12.こちら探索少女二名、戦闘機に囲まれてます。

 この世界は百年ほど前に千年先へ進んだ。

 そう言われている。


 かつては剣や槍や弓が主力で、一人握りの魔具使いやスキル持ちが英雄として駆け抜けていた戦場は、今では、ライフリングが施された銃弾が飛び交う場所になっていて、魔具使いやスキル持ちでも、混戦に巻き込まれたり、狙撃されたり、うっかり流れ弾に当たったりして割と死ぬ。

 かつて何者でもなかった変人狂人たちは、今では、「魔術学院」と呼ばれる施設にて「魔術者」として異世界の技術を解明するための研究を行い、世界中のありとあらゆる場所でその技術が使われている。

 かつては恐るべきモンスターたちの住処であったダンジョンは、今でもやはり危険極まりない場所であるものの、「探索者」たちの登場によって、異世界の知識の詰まった宝の山になった。


 何だか、ちょっとおかしい。

 変だ。

 百年ほど前に、何があった?


 たった一人の天才がやってのけた。


 『魔法使い』。


 その天才はそう呼ばれる。

 最強の騎士にして最高の魔術者。

 魔具の使い手にしてスキル持ち。

 そして、始まりの探索者。


 仮面で顔を隠し続けた変人だとか、モンスターを腕輪を掲げるだけで容易く操ったとか、自力で強力な「魔術霊」を生み出したとか、現代式の銃火器と現代式の騎士団と魔術学院と協会の生みの親だとか、そいつがやらかした物事を列挙していくと何かもう色々とおかしい。何だそれ。

 かの「天使竜」や「禍ツ星」を従えていた、なんて馬鹿な話まで、本気で信じられているくらいだ。


 ともあれ。

 今の世界の基礎はそいつが作った。

 本当によくやったと思う。

 よくやり過ぎた。


 そいつがいつ死んだかは知られていない。

 なぜ、どうやって死んだのかも。

 どういうわけか墓一つない。


 この世界は百年ほど前に千年先へ進んだ。

 そう言われている。


 そして、百年ほど経った今でも、たぶん世界はその変化に付いていけずにいる。


      ◇◇◇


「ウチの国の騎士団には由緒正しき伝統があってだな――他の国の騎士団とは少し違って、王族貴族が認めた『本物』の騎士団なんだよ。


 だから。


 装備も部隊も現代化しちゃいるが、肝心の人間がどうにも古いままでな――上級騎士は全員貴族出身のお坊ちゃんばかりだし、それが幹部の年寄り共なんかになってくると特に酷い。


 連中にとっての戦争ってのは、未だに甲冑付けて馬に乗って、剣や槍でどつき合うことなんだ――信じられんだろうが、上級騎士だけで編成されたそういう部隊がマジで今もあるんだぜ。『不動の最強部隊』って扱いでな。笑えるだろ。


 そんな調子だから、俺たちみたいな現場の下級騎士は大変さ。なんせ上司は、ご立派な騎士道精神と由緒正しき百年以上前の戦術を軍学校で叩き込まれてやってくるんだ――俺がまだぺーぺーだった頃の、最初の上司なんてすごかったぜ。武装してる『熊』の集団と戦うために出した命令が『総員、銃剣装備――これより銃剣突撃を仕掛ける。私の後に続け』だ。もちろん全員無視したね。上司はそのまま一人で「熊」に突撃した。立派な最期だったよ。近づく前に肉片になってたけど。


 そんときの俺より年下のお嬢さんだった。


 俺たちは、何人も何人も馬鹿な上司のせいで死んできたし、何人も何人も馬鹿な上司を死なせてきた。

 でも、何とか死なせずに済んだ上司もいてだな――そういう連中の中には偉くなっても戦場のことを覚えてる馬鹿真面目な連中もいて、そういう奴らが少しずつ騎士団を変えようとしてる。百年以上前から変わらなかった軍学校だって変わってきてる。ただの坊ちゃんばかりだった上司の中にも「こいつはなかなか骨があるな」って奴がちらほら出てくるようになった。

