8.「熊」のおはなしの続き。あるいは「魚モドキ」。


 ディーンはとっさに黙った。

 あんまり深入りしたくない話題になりそうだったからだが、少し遅かった。

 スイッチが入っているフーコは、いつもの無口が嘘みたいに、今は喋る。

 喋りまくる。


「お姉ちゃんは本当のお姉ちゃんじゃなくて、お兄ちゃんの恋人。マリーとお兄ちゃん程好きじゃないけれど、昔は大嫌いだったけれど、今は二人の次くらいには好き。私のことを『フーちゃん』って最初に呼んだのはお姉ちゃん。そう呼んでいいのはお姉ちゃんとマリーだけ。お姉ちゃんは格好良くて綺麗。ただし脚は大根。ちなみに、マリーも実はちょっとだけ大根」


そこまで一息に言った後で「あ」という顔をして、それから、ディーンに対して、ちょっと困ったような、でもほぼ無表情を向けて言う。


「ごめん。今の無し。マリーには『絶対絶対誰にも言わないで! 絶対! 絶対だよ! 本当に絶対だからね!』って言われてた――だから忘れて。聞かなかったことにして。して下さい」

「う、うん……」


 ディーンとしてもできればそうしてあげたかったが、残念ながら彼の記憶には先の言動がばっちり残っていた。


 もっとも、あのマリーである。

 我らが鬼畜小悪魔ちゃんなのである。

 こうなることも、もちろん予想済み――なんてことはもちろんまったく全然なく、完全に予想外で大事故で大惨事である。


 ちょどそのとき、見つからない抱き枕を求めて夢の中でうーうー唸っているマリーは「ちがうもん。フーちゃんが細すぎるだけだもん。大根じゃないもん」と涙目で何やら否定している。


 ちなみに、こっそり話を聞いていたアリソンの耳にもばっちり届いていたが、何かと酷使する機会が多いせいか二の腕がちょっと太くなっていることを地味に気にしている彼女は、このことであの娘をからかうことは決してすまい、と心に決めた。


「マリーも」


 フーコ的には先程の「今の無し」で事無きを得たと思っているのか、話を続ける。


「『熊』に攫われかけたことがある」

「……そうなんだ」

「まだ探索者になったばかりのとき。ダンジョンで、二人で休憩してた。そのとき、私はナイフで上手な使い方をマリーから教えてもらってた。そのときに『熊』に不意打ちされた。『鈴』は鳴らなかった」


 そりゃ幸運だったとディーンは思った。

 そりゃ幸運っすねとアリソンも思った。

 その状況なら普通は、フーコとマリーのどちらかが、あるいは両方が死んでいる。

 もちろん、それを言葉にはできなかった。


「そのときの私はまだ『熊』が怖かった。だからこれっぽっちも動けなくなった。私がぽんこつになってる間に、マリーが『熊』を撃った。ちゃんと当てた。でも一発じゃ殺せなかった。マリーは頭が良いから、そんなのちゃんとわかってた。装填は絶対間に合わないから、別の、たぶん拳銃を取り出そうとして、でもそれでも間に合わなくて」


 それで、とフーコは言う。

 マリーが「熊」に殴られた。

 銃が砕けてマリーが倒れた。

 だから、とフーコは言う。


「マリーも攫われたと思った」


 それで、とフーコは言う。

 「嫌い」が「怖い」より大きくなった。

 勇気を出してナイフで「熊」と戦った。

 けれど、とフーコは言う。


「思ったよりも、弱っちかった」


 何かの聞き間違いかとアリソンは思った。

 ああやっぱりそうかとディーンは思った。


「スキルを使う必要もなかった。後ろからちょっと蹴ってやっただけで、簡単に転んだ。仰向けになった『熊』は亀と同じ。踏んでやったらもう起き上がれない」


 あとは腕だけなんとかすれば良かった。

 ごく当然のようにフーコは言う。

 腕を振り上げた瞬間を狙えば良かった。


「ナイフを『熊』の脇に入れた。あの部分は柔らかいから簡単に刃が通る。そのとき、熊の筋肉を一本だけ切るようにするのがコツ。上手く切れたから、他の筋肉の力で勝手に腕がちぎれて飛んだ。びっくりするほど思いっきり飛んだ――ちょっと面白かった」


