エピソード 2ー8

 この町に来て数日が過ぎたある日の昼下がり。

 アイリスとフィオナは視察を兼ねて町の南にある湖の畔に足を運んだ。アイリスは魔術師の服を身に纏い、フィオナは藤色のドレスっぽいワンピースを身に付けている。

 二人は湖の畔にシートを引いて、ピクニック気分でアイリスお手製のお弁当を食べている。


 なお、町のすぐ側とはいえ、町はまだ建設中で、周囲の安全も確認されていない。その辺からひょっこり魔物が――なんて可能性も零ではない。それゆえ、護衛として同行している騎士はピリピリしているが、当の二人は暢気なものである。


「フィオナ王女殿下、そのサンドウィッチ、気に入りましたか?」

「うんっ、この卵サンドが一番好き!」

「そうですか。たくさんあるので好きなだけ食べてくださいね」


 アイリスは、自分自身もパクつきながら、たくさんあるサンドウィッチに視線を向ける。どう考えても、二人で食べきるには多すぎる量である。


(わたくしはどうしてこんなに作ったんでしょう?)


 自分で作っておきながら疑問を抱く。そうしてすぐに、いつもなら絶対ちょっかいを掛けてくるアルヴィン王子がいないことに気付いた。


「そういえば、最近アルヴィン王子を見ていませんね」

「むぐっ」


 フィオナが喉を詰まらせた。

 アイリスは慌ててアイスティーの入ったコップをフィオナに手渡す。それを呷ってコクンと喉を鳴らしたフィオナは、トントンと胸を叩いて小さく息を吐いた。


「フィオナ王女殿下、大丈夫ですか?」

「う、うん。大丈夫だよ。それで、なんだっけ? 最近、魔物が多いって話だっけ?」

「いえ、アルヴィン王子が珍しく邪魔をしてこないなぁと」

「あーあーあー、お兄様ね、お兄様。お兄様はたしか……そう、アッシュさんと秘密の特訓をするって言ってたよ」

「あら、秘密なのに言ってもよかったんですか?」

「あ、いけないっ!」


 と、慌てるような素振りを見せた。

 フィオナ渾身の演技である。

 嘘を吐くなら、嘘の中にほんの少しの真実を混ぜるという手法。


 この場合、アルヴィン王子がアイリスに勝てる力を手に入れようとしていることと、アッシュと一緒にいることは事実。そこを否定せず、行き先だけを誤魔化したのだ。

 その上、うっかり秘密を零しちゃったという演技付きである。

 もっとも――


(フィオナの目は泳いでいませんね。なにか……思惑がありそうです)


 アイリスにはお見通しだった。


「フィオナ王女殿下、動揺したフリをするのなら、目を泳がせるくらいは必要ですよ」

「ふえっ!?」

「嘘を吐くならまず目で嘘を吐きましょう」

「う、うん、気を付けます」

「良い子ですね。それで、どんな嘘を吐いているのですか?」

「そ、それは、その……じ、実は……」


 観念したフィオナが白状しようとする。

 だがその直前、「いけませんよ」とアイリスがたしなめた。


「嘘を看破されたからといって、そのように取り乱してはいけません。そもそも、フィオナ王女殿下が嘘をついていると言うのはわたくしの勘でしかないのです。ですから、『なにを根拠に、そのようなことをおっしゃるのですか?』と悲しむフリをするくらいでいいのです」

「あ、はい、分かりました!」


 フィオナが元気よく答える。アイリスは「良い子ですね」と微笑んで、「それでは、追及を続けますよ?」とイタズラっぽい笑みを浮かべる。

 それに対してフィオナは顔を引き攣らせた。


「ええっと、そのぉ……」


 視線を彷徨わせたフィオナのさきに、報告にやってきた騎士の姿が目に入った。


「あ、アイリス先生、なにか報告があるみたいだよ!」

「……まぁ、いいでしょう。その場の状況を使って逃げるのも手法の一つですからね」


 おまけで及第点を与える。こうして、騎士からの報告を受けるために立ち上がったアイリスは結局、アルヴィン王子の行動については追及しなかった。


 どうせ、アルヴィン王子がフィオナを巻き込んで悪巧みをしているのだろうと思いつつも、決して大きな問題なることはないだろうと、善くも悪くも信頼していたからだ。

 それが後々に厄介事を招くことになるのだが……それはともかく、いまは報告である。


「報告いたします。リゼルの騎士団が自国の領内、街道の北部にて魔物の討伐をおこなっていたところ、残党がレムリア領内へと逃げ込んだため、追撃で立ち入る許可を求めています」

