第四章

プロローグ 乙女ゲーム 悪役令嬢アイリスの物語

「アイリス、おまえとの婚約を破棄する!」


 リゼル国の第一王子、ザカリー王太子にそう告げられたアイリスは表情を曇らせた。王太子を愛していたから――ではない。

 身の程を知らぬ者が王となる、その国の行く末を憂えたからだ。


 平時ならば愚かな王でも国は回る。

 だが、いまのご時世は魔物が活性化しており、自然による災害も少なくない。王が決断しなくてはいけないことが多いこの時代、彼が王になるのはいかにも不安が残る。


 また、彼が選んだヘレナという令嬢も問題だ。彼女は男爵家の娘として、それ相応の教育しか受けていない。王妃として振る舞うのは荷が勝ちすぎている。


 もちろん、厳しい教育を乗り越えれば、ヘレナが王妃に相応しい立ち居振る舞いを身に付けることは可能だ。だが、それには王太子の協力が不可欠だ。

 なのに、王太子にも教育が足りていない。

 このままいけば、愚鈍な王と至らぬ妃の治める国の出来上がりである。


 そうなれば、苦しむのは下々の者達だ。

 民はもちろんのこと、アイリスの可愛い妹も苦労させられることとなるだろう。


 現時点では、多くの人間がそこまでの考えには至らない。至った者も、そのうちなんとかなるはずだと傍観する者が大半で、気付いたときには手遅れになっているだろう。

 だから、その未来を確信したアイリスだけが行動を起こした。


 王太子の名声を上げるために、アイリスが生み出した数々の研究成果。それらを使って自分の名声を上げ、次々に力ある貴族達を取り込んでいく。

 ついには王太子を排除し、その地位を奪い取った。

 そして――即位。

 初代賢姫の再来と言わしめた、女王アイリスの誕生である。


 アイリス自身が広めた王太子の汚名と、アイリス自身が手に入れた名声の数々。アイリスの手回しは完璧で、彼女の即位を反対する者はいなかった。

 けれどそれは、彼女が即位するまでの話である。


 アイリスは即位と同時に旧態依然とした制度を壊し始める。その中には当然、貴族が手にする利権の多くも含まれていた。彼女は、自分を女王に押し上げた味方にまで牙を剥いたのだ。