 フーコは普通に言っている。

 でもアリソンにはもう意味がわからない。

 そんなことは普通できない。


 もちろん、ディーンにもできない。

 でも、ディーンにはわかっていた。

 例えそうは見えなくても、本人が自分をどう評価していても、スキル持ちであるディーンは、その戦闘能力を頼りに探索者をやってきた人間だ。

 だから。

 誰かと会ったら、ちょっと考える。

 この相手と戦ったら、どうなるか。


 フーコとマリーに対してもそれを考えた。


 とりあえず、マリーは殺せるなと思った。

 別に、彼女が弱いとは言わない。その辺の探索者より腕は良いと思う。病弱とか言ってたがそんなの絶対に嘘だと分かっている。アリソンが言うには、割と頭が良いみたいなので、実際に戦ったら不意打ちとかで負けるかもしれない。

 でも正面から戦り合えば普通に殺せる。


 そして、フーコには殺されるなと思った。

 何がどうなってそうなるのか、そういう理屈はわからない。あくまで感覚的なものでしかないから。でも、正面から本気で戦り合ったら絶対ディーンは殺される。おそらくは、ぎりぎりで相打ちにできるかどうか。そんなところだろう。

 隣にいる少女は、自分を殺せる人間だ。


 勘違いかもしれない、とも思った。

 でも、勘違いではなかったらしい。


「片っぽの腕は、マリーの撃った弾で動かなくなってたから。片腕だけ処理すれば良かった。あとはもう簡単。『熊』のお腹には蓋がある。『熊』の弱点」


 確かにある。


 研究者曰くメンテナンス用らしい。

 しかも割と簡単に開く。

 取っ手があって、くるり、と回す。

 それだけで簡単に開く。

 その中には起動スイッチまである。


 腹にある蓋を開けて、スイッチを切ってしまえば、簡単に「熊」は無力化できる。

 弱点と言えば、まあ弱点だ。

 ただし、その前に「熊」に頭を叩き潰されなければ、の話である。

 現場で「熊」と戦っている探索者からすればそんなもん弱点でも何でもない。

 普通は。


「蓋を開けた。スイッチもあった。でも押さなかった。私は怒ってた。すごく」


 だから、とフーコは言う。


「だから生かしたままで、『熊』の中にあったものを片っ端から引っ張り出して、片っ端から引き千切ってやった」


 テントの中で聞いていたアリソンが思わず小さな悲鳴を上げて、とっさに目を閉じ、耳を両手で塞いだ。


 フーコが言う。

 そのとき「熊」はすごく苦しそうだった。

 フーコが言う。

 ケーブルを千切る度に身体を痙攣させた。

 フーコが言う。

 目から何かの液体を涙みたいに流してた。


「楽しかった」


 フーコは言った。


「ざまーみろ、って思った。もっと苦しめばいいんだ、って思った。お姉ちゃんを攫って、マリーまで攫うからだ、って。こんなに弱っちい癖に、って――でも」


 でも、とフーコは呟く。


「悲しかった」


 どうしてかわからないけれど、と呟く。

 そう呟く少女の横顔を見ながら。

 ディーンにはその答えが、わかる気がした。

 ディーンだって「熊」を容易く倒せる力を持っている。

 なのに。

 どうして。

 でも、それを隣の少女に伝わる言葉にすることはディーンにはできなかった。

 何も言えないでいるディーンに。

 フーコは、その後の話を続ける。


「すごくすごく悲しくて、でも、止められなかった。もう「熊」も全然動かなくなってたのに、それでも止められなくて、ちょっと怖くなった――そのとき、マリーが私を止めてくれた。


