13.こちら探索少女二名、交戦中です。


「クーデターの計画は失敗する」


 と、「いかにも」な軍曹は断言する。


「『協会』に喧嘩売ってる時点でもうどうしようもなくトチ狂ってる。ダンジョンの魔術装置をぶんどったら『魔術学院』だって黙っちゃいねえ。無理だ無理」

「まあ、そうっすよね」


 とアリソンは頷いて、


「というか今朝、『協会』の方から連絡があったんで、もうバレてるみたいっすよ」

「何?」

「なんか昨日、他のダンジョンでお仲間がドンパチやらかしたらしいっす」

「……作戦決行日は、今日だったはずだが」

「さあ……先走ったとかじゃないすか」

「おいおい……」


 と、軍曹は宙を仰いで、それからアリソンに尋ねる。


「……というか、それを知ってたんなら何であんた爆弾付けられてんだ?」

「知った瞬間にそちらのお二人さんが襲撃してきたんすよ。タッチの差だったっす」

「そうかい」


 ツキがあるんだかないんだか、と軍曹はうんざりしたように言う。


「……本当なら、探索者として潜り込んだ人間の手引きで、小隊全員でダンジョンに乗り込んで制圧ように指示されてたんだがな」

「そりゃまた」


 馬鹿げた指示っすね、とアリソンは思う。そんな大人数がダンジョンの周りをうろうろしてたら、よほど上手くやらなければ「協会」側に勘付かれるのは当然だ。

 先程の作戦決行前にドンパチをやらかした連中とやらも、功を焦った馬鹿ではなく、ただ単に迂闊な間抜けだったのかもしれない。


「ところが、俺たちの小隊長さんはとんでもなくうっかりしててな――」


 と、そこで軍曹は楽しげに笑う。


「――なんと、小隊をこのダンジョンに派遣するために手配した道具やら飛空艇やらの手配が全部明日になってんだ。アホだろ」

「……そりゃ、アホっすねえ」


 と、アリソンも思わず笑った。


「そんなアホの癖に、間抜けな部下には重要な任務は任せられない私一人で十分、と身の程知らずに息巻いて、自分一人で探索者として潜り込もうとしやがった――しかも、間抜けな部下が情報漏洩するを危惧して小隊の誰にも任務の内容を伝えないまま、だ。むかつくだろ」

「引っ叩いてやりたいっすねえ」

「だろう? あんまりアホだし、あんまりむかつくから――こうやって、俺たちが尻拭いをしてやらねえとな」

「心中お察しするっすよ。軍曹さん」

「……こうなっちまった以上、俺たちは何をどうしようが最後にゃ白旗挙げて投降するしかない。そのとき、あんたらを殺してたらもう駄目だ。『協会』にもメンツってもんがあるだろ?」

「そりゃもちろんっす」


 と、アリソンは言う。


「ちなみに、私は下っ端も下っ端ですが『魔術者』の端くれなんで、死んだら『魔術学院』もいちゃもん付けてくるっすよ。というわけで『どかん』非推奨っす」

「そういうことだ。が、あんたらを生かしたまま捕らえておけば、投降するときに交渉材料にできる――かもしれない」

「……望み薄だと思うっすよ。それ」

「だろうな」


 「協会」や「魔術学院」のお偉いさんからしてみれば、探索者や現場の魔術者なんてのは消耗品みたいなものだ。交渉の材料になるとは思えない。そこそこ便利なスキル持ちなディーンならともかく、少なくともアリソンは幾らでも替えが利く。

