エピソード 4ー3 剣姫の呪縛

 騎士の報告により、レスター侯爵の罪が明らかになった。

 それを見届けたグラニス陛下がアイリスの前に立つ。


「アイリス嬢、よくやってくれた。そなたはワシだけではなく、フィオナの命の恩人にもなった。必ずやその恩に報いると約束しよう」

「では一つだけ。いまこの場で、わたくしがレスター侯爵から事情を聞くことをお許しいただけないでしょうか?」

「いま、この場で……か?」


 なぜという視線に対して、アイリスは自分にしがみついているフィオナを見下ろす。それだけで、グラニス陛下の瞳には理解の色が宿った。


「そなたが必要だと考えるのなら、好きにするが良い」

「ありがとう存じます」


 深く感謝の意を示し、それからレスター侯爵に向き直る。彼は全てを諦めたのか、一気に老け込んだ顔で項垂れていた。


「レスター侯爵。貴方はフィオナ王女殿下の母であるリゼッタ様の後見人だとうかがっています。なのに、なぜこのような真似をなさったのですか?」

「……だからこそ、だからこそ、だ」


 絶望していたはずの侯爵が明確な怒りを露わにした。

 その理由が知りたくて、アイリスは続きを促す。


「リゼッタはこやつらに殺された。だからワシはその復讐がしたかったのだ」

「……リゼッタ様は魔物に殺されたとうかがっていますが?」


 前世の記憶に、その報告を受けたときのことは鮮明に残っている。馬車で遠出をした両親が行方不明になり騎士達が捜索をした。そうして、魔物と争った激しい痕跡の中、折り重なるように亡くなっている二人と、その護衛達を発見した、と。

 それがかつて聞かされた両親の最期だ。


「魔物に殺されたのは事実だ。だが、そもそも王族が剣姫となったリゼッタに政略結婚を強いらなければ、あのように痛ましい事件は起きなかったのだ!」

「……ならば、フィオナ王女殿下の命を狙ったのはなぜですか?」

「リゼッタがその娘を望んで産んだとでも思っているのか!? 政略結婚で半ば強制的に嫁がされる。おまえも賢姫なら分かるはずだ!」


 グラニス陛下やアルヴィン王子が苦虫を噛み潰したような顔をする。

 剣姫や賢姫は国の象徴という地位を得る代償に、その意思にかかわらず王族との婚姻を結ばされる可能性が高い。アイリス自身も、一度はザカリー王太子殿下との婚姻を強制された。


 あれだけ愚かなザカリー王子が王太子に選ばれたのも、賢姫のアイリスと年回りが良かったからだ。そこに、賢姫を王族に取り込む目的以外の配慮は存在しない。


「………たしかに、わたくし達の政略結婚とはそういうものですからね」


 アイリスがそう口にした瞬間、その腕に捕まっていたフィオナがびくりと身を震わせた。だからアイリスは「だけど――」とその発言を翻す。


「フィオナ王女殿下は望まれぬ子供だった訳ではありません」

「なにを根拠にそのような世迷い言を口にする」

「世迷い言かどうか、フィオナ王女殿下に聞けば分かることです」


 アイリスはそこで膝を曲げると、自分にしがみついているフィオナの顔を覗き込む。そうして怯える彼女に優しく微笑みかけた。


「フィオナお嬢様、心配はいりません。貴方は両親に愛されていたはずです。だって、覚えているでしょう? お母様とお父様がどのような関係だったか」

「……うん。お母様とお父様、とっても仲良しだったよ」

「はい、そうですね。フィオナお嬢様は、二人に望まれて産まれてきたんですよ」


 フィオナの頭を優しく撫でつけて、それからレスター侯爵へと視線を戻す。彼は信じられないと目を見開いて、わなわなと震えていた。


「馬鹿な、そのようなことはあり得ぬ。あやつはいつも夫の所業を愚痴っていた!」

「……きっと、リゼッタ様は素直にされない性格だったのでしょう。貴方の前や人前では夫のことを邪険にして、でも本当は夫のことを心から愛していた」

「……そう言えば、お父様は人前でお母様にちょっかい掛けて、よくお母様に怒られてたよ」


 アイリスももちろん覚えているが、その事実をアイリスが知っていては不自然だ。フィオナが口にしてくれて都合が良いと、彼女にその証言を求める。


「そのとき、お母様は嫌そうにしていましたか?」


 アイリスの問い掛けに、フィオナはぶんぶんと首を横に振った。口では邪魔だのなんだのと邪険にしていたリゼッタは、けれど夫ととても息が合っていた。

 それがアイリスの知る事実。


「馬鹿な、馬鹿な馬鹿な! そのようなことはあり得ぬ!」

「いいや、それが真実だ」


 沈黙を守っていたグラニス陛下が声を上げた。


「レスター侯爵。わしが息子のために、リゼッタに政略結婚を強いたのは事実だ。ゆえに、わしが責められることは致し方がないと受け入れよう。だが、フィオナが望まれぬ子供などということは決してあり得ぬ。息子とリゼッタは愛し合っておったからな」

「なにを馬鹿な。リゼッタと婚約したとき、あやつには恋人がおったではないか!」


(えっ、そうだったのですか!?)