 俺たちは、ほんの少しずつ、百年間に変わり過ぎたこの世界に追いつき始めてる。


 少しずつ。良い言葉だ。俺は好きだぜ。


 でも、それじゃ遅すぎるって奴もいる。

 俺なんぞよりずっと頭が良くて、俺なんぞよりもずっと優秀で、俺なんぞには見えない「ずっと先」が見えてて、見え過ぎていまいち周囲から理解されない――まあ天才って奴さ。かの「魔法使い」様ほどじゃないにしろ、な。

 おまけに、大隊一つ任されてる。

 そんな奴だ。

 そういう奴にとっては、遅すぎるんだ。

 少しずつじゃ、多分遅すぎるんだろう。

 だから、馬鹿げたことを思っちまった。

 ただ思うだけにしときゃよかったのに、そいつは頭がよかったし、優秀だったし、「ずっと先」が見えてたし、見えすぎて周囲から理解されない――そんなんだから、酒場に飲みに行く友達もいない。酒場で愚痴って馬鹿な考えを吐き出すことだってできなかった。ただ馬鹿な考えを溜め込むばかりだ

 おまけに、大隊一つ任されてた。


 だから、やっちまった。


 クーデターの計画を、始めちまった。


 だが、そのためには武器が足りない。

 足りないならば、取ってくればいい。

 だから自分の大隊を使うことにした。


 『協会』に依頼を出して、幾つかの小隊を選んでこっそりダンジョンに送り込んだら、ダンジョンを占拠して、転がってる兵器を取ってこいって無茶な命令さ。


 そして。


 その選ばれた小隊の中に、俺たちもいた」


      ◇◇◇


「俺たち騎士は上からの命令には逆らえない……現場なら多少は誤魔化せても、上の連中のやり取りとなるとそうはいかない。用意の良いことに、給料泥棒の憲兵にゃ袖の下が渡ってた」


 だから、と「いかにも」な男は言う。


「こんなとこで、馬鹿やってる――今の長話で理解してくれたかい。『空飛び』」

「まあ、何となくは」


 と、わかってるんだかわかっていないんだか微妙な返事をするディーンは「それで」と彼に尋ねる。


「僕は殺されるんだろうか?」

「そうだと言ったらどうする?」

「アリソンは諦めて、君らを皆殺しにする」


 ディーンは特に表情を変えずに言った。


 「いかにも」な男は黙った。

 「戦うデブ」も黙っているが、ディーンに向けて犬歯を向けて獰猛な顔を向けた。

 「皮肉屋」は手に持った爆弾の起爆装置を一瞬取り落とし掛けた。


 アリソンは特に表情を変えずに言う。


「まあ、そりゃそうっすよねー」

「いやいやいや、おいおいおい……」


 と、皮肉屋の男が慌てたように言う。


「おい、ねーさんそれでいいのかおい!? 何かもうちょっと言ってやれよ! だってそいつあんたの男なんだろ!?」

「あ、違うっすよ」


 え、と「皮肉屋」は言った。

 え、と「戦うデブ」も言った

 「いかにも」な男はさすがに何も言わなかったが、ディーンの反応を見て、アリソンの顔を見て、ディーンをもう一度見た。

 こうなると、例の真面目そうな彼女の反応もちょっと見てたいところだが、残念ながら彼女は今この場にはいない。本当に残念だ。さぞかし面白いことになったに違いないのに――今、一体どこにいるんだろう。


「あ、うん。全然そういうんじゃないよ」


 と、ディーンも手を横にぱたぱたと振る。


「それでも、死んだら悲しいと思うけど――たぶん結構悲しいと思うけど――それは探索者ならよくあることだから。それに……こういうときには、お互い恨みっこなしって決めてる。だから――」