 マリーはたくさん泣いてた。

 私もいつの間にか泣いてた。


 マリーは生きてたけど、酷い怪我をしてた。

 腕も折れてたし、血もたくさん出てたのに。

 でも片っぽの腕で抱き締めて言ってくれた。


 『もう大丈夫だよ。止めていいよ』って。

 それで、私はやっと止めることができた。


 それから、マリーに言われた。


 今度から「熊」退治は自分の仕事、って。

 二度とこんなことはしなくていい、って。

 絶対絶対、もう二度としないでね、って。


 だから。


 私は『熊』が嫌い。大嫌い。


 けれど、『熊』退治は、マリーの仕事」


 フーコの話はそれで終わりだった。

 それから、しばらく沈黙が続いた。


「君は」


 テントの中で耳を塞いでいたアリソンが、ようやく両手を離したちょうどその時に、ディーンが言った。


「あのマリーって娘をどう思ってるんだ?」


 おいこら、と。

 テントの中でアリソンは思う。

 その質問、さっきあんたがはぐらかした質問とほとんど同じっすよ、と。

 しかし、ディーンの言葉はもう少し続いた。


「いない方が良いと、思ったことはない?」


 アリソンは再びテントの中で硬直した。


「君はあの娘よりもずっと強いわけだし、たぶん一人の方が気にせず動けるはずだ。そうは思わない?」


 アリソンはディーンの言葉を聞く。

 あんた女の子に何てこと言ってんすかやめるっすよ、とテントの中から首を出して一言怒鳴りつけてやることもできた。

 でも、できなかった。

 ディーンの言っていることは、さっきアリソンが言ったこととほとんど同じだ。けれどディーンは、アリソンが言葉にするのを無意識的に避けていたことを、容赦なく拾い上げて、フーコに突き付けていた。

