7.彼女の「熊」のおはなし。

「かえっへきてね。おにいひゃん」


 一番下の妹が言った。

 歯が一本抜けた、満面の笑みで言った。

 例の変な魚が泳ぐ海が、潮風を運んで。

 田舎では珍しい蒸気車が待っている中。

 探索者養成所へと向かうディーンへと。

 ふにゃふにゃ言った。


「りゅうさんをたおして。えいゆうさんみたいな、たんさくひゃさんになっへ」


 ディーンは特待生だった。

 スキル持ちだったからだ。


 探索者養成所は、文字通り探索者を養成するため「協会」が運営している施設だ。

 その辺の命知らずが一攫千金を求めて探索者をやっていたような時代は、もうとっくに終わっている。放っておけば現場で働く探索者の数は徐々に減っていくことが予想されるし、実際年々減っている。

 だから、探索者を目指す者たちを集めて最新鋭の探索技術の教育を施し、彼らの生存率を上げる――というのが半分建前で半分本音の目的だ。

 もう半分は、死んでも誰も困らないような連中――例えば、身寄りのない子どもとか――をひょいと見つけてきて、探索者として育ててダンジョンにぽいと送り込むこと。

 そう言ってしまうと、なんともろくでもない場所に思えるが、入ってしまえば、血も涙もない地獄のような訓練が行われているわけでもなく、普通の学校なんかとそれほど変わらない。ただ、ときどき事故で生徒が死ぬくらいで。

 外部機関との交流もあって、容量の良い奴は、この養成所を経由して魔術学院へ行って、魔術者としての技術と資格を取得したりもする。アリソンなんかがそのクチだ。


 ところで、探索者が減りつつある現状に反し、ダンジョン探索の重要性は飛躍的に増大しており、そのため各国がこの養成所には結構な支援金を出している。

 何が言いたいかというと、この養成所はそれらの支援金で運営されており、別に特待生でなくとも無料で入れる。

 じゃあ、特待生の何が良いのか?

 アリソンみたいな頭の良い奴なら、たぶん幾らでもメリットを思いつけるのだろうけれども、ディーンにわかっていたのは二つだけだった。

 一つは、部屋が個室だってこと。


 そして、もう一つ。


 お金が貰える。

 それも結構な金額が。

 子どもを売る値段としては、十分な額が。

 ディーンは特待生だった。

 スキル持ちだったせいだ。


 しょうがなかった。

 性格的に、祖父や父や長男みたいに漁師にはなれそうになかったし、漁師になる以外の仕事があるような町ではなかった。それに、次男は頭が良かった。町で一番頭が良かった。都に行ってもきっと一番頭が良いに違いなかった。漁師になんかならず、もっと上の学校に行くべきだった。でも、そのためにはお金が必要だったのだ。

 しょうがなかった。


 だから、まだ全然小さかった一番下の妹に、こんな風に嘘を吐いたのだ。


「いいか――兄ちゃんにはだな。すげー才能があるんだよ」


 一番下の妹は目をまん丸にした。

 それから、とんでもない秘密を聞かされたと言わんばかりの様子で、歯の欠けた口を目一杯に開けてふにゃふにゃ叫んだ。


「ほんと!?」

「本当だよ。だから行くんだ。「竜」だって倒して、みんなから英雄扱いされるような、すげー探索者になって帰ってくるんだ」

「ほんと? ほんとにほんとう!?」

「本当だよ」


 それはもちろん、全部嘘だったし。

 そしてもちろん、全部嘘になった。


「じゃあ、じゃあさ!」


 でも。

 そんな嘘に、ころり、と騙された妹は。

 こう言ったのだ。


「そのときは、わはしもいっしょにいく!」

「え?」

「そのときは、わはしもずっとおっきくなっへるから、だから、いっしょにいく!」


 いつもなら無口な妹なのだ。

 でもその癖、一度喋りだすと興奮してしまって、喋りまくる癖があるのだった。


「わはしも、たんさくひゃになって、おにいちゃんのとなりにいへあげる!」


 こうなるともう一番下の妹は止まらない。突拍子もない、滅茶苦茶なことを言い始める。うっかり反論なんかすると、そりゃもう恐ろしいことになる。わーぎゃー煩く喚き出して、しまいには泣き出してしまう。

