2.こちら探索少女二名、着地しますのでそちらの状況説明どうぞ。


 経路探索のため、追加の探索者が来る。

 数はたったの二人。

 何でも女の子の二人組だとか。

 飛空艇の発着設備はまだ当分完成する予定はないため、自力で飛空艇から降下してやってくるらしい。


 ――無茶なことするよな。


 拠点だってまだ完成してないのに、とディーンはあくびをしながら思う。設営途中の拠点の傍に張ったテントの中から、のろのろと這い出る。朝の日差しが眩しい。

 面倒だからと伸ばしっ放しにしてる無精ひげを撫でながら、周囲を見渡す。

 見慣れた景色だ。

 植物と錆に人工物が侵食された景色。

 寝起きの目をしょぼしょぼさせながら、自分たち同様に貧乏くじを自ら引いた二人が本日やってくる予定の空を見上げる。

 ひどく眩しい。

 昇りかけの太陽が照らし出す、空の上の朝焼けは確かに美しかったが、残念ながらこちらももう見慣れた。もっとも、その分だけ空気の薄さにも慣れてきたわけだから、まあどっこいどっこいと言えなくもない。

 そしてもう一つの、見慣れたもの。

 ちょうど、ディーンが張っているテントのすぐ隣に、どてっ腹(たぶん)をさらす出す形で横たわっている、馬鹿でかい「何か」。

 その「何か」は、翼ごと身体の半分が潰れていて、植物に埋もれている。


 身体と一体化したヒレみたいな翼。

 腹から見ると全体的に三角っぽい。

 横から見ると全体的に平べったい。

 頭がどっちなのかすらわからない。


 金属みたいに硬い、黒色の何かでできているそいつの表面には、よく目を凝らすとびっしりと刺青のような模様が刻んである。


 ――なんだかこいつ魚みたいだな。


 最初に見たとき、そんな風にディーンは思った。普通の魚ではなくて、故郷の海にいる、三角っぽくて大きくて平たくて、尻尾の先に毒がある変な魚だ。子供の頃、怯えながら一緒に泳いだこともある。度胸試しとしてそういうのが流行っていたのだ。今から思えばあまりにもちっぽけな、いかにも子供じみた度胸試し。ちょっと懐かしい気持ちになった。今思い返せば、あの魚と一緒に泳ぐのは案外楽しかった。

 たぶん、そのせいだろう。

 ダンジョンを歩けば幾らでも見つかる正体不明の魔術装置の残骸の一つであるそいつに、なんとなく親近感が沸いていた。魚みたいなそいつのどてっ腹(たぶん)の真ん中を、こつん、と拳で叩いてやって、


「よ。魚モドキ」


 と、返事があるわけもない挨拶をする。


「……何やってんすか。ディーン」


 ばっちり仲間に見られた。


「やあ、アリソン」


 と、動揺を全力で隠しつつ、片手を挙げて挨拶をする。

 彼女は、ダンジョンの設備やら道具やらを取り扱う「魔術者」と呼ばれる技術者だ。探索者として、昔から何かと仕事を一緒にしてきた相手でもある。

 探索者用のぶ厚いツナギのような防護服にばっちり身を包んでいる彼女を前にして、寝巻姿で得体の知れない物体に話しかけていた自身の姿を誤魔化すための言葉を何とか捻り出そうと試みる。


「いやその、こいつがいきなり動き出したら危ないと思ってさ。リーダーである僕が確かめておこうと」

「なわけねーでしょうが」


 もちろん誤魔化せなかった。

 元からどこか冷めているアリソンの目が、さらに一層冷めたものになる。


「幾ら独り身で寂しいからって……」

「いや、違うから」

「いよいよどうしてもヤバいってんなら、一晩くらい添い寝したげるっすよ?」

「君は何を言ってるんだ」

「やーもー私も生娘って年じゃねーんで。今更減るもんじゃないっすよー」

「減るとかそういう問題じゃなくてだな――というか、君って恋人いただろ?」

「あー、ここ来る前に別れました。もー、あっさりばっさり捨てられましたねー」

「ええと、その……悪かったよ」

「いえ、大した男じゃなかったんで別に。だから、今なら手え出してもセーフっす」

「アウトだっての」

「まあアウトすね――仕事中っすから」


 そういう問題じゃない、と思うディーンに対して、アリソンは、いっひっひっ、と下品そうに笑う。まあそりゃあ冗談に決まっている。もし本気でそういう関係になる余地があったら、とっくにそうなっててもおかしくない程度には、この魔術者とは長い付き合いだ。