 生まれ変わって知る真実にアイリスは目を丸くした。前世がフィオナだったアイリスですら動揺するのだから、当事者であるフィオナの衝撃は計り知れない。

 お爺様ぁ~と、アイリスはグラニス陛下に縋るような視線を向ける。


「たしかに、息子には愛する娘がいた。だが、リゼッタと婚約するに当たってその娘に別れを告げ、リゼッタを愛すると誓った。二人で助け合い、この国を支える覚悟を決めたのだ」


 不安な気持ちが晴れ、安堵の息を吐くアイリスとフィオナ。

 それに反比例するように、レスター侯爵は呆然とした面持ちになった。


「嘘、だ」

「嘘ではない。おまえとて、少し冷静に考えればわかるはずだ。あの二人が最期、どうやって死んでいたかは聞いているのであろう?」


 二人は折り重なるように死んでいた。

 互いが、互いを護るように。

 その報告を思い出したであろうレスター侯爵は膝からくずおれた。


「……馬鹿な。それでは、ワシは一体なんのために……」

「そなたがわしを恨むのは仕方ない。だが、フィオナを、我が息子とリゼッタの忘れ形見を狙ったことは決して許せることではない。死してその罪を購うが良い」


 不幸なすれ違いが引き起こした、痛ましい事件はこうして幕を下ろした。

 捕らわれたレスター侯爵が引き立てられていく。

 それを見届け、グラニス陛下が再びアイリスの前に立った。


「アイリス、そなたは我ら王族の恩人だ。今回の件を公表した後、そなたには褒美を与えよう。なんなりと望みを言うが良い」

「光栄でございます、陛下。ですが、わたくしの望みは最初から決まっています」


 アイリスは微笑んで、自分に纏わり付いているフィオナを抱き寄せた。


「これからも、フィオナ王女殿下の教育係として雇ってください」


 王族の命を何度も救った褒美に望むのが、まさかそれだとは思わなかったのだろう。グラニス陛下がパチクリと瞬いた。

 その横で、アルヴィン王子がたまらずといった様子で笑い始める。


「くくっ、おまえは本当にフィオナのことが好きなのだな」

「それはもう。フィオナ王女殿下はとても可愛らしいですから」


 フィオナが可愛いと抱きしめ、花の妖精もかくやとばかりに愛らしく微笑む。それを見たアルヴィン王子は少しだけ呆気にとられ――

「少し、妬けるな」

 と、アイリスに辛うじて聞こえるような声で呟いた。


「ふふん、可愛い従妹を取られて悔しいんですか?」

「そっちではない。いや、そっちも少しはあるが、俺は――」


 床の上を滑るように距離を詰めてくると、アイリスの腰に腕を回し、もう片方の手でそのプラチナブロンドを指で掬い上げる。


「俺は、おまえにこそ興味がある」

「……王子、前から言っていますが、そういう誤解を招く行動は控えてください」

「誤解されても構わないと言ったらどうする?」

「この王子、本当に面倒くさいっ」


 ここにいる者達は、アイリスが賢姫で王達の恩人であることを知っている。それを差し引いたとしても、その暴言は咎められてもおかしくはない。

 だが誰一人としてその言葉を咎めることはない。王たちの恩人だからと我慢している訳ではなく、むしろ、なぜか暖かい視線を向けられている。

 それに気付いたアイリスは小首をかしげた。

 そんなアイリスを横目に、複雑な顔をしたフィオナが口を開く。


「お爺様! お父様とお母様って、実は仲が悪かったのではないですか?」

「む? いや、そのようなことはないぞ。リゼッタは自由奔放で気高く、そして素直ではなかった。あれが誰かを邪険にするのは愛情の裏返しだ」

「でもでも、本当に邪険に思っているかもしれませんよね?」

「いや、彼女は本当に嫌いな者にはもっと攻撃的になったり、素っ気なかったはず……」


 グラニス陛下がフォローをするにつれて、なぜかフィオナがふくれっ面になっていく。それを見て沈黙した陛下の視線がアイリスへと向けられた。


「おぉ、なるほど。たしかに邪険に思っている可能性も否定できぬな」

「陛下、なにを言われるのですか!?」


 慌てて言葉を挟んだのはアイリスだ。なぜフィオナを傷付けるような言葉を口にするのかと苦言を呈する。けれど、フィオナは「そうですよねっ!」と笑顔を浮かべた。


(えぇ……どうしてそれでフィオナが笑顔になるの?)


 アイリスが困惑していると、アルヴィン王子がアイリスの肩を抱き「こいつの言うとおりだ。リゼッタ伯母様は素直でなかっただけだろう」と援護に入った。

 アイリスは意外に思いつつ「そう思いますよね?」と肩に回された王子の腕を払いのける。


「もちろんだ。素直になれぬ女性というのは一定数いると聞くからな。それに、そういった女性はあんがい自覚がないのかもしれんぞ?」


 クツクツと喉の奥で笑う。

 その直後、フィオナがアイリスの腕をぐっと引いた。

 そうしてアルヴィン王子から引き剥がすと「アイリス先生はわたくしの先生です。アルヴィンお兄様には渡しません!」と唐突な宣戦布告を下するのだが――


「え、わたくしですか? わたくしはさっきも言ったように、これからもずっとフィオナ王女殿下の教育係ですよ?」


 フィオナは可愛いなぁと抱きしめて、まるっきりズレた言葉を口にする。そんなアイリスの言葉にフィオナは膨れ、アルヴィン王子は腹を抱えて笑い始めた。

 

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