どこかの酒場での探索者の話。
◇◇◇
お久しぶりです。兄さん。
唐突ですが、現在、僕は入院中です。
先日の探索で、ちょっとばかり「竜」と遭遇して、物の見事にしてやられた形です。それでも、命があるだけでまだマシだ、と友人は言います。僕もそう思います。ちなみに、友人は今も見舞いで来てくれていて、ちょうど隣で果物の皮を剥いてくれてます。良い奴です。いずれ機会があったら紹介しようと思います。
探索者に貸与されている魔術による治療薬の効果は凄まじく、外見上の怪我はほとんど治っているのですが、内側の方は大分ずたずたになったままらしく、また、薬の副作用もあるそうで、リハビリを含めて入院は長引きそうです。幸い、探索者専用の協会直属の病院は入院費が免除されるので、お金の心配をしなくて済みます。
しかし、こうなってしまうと眠ること以外何もすることがないのが、僕です。
いや、怠け者の僕としては全然それで構わないのですが、友人にそういうのは健全ではないと言われてしまいました。もちろん先程の友人です。ちょうど今、皮を剥き終わった果物を僕に差し出してくれたところです。切り分けたりされていません。そのままでフォークが刺さっています。こういうところはちょっとお茶目な友人です。
でも、僕にはこれといった趣味がありません。看護師の人に頼むと今日の新聞を貸してくれますが、僕には新聞を読む習慣もありません。
じゃあとりあえずこれでも読んでいるように、と友人が物語の本を貸してくれましたが、僕にはどうしても難しくて最初の3ページで投げ出してしまいました。そのことがバレて、先程ものすごく怒られたところです。
ちなみに、それはどうやら解読された魔術書の物語の一形態がこちらで定着し普及したものらしく『エスエフ』と呼ばれている物語らしいです。
具体的にどういうものが『エスエフ』なのかと尋ねたところ『いいっすかディーン。あんたがエスエフだと思ったものがエスエフなんす。それ以上の議論は危険っすよ』と言われました。恐ろしい話です。さすがに元々魔術書に描かれていた物語の一形態ななだけはあります。
そんなあれやれこれやがあった末に――これを機に、僕は数年ぶりに、兄さんに手紙を書こうと思い立ちました。
もちろん兄さんも知っている通り、僕は頭も悪いし、喋るのだって得意とは言えません。書くことだって同様です。真っ当な手紙の書き方になっているとも思えません。この時点で腹が立ったらごみ箱に破り捨ててしまって構いません。それでも、もしここまで読んでくれてるなら、最近の僕の近況を伝えたいと思います。
◇◇◇
それから、近況報告を書き始めた辺りで、ディーンは悪くなっている部分だけが丁寧に削り取られたほぼ皮付きの果物に直接フォークがぶっ刺さった代物(つまり手紙では控え目な表現をした。お茶目ってレベルではなかった。いやその、見舞いに来てもらっておいてなんだが、でもなんか、こう、餌っぽい)をかりかりと齧りながら、ベッドの横の椅子に両足を綺麗に揃えて座り、例の「エスエフ」なる本を読んでいるアリソンに尋ねた。
「ねえ、やっぱり代筆してくれない?」
「ダメっすよ」
ぺらり、と。
アリソンはディーンが三行で投げ出した(つまり手紙では見栄を張った。難しいってレベルではなかった。何を言っているのかちょっとわからなかった。あらすじがあったので、あらすじを読めば概略くらいは掴めるだろうと思ったのだが、あらすじの意味もわからなかった)本のページをめくりながら、容赦なくディーンの言葉を切って捨てた。
「そういうのは自分で書くものっす」
と言うアリソンは、その本についてディーンと「だって最初の行からもう何言っているのかすでにわからないんだよ!」「わからないから面白いんすよ!」とマジ喧嘩したことでまだちょっと怒っている。
いや、怒っていなくても同じことを言ったとは思うが。
ところで今の彼女は、当然、探索用の防護服姿でなくて私服だ。
探索業の方で先に出会った人間の八割が思うらしいが、何か意外と思ったより――というか割と普通に、私服のアリソンは美人らしい。はっきりと「え、嘘!? 別人!?」と口に出してアリソンに笑顔で睨まれる奴もいる。
ディーンはその手のことに疎いのでよくわからないが、確かにまあ、スカートとかヒールの靴とか履いてるし、控え目だが装飾品の類も付けてるし、化粧もしてる。
