22.こちら探索少女二名、今回の後日談です。

 一週間が過ぎて、そしてまた朝が訪れた。


 ぴーっ、ぴーっ、と。


 通信機が着信を知らせる音を鳴らして、それによって叩き起こされたアリソンは、もぞもぞと寝袋から這い出す。

 今日もまた『いいじゃないっすか。下着姿でも』という心の囁きを振り払い、防護服をも着込んでから通信機に向かい、相変わらずのややこしい手順を終えて、連絡内容を確認する。


 どうやら迎えが来るらしい。やっと。


 アリソンは「絶対これ後回しにされたっすよねー」という愚痴を心の中でだけ吐きながら、テントを出る。そして隣のテントへと首を突っ込み、尋ねる。


「ディーン。生きてるっすかー」

「もうダメだ……僕は死ぬ……」


 と、今にも死にそうな、でも本当に死にそうな人間にはたぶん出せない声で返事があった。どっこい今日も生きているらしい。


「全身が痛い……ずきずきする」

「あんだけ無茶したら当然っす」


 と、アリソンは言う。

 なんせ普通に致命傷だったのだ。

 「竜」を倒したあの後、力尽きたように再びディーンは気絶した。

 とりあえず、その場で可能な限りの処置を施して、表面上の傷は回復させたのだが、肉体的にはまだダメージが残ったままらしい。目を覚ましてからもずっとこの調子である。たぶん戻ってからもしばらく治療が必要だろう。


「うーん……うーん……」

「今日、迎えと一緒に探索医の人が来るみたいなんで、それまでの辛抱っすよー」


 それだけ言ってテントから首を引っ込める。

 もっとも。

 たぶん半分くらいは、注射した薬剤の副作用だと思うが、それについてはアリソンは黙っておく。……探索医がこの手の融通の利かない相手でなければいいのだが。


 ちなみに協会の迎えがこうも遅れたのは、ディーンが負傷しているためでもある。

 ディーンの飛行能力が使えれば、ディーンが抱えていく形で通常の飛空艇へと一人一人送り迎えすることができる――実際、来たときはそれでやってきた。

 しかし、こうしてディーンが飛べない以上、協会としては飛空艇「以外」の特別な飛行手段を用意したはずで――あるいは、そのことで、後で文句の一つや二つ言われるかもしれない。

 まあ、それは別にいい。

 こっちはディーンのおかげで「竜」との遭遇戦を生き残ることができたのだ――アリソンとしては文句を言うつもりはないし、言わせるつもりもない。

 地上に戻ってディーンが回復したなら、お礼代わりに、キスはともかく酒くらいは奢ってやろうと思う。


「……お礼っすか」


 と。

 そこでアリソンは、近くに転がっているその物体を見上げた。

 ディーンが「魚モドキ」と呼んでいて、フーコが「らぷたー」と呼んでいた、どうやら昔は空を飛んでいたらしい魔術装置。

 今、そいつの腹はぱかんと開かれていて、そして開きっぱなしになったそのままで停止している――閉じることは、もうない。

 その瞬間を見ていた狙撃手の少年と、この「魚モドキ」だか「らぷたー」だかに詳しいらしいフーコ曰く「竜」を大穴へと突き落とした最後の一撃は、こいつが放った魔術兵器による攻撃だったらしい。

 理由はわからない。

 あのとき、あの瞬間にこいつが「竜」を攻撃した理由も、その魔術兵器が「本来の威力」を発揮しなかった理由も――そんな兵器を持っていたのに、それまで自分たちを攻撃しなかった理由も。

 わからない。

 ディーンがいつもやっていたみたいに「こんっ」と軽くそいつを叩いてやる。

 返事はもちろんない。

 フーコが言うには、もう完全に死んでしまっているらしい。


『できることはこれくらい』


 そう言って、フーコが摘んできた――というよりは、引っこ抜いてきた感じの花がそいつの前に乱雑に添えられていた。アリソンはその花をもう少し見栄えよく整えてやってから、その場を離れる。