「許可、ですか……」


 アイリスは少し考える素振りを見せた後、「フィオナ王女殿下はどう思いますか?」と話を振った。彼女は「うーん、うーん」と可愛らしく考え込んでいた。


「……そう、だね。事情は分かるけど、他国の騎士に領内で戦闘行為をされるのは問題だよね。そうなると、私達が騎士を派遣した方がいい、かな?」

「そうですね。おそらく先方も、そういう返答を期待しているのでしょう。ただ……」


 フィオナの判断に同意しつつも、アイリスはどこか引っかかりを覚えていた。


(この時期に街道付近の魔物を討伐することは理にかなっています。ですが、それならばなぜ、リゼル単体で討伐を始めたのでしょう……?)


 元々は両国の緩衝地帯。

 そしていまは、ピタリと両国の境界がくっついている。いくらリゼル側の魔物を間引こうとも、レムリア側の魔物が流れてきたら意味がない。

 常識的に考えれば、共同で討伐をおこなうのが理に適っている。


「討伐にかんして、リゼルから事前連絡はあったのですか?」

「いいえ、そのような報告は上がっていません」


 アイリスが騎士の一人に問い掛ければ、すぐさまそんな答えが返ってきた。であれば、リゼルが独断で討伐を始めたことは間違いない。


(先に討伐を始めて、レムリア国に恩を売るつもりだった? いえ、それはおかしいですね)


 リゼル側の魔物をレムリア側に逃がしたというのはリゼル国の失態だ。今回の要請だって、レムリア国への借りになる。明らかにリゼル国が損をしている。

 だが、魔物がレムリア側へ逃げることが予想できなかったとも思えない。


「……これは罠かもしれません」

「罠? リゼル国が、我らを害そうとしていると?」


 騎士達の表情が険しくなる。


「ここだけの話ですが、リゼルではいま、第二王子の失脚を狙う者達が暗躍しています。その者達の策略と考えれば、色々と辻褄があうのです」


 自国の不利益を顧みず、自分達の利益のために暗躍しつつ、ついでのように他国とのあいだに軋轢を生もうとするのは、魔族の影響を受けた者達がさんざん使ってきた手口である。


「では、この要請は、その一派の策略だと?」

「ええ。考えられる策は、要請を受けて出撃した騎士団に野盗をぶつける。騎士が出撃して手薄になった町の西に火を掛ける。第二王子を暗殺する、と言ったところでしょうか」


 そのうちのどれか、あるいはすべてという可能性もある。


「アイリス先生、ジゼルさんが狙われる可能性は?」

「彼女の居場所を知っているのはわたくし達とエリオット殿下のみですから、可能性は低いでしょう。それに、万が一があっても、彼女にはディアちゃんがついていますからね」


 居場所を知られていないし、知ったとしても隠れ里に入れる者はいない。入れる者がいたとしても、側には英雄の子孫が付いている。心配するだけ無駄である。


「じゃあ……断った方がいいのかな?」

「いいえ、フィオナ王女殿下。今回は相手の思惑に乗るといたしましょう」

「え、罠だと分かってるのに?」


 パチクリと瞬くフィオナに対し、アイリスは意味深な笑みを浮かべる。


「フィオナ王女殿下、飛んでくるタイミングが分かっている矢と、いきなり飛んでくる矢、どっちが避けやすいですか?」

「もちろん、飛んでくるタイミングが分かってる方の矢だよ」


 なお、一般的な答えは、どちらも避けられない。である。一般に分類される騎士達が微妙な表情を浮かべるが、アイリスは「その通りです」と微笑んだ。


「どうせ、いつか飛んでくるのだから、任意のタイミングで打たせた方が対処はしやすいでしょう? それに、矢が飛んでくれば、射手の居場所も知れますから」

「だから、相手の思惑に乗るの?」

「乗る振りをするのです。フィオナ王女殿下、相手は策が失敗しても、自分達が捕まらなければ問題ないと考えているはずです。相手の謀略を逆手に乗って、犯人を捕まえましょう」