 これには味方の貴族も憤慨し、女王アイリスを引きずり下ろそうとする。だが、アイリスは逆らう者を罠に掛け、ときには王権という暴力によって、逆らう者を排除していった。


 深紅のドレスを身に纏い、眉一つ動かずに非情な選択を繰り返していく。

 その選択一つ一つに多くの血が流れていった。

 権力を掌握し、独裁者となった彼女は血の女王と恐れられるようになる。


 だが、そんな彼女に反抗する勢力が現れた。

 第二王子のエリオットと、アイリスの妹であるジゼルが立ち上げた勢力である。

 王都から逃げ伸びた二人は、各地を回って散り散りになった第二王子派や、気骨あるアイリスの反対勢力を取り込み、やがて解放軍を名乗り挙兵する。


 ときにアイリスの謀略を打ち破り、またあるときはリゼルの衰退を望む魔族とぶつかりながら、彼らは戦いを通じて著しい成長を遂げて行く。


 そして挙兵してから数ヶ月。

 解放軍は血の女王が暮らす城を包囲する。だが、城の抵抗は驚くほど少なかった。エリオットとジゼルはわずかな手勢を率い、女王がいるとされる謁見の間に押し入った。


「待っていたわ、エリオット王子。それに……ジゼル、立派になったわね」


 凜とした声。

 アイリスは血のように赤いドレスを纏い、玉座で悠然と待ち構えていた。


 もし状況を知らぬ者がその光景を見れば、アイリスが窮地に陥っているとは夢にも思わぬだろう。それくらい、アイリスは余裕の面持ちで二人を出迎えた。


「お姉様、どうしてこのような真似をしたのですか!」

「……今更、その疑問に答えることに意味があるかしら?」


 質問に質問で返す。

 ジゼルの、妹の疑問に答えるつもりはないという意思表示。ジゼルは泣きそうな顔をして、だけど拳をぎゅっと握り締めて階(きざはし)の上、玉座に座るアイリスを見上げる。


「意味は、あります。わたくしは、お姉様の妹ですから」


 妹だから。

 その言葉に込められた強い想いを知り、アイリスはわずかにまつげを震わせた。そうして、静かに玉座から立ち上がる。蕾が花開くように、深紅のドレスがふわりと広がった。


「意味はありません。今日、ここですべてが終わるのだから」


 右手を無造作に振るう。

 その一瞬で描かれた魔法陣より風の刃が放たれた。狙うはジゼル――だが、彼女に届く寸前、身を割り込ませたエリオットの剣によって霧散させられた。


「おまえにジゼルはやらせない!」

「ならば、私を撃ち倒して見せなさい」


 アイリスが続けざまに風の刃を放つ。エリオットは一つ目を斬り裂き、二つ目はジゼルを押しのけながら回避。三つ目、四つ目と上手く捌きながら、アイリスに詰め寄った。


 魔術師は得てして近接戦が不得意だ。それはアイリスの妹であるジゼルも同じで、だからこそ、エリオットは魔術師が嫌がる戦い方を心得ていた。

 だけど――


 間合いの中、エリオットが放った一撃は、アイリスに届く寸前、見えない壁に弾かれた。


「結界か!」

「距離を詰めれば勝てると、そのような甘い考えで挑んだのだとしたら興ざめです」


 エリオットの剣を受け止めた結界が輝き始める。

 次の瞬間、弾けた光が衝撃波となってエリオットに襲いかかった。なんとか踏みとどまろうとしたエリオットは、たまらず体勢を崩して吹き飛ばされ、無様に床に転がる。


「力なくばそのまま死になさい」


 カツンと赤い絨毯にヒールを打ち付ける。直後、ドレスの影から揺らめく影が炎のように立ち上り、床に伏すエリオットに襲いかかった。

 けれど、その一撃はジゼルの展開した結界によって阻まれる。

 アイリスの攻撃が一瞬だけ止んだ。ジゼルはエリオットの隣に立ってアイリスを警戒し、エリオットもすぐに立ち上がり、いつでも反撃を取れるように態勢を整える。


 次の瞬間、エリオットとアイリスの攻防が再開される。魔術を回避して距離を詰め、アイリスに斬り掛かるエリオット。アイリスはそれらを魔術で捌き、カウンターの攻撃魔術を放つ。