 ディーンたちはもちろん探索者だ。

 発見されたばかりのこのダンジョンに、可能な限り早く拠点を設営するために集められ、一番最初に送り込まれた即席の探索者チーム。


 本当に無茶なことするよな、と思う。


 要するに、初期探索もろくにされてなく、飛空艇の発着が不可能なため補給も不安定な状態のダンジョンに強引に入っていって「このダンジョンのこの辺りは俺らが拠点張ったから俺らの縄張りな!」と依頼主が主張するための旗を立ててこい、ということだ。

 まあでも、よくある話ではある。

 この手のことは別に珍しいことではない。各々の派閥のダンジョン争奪戦は熾烈になってきていて、手順通りに探索が進められるダンジョンの方が今では少数派なくらいだ。もっとも「大古洞」みたいな「ヤバい」ダンジョンで同じことをやったらたぶん死ぬが。

 ともあれ、そのリーダーとしてディーンは依頼主から指名を受け、同時に必要とされていた魔術者に彼と昔から面識のあったアリソンが名乗りを上げ、副リーダーとして収まった。

 そして、残りの連中は依頼主が集めた探索者で、どれも面識のない連中だった。もっとも能力的には全員がちょっと驚くくらいに優秀だったし、今のところこちらの指示には完全に従ってくれている。

 だが――


「連中、たぶん探索者じゃないっすよ」


 と、連中の作業を見ていたアリソンはこっそりと耳打ちしてきた。

 同じことをディーンも考えていた。

 何というか、優秀すぎる。

 探索者らしくないのだ。

 もちろん全員がそうだとは言わないが、探索者なんて荒くれものの集まりみたいな連中だ。面識もない探索者が一か所に集まれば――あるいは面識のある探索者を集めたって、厄介事の一つや二つはしょっちゅう起こるものだ。

 だが、今回は起こっていない。

 おかしい。

 探索者たちが即席で集められたチームで、トラブルの一つも起きないなんてことはあり得ない。余程腕の良いリーダーがいるなら話は別だろうが、自分は違う。

 上位の人間の命令を聞いて、統制を取って動くのに慣れている、荒事専門の人種。

 もう嫌な予感しかしかなかった。

 とはいえ。

 彼らが部下としては優秀であることは確かだったし、ダンジョンの拠点設営自体は随分と楽だった。

 何たって、ダンジョンの中に、魔術者であるアリソンがちょいと手を入れただけで使用可能になる設備が残っていたことが大きい。


「なんとトイレ使えるっすよ。水洗」


 とドヤ顔で言ったのはアリソンで、それを聞いて「まじか! やった!」と思わずディーンも喜んだ。

 実際、拠点設置で一番苦労するのがその手の生活施設の設置なのだ。

 今回みたいに魔術者がダンジョン内の施設を復旧できれば天国みたいなもんだし、近場に水場でもあればそれでもだいぶ楽なのだが、そうでない場合はどうやったって間に合わせで作成するしかない。そういうところで何日間か生活してみればわかるが、まあ、モチベーションはみるみる下がる。


「たぶんここ軍事基地っすね」


 と、他の連中に施設内に残った残骸やら何やらの撤去を任せる傍ら、頭にヘルメットを被ったアリソンはそう言った。言いながら、壁に付いていたカバーを工具で、ぱかり、と取り外す。

 その言葉に、ディーンは最も危険と言われるダンジョンの名前を思い返す。


「……『竜の要塞』みたいな?」

「や。あんな『探索不可』扱いのダンジョンと一緒だとは思わんすけど――つーか、もしそうだったら、たぶんとっくに私ら全員あの世行きっすよ」

「だよな」

「いや、そこは『僕が守ってやるから安心したまえ』くらい言って下さいよディーン。そのためにスキル持ちのあんたがいるんすから」


 話をしながら、アリソンはカバーを外した裏にあったボタンやらレバーやらを操作した。ディーンからしてみると、適当にやっているようにしか見えなかったが、その結果として、がこん、と何かが稼働する音が響く。