 厄介なことこの上なかった。

 なので、そんなときにはディーンは全てをスルーできる割と万能な魔法の言葉として「そうか」を使うことに決めていた。


「ねえ、ねえ!」


 そのときも、そうだった。


「やくそくだよ! おにいひゃん!!」

「……そうか」


 だからそのときも、魔法の言葉を使った。

 そして言った。


「そうだな。兄ちゃんとの、約束だ」


      □□□


 眠れなかった。

 昔のことを思い出したせいだ、とテントの暗闇の中でディーンは思う。

 まるで子供だ。

 ディーンは暗闇の中で苦笑し、のそのそ、とまず寝袋から這い出し、それから外の様子を伺った。

 思った以上に、外は明るかった。

 こうして過ごしているとときどき忘れそうになるが、さすが空の上というだけあって、星空が綺麗だ。夜でも結構明るい。

 アリソンを起こしてバレたりしないように、こっそりテントの外へと這い出した。

 あまり誉められたことではない。

 三日三晩不眠で行動できることと同じかそれ以上に、眠れるときにちゃんと眠ることは探索者にとって重要だ。

 ちなみに、ディーンのすぐ近くにテントを張っているアリソンなんかは寝袋にくるまって、すでにすーすー眠っていた――が、ディーンの「こっそり」には、ばっちり気づいて目を覚ました。

 彼女は、一瞬だけ夜這いの可能性を考えて一瞬で「ない」と判断し、明日の朝ちゃんとリーダーを叱っておこうと心に決めつつ再びすーすーと眠りに落ちた。

 さらに。

 もっと言うと、リーダーであるディーンが今こうして眠れるということは、一応は彼の部下である探索者たちの内、今日の当番である二人が交代で見張りをしているということである。

 拠点設営のためにアリソンにこき使われて疲れた身体に鞭打って、もしかしたら「鈴」を反応させずに襲ってくるかもしれない「熊」への恐怖と戦いながら、だ。

 見つかったら「不慮の事故」で、「熊」と間違って撃たれるかもしれない。眠くなっている人間の眠れる人間への殺意は割と侮れない。

 だからやはりこっそりと、見張りをしている部下たちから見えない位置――例の「魚モドキ」の後ろに隠れる。完璧だ。気づかれていない、とディーンは思った。

 誠に残念ながら。

 今回、彼の部下となっている探索者たちは「その手」のことに関しては、とてもとても優秀だった。


「起きろ」


 見張りを任されていた部下の一人は、ディーンが完璧だと思っていた「こっそり」に瞬時に気づいた。年齢で言えばディーンやアリソンよりも年上の「いかにも」な顔をした大柄な男である。

 彼はその気配の主が「熊」だった場合を警戒して、仮眠を取っているもう一人をいかにも荒っぽい口調と銃のストックで揺り起こしたが、ただの間抜けなリーダーだったことを確認するなりちょっと気が抜けた様子で、


「……すみません。『空飛び』でした」


 と、先の口調とその態度にはまったくそぐわない、奇妙に丁寧な言葉で謝罪した。

 それに対して、起こされた方はというと、聞こえる聞こえないかぐらいの小さく低い声で一言。


「敬語」

「……悪かった。寝てろ」


 と、すぐさま元の口調に戻る男に対し、起こされた方はというと、


「いえいえ。そんな」


 と、直前の低い声が嘘のような柔らかな口調になって言う。

 例の、料理上手な女性の探索者である。

 あの何とも生真面目そうな、でも明日のため準備をしていたテントの中で、固唾を呑んでディーンとアリソンの会話にこっそり耳を傾けていた彼女である。


「どちらにせよ、もうすぐ交代の時間です。もう眠って下さい……明日はきっと忙しくなりますし。貴方にはきっと苦労を掛けます」

「それならそれこそ、あんたが眠っておくべきだろう――他の探索者に代わってもらえ、とあれほど言ったのに」

「そんな風に、何の理由もなく私だけ特別扱いなんてされたら困ります。いいからほらほら。眠って下さい」

「……何だ。何か気にしてるな?」

「……」


 と、男に問われた彼女はというと、一瞬黙り込んで、それからちょっと真剣な顔をする。一体何を言い出すのかと固唾を呑む男に、元々小さくしていた声をさらに潜め、彼女は言う。