 それから、アリソンは別のテントへと向かったが、そちらの相手はすでに準備を終えて外に出ていた。片手を挙げて挨拶をする。


「どもっす」

「おはようございます。副リーダーさん」


 と、礼儀正しく挨拶を返してくる彼女に、アリソンは伝える。



「今日、協会の迎えが来るみたいっす」

「そうですか」


 と頷いて、彼女はロープを持って両手をこちらに差し出す。


「では――どうぞ」


 今回の探索に参加しているメンバーの中では、フーコとマリーの次に若い彼女だったが、さすがに一部隊を預かる隊長だけのことはある――堂々としたものだ。


「……悪いっすね」


 と言ってアリソンは彼女から受け取ったロープを使って、その腕を拘束していく。


 協会からの連絡によると件のクーデター計画は、結局、失敗したらしい。本国で準備を進めていたクーデターの首謀者は逃亡し潜伏したが発見され、その後、戦闘の末に死亡したらしい。

 そして、そいつの命令によって、各地のダンジョンに探索者として潜り込んでいた連中も、現地の探索者と協会の迅速な対応(どうも胡散臭い。たぶん事前に情報を掴んでいたのだろう)によって派遣された探索者たちによって鎮圧され、拘束されたり投降したり――あるいは全滅を選んだりしたらしい。


 もちろんこのダンジョンでも同様のことが起こった――ということになっている。


 まあ別に嘘というわけではない。

 実際、ディーンとアリソンは彼女の部下と、マリーとフーコは彼女自身とそれぞれ交戦したわけだし。

 ただ、その後で「竜」がやってきて、それどころじゃなくなってしまっただけで。


「……一応、協会の側には『竜』との遭遇戦での協力のことは伝えとくっすよ」

「なら、私が『竜』を解放したこともちゃんと報告して下さい」

「それは内緒っす」

「いや、でも……」

「部下の責任はリーダーの責任っすよね?」

「ええと……まあ、そうですけど……」

「でも、ウチのリーダーはあの通りの奴なんで、何故だか副リーダーの私にその責任が回ってくるんすよ。そいつは嫌なんす」


 だから、とアリソンは言う。


「都合の悪いことは、内緒にするっす」

「……すみません」

「また蹴られるっすよ」

「……」


 いっひっひっ、と意地の悪い顔をしてアリソンがそう言ってやると、彼女は顔を青ざめて黙り込んだ。


      □□□


 ディーンが戦闘不能になっていた以上、彼女たちにも勝機はあった(その場合、真っ先に殺されていたのはアリソンだろう。なんせ完全に囲まれた状態だった)はずだが、隊長である彼女は「竜」との戦闘を終えた後、すぐさまこちらに投降した。


「だいたい全部、私のせいです」


 と、彼女は言って頭を下げた。


「すみませんでした。みなさん」


 気絶したままのディーンとアリソンに。

 大穴から戻ってきたマリーとフーコに。

 それから、彼女の部下たちに対しても。


「本当に――すみません」


 そんな彼女を前にして。


「むう」


 と、フーコが声を上げた。

 どことなく不満げな声だった。

 おんぶしていたマリーを背中からまず降ろし「え、どしたの? フーちゃん?」とマリーに尋ねられて「んむ」と返事なのか何なのかよくわからない言葉を返して、


「ていっ」


 と、フーコは跳んだ。

 そのまま、頭を下げていた彼女に向かって飛び蹴りを放った。がっつり肌を出していてもちゃんと頑強な編み上げブーツを履いた脚が繰り出した、それはそれは容赦ない一撃である。

 彼女には、悲鳴すら上げられなかった。

 そりゃもう、すげー勢いで吹っ飛んだ。


「フーちゃんちょっとおおおおおおっ!?」


 彼女の代わりにマリーが悲鳴を上げた。


「何やってんすかああああああっ!?」とアリソンも叫んだし「隊長おおおおおおっ!?」と軍曹も悲鳴を上げて駆け寄り「ぶっ殺すぞてめえええええええっ!」とデブは即座にフーコに殴り掛かろうとして「やめろ待て馬鹿やめろおおおあああっ!?」と皮肉屋がそれを全力で止めに入り「うっわ! めっちゃ美脚っ! ぐっじょぶっ!」と狙撃手の少年は何やらひたすら感動していた。