「……上手く、出来るかな?」


 フィオナがそのアメシストの瞳を揺らした。


「心配する必要はありません。今回はわたくしが指揮を執ります。フィオナ王女殿下はそれを見て、敵を罠に掛ける方法を学んでください」

「うん、がんばってみる!」


 妹の成長を見守るようなアイリスと、無邪気に意気込むフィオナ。非常に微笑ましい光景ではあるが、教材は隣国の謀略である。

 護衛を務める騎士の隊長が見かねたように口を挟んだ。


「お待ちください、フィオナ王女殿下。それにアイリス様も。リゼルの第二王子の身に危険が及んでいるのでしょう? そのようなノリで、なにかあったらどうするのですか?」

「それは……」


 言葉に詰まるフィオナ。

 アイリスが一歩まえに出て、心配いりませんとばかりに微笑んだ。


「第二王子は自分の身に危険が迫っていることをご存じですし、指揮を執るのはわたくしですから、対処に手を抜く訳ではありません。それとも、わたくしでは信頼に足りませんか?」

「……出すぎた真似だったようです」

「いいえ、レムリアの騎士として心配するのは当然です。ですが、それは杞憂になるでしょう。相手のそれは立場をなくした第一王子派の苦し紛れの反撃でしかありませんからね」


 アイリスは袖口に隠し持っていた扇を取り出し、ばっと広げて口元を隠すと――


「さぁ、ゴミ掃除を始めましょう」


 笑わない賢姫と呼ばれていた頃のように冷たい笑みを浮かべる。こうして、レムリア国はフィオナの承認により、アイリスの指揮の下で動き始めた。


 アイリスはさっそく、リゼルの要請に応えた。騎士を越境は許可できないが、代わりにアイリスとフィオナが騎士の一団を率いて魔物を討伐する、と返答をした。


 翌日には騎士の一団が出撃する。

 そして、その日の深夜――レムリア側の町のあちこちから火の手が上がった。とある間諜がその事実を確認し、リゼル側に建てられた屋敷の一室へと報告に向かった。


 黒尽くめに覆面姿の間諜は、人っ子一人いない真っ暗な廊下を歩き、とある部屋の前で足を止め、扉を一定のリズムでノックした。すぐに返事があるが、間諜は再び二回ノックをして、今度は返事を待たずに部屋の中に滑り込む。