 よし、とアリソンは満足げに一つ頷き、それから話を続ける。


「ってか実際のところ、どうなんすか?」

「何が?」

「『竜』ですよ。そりゃ集団相手じゃ無理でしょうけど、相手が一体なら勝てるんじゃないすか。ディーンなら」

「わからない」

「はい?」

「運が良ければ勝てるかもしれない。でも、運が悪ければ死ぬ。わからない」

「運っすか」

「そう。だから、わからない――ただ、一つだけ確かなのは、僕は『竜』が怖いし、できれば絶対に戦いたくないってことだ」

「……ディーン?」

「ずっと前、駆け出しの頃に一度だけ戦ったことがあるんだよ。中型の『竜』を相手に、20人くらいの威力探索チームで。今じゃ中型には最低でもそのくらいの数を当てるのが通例だけど、その当時は多過ぎって言われてる人数で――」


 それで、と。

 その先を言おうとして、言葉が詰まった


「ディーン? 大丈夫すか?」

「ごめん。ちょっと話したくない、かも」

「や。いやいやいやいや、別にいいすよ」


 と、彼女にしては珍しく心配そうな声で言ってくる。どうやら、よっぽど酷い顔をしているらしい。なんだかこっちが申し訳ない気持ちになる。


「もうずっと昔のことなんだけどなあ」


 と、近くの残骸の一つに腰掛けながら彼は目を閉じる。


 今でもはっきりと思い返す。


 まだ、アリソンと出会ってなかった頃。

 威力探索を主に行っていたときのこと。

 参加する探索者たちの前日の馬鹿騒ぎ。

 「竜」を倒す機会に興奮していた自分。

 そして時代遅れな剣を持った彼のこと。


 思わず呟く。


「いつまで引きずってるんだかな……」


      □□□


 今でもはっきりと思い返す。

 ダンジョンに設置された基地の中でのことで、出現した「竜」討伐のために集められた探索者たちの、その前日の馬鹿騒ぎの真っ最中だった。

 リーダーと副リーダーの協議の結果、「一杯だけ」認められた酒を、ディーンの隣で一息に飲み干してそいつは言った。


「『竜』を倒せるようになりたいんだよ」


 そこまでは、まあ良かった。

 ディーンだってその一人だ。

 でもそいつは、こう続けた。


「一人で」


 こいつ大丈夫か、とディーンは思った。


「何ていうか――こいつで、ばっさばっさ叩き斬ってやれるようになりたいよな」


 ぽん、と。

 傍らに置いた馬鹿でかい剣を叩いてそいつはそう続けた。あるいは、それが本当にできるかもしれない最高クラスのスキル持ちだって、おいそれと口にはできないような、そんな妄想である。

 こいつやべーな、とディーンは思った。

 心に決めた。

 ダンジョンに入ったら、こいつからはちょっと距離を置いておこう――何かとんでもないことをやらかしそうだ。


「へえ、そうなんだ。なれるといいな」


 が、ディーンは話を合わせた。

 今は酒の席だったし、話をするだけなら確かに愉快な奴ではあった。


「おうよ」


 ぽん、と。

 またそいつは、傍らに置いた剣を叩いた。

 それが、なんだか妙に親し気な仕草だったことを覚えている――ちょうど、今の自分が例の奇妙な「魚モドキ」に対してしているような。

 適当に話を振ってみたところ、「竜」だって斬れる魔具なのだと言う。昔のとんでもなく腕の良い魔術者がダンジョンの魔術装置を加工して作られた、自己修復機能のある剣なのだとか。何やら年の離れた親友の形見なのだと言う。

 まあそりゃ、そんなもんだろう。

 「竜」を相手にするのに、ただの剣なんか持ってこられたらちょっと正気を疑う。たぶん盾にすらならない。リーダーに言ってこのチームから抜けてもらうよう掛け合わねばならない。


「でも、まあ――」


 と、ディーンはこっそりと呟いた。


「――確かに、この数は大袈裟かもね」


 集められた探索者の数はおよそ20。

 当時の基準では、多少無理をすれば、大型の竜とだって一戦交えることができるような人数だった。

 おまけに、その中でもスキル持ちは自分を含めて八人。その中に「竜」に致命傷を与えられるような極めて攻撃的なスキル持ちが三人。

 中型の「竜」を相手にするには、どう考えても過剰な探索チームだと思っていた。


「なんか、リーダーが依頼主に言ったらしいぜ。今回の『竜』は何か嫌な感じがするから可能な限り増員しろって」

「曖昧な理由だな」

「歴戦の勘って奴だろ」


 そうなのかもしれなかった。

 リーダーは有名な探索者だった。

 スキル持ちだったが、それは索敵系の、それも下位とされるスキルで、それほど強力なものではなかった。

 ただし「歴戦」という言葉がいかにもふさわしい探索者で、幾度も危険な威力探索に従事していて、「竜」との戦闘の経験も豊富だった。なんせ、あの『竜の要塞』への第一次威力探索へ参加した生き残りだというから相当だ。