 だが、それらの攻撃は、ジゼルが的確に防いでいく。


「エリオットはやらせません!」

「そういえば、あなたも賢姫を名乗っているそうね?」

「賢姫はわたくしです! 国を、仲間を裏切ったお姉様は賢姫に相応しくありません!」


 フィストリアと契約し、精霊から賢姫と認められたのはアイリスだ。

 対して、ジゼルは魔精霊との契約にすらいたっていない。だがそれでも、解放軍のリーダー、エリオット王子の隣に寄り添う賢姫として人々に認められつつある。

 この国を形成するのが人だと定めれば、この国の賢姫はジゼルといえるだろう。


「魔精霊と契約すら出来ていないのに、賢姫を名乗れると思っているのかしら?」

「お姉様だって、いまはフィストリアの力が使えないのでしょう?」


 初代賢姫と契約した精霊フィストリアは、国を護るに相応しい賢姫に力を貸す。ゆえに、国を裏切ったアイリスは、フィストリアを扱えなくなったと言われている。

 げんに、彼女が暴君となってからは、一度もフィストリアの力は使っていない。

 アイリスはその指摘に反論せず、口の端を少しだけ吊り上げた。


「賢姫を名乗るのなら、その力を持って主君を護ってみせなさい」


 アイリスを中心に影が広がり、無数の魔法陣を描き出していく。それらの魔法陣すべてから黒い炎が噴き上がり、ジゼル達に放たれる。


 一つ目はジゼルの結界が難なく吹き散らす。だが二つ目はジゼルの結界に衝撃を与え、三つ目はヒビを入れた。四つ目は結界を砕き、五つ目は新たに張られた結界に阻まれる。

 だが、六つ目、七つ目、八つ目が再び結界を割り、九つ目はジゼルに襲いかかった。


 同時に放てる攻撃の数が多いほど、魔術師としてのレベルが高いと言われている。九つの攻撃を同時にはなったアイリスの能力は突出している。

 それでも――

 そこに放たれた横薙ぎの一閃、エリオットの一撃が黒い炎を霧散させる。二人でなら対抗できるとジゼルが思った瞬間、二桁を優に超える黒い炎が二人の足元に着弾した。


 赤い絨毯を一瞬で焼き、衝撃波が二人を容赦なく吹き飛ばした。エリオットはとっさにジゼルを抱きしめて庇い、ジゼルは新たな結界で炎による火傷を防ぐ。

 二人は満身創痍でふらつきながらも立ち上がった。

 ジゼルが、信じられないとアイリスを見つめた。


「どうして、ここまでの力が……」

「精霊の力よ」

「嘘、お姉様は、フィストリアの力を使えなくなったんじゃ……」

「これは、闇の精霊の力よ」


 悠然と笑うアイリスの背後に漆黒の美青年、闇精霊が出現した。

 それは、女王になった彼女が手に入れた新たな力である。


「なんて禍々しい……どうして、そこまで……っ」

「光があれば闇も生まれる。闇を禍々しいと責めるのは人間のエゴよ」

「だとしても、こんなことをしていいはずがない! もう諦めてください! じきに仲間が押し寄せてきます。そうすれば、お姉様とて状況を覆すことは出来ないでしょう!?」

「なら、最初からそうするべきだったわね」


 ジゼルはアイリスを正気に戻すことが出来ると思っていた。だからこそ、城内の兵士と戦う仲間の到着を待たずして、エリオットと二人で謁見の間に乗り込んだのだ。


 だが、それは間違いだった。

 そう証明するかのように、アイリスが魔術を放つ。

 断続的な攻撃で、ジゼルの結界が即座に破られることはない。だが、二人の地力が圧倒的に違う。このまま攻防を続けていれば、魔力がさきに尽きるのはジゼルの方である。


 つまり、ジゼルがエリオットを護るには、攻撃を掻い潜ってアイリスを倒すしかない。それも生半可な攻撃ではなく、殺すつもりで仕掛ける必要があると言うことだ。


 天秤の片皿に乗せられているのはアイリスの命。そしてもう片方の皿に乗せられているのは、エリオットや自分、そして自分達を信じる多くの者達の命。

 ジゼルはゴクリと喉を鳴らし、ようやく覚悟を決めた。


「……ここでお姉様を止めます」

「ジゼル、貴女はまだそのように甘いことを――」

「たとえ、お姉様を殺すことになったとしても!」


 覚悟を秘めた言葉が、アイリスの嘲笑を掻き消す。アイリスは少しだけ寂しげに、けれど口の端をにぃっと吊り上げて笑った。


「やれるものならやってみなさい!」


 始まったのは歴史に残る激戦だった。

 容赦のない攻撃を撒き散らすアイリスに対して、ジゼルは精密な魔術を使ってアイリスに対抗する。エリオットもまた、そんなジゼルを自らの剣で護り続けた。


 傍目にも、二人は息の合った連携を取っていた。