 そして、もちろんアリソンにも。


 フーコにとって。

 マリーは足手まといじゃないか、と。


 ディーンにとって。

 アリソンは足手まといじゃないか、と。


 おまけに、ディーンの言葉はこう続いた。


「あのマリーって娘が、大切なんだろ?」


 わかるよ、とディーンは呟いて。

 僕にもちょっと、と少し笑う声。

 ディーンの奴どんな顔してんすかね、とアリソンはほんの少し気になった。

 嘘だ。

 本当はめちゃくちゃ気になった。


「一緒に仕事をしなけりゃ死なれることもない――そんな風には、思わない?」


 ディーンが、フーコの言葉を待った。


「リーダー」


 思ったよりもフーコの返答は早かった。


「その質問は卑怯」


 さらには、反論する間も与えなかった。


「それって、リーダーと副リーダーのおねーさんの関係と同じ。マリーの言ってたこと聞いて、私が思ったことと一緒」

「そ、そうかな?」

「絶対そう」


 ああ押し切られたっすね、とアリソンは思った。ディーンもきっと同じことを思っているだろう。主導権はすでにフーコに移った。ここからはフーコの番だ。


 そして、容赦なくフーコの我儘が出た。


「だから、リーダーが先に答えて」

「え、何で?」


 ディーンは言った。

 アリソンも思った。

 誰もが聞きたがるであろうその問いに、フーコはさも当然のようにこう答えた。


「リーダーだから」


 何を言ってるのかちょっとわからない。

 ただ、フーコの中ではそうなっているらしい、ということはディーンにもアリソンにもわかった。そしてそれは、もう決定事項でどうにもならないらしい。


 フーコはそのまま沈黙して待ち続ける。

 ディーンはもう諦めて言葉を探し始め。

 アリソンはテントの中で耳を澄ませた。


「僕は」


 ディーンは。

 結構な時間を掛けた末に、こう言った。


「アリソンと一緒に仕事するのが好きだ」


 おいふざけんな、とアリソンは思った。

 彼女の言った台詞、そのまんまだった。


「だから、お互いに色々アレなところがあっても、こうして何度も一緒に仕事してる――いや、その、ごめん」


 アリソンの心の声が聞こえているわけでもないだろうが、ディーンはフーコに対してそんな風に謝罪する。


「結局、他には思いつかなかった。自分から聞いといてなんだけど、これで答えになってるかな?」

「リーダーにしては悪くない」


 と、何故か上から目線でディーンの発言を評価するフーコ。いや、それ言ったの本当は私なんすよそいつの言葉じゃないんすよフーコさん、とテントの中でアリソンは思う。


「なら、私もちゃんと答える」


 と、フーコが言う。


「私にとって、マリーが必要な理由。ずっとずっと一緒にいる理由」


 そして、フーコが言う。


「マリーと一緒に仕事するのが好き」


 フーコは言った。堂々と言ってのけた。

 またしばらくの沈黙。

 ディーンが少し意地の悪い口調で言う。


「それ、僕の台詞と一緒じゃないか?」


 そんな中、アリソンは言ってやりたい。


『いやあんたもっすよ棚上げすんな』


 ぎりぎり何とか心の中の声に抑えたが、本当は、今すぐテントから顔を出して「おいふざけんなっす、それは私の台詞っすよ!」と怒鳴ってやりたかった。

 もちろん、本当にそんなことをするわけにはいかなかった。なので、もう知らん、と言わんばかりに、アリソンは不貞腐れたように眠った。


 もったいない。


 もしもアリソンが、さすがに怒鳴りはせずとも、テントから顔を出してフーコとディーンの顔をちら見しておけば、それを見ることができたのに。


 生きているのに死んでいるような男が。

 いつも無表情で思考が読めない少女が。


 一緒になって浮かべている、笑みを。


 いや。

 実際は、そこまでする必要もなかった。

 アリソンは、テントの中、外に漏れないようにこっそり明かりを点けて、単に手鏡を覗き込めばよかった。

 きっと、そこには映っていたはずだ。


 二人が浮かべているのと同じ笑みが。


「さて」


 テントの中で、アリソンが眠り始めた頃に、ディーンは言った。


「もう寝ようか。明日は早いし」


 まあ言い訳だ。

 相も変わらずディーンはフーコの間合いの中にいて、理性では戦闘になんてならないとわかっていても、本能が怖い逃げろと叫び続けている状態だ。

 精神衛生上、あんまりよろしい状態とは言えないし、それに何だかちょっと話し過ぎた気がする――お互いに。


「わかりました」


 と、フーコは頷く。

 そのいまいち法則性が掴めない敬語は何なのか――詮索するとまた長くなりそうなのでディーンはスルーした。


 それじゃ、と挨拶をして。

 二人はお互いに背を向け。

 そして同時に片手を上げ。


 こん、と。


 フーコは何かフーコ的な謎の理由で。

 ディーンはただの単なる習慣として。

 それまで身を隠していた、ディーン曰く「魚モドキ」の魔術装置の腹を全く同じタイミングで叩いて、


「「おやすみ」」


 と、全く同じタイミングで口にした。

 そして、思わずお互いに振り返った。


 しばし見つめ合った後。


「――わかるの?」


 先に口を開いたのは、フーコだった。


「この機体のこと、わかるの?」


 ずい、と。

 ディーンが逃げる間もなく一瞬で間合いを詰めてきて、とんでもない近距離まで顔を近づけて、そして「魚モドキ」を指差して、言う。


「この機体のこと、好きなの?」


 いつもそのままで固定されているような無表情に、今は明らかな表情が浮かんでいた。いつもはどこか遠くを見ているようにぼんやりしている瞳を、ちょっとびっくりするくらい綺麗に煌めかせて、言う。