マリーほど極端なアレではないが、百年前とは比較にならないほど服装が自由になった今の時代においては、いかにもおとなしめの女性といった格好だ。
それから暑い日でも絶対に長袖。何か理由があるのかないのか、あんまり興味がないので聞いたことはない。
このおしとやかな外見にまんまと騙される男共(基本的に一般人。探索者は何故かほとんど彼女に声を掛けようとしない)が彼女と付き合ってみて、その後、アリソンの魔術者かつ探索者らしいタフでハードで微妙に面倒くさい内面とのギャップに凹まされて逃げ出すのだと聞く。
ちなみに、ディーンはというと、アリソンのことを「アリソン」としてきちんと認識するまでの間、私服姿の彼女ことを全然別の女性だと思っていて「この女性は自分に対してどうしてこんなに親しげにしているんだろう?」と会う度に考えていた。
ぺらり、と。
またページがめくられ、アリソンが言う。
「添削もしないっすから」
「……わかったよ」
それ以上は諦めて、ディーンは筆を取って、手紙の続きを書き始める。
◇◇◇
――とまあ、近況はこんな感じです。
探索者としてはそれなりに上手くやってる方だと思いますが、大半が友人のおかげという気もします。実際、事務的な手続きでは友人に頼り切ってばかりですし(この病院の手配も友人がしてくれました)、同業者の間でも、何だかもう二人で一セットの扱いになっていて、ならもういっそ組んでしまうか、という話も時々しています。
その友人は、今は僕の隣で、例の「エスエフ」の本を読んでいます。お見舞いに来ておいて本を読み出すことの是非はよくわかりませんが、僕個人としては、この時間が何となく気に入っています。
ページをめくる音に、子供の頃、妹たちと一緒になって兄さんに読んでもらっていた本のことを思い出すおかげかもしれません。
覚えているでしょうか。
家にたった一冊だけあった、兄さんに何度も何度も読んでもらって、おかげでぼろぼろになってしまっていた本。
竜退治の英雄の物語。
兄さん。
僕は、恥ずかしい話なのですが、その物語の英雄にずっと憧れていたんです。あのとき妹に言った言葉は、ただ、後に残していく妹のために吐いた嘘というだけじゃありません。あれは僕の本音でもあったんです。
分不相応にも。
僕は「竜」と戦い、たくさん仲間の力を借り、何とか撃退することができました。
ですが。
むしろ、自分は物語の中に出てくる英雄とは程遠いと、僕は確信しました。
今回、僕はずっと怖かったし、もし友人や仲間がいなければ、間違いなく死んでいました。そのことを考えるとやっぱり怖いです。
僕は人より少しだけ特別な力を持っているだけの、ちっぽけな、ただの人間です。
以前の僕には、その事実を認めることがとても悲しくてたまらなくて、そしてそれからも、認めることができませんでした。
でも今は。
それでもいい、と思えます。
ようやく思えるようになりました。
……こうして自分で書いてみた文章を自分で読み返してみましたが、半分ぐらい、自分でも何を書いているかよくわからない文章になってしまったように思えます。わけがわからないところは、無視してもらって構いません。
これ以上書いても、たぶん、もっとぐちゃぐちゃになってしまいそうなので、この辺りで筆を置こうと思います。ここまでゴミ箱に捨てずに読んでくれたのなら、ありがとうございました。
最後に、もし、ですが。
もしも、可能でしたら。
僕が退院したときに、どうか一度会ってやって下さい。そして一緒に酒でも飲みましょう――そのときには、件の友人も紹介しますから。
では、お身体に気を付けて下さい。
どうかお元気で。
◇◇◇
手紙はアリソンに出してもらった。
返事はあまり期待していなかった。
読まれることもないと思っていた。
しかし返事の手紙は兄から届いた。
手紙は退院の日に届いて、退院祝いの花束と一緒に、アリソンが差し出した。
受け取ったそれを開いて、読んだ。
◇◇◇
なあ、ディーン。
お前は、本当によく頑張ったんだな。
兄として、俺はお前を誇りに思うよ。
でもお前とはまだ会えない。すまん。
けれども約束するよ。
いつか絶対に会おう。
そして俺とお前で一緒に酒を飲もう。
それまでは死ぬなよ。