「傍から見るとただのおっさんだけどな」


 と、隣のそいつは言った。

 思わずディーンは笑った。

 まあ確かにその通りだ、と離れた位置にいるリーダーの方を見る。他の探索者が言った他愛のない冗談に笑っている姿は、どこにでもいる壮年男性にしか見えない。片目に傷があるとか、腕が義手だとか、凄まじいオーラを纏ってるとかも別にない。

 まあ確かに、ただのおっさんだ。

 それからディーンは、彼の隣に座っているいかにも生真面目そうな女性に目を移す。今回のチームの副リーダー。

 彼女もスキル持ちだったが、こちらは『竜』であれなんであれ視界内のあらゆるものを凍結させることができるという凶悪なスキルで、他の探索者からは「氷結の女王」と呼ばれていた。ちなみに、本人はめっちゃ恥ずかしがっていると聞いたことがある。

 ほんの少女だった頃から探索者をやっていて、彼女も凄まじい戦歴を持っていた。

 ちなみに、リーダーには新人時代からお世話になっていたとか。


「ほほう……」


 リーダーを何やら窘めているらしい彼女を見ていたディーンを、隣のそいつはばっちり見ていた。そして、なにやら納得したように言った。


「ははーん」

「……何だよ?」

「望み薄だけどな。頑張れよ」

「だから何がだよ!?」


 思わずムキになって叫び返したディーンの姿を見て笑いながら、そいつは懐からこっそり酒瓶を取り出した。まあそりゃ探索者である。「飲むな」と言われて「はい分かりました」と素直に従うわけがない。見れば、似たようなことをやっている連中はちらほらいた。

 ディーンは呆れながら言った。


「ほどほどにしとけよ」

「おうとも」

「どうだか。二日酔いと一緒は御免だよ」

「わかってるわかってる」


 と言って、そいつが蓋に手を掛けようとした瞬間、ひょい、と横から伸びた手が酒瓶を奪った。見ると、探索医の白衣をいまいち着慣れない感じに着た少女が、笑顔で取り上げた酒瓶を振っていた。


「あ、何しやがる」

「此度の威力探索に同行し、探索者の皆様の健康と生命を預かる我々探索医としてはこの行為は見過ごせません――というわけで、没収です没収」


 成程。見ると、少女は大量の没収品を小脇に抱えていた。なかなか容赦がない。


「お前、探索医のじーさんに付いてきた見習いだろ。いいから返せって」

「ダメったらダメです。あんまりはしゃぐと、お薬打って眠ってもらいますよ?」


 そう言って笑顔で懐から注射器を取り出す。

 なかなか怖い女の子だった。

 没収され去っていく酒瓶とそれを抱えた少女の白衣とを、しばらく恨みがましく見つめてから、隣のそいつはふと思いついたように言った。


「なあ、俺やお前は――ついでに言えば、今の、あの注射器娘もそうだけどさ」


 と、そこでリーダーの方を見て言った。


「おっさんになるまで、生き残れるかな」


 そう言ってから、彼は「いや、あの注射器娘の場合はバアさんか。そんときゃ妖怪注射器ババアになるな」と冗談を言って、一人で可笑しそうに笑った。

 ディーンは上手く笑えなかった。


「おい」

「何だ?」

「お互い生き残ろうぜ」

「何だよ、いきなり弱気じゃないか」


 と、何だか不安になってディーンは言った。


「一人で『竜』を倒せるようになるんだろう。ばっさばっさ斬り倒すって」

「だって俺さ、今回が初めてなんだよ」

「何が?」

「『竜』と戦うの」

「そりゃ僕だってそうだけど――でも今回は楽勝だろ。なんたってこの人数だ。おまけにあのリーダーと副リーダーだ。すぐ終わるよ」

「俺もそう思うけどさ。それでもさ」


 ぐっ、と。

 まるで何かに縋るように剣の柄を握って、そいつは独り言のようにこう言った。


「やっぱり、怖えよなあ――『竜』」


      □□□


 たぶん、自分は探索者にはあまり向いていないのだろう、とディーンは思う。

 なんせ「熊」の接近に気づかなかった。

 探索者としては、あまりにも鈍すぎる。

 今日、このダンジョンへと降下してくるはずの二人のために、目印となる狼煙を挙げてようとしている際中だった。

 そこはもちろん、設置中の拠点からはある程度離れた場所で、つまり張り巡らされた警戒網と大量の罠の外にいるわけで、だからちゃんと周囲の警戒はしていたのだ。少なくとも、そのつもりだった。

