エピソード 3ー2

「わたくしの勝ち、ですね――って、危ないっ」


 アイリスの勝利宣言が終わるより早く、アルヴィン王子が左腕に飛びついてくる。突きつけていた魔剣が彼を傷付けそうになり、アイリスは慌てて剣を引いた。


「ア、アルヴィン王子、なにを考えているんですか!?」

「なにを考えているのかは俺のセリフだっ!」


 前世を通しても見たことがないほどの剣幕で怒鳴りつけられる。それと同時に、アルヴィン王子はアイリスの腕を触診しはじめた。


「腕は大丈夫……なのか?」

「打ち身くらいにはなるでしょうね。ですが、精霊の加護で斬撃に対する耐性を獲得していましたから、致命的な怪我は負っていませんよ」


 アイリスが隠していたもう一つの奥の手。アッシュを師として仰いでいた前世の彼女は、拳精霊からの加護を受けている。

 アルヴィン王子を見つけた直後、手のひらに拳を打ち付けたときに加護を発動させたのだ。


「斬撃に対する耐性、だと? アッシュのアレか……驚かすな、まったく」

「もしかして、心配……してくれたのですか?」

「当たり前だ、この馬鹿」


 なぜアイリスが拳精霊の加護を持っているのか――と、当然出てくるはずの疑問を口にしない。それだけアイリスのことを心配しているのだ。

 それに気付いたアイリスは、ガラにもなくうろたえた。


「えっと……その、ごめんなさい」

「いや……いい。俺の方こそ冷静でなかったようだ」

「いえ、そんな……」


 甘ったるい空気というよりも、気まずい空気が周囲を支配していた。誰かなんとかしてくださいと願うアイリスだが、残念ながら空気を読んだクラリッサ達は遠くで見守っている。