「とうっ」


 と、そんな阿鼻叫喚の状況の中、フーコは空中で鮮やかに姿勢を整え、華麗な着地を決め、よくわからないポーズまで取ってみせた。ドヤ顔だった。


「とおぉっりゃあああああああああっ!」


 とりあえず、マリーがそんなフーコの顔面を腰の入ったグーで殴った。

 数分後。

 即座に反撃に転じたフーコとガチで取っ組み合って――途中、皮肉屋を振り切って乱入してきたデブを「「じゃまっ!」」の一言で二人でコンビネーションを掛けて場外にぶん投げつつ――大喧嘩を繰り広げた結果、いつも通り組み伏せられ、完璧に関節を極められ、割とスカートが際どい状態になり、さらに頭にはでっかいタンコブまでこさえながら、それでもマリーは意地と根性で叫んだ。


「フーちゃん何考えてんの馬鹿じゃない!?」

「『終わったことをぐだぐだ抜かすのは良くない』って、お兄ちゃんが言ってた」

「蹴っていいとは言ってないよね!?」

「ちなみに、お姉ちゃんにベッドの下に隠してた本を捨てられた後、正座させられて怒られてるときに泣きながら言ってた。『だからごめんもう許して下さい』って」

「その補足情報別に要らないよおっ!」

「けれど、その後でお兄ちゃんはお姉ちゃんに容赦なく蹴られてた――というわけで、私も容赦なく蹴った。つまりそういうこと」

「さも話が繋がってるように言ってるけど、全っ然繋がってないよ!? 機関銃作った人並みに無茶苦茶なこと言ってるよ!?」

「さてい、のことは――」


 と、フーコはマリーを無視し、完全に昏倒している彼女のことを指差す。


「――私がさっき許した。だから」


 ぐるり、とフーコは周囲を見回す。


 いつでも逃げ出せるよう距離を取っているアリソンを見て、昏倒した隊長を介抱している軍曹を見て、ぶん投げられたまま倒れ伏し沈黙しているデブを見て、一瞬でデブをぶん投げた少女二人に腰を抜かしている皮肉屋を見て、「見え……ないっ! くそっ! 鉄壁かっ! ――って、うわぁっ!?」と地面に這い蹲りながら悪態を付いていた狙撃手の少年の鼻先目掛けマリーのスカートから取り出したナイフを投げつけ、


 それから、フーコは全員に告げる。


「誰にも文句は言わせない」


 しばしの沈黙があって、それから、


「……ねえ、フーちゃん」


 と、組み伏せられたままのマリーが言う。


「それ言いたかったの?」

「うん」

「……なら、蹴っ飛ばす前に言おうよ」

「そう?」

「だって聞こえてないよ」

「むう」


 フーコはマリーを組み伏せたまま、しばらく黙り込み――それから、軍曹に介抱されている彼女へと視線を戻して、そして言った。


「……ごめん」


 フーコはちゃんと謝れる子である。


      □□□


 機材の回収は最小限でいい、とのことだった――どうやら、後で別の探索チームが派遣されてくる予定らしい。


 これは朗報だった。


 今回の探索任務の依頼主はクーデターを計画した人物であり、その人物はもういない。つまりそのままだとアリソンやディーンは完全な無駄働きになるところだった。

 が、協会はどうやら別の依頼主を見つけてきたらしい――あるいは、最初から見つけていたのかもしれないが――ともあれ、このダンジョンの探索はそのまま継続されることになり、これまで仕事した分の報酬は支払われるとのことだった。


 朗報はまだあった。


 探索者として潜入していたクーデターのメンバーを鎮圧したこと――そして、本来なら専門のチームが必要な「竜」を遭遇戦において撃墜したことで、追加の報酬が支払われるらしい。

 それらを全部合わせれば、協会側から支払われる報酬は結構な金額になる。

 破格の待遇である。


 諸手を挙げて馬鹿みたいに喜びたいところだが、おそらくはディーンがいるからだろう、とアリソンは予想する。

 協会では、現在、優秀な探索者や探索チームが各国の「お抱え」として引き抜かれる事態が多発していて問題になっているのだ――おそらくは、その対策としての措置だろう。

 本人に自覚はないだろうが、そもそも「空飛びディーン」は、いつそうやって引き抜かれてもおかしくない探索者なのだ。

 飛行能力は利便性が高いし、通常の威力探索で必要とされるレベルとしては十分過ぎる――例えば「熊」の集団を相手にしても容易に制圧できる――戦闘能力を持っている。


 そして今回、遭遇戦で「竜」を倒した。


 もちろん完全にディーン一人の功績ではないのだが、そんな詳細は伝わらないだろうし、一番の功労者であることは間違いないわけで――まあ、控え目に言って、どこの国に雇われたところで、今の数倍は稼げるはずだ。