 やるなら、やればいい。

 ただしそのときは殺す。


「――と言いたいところなんだけれど」


 と、そこで腕を組み、ディーンは困った顔をして言う。


「ここ空の上なんだよなあ……」

「そうっすよねー」


 と、アリソン。


「迎えの飛空艇呼ぶための通信機、私に丸投げしてるんすよね。このリーダー」

「僕、あんまり長距離は飛べないから、たぶんこのダンジョンから降りられなくなるんだよ。だから、アリソンに死なれると詰む」

「詰むっすね」

「詰んでる」

「詰んでるっす。だから言ったんすよちゃんと覚えろって。だからこうなるんすよざまーみろっす」

「というわけで、えっと……」


 ディーンはそろそろと両手を挙げて、「いかにも」な男に対して、愛想笑いを浮かべてこう尋ねた。


「……命乞いって、聞いてもらえるかな?」


      □□□


 とん、とん、とん、と。

 フーコは、靴の爪先でリズムを刻む。

 廊下の真ん中だ。

 今、その背中にマリーはいない。おんぶ中断である。

 代わりに、銃を持たされている。

 いかにも「持たされている」という感じの持ち方で、銃口は、フーコの動きに合わせて頼りなげにふらふらしている。

 ちなみに、銃の薬室にはすでに弾丸が送り込まれており、安全装置も外されており、恐ろしいことに引き金には指先が掛かっている。どう考えてもそれはやばい。次の瞬間、暴発する未来しか想像できない。そうなると、ふらふらしている銃口に対する見方もだいぶ変わってくる。

 とってもハラハラする。

 とんっ、と。

 不意に、爪先のリズムが止まる。

 フーコの視線が、まず最初に、自分が持たされている銃へと向けられる。

 次に右を見て。

 次に左を見て。

 次に上を見て。

 最後に今現在、特等席であるフーコの背中から降車中のマリーを見下ろし、言う。


「マリー」

「何? フーちゃん?」


 フーコは再度、ぐるり、と周囲を見渡す。

 いきなりだった。

 引き金に指を掛けたまま、片手で持った銃を、いかにも適当な仕草で廊下の一角の誰もいない空間へと向けた。暴発する未来しか見えない行動だったが、奇跡でも起こったのか、暴発は起こらなかった。

 そのままフーコはしばし停止する。

 何も起こらない。


「……どしたの?」

「気のせいだった」

「あ、フーちゃんまた引き金に指を掛けてる! 撃つとき以外は駄目っていたのに! もぉっ!」

「ごめん」


 フーコはちゃんと謝れる娘である。


「まだ掛かる?」

「んー……もうちょっと待って」

「分かった。待つ」


 フーコはちゃんと待てる娘である。

 とん、とん、とん、と。

 フーコは再び、靴の爪先でリズムを刻む。

 フーコとマリーは、今、扉の前にいる。

 開かない扉だ。

 引き戸ではなく、ドアノブを回せば開くわけでもなく、押すんじゃなくて引けば開くというオチでもない。というかドアノブ自体がない。代わりに、何かの魔術装置がドアの隣の壁に設置されている。

 そんな魔術装置を前にして、マリーは板状の装置に指先を当てて何かをしている。アリソンがお手上げだと言っていた例のアレである。

 マリーは、その板をごく普通に操作している。どうやら、目の前の魔術装置に対して何かをしているらしかった。


「今、こっちのプログラムが攻撃仕掛けてるけど……やっぱり軍用のセキュリティだからちょっと時間掛かってるね」

「……開かないの?」

「大丈夫。幾ら軍用のセキュリティが強力でも、ここのは、私の使ってる攻撃プログラムより何年も前の古いバージョンのまんまだもん。最強だった古いセキュリティより、凡庸でも最新の攻撃プログラムだよフーちゃん――ほら、開くよ」


