9.こちら探索少女二名、朝がやってきました。

 空の上のダンジョンに朝がやってくる。

 雲の海の向こう側、夜明けの光が、一番最初に空の世界を貫くその瞬間に。

 そして、それぞれの朝が始まった。


      □□□


 そのとき、ディーンはまだ寝ている。

 しばらく起きる様子はない。


 そうかそうかそうかそうか、と寝言で延々と呟いているその様子からは、昨夜は本当に寝られない勢いでフーコの話を聞かされたことが窺える。

 もし仮に今この瞬間、アリソンがやってきて「ディーン。朝っすよ。起きるっすよ」とか言っても「あと三時間だけ……」とか言い出しそうな様子で眠っている。

 呑気な奴め。

 彼がこうしてぐーすか寝ている今この瞬間にも、実に様々なことが進行中だというのに。全然まったく寝ている場合じゃないというのに。


 なのに、ディーンはまだ寝ている。

 しばらく起きる様子はない。


      □□□


 ぴーっ、ぴーっ、と。

 アリソンが管理していた通信機が着信を知らせる音を鳴らす。自分たちやマリーやフーコをこのダンジョンに送り込んだ飛空艇との――そしてそれを管理している「協会」との連絡用に使っているものだ。


 ――こんな朝っぱらから何すか。


 叩き起こされた形になったアリソンは『無視して眠るっすよ』という心の囁きを振り払い、もぞもぞ寝袋から這い出す。

 「協会」製のマニュアルを取り出し、そのまま「協会」から貸与された通信機に向かう――前に『別にいいじゃないっすか。そのまんま下着姿でも』という心の囁きを振り払い、防護服をもそもそ着込んでから通信機に向かう。

 スイッチを入れ、マニュアル片手に、ボタンを手順通りに押していく。

 なんたってダンジョン産の魔術装置なので、適当なことをすると臍を曲げて繋がらなくなる。下手すると爆発するかもしれない。おまけに装置によって操作がまるで違ったりするため、あらかじめ渡されたマニュアルが必須である。

 ちなみにこの通信機は、お土産のお菓子箱ぐらいのサイズをしている。二十四個入りとか、まあそんな感じのサイズ。というか、ほぼ箱だ。アンテナすら付属していない。ちなみに、アリソン的には、これぐらいの大きさの装置がぎりぎり理解可能なサイズである。これが、薄っぺらい板きれくらいのサイズくらいになってくるとお手上げになる。前に学院で見せられたことがあるが、アリソンにはちょっともう理解できない。

 この通信機の場合、その表側、お土産なら銘菓とか商品名とか商品の写真とか全然商品と関係ない写真とかが印刷されている部分には、スイッチとボタンが大量に並んでいる。

 そして、置いてある今の状態ではアリソンには見えないし、見えても彼女には読めないが、その裏側、お土産なら商品の原材料とか賞味期限とか生産国(メイドイン国外)とかが書かれているところには、例え読めても素人には意味不明な文字と記号と数字の羅列と一緒に、こんなことが書かれている。


『軍用対量子ビット暗号通信システム〈ソーイング〉端末2525号』


 この通信機を貸与した「協会」によるアリソンへの説明はこうだ――学院の解析によって量産化され、騎士たちが使っているような通常の無線とは異なり、この通信機は特殊な暗号処理が施されていて傍受がまず不可能であり、特殊な通信波によって中継器無しでの長距離通信が可能である。えとせとら。