 外は真っ暗だが、中は煌々と灯りがついている。その部屋の中には、ワイングラスを片手にソファに腰掛ける老人が一人。その背後には、十名にも及ぶ兵士達が並んでいた。

 先日の会議でアイリスに食ってかかった担当官のザレム伯爵と、その部下の兵士達である。

 間諜は覆面姿のまま、くぐもった声で報告を始める。


「ご報告いたします。ザレム様のご計画通り、レムリア側の町に火を掛けることに成功いたしました」

「おぉ、それは真か?」

「はい。決して小さくない被害が出るでしょう」

「そうか、成功か! これは実にめでたい!」


 ザレムは上機嫌に笑って、グラスのワインを呷った。


「これでエリオット殿下の名誉も地に落ちよう。なぜか分かるか?」


 問われた間諜は少し考える素振りを見せた後、「エリオット殿下の要請で、レムリア国が警備に使っていた騎士を動かしたから、でしょうか?」と口にした。


「そうだ、その通りだ。今回の一件は元々、リゼル側の失態から始まった。そのせいでレムリア国の町が被害を受けた。間違いなく、エリオット殿下は陛下から罰を受ける」


 実際、罰で済めば御の字だろう。

 下手をしたら、火を放った黒幕としてエリオット王子の名が上がる可能性もある。そうすれば、王太子の椅子はエリオット王子から大きく遠ざかるだろう。

 そうなれば、幼き第三王子にもチャンスが巡ってくる。


「しかし……正直、この策は失敗すると思っていたのだがな。存外、賢姫とやらも大したことはなかったな。おかげで、本命の策が無用になってしまった」

「……本命の策とはどれのことでしょう?」

「うん? それは無論、エリオット殿下の暗殺計画に決まっているではないか。殿下を消してしまった方が確実だったが、今回の件の責任を取ってもらわねばならぬからな」


 火を掛けたのは、エリオット王子が健在だから。

 ここでエリオット王子を殺してしまうと、レムリアの町が燃えた責任を取る人間がいなくなり、担当官であるザレムにも責任が及んでしまう。

 ――と、そこまで話したところで、ザレムは首を傾げた。


「ところで、なぜ今更そのようなことを聞く? 任務の概要は既に話してあるはずだ。と言うか、おまえ、声がいつもと違うな?」

「申し訳ありません。煙で少し喉をやられたようで――」


 と、そこまで話した瞬間、背後の扉が蹴破るように開かれた。同時に数人の騎士が踏み込んできて、それに一呼吸遅れて女の子のように可愛らしい少年が姿を見せた。

 リゼルの第二王子、エリオット・リゼルである。


「こっ、これはエリオット殿下、なぜこのようなところに!?」


 ザレムが泡を食ったように捲し立てる。

 それに対してエリオット王子は可愛らしく首を傾げた。


「なぜ? 面白いことを聞くね。ここは僕も滞在する屋敷だというのに。それとも、この屋敷を自分のモノだと勘違いしてしまったのかな?」

「い、いえ、決してそのようなことはございませんぞ」

「そうかい? さきほど、僕を暗殺する計画があるとか言っていたようだけど」

「くっ、聞いていたのか! 殿下には今回の責任を取っていただきたかったのですが、わしの計画を知られてしまっては仕方ない。殿下にはここで死んでいただきましょう」


 ザレムの言葉に、部屋に詰めていた兵士達が一斉に武器を抜いた。

 ザレムに与する兵士の数は十名あまり。

 対してエリオット王子を護る騎士は数名。

 騎士達の顔に緊張が浮かぶが、エリオット王子はその笑みを絶やさない。


「僕を殺せると思っているのか?」

「……援軍を期待しているのなら無駄だ。この屋敷を護る兵士達は買収済みだからな。さぁ、おまえ達、エリオット王子を殺せ!」