 あの二人は、どうだろう。

 と、そこでアリソンはフーコとマリーの二人に思い当たる。

 あの二人は「協会」や「魔術学院」との交渉材料になるだろうか、と。


「それでも俺たちには」


 と、軍曹が話を続けたのでアリソンはそこで思考を中断した。


「それくらいしか縋るものがないんでな。すまんが、俺らのリーダーがあのお嬢ちゃん二人組を捕まえて戻ってくるまで、大人しくしててくれ」

「あのお嬢さんは大丈夫っすかね? あの二人、あれで結構手ごわそうっすよ?」

「みたいだな――だが、手ごわさなら、俺らの小隊長さんだって負けちゃいな――」

「あ、ごめん。ちょっとごめん」


 と、そこで今まで黙っていたディーンが口を挟んできた。


「……何すか。どうしたんすかディーン。今割とシリアスな話してるんす。下らない話だったらちょっと怒るっすよ」

「いや、左耳の後ろが痒くて」


 アリソンは何も言わず、ただただ無表情にディーンから目を逸らした。まあ当然の反応と言える。


「……ええと、それでどうしたいんだ?」


 とわざわざ話を聞く軍曹。

 ディーンは言う。


「ええと……掻いていいかな? 変な動きとみなして撃ったりしない?」

「……しない。好きにしろ」

「ありがとう」


 と言ってディーンは左耳の後ろを人差し指で掻きながら、「あ」とまた何かを思いついたかのように言う。

 今度はなんだ。

 もしかしてただ単に会話に混ざりたいだけとかそんな理由じゃないだろうな、と軍曹は疑い始めるそんな中。


「そっちの」


 ディーンは爆弾の起爆装置を持った「皮肉屋」の方を向いて、


「えっと、ごめん……名前なんだっけ?」


 この男は喧嘩を売っているのだろうか。

 と、「いかにも」な軍曹は思った。

 こいつは喧嘩を売っているのだろうか。

 と、「皮肉屋」は思った。

 こいつとりあえず殴っていいだろうか。

 と、「戦うデブ」は考えている。


「あの、一応言っておくけど……」


 と、ディーンは左耳を掻きながら言った。 

 呆れる「皮肉屋」に向けて。


「……頭とかぶつけたらごめん」

「……っ!?」


 いきなりだった。

 喉を締め上げられたような奇妙な声を「皮肉屋」が上げる――あまりにも唐突過ぎて、軍曹もデブも反応が一瞬遅れた。

 アリソンだけが即座に動いた。

 がくん、と。

 崩れ落ちる「皮肉屋」のところへと一直線に向かった。

 が、彼女は自身も認めるように凡人だ。一瞬で辿り着けるほどには早くない。

 一瞬の遅れの後で、軍曹とデブが動く。


 軍曹が銃口をディーンに向けた。

 デブが銃口をアリソンに向けた。


 ディーンのスキルは強力だ。

 だが、おそらく一度に二人を守ることはできない。

 そう踏んでの行動だ。

 お見事だった。


 だから、ディーンは自身の防御を捨てた。


 空気の砲弾が再び放たれて、銃口をアリソンに向けていた「戦うデブ」の足元に着弾。再び、衝撃でデブの身体が吹っ飛び――アリソンが、何とか抵抗を試みる「皮肉屋」の男を容赦なく蹴り飛ばして、起爆装置と銃を奪い取ったところで、


 銃声が鳴った。


      ◇◇◇


 銃声が鳴った。

 その瞬間に、たった今この瞬間まで、木の上で微動だにせず待機し続けていた少年が、ぱつり、と呟く。


「……俺の出番かな」


 少年はそれまで身動き一つせず、ずっと覗き込み続けていたスコープの位置をほんの僅かに修正する。その中に、彼の上司である「いかにも」な軍曹の姿を映し出す。

 そして。

 そのまま、再び一切の身動きを止める。

 瞬き一つせずに、ただひたすらスコープを覗き込みながら――軍曹が自分に合図を出すのを、じっ、と待ち続ける。


      ◇◇◇


 とすん、と。

 ディーンは地面に尻もちを付いた。

 いかにも恐る恐る、といった風に自分の頬に手を当て、手のひらを見てみた。

 べっとりと血が付いていた。

 頬を掠めた弾丸の傷だった。


「……なあ、アリソン」


 世にも情けない声で、ディーンは言う。


「めっちゃ痛いんだけど……」

「大丈夫。掠り傷っすよ。後で手当てしたげるんで、今はちょっと我慢するっす」


 と、アリソン。

 起き上がろうする「皮肉屋」の男を割と容赦なく足蹴にして抑え付けつつ、手に持った起爆装置を何やら操作し始める。


「……ってか、今、何したんすか?」

「君が今踏んでるその人の、周囲の空気を一時的にめっちゃ薄くして酸欠状態にしたんだよ。屋内の密閉空間だと簡単にできるんだけど、屋外でやると色々複雑でめちゃくちゃ難しいし、使ったの久しぶりだから、ちょっと時間掛かったけど。上手くできてよかった」

「……まじすか? え、嘘、まじでそんな頭の良さげなことができたんすか? ディーンってせっかくいろんな応用利きそうなスキルで、空飛ぶのと空気砲ぶっぱと空気の壁で防御することしかできない、宝の持ち腐れな脳筋野郎じゃなかったんすか?」

「いやまあ、確かに今はほぼその三つしか使ってないんだけど……新人の頃はもうちょっと頭使ってスキルをいろんな応用した技使って戦ってたんだよ。小技も含めれば二十以上あったんじゃないかな。これもその一つ」

「じゃあ、何で今は三つになってんすか」


 ディーンは、そこで一瞬、黙った。

 それからこう言った。


「……頭使うのが面倒くさいから?」

「才能の無駄遣いっすねー……」

「言うな……っていうか、本当に痛いんだけど。アリソン。早く、早く手当てを」

「今爆弾解除してるんで待ってるっす。根性と気合で我慢すよ我慢」

「ううう……」


 と呻きながらディーンは立ち上がる。

 そのとき、砲撃の余波でぶっ倒れていたデブが、凄まじい勢いで起き上がった。

 デブは「戦うデブ」だ。

 犬歯を剥き出しにした恐ろしい形相で、彼はどこかに飛んで行ってしまった自身の銃を探すよりも先に、ディーンを睨み付け、それから起爆装置を弄り回しているアリソンへと視線を移し――


