エピソード 2ー5

 フィオナが求めるのは、リゼルの第二王子が発明した新しいモルタルのノウハウ。逆にフィオナが提供するのは第二王子の名声と実績だ。


「フィオナ王女殿下は相応の対価とおっしゃいましたね。ですが、新しい技術はお金だけの問題ではありません。それはご理解いただけると思いますが……?」

「私達はモルタルを使い、この町の外壁を作りたいと考えています」


 エリオット王子がぴくりと眉を動かした。

 両国が技術を競うように開発中の隣接した町。その外壁を、自分が開発したモルタルで作ることが、どれだけの喧伝になるか理解したのだろう。


 だけど、それはエリオットの利益でしかない。自分の利益に飛びつき、国益を無視するようであれば、エリオット王子に王となる資格はない。

 アイリスはそんな思いで彼の対応を見守るが、それは杞憂だった。


「外壁を統一するのですか。それはとても美しい外観になりそうですね。ですが、それは我が国の利益には成り得ません」


 本当なら飛びつきたいはずなのに、彼はその内心を表には出さなかった。しれっとした顔で、そちらが提示する交渉材料はなにかと問い掛けてくる。


(素晴らしいです。腹芸としては基本中の基本でしかありませんが、彼の年齢、それに、第一王子のことを考えると――あり得ないくらいの有能っぷりですね!)


 アイリスは第一王子に苦労させられた日々を思い出して感動した。

 これが第一王子なら、国益なんて忘れて、自分の利益に飛びついていただろう。あるいは、自分の利益にすら気付かない可能性ならあったかもしれない。


(フィオナにとって、よい練習相手になりそうです)


 がんばれフィオナと、アイリスは無言で可愛い教え子の背中を見守る。そんな応援が届いたのか、フィオナはピンクゴールドの髪をさらりと揺らして姿勢を正した。


「ときに、レムリアで魔族との交流が始まっていることをエリオット王子はご存じですか?」

「ええ、もちろんです。我がリゼル国からも技術支援をおこないましたから」


 ここです――と、アイリスが心の中で呟いた。

 それを汲み取ったかのように、フィオナがわずかに身を乗り出す。


「お言葉ですが、エリオット殿下。魔族に技術支援をおこなっているのはリゼル国ではなく、アイスフィールド公爵家ではありませんか?」


 リゼル国ではなく、そのなかにある公爵家だけだと指摘した。ややもすれば侮辱とも受け取られかねないその言葉に、リゼル側の者達は色めき立った。

 けれど、エリオット王子は苦笑いを浮かべる。


「フィオナ王女殿下のおっしゃるとおりですね。魔族とパイプを持っているのはアイスフィールド公爵家のみ。国が公爵の事業を取り上げる訳にはまいりませんから」


 貴族は王に仕えている。だが、だからといって、各領主が興した事業やその他の功績を、王が自分の都合で取り上げることは難しい。


 もしも国家事業として魔族との取り引きを望むなら、自分達で魔族とのパイプを作るか、あるいはアイスフィールド公爵に交渉を持ちかけるしかない。

 前者はいかにも難しく、後者は婚約破棄の負い目でいかにも頼みづらい。よってリゼルの王は、魔族との取り引きをアイスフィールド公爵領に一任するつもりでいた。

 エリオット王子はその事実を口にした上で、フィオナへと視線を戻す。


「それで、フィオナ王女殿下にはなにか妙案があるのですか?」

「アイスフィールド公爵は、アイリス先生の父親です。もしもモルタルの技術を提供してくださるなら、アイリス先生がアイスフィールド公爵に口利きをしてくださるそうです」

「それは……事実ですか?」


 エリオット王子の視線がアイリスへと向けられた。その瞳には、事実確認だけでなく、アイリスの思惑を読み取ろうとする意思が込められていた。


「フィオナ王女殿下のおっしゃるとおり、口利きをする用意はあります」


 その瞬間、リゼル国の人間がわずかにざわめいた。口利きであって、権利を譲るという訳ではない。それでも、国が魔族との取り引きに関われる可能性は決して無視できない。


「――口利きなら、わたくしにも出来ますわ!」


 たまらずといった面持ちでジゼルが声を上げた。

 両国の交渉で、リゼルが譲歩するしかない――ように見える状況。見ていることしか出来ない自分に耐えかねての発言だろう。だが、アイリスはそんな彼女に対して首を横に振った。