「リーダーと副リーダーですが……あの二人の関係って、どう思います?」


 知らねえよ、と彼女に対して思わず素で言ってしまいそうになったが、辛うじて男は踏み止まった。


「たぶん付き合ってるんじゃないかと思いま……付き合ってるんだろ。仲良さそうだし。今さっきこそこそ出てきてたし、テントでよろしくやってんじゃねえのか」


 実際はその手のちょっとアレなことをやっている気配はまるで感じなかったが、面倒なので男はそう答えた。


「や、やはりその、よ、夜這い……?」


 こくり、と。

 喉を鳴らし、ちょっと頬とか赤らめたりして、何やら妄想を逞しくしている目の前の彼女――彼からしてみれば下手すると娘みたいな年齢だ――に対して、男は思う。

 ものすごく思う。

 彼女との間に色々と存在しているあれこれを何もかもぶっちぎって、彼女の両肩をそっと掴んでこんな風に滔々と言い聞かせてやりたいと、めっちゃ思う。


『なあ、お嬢さん。あんたがとんでもなく優秀であることはちゃんと分かってる。知識としてじゃなく、俺の長年の経験と勘がそれを確信してる。頭には教科書の知識、身体には無駄な筋肉、おまけにでっかい態度だけ身に着けて俺らのとこにやってきて、いざ実戦になるとびびって自分の面倒すら見られねえザ・ボンクラな野郎どもなんか目じゃねえ。もちろん俺みたいな、ただ単に現場で飯食ってきた時間が長いだけのザ・クソ野郎とも違う。しかもちゃんと自分で料理だってできる。すげえよ――でも、でもなお嬢さん。あんたはちょっと世間知らず過ぎるんだよ。何よりもまず、その手の恋バナを話す相手として、俺みたいなむさ苦しいおっさんを選んでる時点でもう致命的に間違ってるんだ。無理なんだ。俺みたいな奴に言えるのはクソみたいな下ネタぐらいなんだ。だからさ、なあ、お嬢さん。あんたに今一番必要なのは、そういうお嬢さん同士の会話ができる同性のお友達なんだよ。いや、もう俺、あんた見てるとこの先そんなんで大丈夫なのかと心配で心配で仕方ねえんだよ本当。今回の件だって――』


 もちろん、そんなことは言えなかった。

 仕方がないので、一般論で誤魔化した。


「――馬に蹴られますよ」

「敬語」

「ああ、うん、よし分かった――寝る」


 付き合ってられるか、と男は思い、頬を染めたまま何やらもじもじしている彼女を放っておき、仮眠を取るために目を閉じる。


 誤解のないように言っておくと。

 二人はとてもとても優秀である。

 ちょっと違和感はあるが他愛のない会話を続けながら、自分一人で抱え込んだ妄想を膨らませて顔を赤くしながら、それに対して呆れ返りながら――でも、周囲への警戒は一切怠っていなかった。「鈴」に頼らなくても「熊」の襲撃に対応できるように、だ。

 だから、もし、それを理解した上で誰かがこの場を別の視点から見ていたならば、ちょっとばかり奇妙なことが起こっていることに気づいた――かもしれない。


 少女が一人、歩いていた。

 何を考えているのかわからない無表情で、頑丈そうなブーツを履いていて、探索者用の外套を羽織っていて、でも下はパジャマで、脚はがっつり出している。

 もちろん、フーコである。


 ここまでは、まあ、全然普通だった。


 いやだってフーコである。

 特に理由もなく夜に歩いていても、無表情な顔とマリーが監修したと思われる女の子っぽいカラフルな柄のパジャマ姿のギャップが超可愛くても、それを外套とブーツで台無ししていても、そしてもちろん足をがっつり出していても、全然まったく今更な感じだ。

 妙なのは、その後だった。


 フーコは普通に歩いていた。

 ごく普通にそのまま歩いた。

 見張りの二人の横を通った。

 そのまま通り抜けて行った。


 ……お判りいただけただろうか?