「やめろ。次は木っ端微塵にされるぞ」


 軍曹がデブを止めた。

 デブはその言葉を振り切るようにして、歯軋りと共に、一歩を踏み出した。

 ディーンは「次」の準備をした。


「やめろ。命令だ」


 軍曹がもう一度デブに告げた。


「――頼む。まだ死ぬな」


 デブが恐ろしい声で吠えた。

 どすんっ、と凄まじい音を立て、腕を組み、胡坐を掻いてその場に座り込んだ。

 ディーンは「次」の準備を取りやめ、それから軍曹を見た。

 彼はボルトハンドルを操作して次弾を送り込むこともせず、それどころか、銃をディーンに向けることもしなかった。ただ、だらり、と銃を片手にぶら下げていた。


「ええと……軍曹さん? 大丈夫?」

「……ああ」


 ディーンは、ずきずき、と痛む頬の傷を意識しながら言う。


「当てなかったのは、良い判断だったと思うよ――慌てて僕を殺してたら、さっき言ってた通り『協会』との交渉どころじゃなくなるんだろ?」

「あんたが俺たちを皆殺しにしなけりゃな」

「僕はそんなことしないけど……」

「そんな保証はどこにもなかったさ」


 と、軍曹が自嘲気味に笑う。


「俺はあんたのことなんざ何にも知らねえんだ。人質を失った途端、俺らは全員、あんたに皆殺しにされていたかもしれん。その可能性はあった。だから、後先なんて考えず、俺は迷わずにあんたを撃ち殺すべきだった。銃を向けてた以上は、その覚悟をしとくべきだった。そしてあんたは――」


 軍曹はディーンを見る。


「――俺に、その覚悟がないことを見抜いてたわけだ。舐めてたよ。『空飛び』」

「いや、そこまで深く考えてたわけじゃないけど……まあたぶん大丈夫かなあ、くらいに思っただけで」

「それで自分の命を賭けられるってんなら、あんたは十分過ぎるくらいバケモンさ」


 と、同時に。


「よっしゃ。解除したっすよ!」


 と、起爆装置を弄っていたアリソンがガッツポーズをする。ちなみに「皮肉屋」の男は踏まれたままだ。そろそろ解放してあげて欲しいところである。

 とはいえ、まだ爆弾は彼女の防護服の中に取り付けられたままなわけで、さてどうしようか、とディーンが考えていると、


 アリソンは防護服を脱いだ。

 身体に付いた爆弾を外した。

 アリソンは防護服を着直す。


「取れたっすよー」


 と、アリソンは外した爆弾を掲げてみせる。

 自分で取り付けたせいか素早い作業だった。

 でも、ぶっちゃけそれどころじゃなかった。


「……いや、君は何やってんだ」


 とりあえず、今の一部始終を見ていた男性陣一同を代表してディーンが言った。


「何か気に食わなかったっすか。色とか」

「いや最高だった――じゃなくて、何ていうかさ、こんな人前でさ」

「しょうがないじゃないっすか。爆弾怖かったんすよ」

「それでも、もうちょっと恥じらいとか」

「何言ってんすかディーン。こういうのって恥ずかしがるからちょっとアレな感じになるんすよ。ね、そう思うっすよね?」


 一部始終、踏まれっ放しだった「皮肉屋」は、同意を求めてきたアリソンに対し、何だか達観したような遠い目をして言う。


「いや、ねーさん。俺、なんかちょっと目覚めそうになったんだけど」

「きっと元から素質あったんすよ」


 そう言って切って捨て、ようやくアリソンは踏んでいた「皮肉屋」を解放し、とりあえず爆弾一式を離れたところに置いてから、奪った銃を抱えて、ディーンの隣まで戻ってきた。

 そして「いかにも」な軍曹に対して言った。


「形勢逆転っすね」

「そうだな」


 と、軍曹はうなずく。


「……さっきの耳の裏を掻くのが、何かの合図だったのか?」

「そっすね。別に決まってた合図じゃなくて……いつものディーンならわざわざそんなこと聞かないんで、まあ、何かするつもりなんだな、と」

「……そんなんでわかるもんか」

「長い付き合いっすからねー」


 かたん、と。

 軍曹は自身の銃を足元に放り投げる。


「負けたよ、お二人さん。というわけで」


 笑みを一つ浮かべてみせる軍曹。

 そこでアリソンは不意に気づく。

 無線機にスイッチが入っている。


「悪い小隊長――負けちまった。だから」


 その太い手で指鉄砲の形を取り。

 銃口を自分のこめかみへ向けた。


「責任は全部俺がもらってく――あばよ」


 それが合図だった。


      ◇◇◇


 それが合図だった。


 高い木の上、一切の身動きを消し、瞬きすら止めた少年の瞳が覗き込むスコープの十字線の真ん中には、彼の上司である軍曹が指鉄砲をこめかみに当てている「いかにも」な姿が、その額が映っている。