 協会が引き抜きを警戒しても、これっぽっちもおかしくないのだ。


 もっとも、


「……あー……うー……」


 などと、アリソンに肩を預けて死人みたいな声を出して歩いているその男は、そんな器用な真似ができる奴じゃないのだが。


「ほら、しっかりするっすよ」


 場所は、先日の戦闘の傷跡が色濃く残っている例の大穴の近くである――なるだけ上空から場所で待機してもらいたい、という協会からの指示によるものだ。


「もうすぐ迎えが来るっす」

「ううう……」

「あ、あの……だ、大丈夫なんですか? リーダーさん?」


 と、手首を縛られている隊長の彼女が心配してくるが、


「こんな風に、うーうー、言ってる間はこいつは大丈夫っすよ」


 と、アリソンは笑ってみせる。

 もちろん、この場にはディーンとアリソンと隊長の彼女以外のメンバーも揃っている。軍曹も、デブも、皮肉屋も、狙撃手の少年も、今は全員が拘束された状態で協会からの迎えが来るのを静かに待っている。


 が。


「後は、あの二人っすねー……」


 あの二人。

 フーコとマリーが、この場にはいない。


「ちゃんと間に合えばいいんすけど、」


 と、アリソンが言いかけたところで。


 ――すとんっ、と。


 「熊」にしては妙に小さ過ぎる音がして、アリソンがそちらを振り向いたときには、もうそこにいた。


 フーコとマリーだった。


「間に合ったぁっ! 経路探索完了っ!」

「ぎりせーふ」

「まだ経路図に起こす作業が残ってるけど! ちゃんと手伝ってね、フーちゃん!」

「やだ」

「ダメ! フーちゃん人の名前は覚えられない癖に、この手の記憶力はいいんだから! 今夜は徹夜だよ! 寝かせないよ!」

「うー……」


 などと言い合ってる二人に、


「…………ど、どーもっす」


 先日の「竜」が襲撃してきたときのことを思い出して、心臓をばっくばくと鳴らしていたアリソンは、何とか呼吸を整えて話しかける。


「ただいま戻りましたっ! まだ迎え来てないよね? アリソンさん?」

「せーふ?」

「セーフっすよ」


 この一週間、この二人は経路探索の作業に勤しんでいた。大穴からダンジョン内部へ潜って探索に出向き、戻ってくると探索してきたその経路を図に書き込んでいく――そして、どうやら今回の探索分でそれは完了したらしかった。

 だが。

 わー、よかったよかったー、などと言っているフーコとマリーに、気になっていたことをアリソンは尋ねる。


「あの……お二人の報酬って、どうなってるんすか? 今回のクーデターで依頼主いなくなったはずなんすけど……」


 もちろん、アリソンとしても、この二人の経路探索の報酬がどうなるのか協会に問い合わせをしたのだが「その二人の探索については、貴方がたとは別の案件となっているのでこちらからはお答えできません」との回答が来ていた。

 どうなっているのかと話を聞こうとしても「忙しいからまた後でね!」とマリーに言われ続け、結局、ここまで聞けないままだったが――もしこれで協会側の都合だの手違いだので彼女たちの報酬が〇だったりすると、あまりよろしくないことになる。

 単純に、自分たちだけが大金を貰っては彼女たちに悪い、というのもあるが、それよりも状況的に「若い女の子の探索者二人から報酬を根こそぎぶん取った」として周囲から見なされるのがやばい。

 ディーンもアリソンもフリーの探索者であって、同じフリーの探索者たちと集まって共同で探索を行ったり、他の探索チームの助っ人として仕事をしたりするのが基本なので、その手の誤解は仕事に支障を来す――というか、そんな悪評を立てられること自体が普通に嫌だ。