 まあ、とにかくすごいのだそうだ。

 でも、現場からしてみると利便性は最悪だと言わざるを得ない。傍受されて困るようなことは話さなきゃいいだけじゃないすかね、とアリソンなんかは思う。


『こちらは〈2525号〉。〈0444号〉から一件のメッセージが入っています』


 と、アリソンの操作に従って通信機が説明を始めるが、アリソンにはその言葉の意味が理解できない。


『メッセージの開封には〈0444号〉側から設定されたパスワードが必要です。32桁のパスワードを入力して下さい』


 なので、マニュアルに書いてある通りのボタンをひらすら押していく。

 ぱちぽちぺちぷぽ。

 押した。

 エラー。

 如何にもちょっと貴方間違えましたよ、と言わんばかりの音と共に、再びアリソンには理解不明のメッセージが流れる。


『パスワードが違います――警告。これより、準機密保持モードに移行します。警告。これより、準機密保持モードに移行します』


 びいぃぃぃっ、と危機感を煽る音を鳴らしている通信機をしばし見つめた後、アリソンはマニュアルを見直す。

 マニュアルには、こうなった状態の対策が書かれていた。たぶん押し間違えただけだから、もう一度落ち着いて、先程と同じボタンを押すように、と。

 そうだった、とアリソンは思い出した。

 これはマニュアルが間違っているのだ。似たようなボタンがあって、それを取り違えているのだそうだ。

 なら書き直しておけよ、と正直思ったが、一応貸与されているものだから勝手に書き込むわけにもいかず、そのままになっている。

 うっかり忘れていた。


 通信機のメッセージは続いている。


『警告。現在準機密保持モードです。準機密保持モードでパスワードを間違えた場合、機密保持のため、本端末はデータ消去処理の後、爆発します。機密保持モードを解除の方法は以下の通りです――』


 マニュアルの続きを見る。

 「大丈夫。やり直せる」と書いてあった。


 通信機の方に目を向ける。

 びいぃぃぃっ、と危機感を煽る音が続く。


 アリソンは一旦マニュアルを置いて、テントの外に出て、近くに転がっていた何かの残骸らしき分厚い金属の板を拾い上げ、テントの中に戻って、


 どんっ、と。


 自身と通信機との間にその金属板を置いて盾にしつつ、その影から手を伸ばして、アリソンは絶対間違えないように、慎重に正しいボタンを、ちょっと震える指で、

 押した。

 ぴ、と。

 如何にもはい正解ですよまあ当然ですよね、的な素っ気ない音が鳴って、例の危機感を煽る音が消える。


『正しいパスワードが入力されました。準機密保持モードを解除します。メッセージを開封します――なお、このメッセージは開封後にレベル4の対復元処理を施して削除されますので、お聞き逃しのないようにご注意ください』


 そうしてようやく先方の、一方通行の言葉が始まって、アリソンは金属の板を外に放り投げつつ、それに耳を傾ける。


      □□□


 朝の光の中。


「リーダーっ! 破廉恥ですよっ!」


 という数秒後に真っ赤になった顔を両手で覆ってじたばたしたくなるような寝起きの一声と共に目を覚ましたのは、言うまでもなく例の彼女である。

 例の、料理上手な彼女である。

 あの何とも生真面目そうな、でも夜中にこそこそしていたディーンの行動に勝手に妄想を膨らませ、そこにやってきたフーコの言葉を勝手に明後日の方向へと解釈した結果、頭をに血が上りすぎて、きゅう、と倒れて運ばれていった、例の彼女である。

 ぱちくり、と。

 瞬きをして、彼女は自分の現状を確認。

 それから大方の予想通り、真っ赤になった顔を両手で覆ってじたばたし始めた。


      ◇◇◇


 そんな彼女のテントの外。

 一晩中、銃を肩に掛けて待機していた男が、やれやれ、と笑みを浮かべている。

 いかにも皮肉っぽい風貌で、実際、仲間の内でも「あいつ人間の屑だよな」と言われるような皮肉屋で通っている彼は「おやおやおや、何がそんなに破廉恥なんです? 本当にそれは破廉恥だったんですか? 実はあんたが一番破廉恥じゃないでしょうかねえ?」と思わず煽ってやりたくなる衝動を必死に堪える。