 軽い引き金に少年の指先が掛かる

 死んだように少年の呼吸が止まる。

 そっと静かに少年の指が引き金を。


 引く。


      □□□


 雨が降る中、


 二つの銃声が鳴って響いた。

 二つの銃弾が宙で交錯した。

 二つの銃弾が足元で弾けた。

 二つのボルトハンドル操作。

 二つの空薬莢が宙を舞って。

 二つの弾薬を新たに装填し。

 二つの指が引き金に掛かり。

 二つの銃口が互いを捉えた。


 雨が止んで、


 ぱしゃん、と。

 ぱしゃん、と。


 空薬莢が二つ濡れた床に落ちて。


 がらぁんっ、と。


 最後にドラム缶の残骸が跳ねた。


「できれば」


 す、と。

 誰もいなかったはずの場所に。

 何にもなかったはずの場所に。

 ずぶ濡れのまま銃を構えた女性が現れる。


「……このまま投降して頂けませんか」


 例の彼女である。

 例の、料理上手な、あの何とも生真面目そうな、でもちょっと妄想の激しい、今日の朝真っ赤になった顔を両手で覆ってじたばたしていた、そして何故かいつの間にか消えていた、例の彼女である。

 そして。

 ディーンたちと交戦した騎士たちの上司である――小隊長。

 そんな彼女の言葉に対して、こちらも濡れ鼠になったマリーが言う。


「……さすがにそういうわけにはいかないって分かるよね。おねーさん」

「でしょうね」


 二人は、互いに銃口を向けあったままだ。

 張り詰めた空気が二人の間に満ちている。

 と。


「マリー」


 そこにフーコが割り込んだ。

 濡れた髪をふるふる振って。

 ちょっと困ったような顔で。

 銃を向けている相手を見て。


「この人――誰?」


 小隊長はちょっと傷ついた顔をした。

 マリーはフーコの耳元に口を寄せ、小さな声で説明する。


「……サティさんだよ。拠点の設置作業で、アリソンさんの下で働いてた探索者のおねーさん。実家は由緒正しい家系だけどご両親はもう他界してて、本当は家を継ぐはずだったお兄さんが出奔しちゃったから、代わりに家を継いで頑張ってるんだって。趣味は料理と恋愛物語を読むこと。好きな男性のタイプは料理の後お皿を洗ってくれる人」

「ごめん。全然知らない」


 いや、まじで知らない。

 サティ?

 そんな名前出ていない。初耳である。

 きっとディーンも同意してくれるだろう。

 この場合、むしろこの、そこはかとなく残念感が漂う小隊長のことをそんなに知っているマリーの方がちょっとおかしい。そんな接点はなかったはずだ。一体、そんな情報を得る機会がどこにあったのか。


「昨日一緒にご飯食べたでしょ」


 ご飯。

 アリソンと一緒に作った餌のことである。

 確かに作ったなら食べたはずだ。

 が。


「全然覚えてない……」


 フーコは悪くない。

 きっとディーンだって覚えられない。

 っていうか覚えていなかった。

 マリーは言う。


「もー……一緒に仕事する人のことは、せめて名前くらいちゃんと覚えないとダメだって言ったでしょ」

「ごめん……」


 しゅん、とするフーコ。

 フーコは謝れる娘である。

 ディーンも謝るべきかもしれない。


「他には、いかにも歴戦って感じの人がジャックスさんで、ちょっと意地悪そうな痩せてる人がスパイクさんで、すごくおっきくて強そうな人がゼポットさんで、あのちょっと軟派な感じの男の子がソンくん。覚えた?」

「……無理」


 まあ無理だ。

 フーコにはちょっと覚えられない。

 ディーンには絶対に覚えられない。

 というか、マリーはマリーで、その短時間の間に、あの「いかにも」な軍曹の趣味がガーデニングであることとか、「皮肉屋」が小動物好きでハムスターをこっそり飼っていることとか、「戦うデブ」が実は軍に所属する傍ら絵描きを目指して修行中の「絵描きデブ」でもあることとか、自分たちより年下に見える少年がちょっと洒落にならない狙撃技術を持ってるみたいなので要注意なこととか、下手すると小隊長も知らないようなことを短時間で把握している辺り、さすがに我らが鬼畜小悪魔ちゃんである。ちょっと怖い。


「と、ともかく……!」


 こほん、と。

 マリー情報に依ると「サティ」という名前らしい小隊長が咳払いし、二人に言う。


「投降してくれなければ、次は当てます――貴方たちのような女の子を撃ちたくありませんが、抵抗するなら容赦はしません」

「それはこっちの台詞だよ。おねーさん」


 と、マリーは平然と言い返す。


「さっきはこれっぽっちも殺気が感じられなかったから当てなかったけど――次は、そんなの関係なしでヘッドショットするから。覚悟して」

「……怖い娘ですね」


 と、少し気圧されたような顔で言う小隊長に、マリーは可愛い顔におっかない笑みを浮かべるだけで応じてみせる。


 ちなみに嘘だ。


 マリーは容赦なく当てるつもりだった。

 でも、なんたって、さっきまでの小隊長はスキルか何かで透明人間になっていたのだ。幾ら雨を浴びて輪郭が浮かび上がっていたとはいえ、あの一瞬で、しかも互いに動いている中で正確な照準を付けるのは無理だった。