 場合によっては、アリソンから協会に掛け合うか、ディーンとアリソンの貰った報酬の何割かを無理やりにでも二人に受け取ってもらう必要がある。

 そう思ったのだが、


「あ、大丈夫だよ」


 と、フーコの背中から「よっこらせ」と降りながらマリーが答える。


「私とフーちゃん、協会から直接依頼受けてきてるから」

「直接? 協会から?」

「うん、そう! リィルさんって人から!」


 アリソンは自分の記憶を探ってみたが、その協会員の名前は知らなかった。どこで必要になるかわからないから、協会員の人間の名前は可能な限り調べて頭に入れるようにしているのだが。


「だから、迎えが来るまでにちゃんと探索終わって良かったよー。こんなときでも融通利かせてくれないんだもん」

「……」


 アリソンは少し考える。


 依頼主――要するに、ダンジョンを探索するにあたって金を出してくれる相手――がいなくても協会自身が直接探索者に依頼を出す、ということは確かにある。

 例えば「竜の要塞」の監視任務なんかはその中でも特に有名だ――騙されて痛い目を見る新人が多い、という意味で。

 他にも、ダンジョンで行方不明になった探索者の救助活動や、ダンジョンで「竜」を討伐するために組まれる専門チームなんかも協会の依頼で行われている。

 そして初期探索や経路探索の依頼も、協会が行うことが少なくない。

 依頼主を探す際、そこがどういうダンジョンで、どれぐらいの探索者が必要で、どれぐらいの魔術装置の回収が見込めるか――そういった見積もりを出すために必要となるからだ。


 ただし、それは依頼主がまだ見つかっていないダンジョンの話だ。


 今回、アリソンたちが件の依頼主から受けていた探索依頼の内容は、初期探索も済んでいないようなダンジョンに拠点だけをとりあえず設置する、というもの。

 つまりは、依頼主の縄張り作りである。

 そういった依頼が行われている真っ最中に、協会が独自に経路探索者を送り込む、ということはまずしない。そんなことをすれば絶対面倒くさいことになるに決まっている。依頼主を通して話を進めるのが普通だ。


 ただし、それが偽装だと最初から分かっていたなら話は別だが。

 

 こうなってくると、依頼主からディーンに指名があった、という協会の説明も胡散くさくなってくる。

 例え嘘ではなくても、依頼主が「空飛びディーン」のことをよく知らず、何人かの候補者の一人として提示され、ただ空を飛べる「だけ」の探索者だと説明されていた可能性はある。

 もしも、そうだとすれば、


「……やめっす」


 そこで、アリソンは自身の思考を意識的にぶった切った――絶対ろくな結論は出ないし、出たところで、自分がどうこうできるレベルの話じゃないし、それに。


「あっ!」


 と、マリーが上げた声をかき消すようにして、ばりばりばりばり、と頭上から音が降ってきた。飛空艇のプロペラの音に近いが、それとは少し違う音。アリソンは空を仰ぎ、その音の発生源を確認する。

 成程、飛空艇とは音が違うはずだ。

 なんせ、飛空艇とはプロペラが付いている位置がまるで違う――その魔術装置のプロペラは頭上と寸胴な胴体から生えた尻尾の横に設置されている。

 魔術学院で一度実物を見せられたとき、本当にこんなものが飛ぶのだろうか、とアリソンは疑念を持ったものだが――そうか飛ぶのか、と実際に飛んでいる姿を見た以上は納得するしかなかった。


「うわぁ」


 と、マリーもその魔術装置を見上げる。


「輸送用の大型ヘリなんて持ってたんだ」


 と言ってちょっと驚いているが、空を飛ぶヘリコプターを見上げるアリソンを含めた他の連中ほど仰天してはない。やっぱりこの娘ちょっと普通じゃないな、とアリソンは思う。


「だけど、幾ら全自動操縦の大型機でも、この高度まで上がってくる結構無茶するよねえ、フーちゃん――フーちゃん?」

「……」


 と、呼びかけられたフーコはというと、無表情で頭上の魔術装置を見上げ、


「……ヘリコプターは邪道……垂直離着陸機さえあればいい……」


 と何やら、ぶつぶつ、と言っている。

 この娘はこの娘でちょっと普通じゃない、とアリソンは思う。


 ばりばりばり、と。


 回転翼を鳴らし、周囲に空気をまき散らしながら、アリソンたちの前へとヘリコプターは着陸した。

 それと同時に、胴体の扉が開いて、中から小柄な人影が飛び降りるようにして現れる――自分たちと同じような探索用の服装の女性。しかし、そこに描かれたマークにアリソンは目に止める。