 なのに。


 あっさり「熊」に背後を取られた。

 気づいてすぐ振り返ったそのとき。

 とっくに爪は振り下ろされていた。


 だから、自分が死なずに済んだのは、ただスキル持ちだったおかげだ。


 ぼふん、と。


 柔らかなベッドにダイブするような間の抜けた音がして、「熊」の爪がディーンを引き裂く寸前で停止した。


 ディーンはその爪を見上げる。


 魔術による金属でできた伸縮自在の爪。

 鍛え上げられた鋼鉄の剣やら盾やら鎧やらを、人間の肉体ごと容易く引き裂く――本当に金属なのかもわからない、「熊」の基本武装。


 ディーンは「熊」を見上げる。


 もちろん、「熊」はモンスターの一種だ。

 実際はその知能に大きな違いがあるものの、見た目だけはただ大きいだけのわんこでしかない「狼」なんかとは違って、「熊」は普通の熊とはまったく違う。

 なんせ爪と同じで、そのほとんどが、魔術の金属でできている。シルエットと大きさがなんか熊っぽいというだけで、あと「竜」と同様に「冬眠」状態になって半永久的に敵を待ち伏せできるだけで、全然まったく熊とは違う。

 そもそも、普通の熊にあるべき頭部も存在しない。腹のところにぎょろりと蠢く目っぽいものが三つあって、とりあえずたぶんそれが目だと思われている。

 そして「狼」よりも遥かに好戦的だ。

 遭遇した場合――いや、人間の存在を感知しただけでも、攻撃を仕掛けてくる。

 個体によって、こいつのようにただ爪で攻撃してくる「熊」もいれば、ダンジョン産の銃火器を器用に手にして撃ってくる「熊」もいる。

 背中にバックパックのようなものを背負った個体もいて、そこに燃料を残している個体だとそれで宙を飛んで高速移動したりするし、滅多にいないが、もしもバックパックの代わりに細長い筒状のものを背負ってる個体の場合は、それを発射して、探索チームや拠点を遠距離から爆破してくる。

 なかなかバラエティに富んでいる。 

 探索者の死亡原因としては、「竜」を超えてぶっちぎりの第一位である、極めて危険なモンスターだ。


 だから、自分が死ななかったのは、ただスキル持ちだったおかげだ。


 そこで「熊」がもう一度仕掛けてきた。

 今度はもう片方の腕で、ディーンに殴りかかってきた。別に爪なんか使わなくても「熊」の腕力は人間の頭くらいは容赦なく粉砕する。


 ぼふん、と。


 でも、その拳もまた止まった。

 ディーンの眼前まで進んで――しかし、そこで停まって、それ以上はどれだけ力を込めても、ほんの僅かにだって進まない。


 す、と。


 唐突に、ディーンは両手で耳を塞いだ。

 そのままで、「熊」の巨体を見上げる。

 それに対し「熊」は腹で蠢く三つの目で、きょとん、とディーンの姿を見つめて、


 その直後、粉々になって吹っ飛んだ。


 音が弾けた。

 銃の発砲音に似ていた。

 それを幾千にも重ねたような音。

 耳を塞いでも鼓膜を破りそうな轟音だった。


「……やれやれ」


 頭を振って耳鳴りをどうにか追いやろうとしながら、ディーンは砲撃の跡のような惨状の中に散らばっている「熊」の残骸を見下ろす。確認するまでもなく、もう死んでいる。

 ついでに言うと、近くにあった魔術装置も割とがっつり破壊している……さほど重要なものでなかったことを願うしかない。


「……向いてないよな。やっぱり」


 アリソンにこんなことを聞かれた怒られるだろうな、と思いながら、あれこれと苦労しながらようやく狼煙を上げる。

 黒々とした煙が上がったところで、一応のところ、万が一のことを考えて相手の探索者を迎えに出ることにする。

 空へ。

 ディーンは意識を集中する。

 スキルを使う。

 自身の周囲でのんびりふよふよしている空気を、がっしと鷲掴みにして「おう、ちょっと力貸せや」と脅しつけて命令を聞かせる――そんな物騒なイメージ。

 その瞬間に、周囲の空気は彼の一部となる。 彼のスキルによって無理やりに隷属させられた空気たちは「ちっ、しょうがねえなあ」とため息を吐きながらも彼に協力してくれる。