「私も大好き」


 ディーンは直感した。

 あ、これ長くなる奴だ、と。

 今のフーコを見れば誰でもわかる。

 フーコには完全にスイッチが入っていた。

 先程入っていたスイッチとはまた違う、もっとずっとどうしようもない、一度入ると容易にはオフにならないスイッチだ。

 おまけに、いつもは一緒にいるブレーキ役は、今現在、抱き枕不在の寝床で「靴下で誤魔化してなんてないもん……」とか何とか夢の中で言い訳をしている真っ最中である。

 これはたぶんきっと止まらない。

 今夜はきっと眠れない。


「えっと、その」


 と、ディーンは何とか抵抗を試みた。


「この『魚モドキ』についてなら、僕よりもアリソンの方が詳しいから、明日にでも聞いてみれば、」

「違う。『魚モドキ』じゃない」


 ぴしゃり、とフーコの言葉が返ってきた。


「AAF99。『ラプターⅨ』」


 何か呪文めいたことを言われた。

 たぶん、この魔術装置の名前なのだと思うがそんなもんディーンは知らない。アリソンに聞いときゃよかった。

 フーコは止まらず、畳みかけてきた。


「ずっとずっと昔に世界最強だった戦闘機の名前を受け継いだ、第九世代の対空戦闘機。由緒正しき名前。確かに全翼機だから昔のステルス爆撃機っぽいし、確かにエイっぽくもあるけど違う。これは空を飛ぶために研究され尽くされた形状。モドキなんかじゃない。訂正してもらいたい」

「う、うん」


 と頷いてから、ディーンはちょっと気になって尋ねる。


「……こいつ、飛んでたの?」

「うん」

「じゃ、僕と同じか」

「そう。でもリーダーよりずっと早いし強いし格好良い」

「よ、よく知ってるね」

「だって同じ機体だから」

「同じ?」

「前にこっそり基地で見せてもらった」


 そのときのフーコの顔を見て、ああ、この子はこんな顔だってできるんだな、とディーンは思った。


「――私のお兄ちゃんの相棒と、同じ」


 ディーンには、よくわからない。

 ただ、なるほどそうか、と思った。

 例の既視感。

 その理由。

 フーコはさらに話を続けている。

 絶好調である。もう止まらない。


「こんな形だけどちゃんと戦闘機。セル翼と多発の無段階偏向エンジンと汎用AIサポートの多重フライ・バイ・ワイヤで冗談みたいな軌道で空を飛ぶ。連続クルビットとか余裕。アダムスキー・ドライブ搭載機程じゃないけれど、それでも『この機体の飛び方はちょっとおかしい』って言われてる。有人機だけど、三層リキッドポッド式のコックピットだからオーバーG軌道が可能。超音速で格闘戦ができるし、超軌道過ぎて旧式のトロい誘導弾だとそもそも追いつけない。最速最強。つまり無敵。

 もちろん、レーダー・ステルス・サイバーも全部ランク9のトリプル9性能。大半の対空戦闘機相手に先制してマルチロックでそのまま殲滅できる。誘導弾の搭載数は18。オプション・ドローンの操作は普通は最大12だけれど、他のAIからの演算支援を受ければ幾らでも増設できる。理論上は無限に増やせる。ワンマンアーミー。

 それでも、アダムスキー・ドライブ搭載の対宙戦闘機に比べるとこんなの玩具みたいなもんって言われるけど、でもそんなことは絶対ない。あんな、わけのわからないAIが自分でもわけのわからないまま作ったようなわけのわからないものを乗っけてるわけのわからない兵器なんかより、人間が作ってきた技術の結晶な『ラプターⅨ』のが絶対、絶対にすごい。誰が何と言おうと、とにかく最強。

 それに、何たって機関砲を搭載している――機械砲を搭載してる! 大事なことだから二回言った。これは見逃しちゃいけないとこ。偉い人たちが何と言おうと戦闘機に機関砲は絶対に必要だってお兄ちゃんも言ってた――ねえ、そう思うでしょ? リーダー?」