 ――探索医だ。


 その小柄な探索医はヘリコプターから降りてくるなり、アリソンに抱えられたディーンを見て、


「お久しぶりです――ディーンさん」


 と言った。


「ありゃ、知り合いっすか?」


 とディーンを見ると、ディーンは例によってどうも相手を覚えていないらしく、目をぱちくりとさせて彼女を見ている。


「ええと……」


 と目を泳がせているディーンに特に気を悪くした様子もなく、探索医の彼女はディーンの様子を確認すると、懐から注射器を取りだし、


「とりあえず、お注射打ちますね」


 と言った。


「あ」


 その瞬間、ディーンの中で何かが繋がったらしく、そのぽんこつな記憶の中から一つの言葉が滑り落ちた。


「『ただし研修中』――」

「今は立派な探索医です」


 という言葉と、にこやかな笑顔と、注射器がディーンの首筋にぶっすりと刺さったのとは同時だった。


 一撃で昏倒した。


 アリソンは、いやこれ大丈夫なんすか死んだんじゃないんすかと、だらり、と力を失ったディーンを見て思ったが「お預かりしますー」と笑う探索医の彼女が怖かったので「ど、どうぞっす」と引き渡すと「どーもです」と、よいしょ、と言って探索医の彼女はディーンを受け取った。

 幾らディーンが痩せているとはいえ、大の男一人を平然と背負いながら――いや、フーコもマリーを当たり前のようにおんぶしているのだが、見た感じあれは幾ら何らかのスキルが作用しているのだと思う。目の前の探索医はたぶんただのの腕力だ――彼女は笑顔で新たな注射器を取り出して、


「他に怪我してる方はいませんかー?」


 アリソンは地味に幾つか擦り傷を作っていたが、とりあえず今は黙っておくことにする。下手するとそれだけの怪我でも「痛むんですか? では」で注射器を打たれかねない。そういうやべー気配があった。

 なので、ディーンには悪いがアリソンは黙っておいた。横目で見ると、拘束されてる軍隊の連中もマリーも、フーコですら口を噤んでいた。

 そのおかげかどうかは知らないが、彼女の注射器が次の犠牲者を出すことはなく、


「では、みなさん! お乗り下さい!」


 と言って、ディーンを背負ってヘリへと乗り込む彼女。魔術者による操縦かと確認してみたが、彼女以外に乗員は乗っていない――どうやら「熊」やら「竜」なんかと同じ代物らしかった。


「じゃあ――乗るっすよ」


 と言って、一応のところ、体裁を整えるためにアリソンは銃を構えつつ、拘束されている軍人たちに先に乗るように促す。


 その言葉に促され隊長が一礼をし、


「……それでは」


 ヘリに乗り込もうとしたそのとき。


「さてぃ」


 と、唐突にフーコが彼女の名前を言った。

 その人差し指が、彼女に向けられている。

 何か言うのか、それとも、また蹴っ飛ばすつもりなのか、と指差された隊長とそれを見ているアリソンは戦々恐々とした顔をフーコに向けた。

 だが、フーコの人差し指は、じゃきん、と擬音が聞こえそうな素早さでその先端を今度はアリソンへと向けて、


「ありそん」


 と、今度はアリソンの名前を呼んだ。


 ――ぱちくり、と。

 ――ぱちぱち、と。


 隊長とアリソンが困惑して視線を交し合い、マリーに説明を求める視線を向ける。


 ――ぱちりっ、と。


 マリーは片目を瞑ってみせると何故か、ふんす、と胸を張ってみせた。

 ドヤ顔だ。

 いや、ちょっと意味がわからない。

 二人が鬼畜小悪魔ちゃんとのアイコンタクトに失敗しているその間にも、フーコの人差し指はその照準を切り替え、容赦なく別の標的を捉えている。


 今度は、軍曹である。

 いかにもな風貌の男。

 ただし、趣味はガーデニング。

 フーコは人差し指を向け、またもや躊躇いなく言葉を撃った――彼の名前。


「じゃっくす」

「お、おう? な、何だ?」


 撃ち込まれた言葉に軍曹が戸惑っているその間にも、フーコの銃撃は止まらない。

 次の獲物は、皮肉屋だった。


「す――」


 と、そこまで順調だったフーコの銃がそこでついに弾詰まりを起こした。フーコはちょっと焦ったように、宙を仰いで、俯いて、ジャムった記憶の薬莢をどうにか排出し、何とか再装填して、慌てて撃った。