 つまり、ただ普通に外しただけである。

 だから内心、相手が即座に撃ち殺してくるような相手じゃなくて良かった、とほっとしている。その場合、自分はもちろん、下手するとフーコだって殺されていたかもしれない。

 だが、そんな素振りは一片も見せない。

 ちょっとした駆け引きである。


 とはいえ、口では「次はてめーの頭を吹っ飛ばしてやんぜ」的なことを言ってはみたものの、本音ではマリーとしてもそれは遠慮したい。なんせ状況がわからない。小隊長が小隊長であることをマリーは知らない。小隊長は、マリーの中では料理好きな探索者の女性サティさんとして認識されており、何でいきなり透明になって自分たちを追跡していたのかさっぱりだ。わからない以上、降伏できないのと同じくらい、不用意な攻撃はできない。

 そして何より、マリーとしては単純に人を撃ちたくないという気持ちがある――その辺りマリーは結構正常ではある。でも一発目を外した理由にそれが含まれているなら、その正常さは致命的な隙を生みかねない。マリーとしてはその危険性を無視できない。

 今、こうして対峙している相手の表情を見る限り、向こうも殺意100パーセントというわけでないことは明らかだ。本気でこちらを殺すつもりなら、おそらく幾度か機会はあっただろうし、透明の状態を解除する必要はない。向こうもできれば殺し合いは避けたがっている。

 向こうもこちらも動けない。

 膠着状態だ。

 時間だけがひたすら過ぎる。


「……マリー」

「ちょっとごめんフーちゃん今は話してるどころじゃないから待――にぎゃあっ!?」


 フーコはマリーを特等席から容赦なく放り捨てた。どばっしゃあ、と盛大な水しぶきを上げて落下するマリー。

 そして、容赦なく銃が暴発した。

 銃弾は幸いにも明後日の方向に撃ち込まれて遠くの何かにぶつかって弾けたが、マリーは暴発に一瞬だけ身を竦ませる。が、受け身は取っていたので、ざばっしゃあ、と即座に立ち上がってフーコに、


「い、いきなり何するのフーちゃ――」


 ぱしゃん、と。

 フーコが一歩前に進んだ。

 つまり、銃を構えている小隊長の方へ。

 銃口はちょうどフーコの頭を狙っている。


「ちょ……」


 と、マリーが言葉を失い。


「あの……」


 と、小隊長の顔が戸惑う。


 ぱしゃん、ばしゃん、と。

 フーコはその間にさらに数歩進んだ。

 小隊長まで残り三歩の距離になった。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってフーちゃん待って! ストップ! おすわり!」

「と、止まりなさい! 撃ちますよ!」


 ぱしゃん、と。

 フーコは無視してさらに一歩進んだ。

 小隊長まで残り二歩。


「フーちゃんばっく! かむばっく! たーんばっく! 飴! 飴上げるからっ!」

「あと、一歩踏み込んだら……っ!」


 フーコは躊躇なくその一歩を踏み込んだ。

 マリーはいつも通り魔法じみた速度で銃のボルトを操作をして小隊長の頭を撃ち抜こうとしたが、濡れていたせいで手を滑らせてしまい、ちょっと伏字にしないといけないような悪態をついた。

 そして小隊長はというこちらもちょっと伏字にしないといけないようなような悪態をついて、銃口をフーコの頭ではなく、脚の脛の方へと向けてから引き金を引いた。


 がきんっ、と。

 異音が一つだけ響き銃声は鳴らず、


 ぱしゃん、と。

 フーコは最後の一歩を踏み込んで、


 ぱしんっ、と。

 呆気に取られた相手から銃を奪い、


 ぽーいっ、と。

 なるだけ遠くへと放り投げてから、


 ぺちんっ、と。

 小隊長の頭のヘルメットを叩いた。


「……えっ? は? あれ?」


 と、別に痛くもなかった頭を押さえて目を白黒させている小隊長を無視し、フーコはきびすを返す。


 ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃんっ、と。


 マリーのところへ戻る。

 ボルトの操作を失敗した銃を抱えたまま、半泣きになっていた目をやっぱり白黒させているマリーに近づいて、フーコは、

 ぺちんっ、と。

 マリーのふわふわ巻き毛を叩いた。


「何で!?」


 と、こちらはちょっと痛かった頭を押さえ、マリーは別の意味で半泣きになってフーコに抗議の声を上げた。

 まあ、正当な抗議である。

 相手がフーコでなければ。


「だって、マリーが言ってたもん」


 と、フーコが言う。

 その顔を見た瞬間、あ、これ絶対面倒くさいフーちゃんだ、とマリーはその時点で察していた。だが、どうしようもないからこの状態のフーコは面倒くさいのだ。


「『撃つとき以外は、引き金に指を掛けちゃ駄目』って」


 フーコは言われたことをちゃんと覚えている娘である。ちなみに、言った本人が忘れていることまできっちり覚えているので注意が必要だ。


「た、確かに言ったけど――」


 そういう問題ではない。

 そう言ってやりたいところだが、相手はなんせフーコである。その手の「何かこう――とにかく大人の複雑な事情でこうなってるんだよ! 追及しないでよ!」的なふわっとしか言い逃れを許してくれる相手ではない。


