先生にお礼が言いたくて」

「……お礼、ですか? どうぞ、中に入ってください」


 フィオナ王女殿下を部屋に通し、ソファに座るように勧める。お茶を入れようとするけれど、フィオナが辞退したのですぐに向かいのソファに腰を下ろした。


「それで、お礼というのは?」

「いままで、私の先生をしてくれてありがとう」


 前置きなく告げられた、短い一言。

 だけどその声には、深い感謝の念が込められていた。


「……そう言えば、教育係は今日でおしまいでしたね。短い時間でしたが、貴方の先生として働けた時間はとても幸せでした」

「……私も凄く楽しかったよ。アイリス先生がいなければ、こんな風には成れなかったと思う。だから、いままで本当にありがとうございました」


 フィオナ王女殿下は一度頭を下げて、それから顔を上げるとパチンと指を鳴らす。直後、メイド達がドレスを身に着けたトルソーを持って部屋に入ってくる。


「……そのドレスは?」

「アイリス先生へのお礼だよ」


 フィオナ王女殿下の言葉を受けて、アイリスはそのドレスを観察する。隠れ里の技術を使った生地で仕立てたドレスに、魔族領から仕入れたとおぼしき魔石が散りばめられている。

 魔石はアイリス――そしてフィオナ王女殿下の瞳と同じ紫色がベースで、差し色としてアルヴィン王子の瞳と同じ青い色が使われている。


「もしや、アルヴィン王子にもお贈りになりましたか?」

「もちろん、この期を逃すつもりはないからね」


 アルヴィン王子の礼服には、アイリスやフィオナ王女殿下の瞳と同じ色の魔石が輝いているのだろう。それらを身に付けた姿を見れば、二人が誰に使えているのかは一目瞭然だ。


「……フィオナ王女殿下も成長なさいましたね」

「あ、えっと……その。政治利用みたいでよくないかなって思ったんだけど、こういう立ち回りも必要なことかなって思って、その……」

「よろしいのですよ」


 この時代の王にはしたたかさも必要だ。だから言い訳をする必要はないと微笑んで、フィオナ王女殿下の頭に手を伸ばそうとして、寸前で唇を噛み、その手をそっと引っ込めた。

 教育係はもう終わり。このような不敬なことは出来ない、と。

 だけど――


「……んっ」


 フィオナ王女殿下が無言で頭を突き出してくる。アイリスはクスクスと笑って、フィオナ王女殿下の頭を優しく撫でつける。

 フィオナ王女殿下は嬉しそうに目を細め、愛らしく笑った。


「アイリス先生、いままでありがとう。そして……アイリス、これからもよろしくね」

「はい。――フィオナ女王陛下」


 少し早いですけれどと笑って、アイリスは臣下の礼を取った。



 その日は、朝から雲一つない青空が広がっていた。城内にある広場には、多くの人が詰めかけ、新たな女王の誕生を心待ちにしている。

 今日は――フィオナ王女殿下の戴冠式だ。


 賓客席にはレムリア国を代表する有力貴族達。そしてリゼル国からは王太子と、その婚約者であるジゼル。魔族の国からは王族やエリス。最後に、隠れ里からはクラウディアとアッシュが座っている。歴史的にも、ここまで豪華なメンバーが揃った戴冠式はそうは見られない。

 国民達は、偉大なる女王の誕生を予感している。

 皆が見守る中、グラニス前国王とフィオナ次期女王陛下の戴冠式が開始された。

 アイリスはその光景を誰よりも近い場所――フィオナ次期女王陛下の側近がいるべき場所にて、アルヴィン王子と共に見守っている。


(ようやく、ここまで来ることが出来ました)


 失われた歴史でのフィオナは王城から追放されることとなった。その歴史を繰り返さないために、前世の自分、フィオナに幸せを――というのがアイリスの目的だった。

 フィオナ王女殿下が幸せになるのはこれからだけど、追放されるという運命からは逃れることが出来た。後は、この道をまっすぐに進んでいくだけである。


「あのフィオナが、ここまで立派に成長するとはな。これもすべて、教育係を買って出たアイリス、おまえのおかげだな」

「あら、なにを仰るのですか。すべてはフィオナ王女殿下の努力の証ですよ」


 アイリスは微笑むが、アルヴィン王子は小さな溜め息をつく。


「おまえは、もう少し自分の功績を誇れ。そのような態度だから、おまえの功績を知らぬ者達が、おまえに舐めた態度を取っているのだぞ?」


 アイリスは基本的に、自分が目立たないように立ち回っていた。もちろん、王族を始めとした一部の者達はすべて知っており、アイリスがどれだけの功績を挙げているか理解している。

 だが、王都より遠い貴族達の中には、その事実を知らぬ者も多い。それゆえ、隣国の令嬢ごときが、宰相の地位に就くなどと――と陰口を叩く者がいるのだ。

 もっとも――


「そのうち分からせてあげるので、アルヴィン王子が心配することはありませんよ」


 アイリスは小さく笑う。賢姫の地位はジゼルに引き継いだが、いまなおアイリスを賢姫と呼ぶものも少なくはない。なにより、彼女の能力は健在だ。


「おまえが策を弄しているのか……それは、見物だな」


 アルヴィン王子はそう言って、戴冠式の様子へと視線を戻した。グラニス前国王がフィオナ次期女王に冠を乗せるところだ。

 アイリスとアルヴィン王子は会話を止め、しばしその光景を見守った。

 やがて戴冠の儀式が終わり、フィオナ女王陛下が誕生する。


「「「女王フィオナ、万歳!」」」


 賓客席から拍手が鳴り響き、城に集まった国民達が歓声を上げる。フィオナ女王陛下はそれに答え、国民達に大きく手を振った。

 新たな女王の誕生である。


(おめでとう、フィオナ)


 アイリスは心の中でお祝いの言葉を贈り、手を強く叩く。鳴り止まぬ拍手喝采の中、フィオナ女王陛下の晴れ姿を見守っていると、不意にアルヴィン王子に腰を抱き寄せられた。


「……ところで、アイリス。俺とおまえが婚約して今日で一年だ。そろそろ、俺の呼び方をあらためてもよいとは思わぬか?」

「王子……邪魔ですっ」

「そう、それだ。これからはアルヴィンと――」

「王子、フィオナ女王陛下の晴れ姿が見えないので退いてください」


 アイリスが言い放つと、アルヴィン王子は深々と溜め息をついた。


「まったく、おまえは本当にフィオナが好きなのだな」

「……あら、知らなかったのですか?」

「知っている。だが、そろそろ一歩進んでもいい頃合いだ」


 腰を強く抱き寄せられたかと思えば、アルヴィン王子の顔が迫ってくる。アイリスはその行為を、仕方ありませんねとばかりに無言で受け入れた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

悪役令嬢のお気に入り 王子……邪魔っ 緋色の雨@悪逆皇女12月28日発売 @tsukigase_rain

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