 ばちん、と。

 錠が外れる電子音が響き、扉が開く。


「おー」


 とんっ、と。

 再び、爪先のリズムを止めてフーコが言う。


「よくやったマリー。偉い偉い」

「えっへーん! 電子戦は任せなさい!」


 と、マリーは板状の装置を高々と掲げ、誇らしげに胸を張ってみせる。


「……って、言いたいところだけど」


 と、装置をスカートの中に戻し、人差し指を立ててマリーは言う。


「ホントにすごいのは私じゃなくてプログラムで、それを作った人たちなんだけどね。電子戦やってる私たちは、ただ、それを適切に使ってあげればいいだけ」

「ふむ」

「銃と同じだよ。銃を撃つのと、銃を作るのじゃだいぶ違うでしょ?」

「ふむふむ」

「パパの受け売りだけどね!」

「マリーのお父さんは物知りさん」

「ママ曰く『めっちゃ喋る寡黙』!」

「なるほど」


 「フーコは無口だけど、喋るときはめっちゃ喋るよな」と兄に言われたことがあるフーコとしては、マリーの父親にちょっと親近感を感じている。きっと自分のような人物なのだろう、と想像してみる。


「つまり、私みたいに脚を出してた。仲間」

「私のパパを何だと思ってるの!? そんなお洒落最善戦で戦ってる人みたいに挑戦的な格好パパはしてなかったよ! もっと普通の格好してたもん!」

「普通」


 と言って、フーコはマリーの格好を見た。

 そして、なるほど、と頷いた。


「つまり、マリーみたいな格好の」

「軍服かスーツかパジャマだよぉっ! たぶん特殊部隊にいたっぽいけど、でもごく普通の陸軍の軍人さん! 何で海軍の特殊部隊にいたっぽいママと結婚できたのかいまいちよくわかんないけど! 謎だけど!」


 それとだね、とマリーは自分の衣装の胸元に手を当て、スカートの端を摘まんでちょっと持ち上げながら、ふんす、と告げる。


「私は別に自分のファッションを一般的だとは思ってないよ! でも可愛いから着る! 誰に何と言われようと着る! もちろんダンジョンでも絶対着るよ!」

「心得た」

「そして先に進むよ!」


 そう言って、マリーはフーコの背中の特等席に乗り込む。おんぶ再開である。


「フーちゃん! れっつごー!」

「あいあいさー」


 扉をくぐった、その瞬間に。

 ぱっ、と。

 いきなり開けた空間に出た。


「……」

「……」


 フーコとマリーが黙り込む。

 とんでもなく広大な空間だ。

 強烈な風が吹き寄せてきた。


 ここにも穴があった。

 さすがにあそこまで巨大ではないし、破壊の痕跡でもなかったし、横穴だった。

 最初からこのダンジョンに設置されていた、開閉式の横穴。それがたくさん。

 閉じている穴も、開いている穴も、破壊された結果開いている穴もあって、開いている穴の向こうには空が見えていた。

 そして、広大な空間のあちらこちらに、


「戦闘機だ……」

「マリー! マリーっ! マリーマリーマリーマリーっ! すごいすごいすごいすごい! あっちのはMF91のJ型! 初期型のA型は何もかも中途半端で器用貧乏な駄目な子だったけど、五度の改修で、対空戦闘も対地攻撃も対潜哨戒も電子戦も垂直離着陸もほんとに何でもこなせるスーパー・マルチロール機になった努力の子! しかも機関砲まで搭載してる! 偉い! あっちのは対地攻撃用重装オプション・ドローンのAGO11! 重装甲で大火力。A10の再来! 30ミリ機関砲とありったけの誘導弾で主力戦車や大型「竜」をなぎ倒す! 神の再来! わあ! マリー! ほら見て、見て! AAF88『イーグルⅧ』もいる! 第八世代最強の対空戦闘機で超音速爆撃機キラー! 『イーグル』の名に恥じない名機! ただし、機関砲を搭載させてあげなかったことは絶対許さない!」

「……いや、フーちゃん落ち着いて」

「AAF99は!? ねえマリー! ラプターは!?」

「AAF99って値段高過ぎてただでさえ配備数が少ないし、最新鋭機で機密の塊なんだから、その辺には転がってないよきっと。撤収のときに優先的に回収したか、機密保持のために破壊したんだよたぶん」