「マリー」


 むん、フーコは顎を上げて胸を張って腕を組んで、つまりは、いかにも偉そうな小憎たらしい態度で言った。


「自分で言ったことは自分で守るべき」

「……」


 マリーは反論を瞬時に幾つか思いついたが、相手がフーコだったのでやめた。


「……わかったよ。もお」

「よし」

「というかさ、あの銃がおかしくなってるってよくわかってたね……」


 確かに、水でずぶ濡れになっている状態ではあったが、マリーの感覚からしてみると、単純極まりない機構の頑丈な銃である。動作不良を起こすなんて考えもしなかった。


「何でわかったの?」

「音が変だった」

「……」


 マリーはため息を吐いた。


「……でもね、フーちゃん。今回は結果オーライだったからよかったけど、もし銃弾が発射されてたら死んでたんだよ」

「大丈夫」


 と、フーコはドヤ顔で言う。


「避ければいい。平気平気」

「……えっと、フーちゃん」


 まず銃弾を避けられる、という前提が何かちょっとおかしいのだが、その点についてマリーは何も言わない。今更である。

 が、しかし。


「あのね、フーちゃん」

「何?」

「人間は銃弾より早く動けないんだよ。だから銃弾は普通避けられないんだけども」

「避けられるよ」

「そうだね不思議だよね……だから私が思うに、たぶんフーちゃんは、きっと撃つ前に避けてると思うんだよね。こう、相手の動きを予測する感じで。銃弾を見て避けてるわけじゃないと思うんだよ。たぶん」

「よくわかんないけど、そうかも」

「だからさ、銃弾が発射された後からじゃ避けられなかったんじゃないかな……」

「…………」


 フーコはしばし黙り込んだ。

 その後で、一転して、いかにも不安そうな顔になってフーコに言った。


「……つまり、死んでたかもしれない?」

「うん……だから、二度としないでね?」

「……しない。絶対しない」


 かくかく、と。

 フーコは頭を縦に振る。

 フーコはちゃんと怖がれる娘である。


「ともあれ――」


 と、フーコを怖がらせて無力化したところで、マリーはまだちょっとぽかん、としている小隊長へと話しかける。


「事情は知りませんが、こうなった以上、とりあえずこちらで拘束させて――」


 そのときだった。

 小隊長の持っていた無線機に交信が入った。 

 ここに来るまでにダンジョンに置いてきた幾つかの中継器を通って入ったその交信は、けれども本来ないはずの交信だった。そりゃそうだ。小隊長は透明になって二人を追跡していたのだから。こちらから交信することはあっても、あちらからは交信しない手筈になっていた――ただし、非常事態を除いて。


『悪い小隊長――負けちまった。だから』


 幾つかの中継器を通ったその声には結構なノイズが入っていたが、あの「いかにも」な軍曹の声だと小隊長には分かった。マリーにもガーデニング大好きおじさんのジャックスさんだと分かった。


『責任は全部俺がもらってく――あばよ』


 一際大きなノイズ。

 それから。

 銃声。


 小隊長が無線機を取り落とした。

 それからよくわからない声を出した。

 人間の言葉ではなかった――罵声のようにも、悲鳴のようにも、単なる泣き声のようにも聞こえた。

 そして、とにかく二人から離れるためにその場から逃げ出した――あるいは、元来たルートを錯乱したまま戻ろうとして、全然違う逆方向へ向かった。

 絶対後者だ、とマリーは思った。

 なんせ透明化していない。

 そんな状態で「熊」なんかに出くわしたらもうおしまいだ。八つ裂きだ。

 さすがに放ってはおけない。


「待って!」


 と叫び、慌てて追いかけようとしたところで、マリーは濡れた床に滑って、どしゃん、と転んだ。受け身を取って、ばしゃあ、と起き上がる。本日二度目である。

 フーコが心配そうに近寄って言う。


「……大丈夫?」

「転ぶのは慣れてるから大丈夫! それよりフーちゃんおんぶおんぶ!」

「あいあいさー」


 マリーがフーコの背中に乗り込み、フーコはマリーとは違って濡れた床でも転ばずに駆け抜け、そのまま小隊長を追う。

 とはいえ、フーコは早い。

 追いつくのはあっという間だった。

 小隊長は、この巨大な空間の途中にあった大きな扉の前にいた――何とかしてそれを開けて外に出られないかと、近くの壁を確認しているようだった。

 その姿を見て「まだ『熊』にやられてない良かった」とマリーは最初に思った。

 だから、フーコがまず最初に気づいた。


「――ダメっ!」


 そして、マリーも「それ」に気づいた。


「待っておねーさんっ!」


 でも遅かった。

 小隊長はいかにも「緊急時に押してください」的な黄色と黒の縞々に囲まれた赤いボタンを見つけてしまった。元々あった保護カバーはすでに叩き割られていた。どうやら緊急時に使用済らしかった。

