エピソード 4ー1 罠に掛かりました

 レベッカからもたらされた情報。

 それはフィオナが今夜にでも襲撃される可能性があるという話だった。その情報を手に入れたレベッカは、居ても立ってもいられずにネイト達を通じてアイリスに伝えた。

 その情報の真偽をたしかめるべく、アイリスはフィオナの寝室へと向かった。


 多くの者が寝静まった深夜。王族の寝室がある区画へ続く廊下には見張りの兵士達が詰めているはずだが、魔導具の明かりに照らされた廊下には誰もいない。

 廊下は無人で、周囲は静まり返っている。


(どうやら、ただの誤情報ではないようですね。思ったより焦っているのでしょうか?)


 前世でフィオナが襲撃されたのは、レベッカという内通者が野放しだったからだ。

 そのレベッカの裏切りが発覚した以上、黒幕は大人しくするものだと思っていたが……どうやら、危険を冒してでもフィオナを殺したいらしい。

 そのことを自覚したアイリスは、フィオナの寝室へと急ぐ。その道の途中、待ち伏せをしていた数名の騎士達と出くわした。


「おやおや、誰かと思えばアイリス嬢ではありませんか。このようなところで、一体なにをしていらっしゃるのですかな?」


 アイリスを待ち伏せしていた騎士の後ろからレスター侯爵が姿を現した。


「レスター侯爵、実はフィオナ王女殿下が命を狙われているという情報を掴みました。それで、いまからフィオナ王女殿下に警告にいくところです」

「ふっ、なるほど。そして、その暗殺者というのはアイリス嬢、貴方という訳ですな?」

「なっ、それは誤解です!」


 アイリスは驚きの表情を浮かべて・・・・否定する。だが、レスター侯爵は「口ではなんとでも言えるであろう」と返した。


「実はワシも、今夜フィオナ王女殿下の暗殺計画があると聞いて罠を張っていたのだ。そうして犯人が来るのを張っていたら、そなたが姿を現したという訳だ」

「レスター侯爵、何度も言いますが誤解です。わたくしも同じで――」

「――言い訳は無用だ。出会え、出会えっ! 侵入者だっ!」


 レスター侯爵が大声を上げる。

 にわかに辺りが騒がしくなり、すぐにアイリスは包囲されてしまった。


「何事だ――と、これはレスター侯爵。一体何事ですか?」

「フィオナ王女殿下の暗殺を企てた痴れ者だ、引っ捕らえよ!」

「え、痴れ者? それは……アイリス嬢のこと、ですか?」


 困惑した様子の兵士の顔に、アイリスは見覚えがあった。ときどき中庭などの見回りをしている彼とすれ違ったことがある。挨拶をしたこともあり、気さくな兵士のおじさんである。


 アイリスとフィオナが一緒にいるところにも良く鉢合わせしているので、アイリスがフィオナ王女殿下の暗殺を企てたという言葉に疑問を抱いているようだ。

 だが、そんな彼に向かってレスター侯爵が捲し立てる。


「早く捕らえろっ。彼女は既にフィオナ王女殿下の寝室の方から逃げてきたところだ。もしかしたら、既にフィオナ王女殿下の身になにかあったかもしれぬ!」

「なっ!? それは事実なのですか!?」


 事実もなにも、アイリスはフィオナの部屋へ向かうところだった。彼女の部屋から逃げてきた訳ではないことは、待ち伏せをしていたレスター侯爵が良く知っているはずだ。


 つまりは意図的な嘘。

 ここまで来ればその思惑は明らかで、レスター侯爵はアイリスをはめようとしている。


「事実かどうかは調べれば分かることだ。とにかく彼女を捕らえよ! フィオナ王女殿下の安否はこちらで確認する。おまえ達!」

「はっ、すぐに安否を確認してまいります!」


 レスター侯爵の引き連れてきた騎士達がフィオナの寝室へと走って行った。それを見届けたレスター侯爵が、兵士にアイリスを捕らえろと急かす。


「……アイリスさん、フィオナ王女殿下を暗殺しようとしたのは事実なのですか?」

「まさか。わたくしはそのようなことはしておりません。そもそも、わたくしはいまここに来たところです。王女殿下の部屋から帰るところではありません」

「言い逃れは見苦しいですぞ、アイリス嬢! フィオナ王女殿下の安否を確認すれば結果は自ずとあきらかになる。早々に自首するがよろしかろうっ!」


 レスター侯爵が声を荒らげ、アイリスの弁明を遮った。彼の口元に嫌らしい笑みが浮かんでいるのを確認し――アイリスは罠に掛かった獲物に冷たい笑みを向ける。


「これは不思議なことをおっしゃいますね、レスター侯爵。その物言いではまるで、フィオナ王女殿下が害されていることを確信しているような口ぶりではありませんか」

「なっ。いや、それは、ワシとて無事でいて欲しいと願っておる。しかし、そなたがフィオナ王女殿下の寝室から戻ってきたことを考えれば結果は明白だ」

「……つまり、フィオナ王女殿下が無事なら、わたくしは無実、ということになりますね?」

「そうだな。もしもフィオナ王女殿下が無事なら、だがな」


 レスター侯爵は、フィオナが既に害されているという確信があるのだろう。いや、自分の騎士達の仕事がそれだけ確実だという信頼、というべきだろうか?