「上には転がってたんだもん!」

「あれはたぶんレアケースだよ……」

「むー!」


 と、むくれながら、巨大な空間に取り残された機械の群れをフーコは見回す。


「みんなボロボロ……生きてる子いない」

「そりゃいないと思うよ。回収しなかったのはたぶん、損傷が大きい機体だろうし、置いてく機体にAIを残してくようなことをはしないと思う……けど……」


 言いながらも、マリーは思い出す。

 「協会」内で借りて読ませてもらった「極めて深刻」とされる探索事故の記録が記載されている資料。例の「霧渓谷の悪魔」と呼ばれた「竜」についても記載されている、かなりヤバい探索事故の記録が掲載された資料である。

 その中に記載されていた記録の一つ。

 ダンジョン内で探索中、「おそらく飛行用と思われるが調査中」の「魔術装置」がいきなり攻撃を仕掛けてきた。そいつは手始めに、大砲のように極めて巨大で、かつ超高速での連続射撃が可能な銃火器の掃射で近くにいた探索者を肉片に変えた。その後、正確な原因は不明だが「おそらく」探索者たちが使っていた無線信号を辿って拠点を発見し、ありったけの「特殊な魔術兵器」を撃ち込んで拠点を壊滅させた後、その機能を停止した――と記録にはあった。

 思い出して、ちょっとマリーは不安になる。


「……いないよね? フーちゃん?」

「生きてたらAIの性格にも依るけど、挨拶してくるか、無視の一点張り。脅かすために黙ってる子とかもいる。前に基地でそれやられてぷんすかした――大丈夫。もし攻撃するつもりなら、たぶんもう撃たれて死んでる」

「だといいなあ……」


 マリーは大半の軍用航空機に装備されている汎用誘導弾について考えている。

 通常の誘導弾をぶっちぎる速度で飛ぶ超音速爆撃機や、それを迎撃できる第八世代以上の対空戦闘機、あるいはアダムスキー・ドライブ搭載機のような特殊な目標が相手でなければ、簡易AIと複合センサーによる作動管理によって、機体側から簡単な設定変更一つで航空目標も地上目標も攻撃可能な優れもの。MF91とセットで開発され、ダメ出しされ、改修され、そして実用化されてきたマルチロールな誘導弾。

 ほぼ何でも狙える、と母は言っていた。

 たぶん人間だってターゲットにできる。


「……」


 フーコはいかにも不安そうなマリーをしばし見つめて、言う。


「マリー。傘出して」

「傘?」

「ここに来るときに使った奴」

「いいけど……」


 マリーはスカートの中から傘を取り出す。

 例の日傘だ。

 このダンジョンへと降りてくるときに使用した、例のめっちゃ可愛い、けれども「竜」の攻撃にも耐えられるくらい頑丈だと豪語していた日傘である。


「開いて」

「うん」


 マリーは言われた通りに日傘を開いた。

 強い風に煽られたが、マリーの豪語する通り、傘はびくともしなかった。代わりに、「わあっ!?」と傘に引っ張られてマリーが危うくフーコの背中から転げ落ちそうになって、慌てて傘を畳む。

 フーコはマリーを抱え直しながら言った。


「いざとなったらそれで身を守ればいい」

「間に合うかなあ……」

「いけるいける」


 根拠もなく言い切って、フーコは死んだ戦闘機たちが眠る空間を歩き始める。

 ごおうごおう、と。

 開いた穴から吹き込む強い風が唸る中で。

 こつんこつん、と。

 広い広い空間の中に、靴が床を踏む音が、想像以上に大きく響き渡っていく。


「このダンジョンさ」


 と、マリーが言う。


「空母だね」

「空母?」


 と、フーコが尋ね返す。


「空に浮いてるのに?」

「飛行空母なんだよ。たぶん動力はアダムスキー・ドライブ。空軍で計画されて、実際に幾つか建造されて一時期運用されてたって。ママが言ってた」

「何で?」


 と、フーコが不思議そうに言う。


「海軍の空母じゃ駄目だったの?」

「計画当時は無人潜水艦がものすごく厄介だったらしいよ。だって一度潜ればそのままずーっと潜伏できるんだもん。深いところに潜られると監視衛星網でも捕捉できなくて、実際、何回か空母が沈められることもあったらしいから。水中型の『竜』を使って、サブマリンハントが行われるようになったのはもっと先だったし。だから、潜水艦対策として飛行空母が必要である――って建前だよ」