 いや、こちらの会話は聞こえていないはずだが。


「こほん。と、とにかく、わたくしの勝ちですね」


 この空気が自分でなんとかするしかないと、アイリスはツンと振る舞ってみせた。対してアルヴィン王子はなにかに耐えるように唇を噛んで、それから小さく頷いた。

 思った以上に潔く、それ以上に憔悴している。


「……なぜ試練を受けようとしたのか、その理由をうかがっても?」

「決まっているだろう、力が必要なのだ」

「それは、王位を簒奪するため、ですか?」

「滅多なことを口にするな――とおまえには隠しても無駄か」


 どくんと、アイリスの鼓動が跳ね上がった。

 ついに、アルヴィン王子から王位簒奪の意思があると認めさせることが出来た。前世の彼がなにを思ってフィオナを追放したのか、その真相をここで知ることが出来る。


「おまえは、レスター侯爵の話を聞いてなにを思った?」

「悲しい悲劇だと思いました。意思の疎通さえ出来ていれば防げた悲劇だと」

「……そうだな。そして俺は、繰り返してはならないと強く思った」


 思い詰めた表情に強い意志が宿っている。


「剣姫が短命なのは知っているか?」

「騎士が総じて短命なのは自然の摂理です」


 この国で多発するのは戦争ではなく、魔物の襲撃だ。戦争ほど被害が多いとは言えないが、それでも毎年多くの犠牲者が生まれる。

 戦いに身を置く者の平均寿命は当然ながら短くなる。


「その通りだ。だが、女王や王妃であろうともその事実は代わらぬのは間違っている」

「……それは、そうかもしれませんね」


 命の価値が異なるといえば反発を招くだろう。

 だが、少しだけ聞いて欲しい。

 貴族なら当然として、商品を運ぶ商人だって護衛を伴うことがある。その護衛の任に付いているのがこの国の女王や王妃。そう聞けば、明らかにおかしいと思うはずだ。


「昔はそうでなかったと聞く。日頃から魔物の襲撃も頻繁で、騎士達では対処できないような危機に際したときのみ、護衛を伴った剣姫がその解決に当たっていた」

「だけど、いまは違う、と?」

「フィオナの母親が亡くなったのはそれが原因だ。王太子と王太子妃の一行であるにも関わらず、剣姫である王太子妃が戦力に含まれ、護衛の数が最小限に抑えられていたのだ」

「……だから、フィオナ王女殿下を追放しようと考えたのですか?」


 剣姫であり女王。その地位で使い潰されるよりは、平民として生きた方がいい、と。アイリスは、いつからか自分が追放された理由に思い至っていた。

 だけど、だからといって、信じていた者に裏切られた悲しみが癒えるわけではない。

 それになにより、アイリスは誰かを犠牲に自分だけ逃げるのが嫌いなのだ。


「……もしもわたくしがフィオナ王女殿下なら、貴方と共に戦う道を望みます」

「おまえが次期女王なら、俺も迷ったりはしなかったさ」

「ふぇ?」


 完全な不意打ちだった。


「そ、それは、どういう意味、ですか?」

「おまえなら、自らの力で逆境を撥ね除けると分かっているからな」

「そ、そぅですか。だったら……良いんですけど」


 いや、良いのかな? と疑問が湧き上がるくらいにアイリスは混乱していた。

 フィオナであったころの彼女は、おまえでは無理だとアルヴィン王子に逃がされた。だけどいまアイリスである彼女は、おまえなら大丈夫だとアルヴィン王子に認められた。

 その複雑な心境に、どう対応すれば良いかが分からない。


「えっと……いえ、わたくしの話じゃありません。フィオナ王女殿下を失脚させるつもりなのですか? もしそうなら――」

「もしいまでもそう思っていたら、おまえにこの話をしたりはしない。おまえが現れてフィオナは様々なことを学ぶようになった。それに、国の情勢も安定してきたからな」

「……状況が変わったと、そういうことですか」


 既にその情報が古くなっているからこその告白。

 いまの状況から考えて、既にフィオナ王女殿下の失脚が完了している、ということはあり得ない。であれば、プランを変更したと考えるのが妥当だ。


 新しいプランにアイリスが賛同すると、アルヴィン王子は確信しているのだろう。だからこそ、フィオナを追放するつもりだった、なんて過去形で白状をしたに違いない。


「結局、貴方はなにを考えているのですか?」

「いま抱えている問題を解決する、ただそれだけのことだ」

「……問題。頻発する魔物の襲撃と、人々の意識改革、ですか?」


 この国が平和になれば、剣姫に限らず兵士が身を危険にさらす頻度が下がる。余裕が出来れば、非常時にも万全の態勢で対応できるようになるだろう。

 そして二つ目は……困ったことがあればすぐに剣姫に頼るという意識の改革だ。むろん、剣姫でなければ対応できないような状況は別だが、そうでないのなら、という意味である。


「そうだ。そのために俺には力がいる」

「剣姫ではない貴方が力を振るうため、ですか。……本末転倒ではありませんか?」

「剣姫にすべてを押し付けるわけにはいかぬ。これからはおまえ達がなんとかしろ――と、口にするだけでなんとかなるのなら苦労はせぬ」

「……それは、たしかに。そうかもしれませんね」


 これが絶対的な権力を持つ者のセリフなら別だ。多少の軋轢はあっても、権力を駆使して変えてしまうことも不可能じゃない。

 だが、アルヴィン王子は妾が生んだ庶子である。その手腕により現在の地位を確立してはいるが、周囲との軋轢を生めば失脚もあり得るだろう。


「だから、精霊の試練を受けようとした、と? 気持ちは分かりますし理解も出来ます。でも、ダメですよ。いまの貴方はきっと精霊の試練に合格できません」

「……なぜだ?」

「うぅん、どうしてでしょうね? 実のところ、わたくしにもよく分かりません」


 ジト目で睨みつけられるが、アイリスとて冗談を口にしているわけではない。


「精霊の試練とは、精霊と縁のない人間が実力を示すためにおこなうんです。でも、アルヴィン王子はレムリアの城で暮らしていて、精霊と縁がない、とは言えないと思うんですよね」


 人間にも相性や好みがあるように、精霊にも好みや相性がある。ゆえに、実力さえ伴えば誰にでも加護を与える、というわけではない。


 だが、アストラルラインの真上で生活しているアルヴィン王子は、それなりの数の精霊達に見られているはずだ。なのに、アルヴィン王子はいままで加護を受けていない。そこになんらかの理由があるのだとしたら、精霊の試練を受けるのは非常に危険である。

 これがアイリスの出した結論だ。


「つまり、俺は精霊に嫌われる体質だと?」

「そうかもしれませんし、違うかもしれません。けれど、その原因が分からぬ限り、精霊の試練を受けるのは避けるべきでしょう」

「……なるほど。では、精霊に直接聞いてみる、というのはどうだ?」

「言うと思いました――が、難しいでしょうね」


 基本的に、精霊の試練は自力でなんとかする必要がある。アルヴィン王子が精霊の加護を与えられない理由を精霊に訊くことは、試験の合格が遠のく行為となりかねない。


「そんなわけですから、今回は諦めてください。フィオナ王女殿下を護るために力が欲しいというのなら、わたくしも力を貸しますから」

「…………」


 なにか言いたげな顔をされる。


「なんですか?」

「いや、少しおまえに護られる自分が不甲斐ないと感じただけだ。アイリス、この借りはいつか必ず返すと約束しよう」

「その必要はありませんよ。貴方にはたくさん護られてきたようですから」

「……おまえは、なにを言っているんだ?」

「さぁ、なんでしょう」


 アイリスは相好を崩し、アストラルラインのたまり場へと向かうために身を翻した。


「それでは、精霊の試練を受けてくるとしましょうか」

 

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