 やれやれまったく、と呟く。

 実際、彼女が来たばかりのときに、いけ好かないお嬢ちゃんだと思って我慢できず、懲罰覚悟で似たような皮肉を言ってやったことがある。

 あのときは酷かった。


「随分とよく口が回る男だ。私はどうにも言葉が足らんと言われることが多くてな。秘訣を教えてもらえるか?」


 厳めしい顔でそう問い質してきた彼女に対し、にたり、と笑って言ってしまった。


「そりゃもちろん、アレすることでさあ」

「アレとは?」


 一応のところ弁解しておく。

 素で聞かれているとは思わなかった。

 だから一切容赦なく言った。

 つまりは、その、ちょっとアレなことについて、わざと野郎同士でやるような露骨かつ下品かつ変態的かつジョーク交じりかつド直球ストレートな表現で言った。

 言ってしまった。

 しかも、


「貴方もアレすりゃ俺みたいになれるかもしれませんぜ? どうですか? 今晩にでもどなたか誘って試されてみては?」


 なんてことまで言ってしまった。

 今考えると、おいお前正気かやめろ黙れその口を閉じろ、と過去の自分をぶん殴って止めたい衝動に駆られる暴挙だった。

 それを聞いた彼女は一言呟いた。


「なるほど」


 今だからわかる。

 そのときの彼女の対応は会心の出来だった。

 勲章をやってもいいくらいだった。

 赤くもならなかったし、表情一つ変えなかったし、口ごもりもしなかった――いや本当まじでよくやったと思う。


「やはりお前は口が回る。いざというときにはお前に交渉役として立ってもらうことがあるかもしれん。そのときは容赦なくその弁舌で働いてもらうぞ。ただし、その下品なジョークは抜きにしてもらうがな」


 冷徹な口調で流され「へえ。見た目よりちっとは骨のあるお嬢ちゃんみたいだな」とそのときは思ったものだった。

 全然そんなことはなかった。

 その日の消灯後、宿舎の秘密の隠し場所に置いてある酒を取りにこっそり廊下を歩いていたところ、自室に辿り着く前に力尽きたような格好で廊下の片隅に座り込み、顔を真っ赤にした彼女が、ぶつぶつ、と「え、え、嘘? そんなことするの? 恋人同士ってそんなことするんですか? 本当に?」とか「だってだって知らなかったんだもん……教本にはそんなの書いてなかったもん……鳥さんが運んでくるって聞いてたもん……」とか呟いて、ぐすぐす、と泣いている姿をうっかり目撃してしまった。


 というか、ばっちり目が合った。


「いや、その、なんかごめん……」


 と、思わず素で謝ってしまった。

 

 瞬間、彼女は顔をさらに三倍くらい赤くした後、だだだっ、とダッシュで自室へ辿り着き、ばたん、と自室の扉を開けて入り、がしゃん、と鍵を掛けた。

 その後、相部屋で待っていた同僚に、お前それ全部飲んでいいぞ、と彼は酒瓶を渡すと「おいどうしたんだ大丈夫か」とこちらの表情を見て心配するそいつに、彼はこう頼んだ。


「何も聞くな。ただ全力で俺を殴ってくれ」


 やれやれ、と。

 昔の記憶に苦笑しつつ、彼はじたばたしている彼女を放っておいて立ち上がる。


 肩に掛けた銃を彼は確認する。

 銃の安全装置は掛かっている。

 だが、銃弾は込められている。

 ほんの一瞬で、射撃が可能だ。


 そんな銃を手に、いかにも皮肉げな笑みを浮かべながら、彼は歩き始める。


      ◇◇◇


 そして、テントの中に残された、真っ赤になった顔を両手で覆ってじたばたしていた彼女はというと「駄目。今日だけはしっかりしなきゃ駄目です」と頬を赤くしたまま誰にともなく呟き、起き上がる。

 着たまま寝かせられていた探索用の防護服を一旦脱いで、下着だけ変えて、もう一度着直す。必要なものが全て詰められていることを最後にもう一度確認してから、バックパックを背負い、それ以外の装備も身に着けていく。