「――す、すぱんく」

「いや俺、スパイク」


 フーコが本気で申し訳なさそうな顔をした。


「ごめんなさい……」

「別にいいけど……」


 と、皮肉屋としては言うしかない。

 こんなときに皮肉なんて言えない。

 だが、フーコは律儀に言い直した。


「すぱいく」


 そうして続く標的は、デブである。


「ぜぽっと」

「おう」


 と、デブは意外にもフーコによる謎の銃撃に対して、冷静に応じてみせた。


「なあ、嬢ちゃん――お願いがあるんだ」

「なに?」

「俺ぁ単細胞な戦闘バカだからな――嬢ちゃんたちみたいに強ぇ奴が好きだ」


 先日、フーコとマリーに物の見事にぶん投げられたデブは獰猛な笑みを浮かべた。


「そして、美少女しか描けねえ絵描きだ」

「ふむ」

「……嬢ちゃんらモデルにして良いか?」

「許す」

「いや、ちょっと待って。それは待って」


 と、そこまでドヤ顔だったマリーが慌てて、割って入ろうとしたが、そのときにはすでにフーコとデブの間で言葉に依らない交渉が成立しており、


「見てろ。最高の美少女絵を描いてやる」

「約束」

「おう――必ずやってやる。見てやがれ」


 と、フーコとデブの間で何らかの契約がなされる横で「フーちゃん駄目だよっ!? それ絶対私たち薄い本にされちゃうよっ!? きっと二人揃って抱き枕とかにされちゃうんだよっ!? ねえちょっとぉっ!?」とマリーが必死に訴えているがフーコは無視して、狙撃手の少年に人差し指を向け、