 もちろん、ディーンは全然聞いていない。いや一応、最初の三行くらいは聞いていたが意味がわからなかった。アリソンならわかるのかもしれない、とか思っている。

 ただ、それでも理解できたことがあった。

 既視感の理由。

 一番下の妹にちょっと似ている。

 話をし出すと止まらないところとか、突拍子もない滅茶苦茶なことを言い始めるところとか。さすがに歯は抜けていないが。

 たぶんうっかり反論なんかすると、そりゃもう恐ろしいことになるのだろう。首を持っていかれる想像がどうにも振り払えない。

 厄介なことこの上ない。

 だから、ディーンは魔法の言葉を使う。


「そうか」

「そう」


 会話がつながっているとは到底思えなかったが、フーコは頷き、それからまた何か意味不明の言葉を一生懸命に語り始める。

 ディーンにそれは理解できない。

 理解はできないが、聞き続けた。

 昔、妹の話をそうやって聞き続けたように。


 夜のダンジョンで、「魚モドキ」の隣で、ただひたすら楽しげな少女の言葉を。


 ディーンは聞き続ける。


      □□□


 一度故郷に帰ろう、と思った。

 あの「竜」と戦った後のことだった。

 別に逃げ帰ろうと思ったわけじゃない。

 そもそも、まだ「協会」にろくな貢献もしていない新米だったディーンには「探索者を辞めて田舎に帰る」なんて選択肢はなかった。「協会」に八つ裂きにされる。

 だから、逃げ帰ろうと思ったわけじゃない。

 家族とも会わないつもりだった。

 そう自分に言い聞かせた。

 言い訳だった。

 地図を開いて、ディーンは、もうだいぶおぼろげになっている記憶を頼りに故郷の場所を探した。


 そこにダンジョンがあった。


 最初は何かの間違いかと思った。

 でも、間違いなどではなかった。

 そのダンジョンは比較的新しく出現したダンジョンで、出現時に町を一つ「飲み込んで」いた。

 ディーンの故郷だった。

 麻痺した頭では「あの変な魚はどうなった」と考えるのが精いっぱいだった。

 まだ、ディーンが養成所にいた頃のことだったらしい――たぶん、余計なことは教えない方がいいと判断されたのだろう。それでも、生徒の中では噂になっていたのだろうが、残念ながらディーンには友達がいなかった。

 田舎だからその手の管理が適当だったのか、ただ単にダンジョンの出現速度が早すぎて避難が間に合わず、被害があまり大きすぎたせいなのか、当時の記録は虫食いだらけで、家族がどうなったのかはわからなかった。


 もちろん、一番下の妹がどうなったかも。

 ただ、二番目の兄だけは、都の学校にいたおかげで無事らしかった。四方八方手を尽くして、ディーンはようやくその消息を掴んだ。


 手紙を書いた。会って話がしたい、と。

 手紙が返った。会わせる顔がない、と。


 いくらディーンでもさすがに分かった。

 二番目の兄は町で一番頭が良い奴だったが、都で一番頭が良い奴にはなれなかったらしい。

 そして見事に挫折した。

 そりゃまあそういうこともあるだろう、と昔とは違って子供ではないディーンは思った。よくあることで大したことじゃない、と。

 でも、悲しかった。

 自分でもびっくりするくらい悲しかった。 


『すまない』


 昔、町で一番綺麗だった兄の文字は、今ではほとんど読めないくらい、線が震えてぐちゃぐちゃになっていた。

 そんな字で、でも、兄はこう書いた。


『でも、いきてて、よかった』


 文字の一番最後のところが、濡れていた。


 ディーンは思った。

 もしも万が一、一番下の妹が生きていたら。

 今の自分を見て、悲しい、と思うだろうか。

 それとも、結局会うことができなかった二番目の兄のように、「生きててくれてよかった」とそんな風に言ってくれるだろうか。


 ディーンにはわからない。

 自分がどっちを望んでいるかも。

 ずっとわからないままだ。


 わからないまま、それでもディーンは、今も探索者を続けている。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る