 いつもの拠点設営用の装備とは違った。

 探索用の装備だ。

 最後にヘルメットを被って、傍らに置かれていた銃を手に取る。安全装置はきちんと掛けられ、ぶっ倒れる前に込めていた銃弾はしっかりと抜かれていた。

 彼女はその銃へと、弾薬を込め直す。

 ただし、その頬はまだちょっと赤い。


      ◇◇◇


 そのとき。

 皮肉げなを笑みを浮かべて歩く男の隣に、別の男が、ぬっ、と現れて合流した。

 この男も、この時間から既に準備を終えていて、弾丸の込められた銃を手にしている。だが、いかにも皮肉気な笑みを浮かべている男とは対照的に、こちらはいかにも素朴な笑みを浮かべている。言葉を選ばなければ、何も考えていない間抜け面を浮かべている。

 そしてこの男、馬鹿みたいにでかい。縦にもでかいが、それ以上に横にめっちゃでかい。言葉を選べば、探索者の宿敵であるモンスターの「熊」ではなく、本物の熊にちょっと似ている。

 言葉を選ばなければ、


「よう。デブ」


 と、皮肉屋の男は容赦なく言う。

 そうなのだ。

 めっちゃ太っている。

 他の連中と同じ量のメシを食っているはずなのに、他の連中と同じ量の訓練を受けてきたはずなのに、それなのに、ちょっとあるまじき太り具合である。

 何の罪もないのに、関係者全員に「絶対隠れて何か食ってるはず」と疑われ、徹底的に荷物検査された上、軽く尋問までされたのに何も出てこなくて「お前の身体は一体どうなってんだ!」と理不尽な理由で怒られた悲しい経歴を持っている。

 だが。

 この男、ただ太っているだけではない。


「おう。クズ野郎」


 と、その顔に似合わぬ辛辣な言葉を、太った男は、皮肉屋の男へと投げつける。

 それと同時に、間抜け面を浮かべているように「見える」丸い顔が、ぎろり、と裂けて戦闘態勢の「狼」を連想させる凶悪な犬歯が覗く。


「てめえ、お嬢に手え出してねえだろな?」

「してねえよ。目の前のデブに殺されるわ」

「本当か? 寝顔の覗き見とかは?」

「……まあ、それはちょっと見たな」

「羨ましい奴め。どうだった?」

「めっちゃ可愛い顔で寝てたよ」

「てめえぶっ殺すぞ」

「お前怖過ぎんだよ」


 もちろん冗談だと皮肉屋の男は分かっているが、それでも実はちょっと怖い。何たってこの太った男、ガタイのでかい奴が一番強い、と言わんばかりに彼らの中でも、一、二を争う猛者なのだ。そして狂暴さだけで言えば、ぶっちぎりで一番ヤバい奴だ。超ヤバい。


 言葉を選ばずに敢えて言う。

 彼はデブだ。

 ただし、戦えるデブである。


 以前、迎撃任務で情報にはなかった武装しているモンスターと出くわし、撤退を試みていた最中に、他の部隊の馬鹿が逃がした「熊」が奇襲を掛けてきた。

 数人が瞬く間に殺され、危うく部隊が瓦解しかかったとき「熊」と取っ組み合って、部隊が後退し立て直すための時間を稼いだのは、何を隠そうこのデブである。


 そんなクレイジーなデブなのである。


 ただし「取っ組み合った」と格好良くは言っても、正面からではもちろんなかった。フーコみたいなのを想像してはいけない。あれはちょっとおかしい。

 実際には、仲間を殺した「熊」の隙を突いて、後ろから必死にしがみ付いて相手の身動きの邪魔をした、その程度のことでしかなかった。

 もちろん「その程度」のことができるだけでも凄まじい技量なのだ。だが次の瞬間、強引に振り払われるのと同時に襲ってきた「熊」の腕の一振りを避け切ることはできなかった。

 次の瞬間、その「熊」は大量の銃弾を食らって死んだが、撤退中の出来事である。


 強烈な「熊」の一振りだった。

 戦えるデブは、重傷を負った。

 重傷を負って動けなくなった。

 動けないデブはただのデブだ。


 ――デブは置いて先に行け。


 血を流すその身を起こして銃を構え、犬歯を剥き出しにし、本物の熊のように叫んで留まろうとした彼を、部隊を撤退させるためを指示を飛ばしつつ、なんと背負って救出したのは例の彼女だ。