 では、もう一度最初から。


 「熊」を警戒中の見張り二人がいて。

 フーコはごくごく普通に歩いていて。

 見張り二人の横を、フーコは通った。


 そう、ここだ。


 ここがちょっとおかしい。

 だって、フーコが通ったのだ。

 見張りの二人も「あ、どうも」くらい言うべきだと思うのだ。幾らフーコの方が無表情で愛想の欠片もなく会釈しかしていかなかったとはいえ、これはちょっと奇妙だ。奇妙というか、割と普通に酷い。


 ただし、気づかなかったのでなければ。


 フーコはそのまま先へと歩いていく。

 普通にしか見えない足取りのままで、

 例の「魚モドキ」のところまで歩き、

 しばしその姿をぼんやり眺めてから、

 後ろに隠れていたディーンを発見し、


「――こんばんは」


 フーコは至近距離に近づき耳元で囁いた。

 その瞬間までディーンは気づけなかった。


「ひぃっ!?」


 ディーンは不意打ちに悲鳴を上げた。

 アリソンは「またっすか」と目覚め。

 見張りの男は「またか」と目を閉じ。

 例の彼女だけが「何をやってる声なんです!?」と顔を赤らめていたがまあ例外。

 スルーされたその悲鳴は、しかし、


「ああ、何だ……フーコさんか」


 と、続くディーンの言葉で意味を変えた。


 ディーンが相手に気づいて納得する中で。

 アリソンは「フーコさんすか?」と驚き。

 見張りの男は「いつの間に」と目を開け。

 例の彼女は「え、え、どういうことですか!? 修羅場!? 修羅場なんです!?」と顔を赤らめているがもうスルーしていいだろう。


「いきなり声掛けられたからびっくりした……全然気配感じられないんだもんな」


 周囲の人間がざわついている中、当の渦中にいるディーンは、数秒前の情けない悲鳴が嘘だったように落ち着いている。

 ただし、フーコがやたら近い距離にいることに対しては、まだちょっと動揺しており、じりじり、と少しずつ距離を取っておく。

 一応、ディーンは尋ねてみた。


「それってさ、何かのスキル?」

「……?」


 きょとん、としたように首を傾け。

 フーコは言った。


「……何が?」

「だろうなあ」


 予想した通りの答えだったので、ディーンは驚かなかった。

 そして、そのまま二人の間に沈黙が流れる。

 ディーンとしては、フーコが何か用事があって話しかけてきたのだろうと思っているため、それを待っているつもりなのだ。

 でも、沈黙があまりに長いため、彼女が本題に入れるよう、もう一言二言自分の方から話をするべきなのだろうか、とディーンは悩む。ってか何を喋ればいいんだろう、とも悩む。


「えっと、その、リーダーさんは」


 その沈黙を埋めようと、なんとフーコが会話を試みた。頑張れ、とちょっと応援してあげたくなる懸命さだ。残念ながら、それは罠だが。

 そんな中、ディーンはというと「リーダー」とちゃんと自分を呼んでくれたことが予想外だったので、ちょっと感動している。

 でも、違うのだ。

 相手はフーコなのだ。

 感動とかしている場合ではないのだ。

 案の定というべきか、フーコは、


「いい加減、自分からアプローチを掛けて、副リーダーさんの好意に応えてあげるべき。この甲斐性なし。へたれ」


 と、心の隙を見せたディーンへと容赦なく言葉の爆弾を投げつけ、その爆発でディーンは木っ端みじんになった。


「――って、マリーが言ってた」


 まるで今の爆弾発言をマリーのせいにしているみたいな言い方だ。だが、この場合、言ったのがフーコなので本当にマリーが仕掛けた爆弾が作動しただけである。その爆弾を仕掛けた張本人は、今現在、抱き枕であるフーコがいなくて、夢の中でちょっと寂しい気持ちを感じている。


 ちなみに、その時点であんまり興奮し過ぎた例の彼女がぶっ倒れたので、一緒だった男は「私物」として持ち込んだ無線を使って、他の探索者も「私物」として持ち込んでいた無線に連絡を取り、顔を真っ赤にして、きゅう、と目を回している彼女を回収するための探索者と、代わりの見張りの探索者を寄越すように連絡した。ただでさえ警戒だって続けなければならないのだ。もうリーダーとかフーコとか考えてる場合ではなくなった。