 目には見えない障壁となって。

 目には見えない砲弾となって。


 そして――目には見えない翼にもなる。


 渦を巻く風を周囲にばら撒いて。

 ディーンは、空へと飛び立った。

 狼煙の煙を見下ろす位置まで飛び上がったところで、その周囲を旋回飛行し、降下してくる探索者二人を待つ。


 ディーンは、空を飛べる探索者だ。


 実際は結構と制限も多いのだが、何かと便利なこの能力のおかげで、探索者としてディーンはそれなりに恵まれた立場にある。

 今回も、この能力のおかげでこのダンジョンのリーダーを任された――ちなみに、拠点の設営に関しては彼はど素人なので、はっきり言ってそれはアリソンに一任している。後々、報酬の分け前の相談をする必要があるだろう。

 ちなみに。

 探索者としては、こんな異名で呼ばれる。


 ――「空飛びディーン」。


 そのまんまだった。

 めっちゃ恥ずかしいよな、と思う。

 ずっと昔、実はちょっと憧れていた女性探索者のことを思い出して、少し可笑しくなった――それから、その相手がもうとっくにこの世にいないことを思い出して、ちょっとだけ悲しくなる。


「さて……」


 新しい探索者とやらは、一体、どんな方法で来るのだろう。

 可能性として高いのは、やはり自分と同じ飛行能力を持ったスキル持ちだ。

 とはいえ、もしそうであるならば、先方もさすがにその情報をこちらに伝えてくる気がする。

 だとしたら、どこぞの魔術学院なんかが研究している実験機でも使うつもりだろうか。例の、飛空艇に代わるべく開発中の飛行装置とか。その場合、実験が失敗してディーンが救出しなければならない可能性が極めて高い。できればやめて欲しかった。

 同じ魔術学院産の道具でも、パラシュートとかグライダーとか、その辺りの比較的実用化が進んでいるものであって欲しいし、まあ、常識的に考えてきっとその辺りだと思う。

 まさか、思いもよらない方法で来る可能性はないだろう、とディーンは思った。


 ――と。


「お、来た来た」


 沈む太陽によって赤色が混じり出した空。

 実は密かに視力には自信がある。

 その中から、ディーンは飛んでいる飛空艇の姿を見つける。余裕だった。ほとんど点のように見えるその飛空艇から、塵にしか見えない何かが飛び出したのも、ばっちりと見えた。

 空を飛びながらディーンは見上げる。

 やってくる塵のような影を見上げる。

 塵は点になって、面になって、その大まかな形状が確認できる距離にまで落ちてきたところで、よし、とディーンは思った。

 どうやらパラシュートだ、と安心した。

 一瞬だけだった。

 儚い希望だった。

 すぐに気づいた。

 パラシュートにしては少し小さかった。

 なんかフリルとか刺繍とか付いていた。

 ってか、どう見てもただの日傘だった。

 抱き合った女の子二人の相合傘だった。

 この上なく思いもよらない方法だった。


 ディーンは空中でコケた。


 つまり、制御を失って落ちかけたわけで、割とやばかったのだが、それ以上に眼前の光景がやばかった。


 ――え、何あれ。


 ディーンは、密かに自信を持っていた己の視力を全力で疑って、次に自分の正気を全力で疑った。

 アリソンに「なあなあ、僕って今正気かな?」とか後先構わずに聞いてみたかったが、ここは空中なので彼女はいなかった。

 こんなときに便利な「あれはUFOだ!」という言葉も、残念ながら今のこの世界には存在していなかった。


 ――え、何あれ。


 ディーンの思考はループした。


 ふわりふわり、と。

 日傘を傾け、見事としか言えない操作技術によって風に乗り、思考が完全に麻痺したまま飛んでいるディーンの近くに、少女二人がやってきた。


「どうも」


 二人の内、無表情な方の少女が言った。


「ええと……」


 ディーンはコメントに困った。


「……受け止めたりしなくて、大丈夫?」

「大丈夫です」


 と、無表情なまま少女は答えた。

 そんなわけで。

 空飛ぶ探索者が見守る中。

 空の上のダンジョンに、探索者の少女二人が新たに着地した――日傘で。

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