 それでもアイリスには届かない。

 アイリスは巧みに二人の連携を崩し、彼女らの未熟さを思い知らせていく。幾度となくぶつかった魔術が、謁見の間をむちゃくちゃに破壊していった。


 永遠に続くかと思われた戦いはけれど、謁見の間に解放軍が到着したことで変化する。


「エリオット様、ジゼル様! 助太刀いたします!」

「――邪魔をするな!」


 アイリスが腕を振るう。謁見の間の入り口付近に電気を帯びた魔法陣が浮かび上がり、その魔法陣を踏んでいた解放軍の兵士達が悲鳴を上げてその身を震わせる。

 ただの一撃で、救援に現れた兵士達は動けなくなった。


 さらに、アイリスが魔術を行使する。

 部屋の両端に浮かび上がる魔法陣。その二つを結ぶ直線上、突撃しようとした解放軍とエリオット達を分断するように青白く輝く結界が現れた。


「電気を帯びた結界よ。その威力は身を以て知ったでしょう? 魔術を使えないあなた達にその結界を破る術はない。だから、そこで大人しく結末を見守りなさい」


 アイリスは兵達に警告して、ジゼルとエリオットに視線を戻す。

 二人は激戦に次ぐ激戦で、既に息も絶え絶えだ。

 だが、リゼル国を象徴する玉座は砕け、赤い絨毯は焼け焦げている。壁には大きな風穴があいて、そこから城下が一望できるようになっている。

 血の女王を象徴する権威も十分に傷付いている。


 なにより、風穴の向こうに広がる城下には、クーデターの成り行きを見守る人々の姿があった。悪しき女王アイリスの死を願い、新たな時代の到来を望む人々の姿だ。

 それを目にしたアイリスはわずかに笑みを浮かべる。


「そろそろフィナーレとまいりましょう」


 アイリスがパチンと指を鳴らした。彼女の展開した魔術が、謁見の間の光景を虚空のスクリーンに映し出し、城下の人々へと届ける。


 スクリーンには、悠然とたたずむアイリスと、息も絶え絶えに座り込むジゼルとエリオットの姿があった。人々の悲痛な声が城下から聞こえてくる。


「貴方達はよくやりました。あなた達の情けない姿を見た人々は、今度こそ逆らう気力を失うでしょう。それはすべて、あなた達のおかげです。その功績を胸に死になさい」

「ふざけるな!」


 エリオットが激昂して剣を構え直した。

 そしてジゼルもまた杖を構え直す。


「わたくし達は決して屈したりしません!」

「口でなんと言おうと、現実が伴わなければ同じことでしょう?」


 アイリスが腕を振るう。

 二人の近くに着弾した魔術の炎が爆発し、その爆風が二人を吹き飛ばす。絨毯の上を転がった二人は、ボロボロになるが、それでもなんとか立ち上がった。

 それを待ち、アイリスが再び魔術を放つが――


「俺達は、負けない!」

「この国に平和を取り戻して見せます!」


 エリオットが剣で魔術を切り裂き、ジゼルが反撃の魔術を放った。その一撃はアイリスの結界にあっさりと阻まれてしまう。

 けれどその行動は、二人がまだ諦めていないのだと人々に知らしめることとなった。


「エリオット様、負けないでくれ!」

「ジゼル様、賢姫としての力を見せてください!」


 兵士達から声援が上がる。

 同時に、城下からも二人を応援する声が上がり始めた。


 二人は歯を食いしばって武器を構えると、顔を見合わせて頷きあう。アイリスが魔術を行使するために腕を上げた瞬間、二人は左右に分かれて同時に走り出した。


「二手に分かれれば、わたくしの攻撃がおろそかになるとでも思っているのですか?」


 アイリスが自身の背後、その虚空に無数の魔法陣を展開した。その魔法陣から次々に魔術が放たれる。一つ一つが必殺の威力を秘めた黒い炎。

 エリオットはそれを剣で切り裂き、ジゼルは結界で弾き散らす。防御が間に合わぬものは回避。着弾したそれが地面で爆発するが、二人はその爆風すら置き去りにして駈けた。


 距離を詰めるにつれて激しさを増す攻撃。

 エリオットは迫り来る魔術を剣で霧散させる。そこに遅れて、背後で起きた爆風が押し寄せてくる。その衝撃につんのめりながらも、エリオットはまえに踏み出した。

 そこに迫る次の一撃。回避すれば、再び爆風で煽られることとなる。距離を詰めたいま、その衝撃に動きを阻害されるのは致命的だ。

 エリオットはからくも振るった剣で魔術を霧散させた。


 だが、その剣を引き戻すより早く、次の一撃が襲いかかる。一歩を踏み出したエリオットは、その一撃を――回避した。剣を引き戻しながら更に踏み込む。

 そこに襲い来る背後からの爆風。

 そして、前方からの魔術。