「ジゼル、あなたには無理です」

「なぜですか? わたくしも、お姉様と同じアイスフィールド公爵家の人間です」

「いいえ、違います」

「え……」


 そこを否定されるとは思っていなかったのだろう。ジゼルは傷付いたような顔をした。それを見たアイリスは少し慌てて言葉を加える。


「ジゼル、あなたはたしかにわたくしの妹です。ですが、いまのわたくしがここにいるのは、アイスフィールド公爵家の娘としてではない、ということです」

「ですが、お父様にお願いするのですよね?」

「レムリアに属する者として、アイスフィールド公爵に貸しを返してもらうのです。アイスフィールド公爵領が魔族に貸しを作れたのは、わたくしの提案によるものですから」


 アイリスはフィオナの教育係としてレムリアにいる。その上で、レムリアに傾きすぎそうになるパワーバランスを保つため、ときどき実家に肩入れをしている。

 だが、貸しは貸しだ。

 その貸しを、両国にとって望ましい形で返してもらうと、そう言っているのだ。


「……リゼルの人間になったり、レムリアの人間になったり、自分の都合に合わせてやりたい放題だな、おまえは」


 アルヴィン王子がぼそりと呟くが、アイリスは聞こえないフリをした。

 もっとも、その頬に一筋に汗が流れている辺り、聞こえないフリは出来ても、無視することはできなかったようだ。アイリスは誤魔化すように話を続ける。


「と、とにかく、アイスフィールド公爵が魔族とのパイプを持っているのはわたくしが話を持ちかけたからです。お父様がわたくしの意向を無視することはないでしょう」


 だから、ジゼルには無理ですよ――と、アイリスは言外に指摘する。それを受けたジゼルはちょっぴり泣きそうな顔をして、それからアイリスを睨みつけた。


「つまり、リゼル国が魔族との取り引きに関わるには、お姉様の口利きが必要、ということですね? お姉様の口利きがあれば、取り引きは可能なんですね?」

「そう言っているつもりですが……」


 なぜそんな念の押され方をするのかと、アイリスは少しだけ不穏な空気を感じ取った。

 次の瞬間、ジゼルが上目遣いでアイリスを見つめる。


「お姉様、可愛い妹のためにお願いします!」

「――うぐっ!?」


 直球ど真ん中。

 可愛い妹のお願いにアイリスは思わず胸を押さえた。たしかに、ジゼルにアイスフィールド公爵を動かすことは出来ないが、姉を動かすことは出来そうである。


「お姉様が出奔してから約二年。そのあいだにわたくしは二度の誕生日を迎えました。可愛い妹のために、特別な誕生日プレゼントを用意してくれてもいいんですよ?」

「それは、ええっと……」


 物凄く効いている。

 これにはリゼルの者達も呆れ顔――だが、どのような方法であろうとも、リゼル国に利益があるのなら問題ない、的な理由で成り行きを見守っている。


 どのような手段を使ったとしても、交渉を有利に運ぶことが重要だ。だから、姉妹の情に訴えるジゼルを批難することは出来ない。

 だが、その情に流されるかどうかは別問題だ。姉妹の情に流され、自分達に不利な取り引きを許してしまうなんて交渉人としては失格だ。


 だが、アイリスは婚約破棄から、いきなり国外に出奔するという暴挙に出たことで、妹のジゼルに多大な負担を掛けている。

 そういう意味で、アイリスはジゼルのお願いに非常に弱い。


(うぅぅ……私情を持ち込む訳にはいかないと分かっているんですが……)


 どうしようと視線を彷徨わせたアイリスは、こちらを見ているフィオナと目があった。彼女はどこか不安そうな顔をしていて――


「アイリス先生、信じてるからね?」

「うぐぅ」


 もはや声にならない悲鳴を上げるしかなかった。エリオット王子の功績とか、レムリアとリゼルのパワーバランスとか、そんなことを言っている場合ではない。

 可愛い妹か、はたまた妹のように可愛がっている前世の自分か、どちらを優先するのかという話である。しかも、どちらを選んでも角が立ちそうな未来しか見えない。


「くくっ、モテる女は辛いな」


 隣で、アルヴィン王子が声を押し殺して笑っている。他人事だと思って、ぶっとばしますよと、アイリスは心の中で呟くが、もちろんそんな突っ込みをしている余裕はない。


(立場を考えれば、リゼル、レムリアどちらにも手を貸す義理があります。そういう意味で、立場的な意味でどちらかを選ぶか難しい。ですが……)


 上目遣いのフィオナとジゼルを見比べる。可愛い妹と、可愛がっている前世の自分。どちらかに肩入れをするかと言われると、アイリスは答えることが出来ない。


(こういった問題の解決法は……)


 フィオナにも教えたことだ。

 アイリスはその手段をすぐに実行する。


「……アイスフィールド公爵への貸しは、フィオナ王女殿下の教育係という身でおこなったこと。よって、ジゼルへの情で絆される訳にはいきません」


 ジゼルが悲しそうな顔をする。

 フィオナは一瞬だけ喜んだものの、ジゼルを見て複雑そうな顔をした。


(フィオナは優しいね)


 アイリスは微笑んで、「その代わり――」とジゼルに語りかけた。


「ジゼル、あなたへのプレゼントは別に用意しましょう。……そうですね。精霊の加護を手に入れる機会、というのはいかがですか?」


 ざわりと、会議室にざわめきが広がった。

 精霊の加護を受けることが出来るのは極わずかな者だけ。精霊の加護を手にした者は、大きな発言力を持つことになる。この大陸において、精霊の加護を得る以上の栄誉はあり得ない。