 確かに可能ではあった。

 彼女は、スキル持ちだ。

 ディーンにもアリソンにも「協会」にも知らされていない秘密。

 そのスキルを使えば、モンスターに発見される可能性は限りなく低くなる――ただし繰り返すが、それは武装したモンスター相手の撤退戦だった。

 戦場には、敵味方双方が撃ち続ける冗談みたいな数の弾丸が飛び交っていた――発見される必要なんてない。その辺を飛んでいる流れ弾で普通に死ねる状態だった。

 おまけに、デブを背負っている例の彼女は、今よりもっと若いお嬢ちゃんで、今よりもっとちっちゃいお嬢ちゃんだった。


 ――無理だよ。置いてけ。

 ――命令です。黙ってて。


 という会話を100回くらい繰り返した。

 デブは生還した。

 そして、生還したデブが最初にしたことは治療ではなく、「熊」の奇襲で殺された仲間の死体を取り戻しに戦場に戻ろうとしている例の彼女を、デブであることをいかんなく発揮して引き留めることだった。

 まったく、本当に大変だった。

 そして、そのときからである。


 デブは、もう単なる戦えるデブではない。

 デブは、彼女のために戦うデブになった。


 皮肉屋の男と、戦うデブが並んで歩く。


      ◇◇◇


 弾薬を込めた。

 たったそれだけのこと。

 その瞬間、銃は変わる。

 彼女の手の中で銃はその存在を変える。

 ちょっとばかし複雑な、ただの筒から。

 指先の動き一つで「熊」も殺す武器へ。

 安全装置と引き金一つがストッパーだ。

 彼女は銃を肩へ掛けて。

 武器と共に立ち上がる。


      ◇◇◇


「――なあおい、坊主」


 と、朝日を浴びて、あの「いかにも」な男が仮眠から目を覚ましつつ、例の彼女の交代要員としてやってきた見張りへと声を掛ける。


「お前さん、何で残ったんだ?」

「え、俺ですか?」


 と、男の声に振り返ったそいつは、どう見てもただの少年にしか見えない。おそらくは、年齢規定を誤魔化している。審査を担当している連中がいつもの適当な流れ作業で認可したのだろう。

 もっとも。

 昨日やってきた二人の少女のことを考えると、本物の探索者なら、このくらいの年齢でも割と普通なのかもしれない。だとすると、探索者ってのはやっぱり頭のおかしい連中だと思う。


「ウチの嬢ちゃんは、別の飛空艇が用意できるまで待機してろって言ってたろ?」

「軍そ……ええと、貴方だって命令無視して来てるじゃないすか。あのド屑と戦闘デブの最凶最悪コンビだって」

「お前な……」


 こいつやべーな、と男は思う。

 あの二人に対し、陰口であろうとそこまで露骨な悪口を言える奴は、古参の連中ですらそうはいない。見た目の割というべきか、それとも見た目通りにというべきか、命知らずなガキである。見てないところで殺されないかちょっと心配になる。