 体勢を崩した状態では剣で霧散させることも出来ない。謁見の間の石畳を砕くほどの威力を秘めた魔術。避けなければ命は助からないだろう

 だけど、エリオットはまえに踏み込んだ。


 アイリスの魔術が直撃する瞬間、相打ち覚悟で剣を振るった。自らの命と引き換えにしたカウンター。エリオットの突き出した剣がアイリスの胸を貫いた。

 ――そして、アイリスの放った魔術は……ジゼルの張った結果に阻まれた。


 その事実を理解し、エリオットは心から恐怖した。

 アイリスの攻撃はジゼルとエリオットに等しく放たれていた。エリオットが捌ききれなかったように、ジゼルも捌ききれない状況に合った。

 ジゼルに、エリオットを護る余裕はなかった。

 つまりは、ジゼルは自分の護りを捨ててエリオットを――


「どうして、ですか!」


 エリオットの最悪の予感は、けれどジゼルの金切り声によって掻き消された。そして、その理由も、続けて放たれたジゼルの言葉に理解する。


「最後の攻撃は直撃コースでした! なのに、なぜ曲げたのですか、お姉様!」


 エリオットの予想通り、ジゼルは自分の護りを捨ててエリオットを護った。だから本当なら、ジゼルはアイリスの攻撃魔術の直撃で死んでいたはずだった。

 なのに、アイリスの攻撃はジゼルに着弾する直前に軌道が逸れた。

 アイリス自身が軌道を変えたからだ。


 それを理解した瞬間、エリオットは信じられないとアイリスを見た。アイリスは剣で胸を貫かれ、青白くなった顔で静かに微笑んでいた。


「この国には、魔族が食い込んで、いました。腐った貴族、魔族の影響を受けた者達を、片付ける……には、手段を選んでは、いられなかった……」


 アイリスは青白い顔で、それでも痛みに耐えて最後の務めを果たす。


「悪しき女王を討った貴方達なら、民もしたがって、くれる、でしょう……」

「アイリス、貴女は、まさか、そのために……っ」


 エリオットは思わずアイリスの胸に刺した剣を手放してしまう。エリオットの支えを失ったアイリスは、それでもよたよたと歩き、ジゼルのもとへと歩み寄った。


「おねえ、さま……?」

「自分の、身を、犠牲にする、など……零点、です」

「お姉様が……お姉様がそれを仰るのですか!?」


 ジゼルが異を唱えるが、アイリスはそれには答えない。アイリスは既に、周囲の言葉を理解するだけの意識を残していなかった。

 彼女がこうして話しているのは、最後まで役目を果たすという本能だけだ。


「……よく、頑張りましたね。あなたに、フィストリアを託し、ます」


 アイリスの側、フィストリアが顕現。そのフィストリアがジゼルに語りかける。


「ジゼル、貴女に力を授けましょう。どうか、アイリスの後を継いでください」


 美しき精霊は、その心情を映し出すかのように寂しげな顔で微笑んだ。それを見たジゼルは嫌でも理解する。自分の姉は、いまも変わらず、優しい姉のままだったのだ、と。


「わたっ、わたくしにはお姉様の代わりなんて無理です!」


 ジゼルが悲痛な叫びを上げるが、アイリスは微笑むだけで答えてくれない。代わりに、フィストリアが泣いている子供をあやすように語りかける。


「ジゼル、どうか、アイリスを安心させてあげてくださいませんか?」

「でも、だけど……っ」


 それを受けてしまった瞬間、アイリスが死んでしまいそうで頷くことが出来ない。だけど、そんなジゼルの思いを踏みにじるように、アイリスの瞳から光が失われていく。

 ジゼルに出来るコトはもはや、アイリスを安心して逝かせることだけだ。


「――っ。わかり、ました。フィストリア、わたくしと契約を」


 涙をボロボロと流しながら、ジゼルはフィストリアと契約を交わす。それを見届けたアイリスは小さく笑って倒れ伏した。彼女が倒れるその身を中心に真っ赤な血が広がっていく。


「いやっ、お姉様! お姉様っ、死なないで!」


 その光景を目の当たりにしていたエリオット、そして解放軍の兵士達は声も出ない。

 ――けれど、音もなく映像だけが投影されていた魔術のスクリーン。それを目にしていた民達は、新たな賢姫と新たな国王の誕生に沸き上がった。


「悪しき女王は滅びた!」

「新国王の誕生に、万歳!」

「新たな賢姫の誕生に、万歳!」


 ジゼルの嗚咽を、城下を揺るがす歓声が塗りつぶした。

 これは、歴史が書き換えられるまえの物語だ。

 

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