「そん」

「あ、俺の名前も覚えてくれてたんだ。いやあ、美少女に名前覚えて貰えるなんて嬉しいなあ。ちなみに、先日の飛び蹴りは見事だった。すげー美脚だったなあ。うん」

「一つ言っておく」

「え、告白っ!? いやあ照れるなあっ!」

「もしまたマリーのぱんつ覗こうとしたら」


 とフーコは、それまでと異なり、言葉の弾丸に本物の殺意を装填して――告げた。


「今度はホントに刺す」

「あっはっはっ――すんませんっしたっ!」


 と両手を縛られたままで、器用に頭を地面に擦り付けて謝る少年を冷たく無視し、そこでフーコは人差し指は、唐突に明後日の方へと向けられる。

 いや、違う。

 その方角には、ぱかり、とお腹を開いたまま死んでいる「魚モドキ」がいる。


「らぷたー」


 そうして、その場にいた全員を一掃したフーコの銃撃は、ついにようやく、という感じに探索医の女性に担がれた気絶しているディーンへと向けて発射された。


「リーダー――でぃーん」


 そこでフーコの人差し指が下りて、唐突に始まった問答無用の言葉の銃撃は、始まったときと同様、唐突に止んだ。


「そして、マリーと私」

「うん! ばっちり!」


 そこでマリーがフーコを抱き締めて、それから、その頭を撫でる。


「よしよし。ちゃんと言えたねー」

「えらい?」

「えらいえらい」


 それから、フーコが笑った。

 気づけるか気づけないか本当にぎりぎりな感じの、そんなめっちゃ微妙な笑みだったが、何だかんだで一週間一緒に過ごしていたその場の連中には、ちゃんとそれが分かった。


「仲間」


 フーコは言った。


「みんなで『竜』を倒した――仲間」


 その言葉に。


「仲間、ですか」


 隊長が――サティが、釣られるように微笑んで、フーコに向かって言った。


「ありがとう。フーコちゃん」

「どういたしまして。さてぃ」


 そしてヘリコプターに、サティが乗り込み、その後に軍曹――ジャックスが続く。

 彼はフーコの奇行には戸惑ったままだったが、サティが何やら微笑んでいたので、それなら別にいいか、と思った。どうせ若い娘たちの気持ちなんざ分からない。

 だから、フーコには無言で敬礼だけして、彼は黙々と自身の隊長の後を追った。

 それに続くのは皮肉屋――すぱんく、ではなくスパイクだ。


「すぱいく。すぱいく――うん覚えた」


 と、フーコが言う。


「もう、今度はぜったいに間違えない」

「いや――いいって、そんなん別によ」


 スパイクはそんな様子のフーコに笑う。

 彼にしては、皮肉っぽさのない笑みで。


「俺みたいな、捻くれもんの名前をよ」


 ヘリに乗り込んで、スパイクは言った。


「覚えてくれようとしただけで十分さ」


 その次に、ヘリの機体にその巨体をえっちらおっちら押し込みながらデブ――ゼポットはフーコとマリーを見て、


「ちゃんと約束は守るぜ。嬢ちゃんたち」


 そうゼポットは告げて、


「うむ」


 とだけフーコは頷いて、


「ちょっとアレなのはダメだからねっ!」


 とマリーは釘を刺した。


「いやあ。はっはっ」


 と、狙撃手の少年――ソンは、先程地面に擦り付けた額を真っ赤にしつつも、何事もなかったかのように朗らかに笑って、


「そんじゃ。また会えたら、今度こそぱんつ見せて下さいね」


 フーコは、即座にマリーのスカートから勝手に抜き取ったナイフをぶん投げた。

 本気で額を狙った。

 ひええっ、と悲鳴を上げてソンはヘリの中へと引っ込む――懲りない奴である。


「んん?」


 と、最後に残った形になるアリソンはそれまでのやり取りから奇妙なものを感じ取り、自分もヘリに乗り込みながら、フーコとマリーの二人に尋ねる。


「何かここでお別れ感出してるっすけど――お二人さんヘリには乗らないんすか?」

「うん。さすがにこの高度を飛ぶには定員オーバーだからねー。私たちは別ルート」


 と、マリーが答える。

 それに応じるように、アリソンが乗り込むのと同時に、フーコとマリーが乗り込むのを待たずに、ヘリの回転翼が回り出す。


「えっと……じゃあ、どうするんすか?」


 と、アリソンは至極真っ当な疑問を投げかけた。


「もちろん」とフーコが言った直後。

「こうする」とマリーが言った直後。


 ぎゅう、と。

 フーコとマリーは抱き合って、


 ふわり、と。

 マリーのスカートが翻った後、


 ばさり、と。

 二人の頭上に日傘が広がった。


 フリルとか刺繍とかが付いている、めっちゃ可愛い、いかにもマリーの持ち物という感じの日傘だ。よく見ると端っことかがちょっと焦げていたりするのだが、どうやらテープらしきもので補強してあるらしい。

 いやそれ大丈夫なのか、という疑問がアリソンの中に一瞬だけ沸いた。

 その直後に思う。いや、というか、そもそも、そんなもので本気で――


 飛んだ。

 日傘で。

 二人が。

 大穴へ。


「じゃあね! アリソンさん!」

「ばいばい」


 そんな叫びを残し、そのままアリソンたちの視界から二人が消えて――それに合わせたかのようにヘリコプターの扉が自動で閉まり、機体が上昇を始める。上昇したことで、大穴の様子が見える。

 大穴の中を、アリソンは、サティは、ジャックスは、スパイクは、ゼポット、ソンは、それぞれが窓に押し合いへし合い張り付くようにして見下ろす――そこに。


 ふわり、ふわり、と。


 日傘なんかで空を飛んでいる二人の姿。


 まあ、さすがにあのまま下まで降りるということはなくて、どこかで飛空艇に回収される予定なのだろうけれど。たぶんそれは失敗すれば死んでしまう結構シビアな作業になるのだろうけれど――でも、全然そんな感じはしない、どころか何だかそのまま下まで降りていってしまいそうな感じがしてしまう、奇妙にのどかな光景。


「あの二人って。何だか――」


 サティが微笑みながら呟いた言葉の続きを、アリソンが呆れたように引き継いだ。


「――やたらと楽しそうっすよねえ」

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