「……あの二人にそれ聞かれたら、たぶん本当にぶっ殺されるぞ。良くて半殺しだ」

「当たり前じゃないですか。ここだけの話にして下さいよ」

「してやるから、話せ。ほらほら」

「えっと、恥ずかしいんすけど」

「言え。命令だ」

「だって、可愛いじゃないですか」

「あ?」

「小隊ちょ……じゃなかった。彼女、俺よりちょっと年上ですけど、でもめっちゃ可愛いです。あんな可愛い人の下で戦えるなら男として本望ですよ」


 ぽかん、と。

 男は呆れてしまって、思わず口を半開きにしたまま数秒固まった。


「……それだけか?」


 一応、確認のために聞いた。


「それだけですが何か?」


 ごんっ、と。

 とりあえず、男はその少年の頭をヘルメットの上からぶん殴っておいた。


「痛い!」


 思ったより痛くなさそうな悲鳴。

 少年が男に言う。


「な、何するんですか!?」

「ふざけんな! おま……お前、そんな理由で残ったのか!? 正気か!? そんなんで家族は悲しまねえのか!?」

「いや、俺、もう家族いないんで」

「……」

「ガキの頃に猟師のじーさんに拾われて、それからはずっと山で二人暮らしだったんです。そんで、じーさんが熊に食われて――ええと、モンスターの方じゃなくて、本物の熊の方にですね――死んでからは一人になりまして」

「……そうか」


 悪いことを聞いたな、とは立場上言えなかったが、見た目の割に苦労人らしい。考えてみれば、あのお嬢さんだって同じなのだ。人間見た目通りとは限らな――


「……というわけで、せっかく小うるさい奴もいなくなったんだし、と思って都会に出てきたんですけど」

「おい」


 お前たった一人の家族を何だと思ってやがんだ、と男は思ったが、その怒りをまとめ上げて説教の形にする前に少年は言葉を続けた。


「でも、なんか銃持ってたからって理由で捕まって、怒られて、事情説明して、そしたらなんか別の人がやってきて『君ウチで働かない?』ってスカウトされたんです。『女の子にもモテモテだぜ!』って言われたんで、二つ返事で。いやあ、よかったよです。なんか、獲物狩らないで無駄弾撃ってるだけでただ飯食えるし、金も貰えるし、配属先の上司は超可愛いし――でもまだ女の子にモテてないんですよねー。休暇にナンパすると、なんか『君ってちょっと山賊っぽいよねー』って言われるんです」

「……」


 もう言葉もなかった。

 こいつやっぱやべーな、と男は思う。

 そして、見た目通りのただの馬鹿だ。

 あと、審査を担当している連中は、スカウトの連中と一緒にもう全員クビにしろ。


「ってかですね。貴方も一緒ですよね?」

「あ?」

「貴方も、それからあの屑野郎とクレイジー・デブのコンビだって」


 と、二人がいないことをいいことに容赦なく陰口を叩きながら、そして何より偽装のためという名目の下で、男に対して世間話をするように気楽に話しかけながら、少年は言う。


「ようするに、彼女のことがめっちゃ好きだから、こうして命令無視して一緒に来ちゃったんでしょう?」

「……」


 男はしばし黙り、さらに黙り、それから、

 ごんっ、と。

 とりあえず、男はその少年の頭をヘルメットの上からぶん殴っておいた。


「痛いっ!」


 思ったより痛くなさそうな悲鳴。

 少年に男は言う。


「最悪の場合、お前が最後の切り札になる」

「まじすか。めっちゃ燃えますね」

「もし当てるチャンスがあるとしたら、一発目だけだ。外すなよ――狙撃手」

「楽勝ですよ楽勝」


 と、少年は笑う。


「ウチの山に住んでる鳥じゃあるまいし――人間なんてデカくてトロい的、外すわけないでしょ」


      ◇◇◇


 そろり、と。

 彼女のテントが開かれる。

 開かれて、けれども、誰も出てこない。

 開かれて、けれども、誰も中にいない。

 そろり、と。

 彼女のテントが閉じられる。

 閉じられ、けれども、誰も出ていない。

 閉じられ、けれども、誰も外にいない。


      ◇◇◇


 皮肉屋の男と戦うデブが目的地に辿り着く。


 さほど歩いたわけではなかった。

 ただし、全力で警戒してはいた。

 その割に、あっさり辿り着いた。

 罠ではないか、と少し疑ったが。


「こいつは交渉だ。殺すなよ」


 と皮肉屋の男が囁き、


「お前がヘマをしなけりゃな」


 と戦うデブが呟いて。


 そして、そんな二人の足元へと。

 目の前のテントから、何故か金属の板が放り投げられ――それを任務開始の合図代わりにして、二つの銃の安全装置が解除された。


      □□□


 ぱちん、と。

 マリーは目を覚ました。

 枕元に置いたちっちゃな置き時計を見る。

 マリーの感覚からすると、とんでもなく精巧で精密で高品質な作りの、でもこの世界では比較的一般向けの、この世界の職人が作った、時刻を長針短針秒針で表示するこの世界の時計。