 それを押した。

 その壁に、でっかく赤黒い色で塗りつけられ描かれている「それ」が示す意味に気づくことなく、押してしまった。

 ごおんごおん、と。

 何かの装置が扉を開けるため作動する音。

 うおんうおん、と。

 単なる注意喚起のためのサイレンが鳴る。


 そして――巨大な扉が開き始める。


      □□□


 銃声は遅れてやってきた。

 そのときには、もう全てが終わっていた。

 超音速で飛んできた弾丸は軍曹へ向けて一直線に進み、そのこめかみをかすめて背後の地面をえぐって――それで終わりだった。


「……ん?」


 遅れてやってきた銃声が鳴り響く中、最初に疑問の声を上げたのは「いかにも」な軍曹だった。こめかみに当てた指鉄砲を下ろし、背後の地面を見下ろして、つぶやくように言う。


「……おいちょっと待て」


 と、そこで無線が入る。

 もちろん、小隊長からではない。そのとき、小隊長の無線機はその手から滑り落ちて、濡れた床に転がっている。フーコとマリーも小隊長を追いかけているので、濡れた床に転がる無線機の周囲には誰もいない。

 交信してきたのは、狙撃手の少年だった。

 少年が言った。


『軍曹。外しました』

「嘘つけ!」


 と、軍曹は無線機に向かって思わず怒鳴りつけた。


「お前が狙撃を外すわけねえだろうが! お前アホだけど狙撃の腕だけは良いんだから! アホだけど!」

『軍曹。自分の山に住んでる鳥が相手だと100発中95発くらいしか当たりませんよ。割と外します』

「ほう、今回はたまたま5発の方が出たと」

『はい。軍曹』

「嘘つけ!」

『ちっ。うるせー軍曹だな。ちょっと外見が「いかにも」それっぽいからって中身までザ・鬼軍曹ってわけじゃーねだろ。十歳年下のお嬢さんと結婚したとか、しかもその理由が病気で長くないからって家族に厄介者扱いされてたからだとか、その死んだその奥さんが好きだったガーデニングを趣味とか言って今でも続けてるとか、そういうのちゃんと全部知ってんだからなこのロマンチストめ。なんださっきの指鉄砲。格好付けやがって』

「お前のその発言懲罰ものだからな! あとロマンチストの何が悪い! ガーデニングの何が悪い! お前も俺の作った野菜食ったろ! 美味かったろ!」

『あー、軍曹の野菜で小隊長が作ってくれた料理めっちゃ美味しかったですね。あんな美味いもんは生まれて初めて食いました。こっちの飯は「餌」って感じの味ですけれど、あれは「愛」ですね。「愛」の味ですよ』 

「だろう」

『軍曹は、また食べたくないですか』

「……」

『俺は食いたいですよ。小隊長が作ってくれる、軍曹の野菜で作った飯』

「……そうか」

『あと、こういう汚れ仕事して、後から小隊長に「ごめんなさい」とか泣かれたり、よりにもよってザ・屑の野郎に「思い上がってんじゃねーぞガキ。てめーなんぞが責任感じるとか、舐めてんのか」とか慰められたり、ザ・デブの野郎に「一発だけ殴らせろ。それで許してやる」とか言われて常人の十発分の一発で殴られたりするのは嫌です。どうしてもそういう汚れ仕事がやりたかったら、そこは軍曹が自分でやって下さい。俺はクリーンでいたいです』

「お前には後で色々と言ってやるべきことがあるな……覚悟しとけ」

『まじですか』

「……だから、狙撃を外したことはもういい。不問にする。感謝しろ」

『はっ! ありがとうございます軍曹殿!』


 少年からの交信は切れた。

 そして、軍曹はたっぷりと時間を掛けて大きなため息を一つ吐いてから、両手を挙げて言った。


「……俺の負けだ」

「みたいっすねー」


 一連のやり取りを見ていたアリソンが、いっひっひっ、と楽しそうに笑って言う。


「あとは煮るなり焼くなり好きにしな」

「まあ、短い時間とはいえ、同じ窯の飯を食った仲間っす。幸い私もディーンも無事だったっすから――」

「いや、怪我……」


 と、ディーンはアリソンに頬の怪我を指で示してみせる。

 アリソンは無言で携帯している簡易医療パックから消毒液と脱脂綿を取り出し、それらを使ってディーン頬の血を拭って手早く消毒した。ディーンは情けない悲鳴を上げたが無視した。

 さらにその後で、でっかい絆創膏を、ぺたん、と貼った。ディーンがまた情けない悲鳴を上げたが無視した。

 それから、アリソンは軍曹に向けて言う。


「――幸いにも無事だったっすから。たぶん無駄かもっすけど、できる限りの便宜は図ったげるっすよ」

「……すまん」

「んなことはどうでもいいんす――それより、あんたらの大好きな小隊長さんも止めてあげてくれねっすか? 言っとくっすけど、あの二人が死んでたりしたら、今の話は全部おじゃんす。私も容赦しねえっすよ」

「……わかった」


 そう言って軍曹は小隊長に交信を試みるが、ノイズしか返ってこない。


「……駄目っすね。こうなったら、マリーさんに持たせてる通信装置から呼び出しを掛けて――」


 と、そこまで言ったときだった。


 がくん、と。


 足元から強烈な揺れがやってきた。

 一瞬、このダンジョンが墜落を始めた可能性が頭を過ぎる――それくらいの衝撃。

 軍曹の無線に繋がったままだった、小隊長の無線のノイズの向こうから――ありとあらゆる騒音をミックスしたようなぐちゃぐちゃな音が鳴り響いて、ぶつん、と交信が途切れる。