 それは加護を与えるのが精霊で、人間にはその機会を待つしか出来ないからだ。


 にもかかわらず、アイリスはその機会を与えると口にした。

 それがどれほどの衝撃かは、あえて説明するまでもないだろう。


「お姉様、いま、精霊の加護を手に入れる機会をくださると、そうおっしゃったのですか?」

「そちらがモルタルの知識を提供してくださるなら、ですが」

「いったい、どのようにして、そのような奇跡を起こすおつもりですか?」

「極秘の情報であるため、ジゼル、貴女以外に教えることは出来ません。ですが、この取り引きが成立した暁には、貴女にその機会を与えましょう」


 エリオット王子が目を輝かせ、他の担当官達も目をぎらつかせた。

 無理もない。

 アイリスが出奔したことで、リゼルは実質的に国の象徴――貴重な賢姫を失ったのだ。もしもジゼルが魔精霊の加護を得ることが出来れば、それで得られる利は計り知れない。


「これは、議論するまでもないな。ぜひ、その条件で――」

「お待ちください、エリオット王子!」


 不意に、リゼル側の担当官として席に着いていた老人が待ったを掛けた。

 彼の名前はザレム。

 リゼル国の伯爵であり、町開発の担当官に自薦で入った老人である。彼はエリオットがセリフを飲み込むのと同時にしわがれた声で捲し立てる。


「安易に交渉を進めてはなりません! 目先の餌に釣られては痛い目に遭いますぞ」

「……目先の餌と言うことはないだろう」


 エリオット王子はむっとした表情を隠そうともせずに反論する。


「エリオット殿下。アイスフィールド公爵に口利き出来るような影響力が彼女にあると、本当にお思いですか?」

「彼女は賢姫で、アイスフィールド公爵の娘だよ」

「ですが、いまはレムリアへ渡った他国の人間です」

「それは……」


 エリオット王子がちらりとアイリスを盗み見た。

 だが、疑うこと自体は間違っていない。アイリスが国を出奔した事情を考えれば、新しい国での地位を確立するために、全力でレムリアに肩入れしていてもおかしくはない。


「そもそも、精霊の加護を得る機会を与えられる人間が本当にいるとでも? 精霊の加護を与えられるのは精霊のみ。人間に精霊の加護を与えられるはずがありません」

「だとしても、アイリスさんが言うからには、なにか方法があるのではないか?」

「あり得ません。そのような可能性を論じるのであれば、アイリス嬢が偽の情報を流し、ジゼル嬢を亡き者にしようとしている可能性の方が――」

「――ザレム担当官!」


 レムリアサイドの者達が眉をひそめると同時、エリオット王子がザレム担当官を一喝した。


「……言葉が過ぎたようです。ですが、鵜呑みにしてはいけません。ご自分の功績を対価とする以上は、慎重に動きすぎて困ると言うことはないはずです。そもそも、彼女は精霊の加護を得る機会を与えると言っただけ。精霊の加護を得られる確証はありません」


 いくら莫大な利益を得る提案だったとしても、それが嘘なら意味はない。ザレム担当官が慎重になるのも分からなくはないが……


(ザレム担当官がエリオット王子に待ったを掛けたのは、エリオット王子を心配してのコトかしら? それとも……。わたくしも見極める必要がありそうですね)


 アイリスがそう考えているあいだにも二人のやりとりは続く。それからほどなく、エリオット王子が手を挙げてザレム担当官の話を遮った。


「そなたの言い分は理解した。だが、ジゼルが精霊の加護を得られるのならこれほど心強いことはない。それが適わずとも、魔族との取り引きが国家事業として適うのなら問題はない。取り引きの詳細を確認をする必要はあるが、この段階で躊躇う理由はない」

「エリオット王子、しかし――」

「ザレム担当官、これは僕の決定だ」

「……かしこまりました」


 どうやら、話は纏まったようだ。

 ということで、リゼルとレムリア――つまりは、エリオット王子とフィオナが再び話し合いを再開して、モルタルの取り引きについての概要が纏められた。


 手順はこうだ。

 まず、アイリスがアイスフィールド公爵家に働きかけ、魔族との取り引きを国家事業としておこなえるように交渉の場を設ける。

 その交渉が纏まり次第、モルタルの知識をリゼル国に提供する。そして、それとは別に、アイリスはジゼルに精霊の加護を得る機会を与える、ということになった。


 アイリスの一人負けのように見えなくもないが……彼女はフィオナとジゼルが喜んでいるのでご満悦である。なにより、ジゼルもまた命を狙われている可能性が高い。そんな彼女に精霊の加護を与えるのは、彼女の安全を考慮したうえで必要なことだ。

 そういう意味でも、アイリスは望む結果を手に入れたと言えるだろう。


 そんな訳で、条件の達成が確認され次第、モルタルの技術を提供してもらうこととなる。

 よって、差し当たっての仕事は、アイスフィールド公爵に手紙を送ることと、ジゼルが試練を受けられるように、隠れ里に交渉することの二点である。


 アイリスは今後の予定を立てながら、残りの話し合いもそつなくこなしていく。主な話し合いは、モルタルの他にも、互いに協力できる部分がないか、など。

 いくつかの分野で協力することが決定した。


 それに加えて、王侯貴族や担当官など、本来は他国に渡るのであれば連絡が必要となるような人間であっても、この町に限っては自由に行き来できることが決まった。

 

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