 マリーはその置き時計で時間を確認する。

 眠っていた時間がいつもより一時間短い。


 理由を考える前に、まず銃を手に取った。


 最初はなんて面倒なのかと思っていた、でも今ではもう手慣れたボルトアクションを操作。薬室に弾薬を送り込む。手の中にある銃を、ただの筒から、何かを殺せる武器へと変化させる。


 同時にマリーは、抱き枕ことフーコの状態も確認している。フーコは眠っている。すやすやと眠っている。一応、呼吸も確認するが、見た感じ普通にしている。乱れもない。外傷もなし。むしろ、心なしか肌が艶々しているような気がする。何故だ。でも何はともあれ、とにかく無事だ。


 それから、ようやく理由を考えた。


 可能性その一。


 ここは空の上である。

 だからいつもよりも早く起きた。

 まあ、常識的に考えるとこれだろう。

 ただし、マリーは家のお布団だろうと森の奥地のハンモックであろうと高級ホテルのふかふかベッドの上だろうと高山のテントであろうと揺れる船室であろうと光の射さない地下であろうと病室の真っ白なベッドの上だろうと、基本的にはまったく同じ時間だけ眠って、ぱちり、と目を覚ます。

 起きる気になれば、ちょっとしたコツを使って決まった睡眠時間で起きられるのだけれども、もちろん今回はそんなことはしなかった。


 可能性その二。


 抱き枕がいなかったから。

 この可能性は、今現在フーコが隣にいる以上否定されるべき、と言いたいところだが、何となく、こう、第六感的な何かが囁いてくる。

 夜の間に何かがあった気がする。

 ちょっと寂しかったような気がするし。

 あと、何かちょっと自分の預かり知らないところでとんでもないことを言われた気もする――後で、フーコに問いただしておこう、とマリーは決意する。


 可能性その三。


 何かがあった。

 問題は、その何かが何なのか、さっぱりわからないことだった。

 例えば、テントの外から狙撃手に狙われているとか、そういうことだったりするとちょっと困るが対処は可能だ。先に見つけて撃つか、先に撃たれてから撃ち返して、そこからは自分の腕と相手の腕と、あとは運次第だ。まあたぶんフーコは死なない。

 でも、そんな気配はない。

 しかし、そういった直接的なことでなければそれはそれで割と困る。「何か嫌な予感がする」だけでは「何となく気を付ける」以上対処ができない。ちょっと無理だ。


 結局、結論は出そうになかった。


 だから先に着替えることにする。

 最初に、ふわふわなパジャマを脱ぐために、一番上のボタンに手を掛けて――そして最後に、可愛らしいリボンなんかが付いているパステルカラーのでもよく見るとコンバットブーツに脚を通して紐を、きゅっ、と結ぶまで、わずか一分。

 ちょっとした魔法少女の変身並の速度で着替えを終えたマリーは、とりあえず、フーコを起こすことを試みる。


「フーちゃん。起きて。フーちゃん」


 フーコは目を覚まさない。

 実は薬で眠らされているとかそういうことではなく、普通にすーすー熟睡している。マリーは困った。こうなると「熊」とかが襲撃を掛けてこない限りフーコは目を覚まさない。


「もお、起きてってば――」


 肩には銃弾を込めた銃を携えたまま。

 つん、とフーコの頬を指で突ついて。

 無駄だと知りつつもマリーは告げる。


「――朝だよ。フーちゃん」


      □□□


 空の上のダンジョンに朝がやってきた。

 雲の海の向こう側、夜明けの光が、一番最初に空の世界を貫くその瞬間が終わる。

 そして、それぞれの一日が始まった。

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