悪役令嬢のお気に入り 王子……邪魔っ

緋色の雨

第一章

プロローグ かくして賢姫の鎖は断ち切られる

 リゼル国では年の初めに精霊祭がおこなわれる。

 建国の女王である初代賢姫と、彼女に恩恵を与えた精霊を称えるお祭りで、城下町はもちろんのこと、城内でも盛大にパーティーが開かれている。


 著名なオーケストラによる演奏。

 この国では馴染みの深い軽快なワルツに満たされた会場。普段は権謀術数の渦巻く世界で神経を尖らせている貴族達も、いまばかりは穏やかな笑顔を浮かべている。


 そんな会場の外にあるバルコニー。お城をライトアップする魔導具の明かりに照らされた幻想的な空間で、一組の若い男女が向き合っていた。


 青年はザカリー王太子殿下。

 リゼル国の第一王子にして次期国王の地位にいる十九歳の青年。ブラウンの髪に縁取られた整った顔。そこに収められているのは少し幼さを残す翡翠の瞳。

 その瞳には美しい少女が映り込んでいる。


 公爵令嬢にして今代の賢姫、アイリス・アイスフィールドだ。

 プラチナブロンドは艶やかで、ライトアップの明かりを受けて幻想的な光を纏っている。アメシストの瞳は少し冷たい印象を与えるが、とても整った顔立ち。

 まるで氷の精霊がこの世界に顕現したかのような少女がたたずんでいる。


(わたくしをこのような場所に呼び出すなんて……もしかするのでしょうか?)


 ザカリー王太子殿下に呼び出されたアイリスは、彼の用件をなんとなく察していた。だからわずかな不安と、それ以上の期待を持って彼の言葉を待ちわびる。

 長い沈黙。

 会場から漏れ聞こえるワルツが一巡したのを切っ掛けに、王太子殿下が拳を握り締めた。


「アイリス、君との婚約を解消する」

「――はい、よろこんで」


 期待通りの言葉に、アイリスは食い気味に応じる。そうして、笑わない賢姫と揶揄されていた彼女はつぼみが花開くように微笑んだ。

 彼女が笑うのは非常に珍しく、ザカリー王太子殿下にとっては初めて見る笑顔だろう。


 キツい顔立ちではあるが、それ以上に整った容姿の持ち主である。アイリスが笑顔を浮かべたことに、ザカリー王太子殿下は心を奪われた。

 だが、すぐに我に返って怪訝な顔をする。


「……よろこんで、だと? 婚約を破棄すると、俺はそう言ったのだぞ?」

「はい。ですからよろこんでと応じました」

「……なぜだ?」


 理解できないとばかりにザカリー王太子殿下が首を傾げた。だが、それに対して今度はアイリスが「なぜとはどういうことでしょう?」と首を傾げる。

 その仕草はどこか晴れやかで、広がった髪が明かりを受けて煌めいた。


「その……未練とかはないのか?」

「未練ですか? 逆にお尋ねしますが殿下にはあるのですか? 望まぬ政略結婚で、だからこそ、ヘレナ様と逢瀬を重ねておいでなのでは?」

「むぐっ。し、知っていたのか?」

「……わたくし、王太子妃として育てられた賢姫ですよ?」


 賢姫とは魔精霊の加護を得た女性に与えられる称号である。

 その時代に複数の賢姫がいることもあれば、一人もいないこともあるが、賢姫は優れた魔術の使い手であり、様々な知識を持ち合わせている者にだけ与えられる称号だ。


 ゆえに、歳の巡り合わせに問題がなければ、賢姫は王に嫁ぐことが慣例となっている。賢姫としての知識を使って、王を補佐することが求められるのだ。


 アイリスもその例に漏れず、王太子殿下の婚約者となった。

 賢姫として未来の王の補佐をするための努力を重ねていたアイリスは、既に情報の扱いにも長けている。ザカリー王太子殿下が愛人にお熱なのを知らぬはずがない。


(むしろ、なぜ知られていないと思っていたのでしょう)


 偽装工作の一つもしていない。

 それでバレないはずがないのに――と、アイリスは首を傾げた。けれどすぐに、それ自体は別に重要ではないと気付き、答え探しを放棄する。


「取り敢えず、殿下にも未練はございませんよね?」

「いや、それは……そう、だな」


 自分に未練がないのは当然として――と、言外に込められたアイリスの枕詞が伝わったのだろう。ザカリー王太子殿下の顔がわずかに引き攣った。


「では円満解消ですねっ」


 アイリスはもう一度微笑んだ。

 固いつぼみが花開くように、笑わない賢姫の表情が華やいでいく。


「……そなたは、そのように笑うのだな。そなたがそうやって笑ってくれれば、俺がヘレナに惹かれることもなかっただろうに……」


(なにを言っているのかしら、このへっぽこ王太子は)


 第一に、ヘレナに対して失礼だ。

 第二に、アイリスとて嬉しければ笑うし、悲しければ泣きもする。

 彼の前で笑わなかったのは、互いの関係が最初から冷え切っていたからだ。それを王太子殿下だけのせいだとは言わないが、アイリスが一方的に責められる謂われはない。


 いままでのアイリスは、そうした不条理を無言で受け流していた。王太子殿下の補佐をする。それが当代の賢姫であるアイリスの責務だったからだ。

 だが、それもこれまでだ。


「嬉しければ笑う。ただそれだけのことでございます」

「そう、か……良く分かった。今日このときをもって、そなたと俺は赤の他人だ」


 ザカリー王太子殿下は強がるように言い放ち、つかつかと立ち去っていく。対して、後ろ姿を見送るアイリスは穏やかに微笑んでいて……これではどちらが振ったのか分からない。


 だがどちらにせよ、これでアイリスは晴れて自由の身となった。むろん、正式な手続きなどは残っているが、それもアイリスにとっては些細なことだ。

 それよりも――と、彼女は角の向こうに意識を向けた。


「どなたかは存じませんが、立ち聞きは感心いたしませんよ?」

「……ほう、よく俺の気配に気が付いたな」


 声と共に隙のない気配を纏った青年が姿を現した。吹き抜ける夜風が青年の金色の髪をなびかせる。近付いてくるにつれて露わになる整った顔立ち。

 鋭さを秘めた青い瞳がアイリスを捉える。

 初めて会うはずの相手。

 だが――


「……お兄様」


 アイリスの唇が懐かしむように呟いた。

 

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