「建前?」

「だって、その頃の空軍って月一くらいで飛んでくる超音速爆撃機をぺちぺち落とすのと、宇宙空間でのドンパチに掛かりっきりだったから……だから敵地での航空戦って、ほぼ海軍のお仕事になってたんだよね。陸軍につんつんせっつかれて輸送機や爆撃機を遠くから飛ばすときにも、海軍機にエスコートしてもらったりでさ」

「ふむ」

「それが癪に触ってたんじゃないかなあ。少なくとも、空軍一部の人としては」

「何で?」


 と、素朴に聞いてくるフーコに対し、マリーは何と答えるべきか迷った。

 ええと、その、あれだ。

 赤ちゃんってどうやって生まれてくるの、とか子どもから素朴に聞かれたときに親が困るあの感じである。とはいえ、コウノトリにできることにも限度がある。


 マリーは色々と思い出す。


 晩酌のときにうっかり陸軍の話になると、奴らは自分たちだけでは敵地に上陸することもできない軟弱者だと語り出す強襲揚陸部隊出身の母のぶすっ、とした顔。


 晩酌のときにうっかり海軍の話になると、戦争の一番華やかなところでだけ活躍して、その後の一番面倒くさい後処理は全部こっちに押し付けてくる野蛮人と語り出す情報部隊出身の父の丸まった背中。


 晩酌のときにうっかり空軍の話になると、自分たちが昼間太陽が照り付ける中を血と汗を流して泥水の中を行進し夜は地面で雑魚寝させられているとき、奴らは昼間ホテルのプールサイドで日光浴をして夜はホテルのふかふかなベッドで寝ているのだ、ちょっと戦闘機と爆撃機と早期警戒管制機と軍事衛星とアダムスキー・ドライブ搭載兵器を持っているからって予算貰い過ぎだ卑怯だこっちにも寄越せそうだそうだ、と盛り上がっていた両親の、それはそれは素敵な笑顔。


「お兄ちゃんが言ってた」


 迷ったままのマリーに、フーコが言う。


「陸軍・海軍・空軍の三軍が連携を取ることで、軍隊ってのは本来の力を発揮することができるんだって。どの軍が欠けても、戦いに勝利することはできないし、大切な人たちを守ることもできないんだって」