 そんな大惨事を引き起こしたとは露知らぬフーコは、言った後で「あ」という顔をして、それから、木っ端みじんになったディーンに対して、ちょっと申し訳なさそうな、でもほぼ無表情を向けて言う。


「ごめん。今の無し。マリーには『あのおにーさんには言っちゃ駄目だよー』って言われてた――だから忘れて。聞かなかったことにして。して下さい」

「う、うん。そうする……」


 ディーンは、しゅるしゅる、と木っ端みじんの状態から何とか人間に戻ったが、心の傷はこれっぽっちも戻らず、記憶もばっちり残っていた。


 もちろん、あのマリーである。

 我らが鬼畜小悪魔ちゃんなのである。

 こうなることは予想済みに決まっている


 つまりは計画通りだった。

 だからフーコは悪くない。たぶん。


「……ごめんなさい」

「うん……いや、うん大丈夫大丈夫」


 もうメンタルぼろぼろな状態である。絶対大丈夫じゃなかったが、ディーンは何とかそう言った。


 ちなみに、それをこっそりテントの中で聞いていたアリソンの反応はどうか。

 顔を赤らめ悶えつつマリーのことを罵っている――かと思いきや、そんなことは全然まったくなく、いっひっひっ、といかにも面白そうに声を殺して寝袋の中で笑っている。


 つまりは計画通りだった。

 やはりフーコは悪くない。きっと。


「それで……その、何か聞きたいことがあったんだろう?」


 どうにか立ち直りながら、ディーンは本題を尋ねた。するとフーコは、言葉を探すようにしばし宙を見てから、こう言った。


「『熊』」

「え?」

「リーダーは『熊』を倒した。たくさん」

「ああ、なるほど」


 さっきの会話こっそり聞かれてたんすかね、と現在進行形でこっそりテントで聞いているアリソンは思う。

 まあ普通はそう思う。

 ディーンはそうは思わなかった。


「そういうのわかるんだ?」

「はい。そうです」


 フーコは頷く。

 そして、いきなりスイッチが入ったようにしゃべり始めた。


「その、えっと、『狼』とか『箱』とかは全然これっぽっちも怖くないから、いまいちわかんない。だからマリー任せ。けど、『熊』は分かる。昔はすごく怖くて見ないように聴かないようにしてたけれど、今はただ嫌いなだけ。嫌いなだけになってからは、ちゃんと見て聴いて、寝てる『熊』でも分かるようになった。だから、うん、そうです。わかる。わかります」


 ちょっと全然意味不明だった。

 これはちょっと擁護できない。

 テントの中のアリソンは、フーコの言葉にちょっと呆気に取られている。別の意味で大丈夫なんだろうか、と思う。

 ディーンはというと、何だか猛烈な既視感を覚えている。何だか懐かしいような、でも同時に寂しくなるような。それと同時に、この娘ってたぶん敬語を理解しないで適当に使ってるよなあ、とか呑気なことも思っている。

 フーコが、一生懸命な口調で続ける。


「この辺で寝てた『熊』がぽこぽこ起きた。それから全部いなくなった。倒したのはリーダー。そういう『匂い』がする。あと、私たちが到着したときも、そういう『匂い』がしてた。あのときも倒してた? あと、もしかして起きてた『熊』?」

「うん。一体。鈴が鳴らない『熊』」

「やっぱり」


 この辺りから、テントの中のアリソンは話に付いていけなくなった。二人が何を言っているのかよくわからない。

 未だに既視感が続く中、ディーンもこの子は喋るの下手くそだなあ、と思っている。言っていることも無茶苦茶だ、と思う。

 でも、それでも、何となくわかった。

 ディーンにはわかる。


 さっきから、ずっと意識している。

 フーコとの間に作り上げた距離を。

 彼女の腕が届く範囲より、少し外。

 たぶん余裕で彼女の間合いの中だ。


 それが怖くて、さっきからこの場から離れたいと思っているディーンにはわかる。


「私は『熊』が嫌い。だから、『熊』をたくさん倒す人は良い人だと思う。だから、リーダーは良い人」

「そりゃどうも」

「生きるのに死んでるみたいだけど」

「……」

「でも『熊』を倒すから――良い人」

「……よっぽど嫌いなんだね。『熊』」

「大嫌い」


 と、フーコは言った。


「お姉ちゃんを攫ったから」

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