 ザレムが号令の下、兵士達が武器を振り上げる。それを受けて、エリオット王子に与する騎士達もまた武器を抜く。

 緊張感が高まり、戦闘が開始される――寸前、双方のあいだにいた間諜が口を開いた。


「どうやら、証拠は十分のようですね」

「は? なにを言っている。と言うか、おまえ、その声は――」


 間諜の口から零れた凜とした声色にザレムが目を見張る。

 次の瞬間、室内に暴風が巻き起こった。

 荒れ狂う風――けれど明確な指向性を持ったそれは、ザレムに与する兵士達のみを明確に吹き飛ばした。彼らは壁に叩き付けられて動かなくなる。


「なんだ、なにがどうなっている――っ」


 ザレムが突風から顔を庇っていた腕をどける。そうして開けた先に彼が見たのは、間諜が自分に剣を突きつけている姿だった。


「貴方を放火未遂の罪と、エリオット王子暗殺未遂の罪で拘束します」


 凜とした声で言い放ち、間諜が覆面を脱ぎ捨てる。

 真っ黒な覆面の下から零れ落ちたのは美しいプラチナブロンド。


「き、貴様は!」

「どうも、存外、大したことがないと噂の賢姫です」


 ザレムのセリフを揶揄して笑う、間諜の正体はアイリスだった。


「馬鹿なっ! 符丁を使っていたではないか!」


 符丁とは、部屋に入るまえにおこなった特殊なノックのことだ。ザレムはあのノックで、自分の味方であるかどうかを判断していた。

 だが、そんな符丁も敵に知られてしまえば意味はない。


「符丁なら、喜んで教えてくださいましたよ?」


 正確には、教えるから許してくれと泣き叫んだ――が正解である。普段はフィオナを溺愛していてそうは見えないが、アイリスは敵を倒すためには手段を選ばない人間である。


「だ、だとしても、魔物の討伐に出たのではなかったのか?」

「出た振りをしただけです。その方が、好きに動いてくれると思ったので。実際その通りでしたね。派手に動いてくれたおかげで、証拠も摑みやすかったですよ」

「……くっ、騙したのか!」

「ええ、その通りです」


 戦場では騙される方が悪いのだと笑って、アイリスは剣先をザレムの首に近付けた。


「さて、面倒なので手短に。第二王子暗殺未遂の現行犯で捕まった貴方はもう終わりです。一族郎党皆殺しの憂き目に遭いたくなければ大人しく掴まってください」

「くっ。それで勝ったつもりか!」

「……むしろ、どこに勝っていない要素があると?」


 アイリスはあきれを通り越して困惑するが、ザレムはかまわず捲し立てる。


「町を燃やすことは成功したんだ。両国の関係が悪化すれば、我らの悲願は達成される!」


(……悲願? 旧第一王子派が返り咲くこと、ではないのでしょうか?)


 今回の一件、エリオット王子にもダメージはあるだろうが、それ以上に第一王子派の肩身は狭くなるだろう。ザレムにかんしては命すら残らない可能性が高い。

 そういった疑問は残るが、どちらにせよ――


「残念でしたね。町は燃えていませんよ」

「なんだと!?」

「わたくしが真実を報告をするとでも?」

「だ、だが、西の空が赤くなっているではないか!」

「あぁ、それは、キャンプファイヤーをしていますから」

「……キャ、キャンプファイアーだと?」

「ええ、フィオナ王女殿下ががんばっています」


 放火を阻止しつつ、放火されたように偽装する。

 それを指揮しているのはフィオナである。


 ちなみに、やっぱりアルヴィン王子は不在である。


(どこでなにをやっているのやら。いなくていいときにいるくせに、いて欲しいときにいないとか、やっぱりお兄様はダメダメですね)


 わりと自分勝手なことを考えつつ、アイリスはザレムへと視線を戻す。彼は俯いて、その身を震わせていた。怒りに打ち震えているのだろうかと思うが、なんだか様子がおかしい。