 実際、前世で襲撃されたときは、レベッカがいなければ殺されていた。その襲撃犯と今回の襲撃犯が同じだと考えれば、レスター侯爵の自信も過剰とは言い難い。

 だけど――


(罠に掛ける相手を間違えましたね。まぁそのおかげで助かったとも言えますが)


「これはなんの騒ぎであるか」


 廊下に厳かな声が響いた。

 続いて姿を現したのは――グラニス陛下。


「陛下がなぜここに……いえ、それよりもおさがりください、グラニス陛下。彼女はフィオナ王女殿下の命を狙う刺客です!」


 素早くレスター侯爵が警告という名の刷り込みをおこなう。グラニス陛下は顎を撫でつけながら「ほう?」と片眉を釣り上げた。


「その娘はわしの恩人であるぞ?」

「むろん、存じております。ですが、フィオナ王女殿下を害したのも事実です。おそらくは陛下の信頼を得て、フィオナ王女殿下の命を狙う機会をうかがっていたのかと」


(機会をうかがうもなにも、フィオナとはよく一緒にいますけどね)


 フィオナを暗殺する機会など、アイリスにはいくらでもあった。レスター侯爵の理屈は穴だらけだが、アイリスはあえてそのことを指摘しない。

 フィオナ王女殿下暗殺の証拠が出れば関係ないと、レスター侯爵が思っていることは明らかで、だからこそアイリスが弁解する必要はどこにもなかったからだ。


「……なるほど。それで、フィオナは無事なのか?」

「さきほど、私の部下を救出に向かわせました。無事だと良いのですが、我々が駆けつけたときには既に騒ぎが発生していたので、あるいは……と」

「アイリスが剣姫であるフィオナを暗殺した、と?」

「その娘はアルヴィン王子と互角だとうかがっております。いかに剣姫とはいえ、眠っているところを襲撃されてはひとたまりもないと愚考いたします」


 レスター侯爵は手振り身振りを加え、いかにもアイリスがフィオナを殺した後だと訴えている。大臣よりも役者の方が向いていたのではと、アイリスは苦笑いを浮かべた。


(もっとも、喜劇のピエロ役、ですけどね)


「たしかに、アイリスは俺と互角の実力の持ち主だからな。フィオナを暗殺するつもりなら、防ぐ手立てはなかっただろうな」

「むぅ、悔しいけど、先生に夜襲を掛けられたら対応できないかも」


 レスター侯爵の背後から二人が声を上げる。

 その声にレスター侯爵は目を見開いて、信じられないと背後を振り返った。そこには、仲良く歩いてくるアルヴィン王子と――フィオナの姿があった。


「フィオナ王女殿下、なぜ――っ」

「なぜ生きているのか、か?」


 レスター侯爵はとっさにセリフを飲み込んだが、アルヴィン王子が皮肉めいた笑みを浮かべて、彼の言わんとした言葉を続けてしまう。

 まるで、罠に掛かった獲物を嘲笑っているかのように。


「我々は避難していたのだ。おまえが犯人扱いしている……こいつに警告されて、な」


 アルヴィン王子は兵士の合間を縫って渦中に身を投じると、アイリスの隣に立ってその腰をぐっと抱き寄せた。


「王子、なんですかこの手は?」


 小声で問い掛けるが彼は答えない。状況を考えてくださいという言葉が口をつきそうになるが、フィオナが反対側から腕にしがみついてきたので飲み込んだ。


「アイリス先生はね。私が狙われているって、昨日の夜に教えてくれたんだよ」

「昨日の夜ですと!?」


 フィオナの言葉にレスター侯爵が目を見張った。それはそうだろう。彼はアイリスが暗殺計画を知ったのはさきほどで、慌てて飛んできたと思っているのだ。


 先日、レベッカにとある男が接触してきた。

 その男は、フィオナの暗殺計画があるとレベッカに話した。

 そのうえで、城の人間は信用できない。だが、罰を受けることを恐れずに内通者として協力させられていることを打ち明けたおまえは信用できる。


 だから、暗殺計画の情報をアイリスに伝えて欲しい――と。その男の手引きで城に入り、アイリスと接触することとなった。

 そうして、レベッカがアイリスの元に来たのがさきほど。

 だけど――


「アルヴィン王子のご厚意で、レベッカは週に一度くらいのペースで、ネイトやイヴとこっそりと会うことが許されていたんです。残念でしたね」


 ネイトやイヴを通じて、アイリスはその情報を事前に仕入れることが出来た。だからこそ、レベッカに情報を伝えた者が、アイリスをハメようとしていると気付けたのだ。


 この時点で、アルヴィン王子は今回の一件では白だと予想が付いた。なぜなら、この計画を立てたのは、レベッカがネイトやイヴと定期的に会っていることを知らない者だからだ。

 レベッカが子供と内密に会えるように手配したアルヴィン王子が関わっているはずがない。


 ゆえに、アイリスはフィオナとアルヴィン王子にこの一件を警告した。フィオナが命を狙われているだけでなく、自分に罪を着せようとしている者がいる、と。

 そのうえで、犯人を罠に掛けることを提案した。

 その結果がいまの状況だ。


 王族は別室に避難し、フィオナの部屋には暗殺者を待ち受ける騎士達が詰めている。それを知っているアイリスが、暗殺者としてフィオナの部屋に向かうなどあり得ない。


「罠に掛かったのはわたくしではなく、貴方の方ですよ。レスター侯爵?」


 冷たく笑う賢姫の姿に、その場にいるすべての者が息を呑んだ。

 

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