 音はその後からやってきた。

 爆発音。


「な、何が――」


 起こったんすか、と言いかけたところで、アリソンはぎょっとして言葉を噤んだ。


 ディーンが、初めて見る顔をしていた。


 さっきまで痛い痛いと騒いでいた頬の傷のことなんて完全に忘れて、ディーンは目を見開いて、爆発の音が聞こえた穴の下の方を見ていた。

 そして、断言した。


「――ブレスだ」

「え?」

「アリソン。フーコさんとマリーさんと、えっと……隊長さんは後回しでいい」

「いや、でも……」

「リーダーとしての命令だ。聞け」


 有無を言わせない口調でディーンは言った。

 本気だ、と分かったアリソンは黙った。

 それからディーンは、軍曹とデブと皮肉屋にも同じ口調で告げる。


「命令だ。全員武器を持って、自分が想像できる一番危険な状況に備えろ――最悪の場合、今すぐ来る」


 誰もがディーンの言葉を理解できず、ただ、その口調に込められた「何か」に反論できず、とにかく言われるままに手元にあった武器を取る中で、


「――何が、来るんすか」


 アリソンだけが怯えつつも、彼に聞いた。

 ディーンはそれに即答した。


「『竜』だ」


      □□□


 小隊長は悪くなかった。

 まず、最初にそう言っておくべきだと思う。

 彼女の置かれた状況が悪かったんだとか、彼女だって彼女なりに小隊の部下を救おうとよく頑張ってたんだとか、だから心労が重なって最後の最後にちょっとした勘違いで錯乱しちゃったのもしょうがないとか、そういうことが言いたいわけではない。そういう問題じゃない。

 フーコの色々と非常識な行動からの、ぺちん、が悪かったとか、ロマンチスト軍曹が最後と思って変に格好つけたことをしたのが悪かったとか、マリーが追いかけようとしてすっ転んだのが悪かったとか、アリソンが試しに「餌」作りをさせてみたのが悪かったとか、そういうことでもない。違う。


 もっと単純なことだ。


 彼女が押した、いかにも非常用な黄色と黒の縞々で縁取られた中にある、ケースが割れてすでに使用済みの、赤いボタン。

 その上の壁に「それ」は描かれていた。

 文字が書かれていた。

 赤黒い色で――もしかしたら血で書かれたのかもしれない――殴り書きされた文字が、これでもかと馬鹿でっかく書かれていた。


 フーコには読めた。

 マリーにも読めた。

 小隊長には読めなかった。


 ただそれだけのことだ。


 だから、小隊長は悪くない。

 例え錯乱状態だったとしても、その文字が読めていたならば、小隊長はきっとそのスイッチを押したりはしなかったはずだ。


 壁の文字は、ただ、こう書かれていた。


『中に「竜」がいる。絶対開けんな』


      ◇◇◇


 ごおんごおん、と。

 何かの装置が扉を開けるため作動する音。

 うおんうおん、と。

 単なる注意喚起のためのサイレンが鳴る。

 巨大な扉が開き始める。


 ぱちん、と。

 その瞬間「そいつ」の複眼が一斉に開く。

 閉じられた扉の中で「熊」みたいに眠っていた「そいつ」は、「熊」とは一味違って自己設定した条件付けによって長い長いスリープ状態からようやく目を覚まし、「熊」とは一味も二味も違う高度な知能で以て状況を判断し、最初の行動を己の意思で次のように選択した。


 ――とりあえず、最大火力をぶっ放す。


 めっちゃ雑な選択だった。

 高度な知能で、スマートさの欠片もない行動を選んだ「そいつ」は、しかし戦闘兵器としては極めて優秀な躊躇の無さで、他の何を考えるより先に攻撃準備に入った。


 エアインテークで大量の空気を吸い込み、

 ラジエーターが捨てた熱が蒸気に変わり、

 その顎を外れそうなほど目一杯に開いて、


 そして扉が開くの同時に、


      ◇◇◇


 開いていく扉の中に「そいつ」が見えた。


 扉の中に勢い良く吸い込まれる空気。

 扉の中から大量に噴き出す熱い蒸気。

 扉の中で「そいつ」が開けている顎。


 扉が開いていく中で、


 小隊長は動けなかった。

 フーコは迷わなかった。

 マリーは腹をくくった。


 扉が開いていく中で、


 小隊長は何もかも諦めて目を閉じた。

 フーコは小隊長に向かって突っ走る。

 マリーはスカートに手を突っ込んだ。


 扉が開いていく中で、


 小隊長の下へと一瞬で辿り着いたフーコは、彼女の体を、ぎゅう、と抱き締めて押し倒し抑え込み、ぎゅうぎゅう、と一緒になって揉みくちゃになりながら、マリーはスカートの中から何とかを目的のものを引っ張り出して、


 そして、扉が開いた。


 同時に、扉の中から姿を現した「竜」のぶっ放したブレスの閃光が、その場の空間を丸ごと覆いつくし、何もかもを吹っ飛ばした。

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