 そう思った次の瞬間、ザレムがアイリスに飛び掛かった。


「――なっ!?」


 アイリスはとっさに剣を引く。

 その剣先はザレムの首に触れるか触れないかの距離にあった。もしも一瞬でもアイリスの反応が遅れていたら、その切っ先は彼の首を切り裂いていただろう。

 だからこそ、慌てて剣を引いたアイリスに隙が生まれた。


 その一瞬の隙に距離を詰めたザレムが腕を振るう。それがアイリスの脇に当たった瞬間、アイリスは吹き飛ばされた。ご老体の繰り出す、信じられないほど重い一撃。

 アイリスはかろうじて受け身を取るも、壁に叩き付けられてしまう。


「くっ、貴方は……」


 したたかに背中を打ち付け、それでも必死な面持ちで顔を上げる。アイリスが捕らえたのは、禍々しく変容したザレムの姿だった。

 その姿を捕らえると同時、アイリスは全身から力を抜いて目を閉じた。


「ザレム、おまえは魔族だったのか!?」


 ザレムの所業をまえに、信じられないと叫んだのはエリオット王子だった。

 余談であるが、魔族の暗躍については箝口令が敷かれている。と言っても、魔族の影響を受けた者達の粛清がおこなわれているので知っている者も多い。

 エリオット王子を護衛する騎士達は知っている側の人間だったようだ。魔族と聞いて、騎士達はすぐに臨戦態勢を取った。

 そして――ザレムと騎士達の戦いが始まる。


 さすがに王子の護衛というだけあって手練れが揃っている。リゼル国の騎士ということもあって、彼らは自己強化の魔術を使用して戦っているようだ。

 だが、それでもザレムの方が押している。


「怯むな! なんとしてもエリオット殿下を御護りせよ!」

「ふん、その程度で護ろうなどと片腹痛い」


 ザレムが嬲るように騎士達に攻撃を加えていく。

 その一撃一撃に、騎士達が負傷を重ねていく。


「くっ、僕も戦うぞ!」

「お止めください、殿下! 敵の狙いは貴方です!」

「だが――っ」


 主を護ろうとする騎士と、護られるだけでは良しとしない主。

 それを見たザレムが笑い声を上げる。


「ふはははっ! やはり人間は脆いな! この程度ならば対等に付き合う必要もない。すべて支配してしまえば済む話だ。さぁ、ひざまずけ、人間共! ははっ、はは……は?」


 高笑いをする彼の胸から――鋭い刃が飛び出していた。


「獲物を前に舌なめずりは三流のすることですよ」


 彼の背後から剣を突き立てたのはアイリスである。彼女はザレムの背中を突き飛ばして剣を引き抜き、その勢いをそのままに一回転し、ザレムの首を打ち落とした。


 自分の身になにが起きたのか理解することなく、ザレムは自ら生み出した血だまりに倒れ伏す。アストリアの剣を虚空へと返す冷酷なアイリスの姿に、エリオット王子達が戦いた。


「あ、あの、アイリスさん。貴方は攻撃を受けて気を失っていたのでは?」

「あれはただの演技です。油断を誘うための」

「え、演技? というか、不意打ちで後ろから刺すのは……」


 卑怯じゃない? と、その目が語っていた。


「言いませんでしたか? 戦場では騙される方が悪いんです。それに、獲物をまえに舌なめずりをするのは三流のすることですよ」


 殺れるときに殺ってしまえという意味。そのあまりの物言いに、さしものエリオットも言い返す言葉を――否。彼は拳を握り締め、アイリスの圧力に抗うように口を開いた。


「そ、それでも、アイリスさんなら殺さずに捕らえられたのではありませんか?」

「残念ですが、わたくしはそこまで万能ではありません。意識を失ったのは演技ですが、ダメージがなかった訳でもありませんし、逃亡される可能性もありましたから」

「……アイリスさんの言によると、騙される方が悪いのですよね?」

「戦場でなければ嘘は吐きませんよ」


 その言葉が嘘ではないかと疑うエリオット王子に対し、アイリスはしれっと言い放つ。たしかに嘘ではないが、すべての事実を口にしている訳でもなかった。

 逃亡を許す可能性もあるが、拘束できる可能性も十分にあった。アイリスはそれを承知の上で、ある思惑を持って彼の口を封じたのだ。

 その理由を打ち明けるか否か、アイリスは少し思い悩んだ。


「それよりもエリオット殿下、彼らを拘束してくださいますか?」

「あ、あぁ、そうだな。おまえ達」

「はっ!」


 騎士達が部屋の隅っこで呻いているザレムの部下を武装解除させて拘束していく。彼らはザレムが魔族であることを知らなかったのだろう。驚くほど素直に拘束を受け入れた。

 と、そこにフィオナが飛び込んで来た。

 彼女はアイリスの姿を目にするなり口を開く。


「アイリス先生、大変だよ。さっき早馬が来て、港の付近に魔族の軍船が現れたって!」

「――フィオナ王女殿下」


 アイリスがフィオナの言葉を遮るが、それはどうしようもなく手遅れだった。騎士や拘束された兵士、それにエリオット王子までもが、ザレムの亡骸に視線を向ける。


(どうやら、まだこの件は終わってなさそうですね)


 面倒なことになりそうだと、アイリスは密かに溜め息を吐いた。

 




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 本日いま連載中の部分、悪役令嬢のお気に入りの4巻が発売いたしました。いま連載中の4章が最後まで収録+書き下ろしとなっています。お手にとっていただけたら嬉しいです。


 ちなみに投稿している分は今話でちょうど折り返しとなります。


 また、同時連載中の悪役令嬢のお仕事の一章が明日完結となります。

 よろしければそちらも併せてご覧ください。

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