 サンタクロースみたいに素敵な言葉だったが、サンタクロースについてもそうであったように、マリーは1ミリも信用しなかった。


「続きは?」

「『それでも、どうしても一番を決めなきゃってんならやっぱ空軍が最強だな――なんせ俺がいるから』って言ってた」


 やっぱり空軍は駄目らしかった。

 特に対空戦闘機のパイロットはアウトだ。

 超音速戦でどっか頭がおかしくなってる。


「……うん。そうだね。その通りだね」


 マリーは結局何も言わないことにした。

 フーコには、サンタクロース的な言葉を信じていてもらいたいマリーである。


「とにかく、世の中にはよくわからない理由でむくれる奇特な人もいるんだよ。フーちゃん」

「なるほど」

「とにかく、この空母はそうやって作られたの。でも、まあ色々と問題があって、結局放棄されたの」

「問題?」

「一番の問題はあれだよね。アダムスキー・ドライブを空母を飛ばす『程度』のことに使うのは無駄過ぎるってことで――」


 ぴたり、と。

 そこでいきなり、フーコが止まった。


「――フーちゃん?」

「ごめんマリー」


 風の唸り声にかき消されて、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声。

 フーコは言った。


「気のせいじゃなかった」

「え?」

「誰かいる」


 くいっ、と。

 マリーはフーコのお下げを引っ張った。

 それは別に、何かの合図として決まっている仕草というわけではなく、意図が伝わったどうかは正直わからなかったが――伝わっていると信じて、背後を振り向く。

 誰もいないし、何もない。

 もー、と。

 スカートの中に手を伸ばしながら、マリーは呆れたように言う。


「誰もいないよ?」

「いるもん」

「いないよー。フーちゃん気にし過ぎー」


 と笑いつつ、マリーはスカートの中から、それを取り落とした。


 ごろん、と。

 マリーのスカートの中から、馬鹿でかいドラム缶が転がり落ちた――何かがおかしい気がするが、まあ今更な話ではある。


 とんっ、くるりっ、ごぉんっ、と。

 フーコは脚を伸ばしてそのドラム缶を止め、回り込み、ボールでも蹴るみたいにしてドラム缶を蹴り上げた――やっぱり何かが変だが、まあ今更だ。


 ぽーん、と。

 ボールでも蹴ったみたいに「中身の入った」ドラム缶が、あっさり宙を舞った。


 はむっ、と。

 そのときにはもうとっくに、マリーは手榴弾のピンを口で咥えて外していて、宙を舞ったドラム缶目掛けて投げ付ける。


 手榴弾が炸裂し、ドラム缶の中に入っていた液体が周囲にぶちまけられた。

 ただの水だった。

 雨みたいになって、周囲に降り注いで、

 そして降り注ぐ雨の中に浮かび上がる、

 見えない「誰か」。


 マリーが魔法みたいな速度で構えた銃を、

 見えない「誰か」も見えない「何か」を、


 撃った。


      □□□


「だ、駄目かな……?」


 と、愛想笑いを引き攣らせるディーンに対して、相手は呆れが三割、安堵が七割くらいのため息を吐いて言う。


「……安心しろ。殺したりはしねえさ」

「まじで! やった!」

「妙な真似をしなけりゃな」


 ガッツポーズを取っていたディーンは、ぴしゃり、と言われて動きを止める。


「というか」


 と、そこでアリソンが口を挟む。


「そもそも、あんたらは、そのクーデターが成功すると思ってるんすか?」

「思ってるわけねえだろ」


 呆れたように「いかにも」な男は言った。

 アリソンはこう続けた。


「あの、いかにも真面目そうで料理上手な、あんたらの隊長さんもっすか?」

「……気づいてやがったか」

「そりゃまあ……働いてるとこ見りゃわかるっすよそんなん。あんたがまとめ役。でも、あのお嬢さんを立ててたっす。だから、あんたは下級騎士の下士官。たぶん軍曹さんすかね。で、あのお嬢さんが隊長さんっす」

「なあ、おい……」


 と、彼は両手を挙げたまま「やー殺されなくて良かった良かった」とか宣っているディーンに視線を移して、それからまたアリソンを見て言った。


「……あんた何でリーダーじゃねえんだ?」

「働き者だからじゃないっすかねえ」


 アリソンは、いっひっひっ、と笑う。


「よく言うじゃないすか。怠け者のがリーダーに向いてるって」

「それは『優秀な』怠け者だ」

「じゃあディーンはダメすね」


 ディーンは「怠け者なのか……」「ダメなのか……」とどうやらショックを受けているが、二人は軽やかに無視した。


「……小隊長も俺たちと同じ意見さ」


 「いかにも」な男――あるいは「軍曹」は言う。


「クーデターなんざ成功しない。が、上の命令は聞かなきゃならんし、そのときは誰かが責任を取らなきゃならん――そして、責任を取る人間はできれば少ない方がいいと、あの小隊長は考えててな」


 まったく、と。

 「いかにも」歴戦の軍曹といった風情の彼は言う。


「……あんたの言う通りなのかもな」


 そう呟く。


「俺たちの小隊長さんも――指揮官としちゃ、ちょいと働き過ぎだ」

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