俺も生き延びるから。
約束だ。
◇◇◇
そこまで読んだときにだった。
最後に添えられた。兄の名前。
そのインクが水滴でにじんだ。
とっさにディーンは、手紙と花束とをアリソンへと無理やり押し付け、そしてすぐさま彼女に背中を向けた。
「ディーン」
と、手渡したばかりの花束と手紙をすぐさま突っ返された形になるアリソンは、けれどそれに対しては特に文句も言わず、代わりに、いかにもな真っ白で清潔で綺麗な刺繍の入ったハンカチを、ディーンの顔を見ないようにしつつ差し出した。
「使うっすか?」
要らない、とディーンは言って服の袖で自分の顔を拭った。「ディーンは、意外とこういうとき格好付けるっすよねえ」とアリソンは、いっひっひっ、と笑ってから。
ぽんぽん、と。
何度も何度も服の袖を拭って、肩を震わせ続けているディーンの背中を、アリソンは何も言わずにただ優しく叩いてやった。
◇◇◇
追伸。
それはそうと、だ。
その、お前の友人とやらについてだが。
もし、一度俺に会わせて紹介しておく必要があるとお前やその友人が思っているなら、そんなことは別に気にしなくていい。
俺もさして経験があるわけじゃないから、大したアドバイスはできんが、こういうのはタイミングが大事だとも聞く。お前はもう立派に一人前の男なんだから、お互いの気持ちが決まっているなら、後は好きにすればいいんだ。
もし向こうの御両親がそれでは納得しないというなら、もう一度手紙を寄こせ。そのときは――そこは何たって、弟の幸せのためだ。多少、無理や無茶をしてでも会ってやる。
まあ何にせよ、だ。
お前の言うところの怠け癖は、お前が思っている程には悪癖じゃないと俺は思っているが、この場合は話が別だ。
女性を待たせ続けるのは良くない。
そこはちゃんと急げよ。ディーン。
□□□
待ち合わせの酒場にディーンは着いた。
約束の時間の三十分前だった。
兄の手紙のせいかもしれない。
アリソンとはそういう関係ではないのだ、という訂正の手紙を出すべきかとディーンはちょっと思ったが、面倒だったし、まあ勘違いされていたところで実害はないだろうと出さなかった。
何だか選択肢を誤っているような気もするが、たぶん気のせいだろう。
酒場は、探索者の連中がよく集まる酒場の一つ――その中でも、ランク的には中の上くらいのところ。ある程度は稼いでいる探索者たちが出入りする場所だ。
多少の馬鹿騒ぎをするくらいなら大目に見てもらえるが、喧嘩沙汰になれば店長(元々は威力探索チームのリーダーをやっていたという巨漢だ)に片手で摘み出されるし、女性の探索者にあまりしつこく言い寄ればウェイトレスの娘たち(全員が威力探索の経験者だという噂だ)の金属製のお盆で袋叩きにされる。さほど堅苦しくないが、店の秩序は保たれている。
そういう居心地の良い店、らしい。
全部アリソンが言っていたことだ。
ディーンにはいまいちわからない。
当然、ドレスコードがあるような店ではなかったが、ディーンの格好は、ネクタイこそ締めていないものの濃灰色のスーツ姿である。
なぜか。
理由は極めて単純明快で、ディーンは私服をこれしか持っていないからだ。
ちなみにこのスーツ、協会に申し込みをして正規の手続きで探索者になったとき、探索者として必要な基本装備一式と一緒に男性に支給される。
あまりにも品位に欠ける格好だったり、あるいは探索装備のままだったりで街を出歩かれて、探索者全体の評判を落とすのを防止するための協会の措置らしい。
探索用の防護服と同様、魔術学院が提供している特殊な繊維が使用されており、とにかくやたら頑丈で、水にも強く、シワにもなりにくい一品なのだが、とにかく地味な色で、規格品であるために全体的に緩めな作りである。
そして、まだ若い新米の探索者が集まる中の下くらいの酒場か、いまいちぱっとしないままで年月だけを過ごしてきた探索者が集まる場末の酒場なんかに行くと、ほぼ全員が同じ格好をしている。
このスーツのおかげで、一時期は探索者が「ドブネズミ」と揶揄されていた時期もあった程で、今ではこのスーツ自体を「ドブネズミ」と呼ぶようになっている。
だから、探索者はある程度儲かるようになると、その辺の仕立て屋に頼んで、自分の体形に合わせた別の色の一着を作ってもらうのが通例である。「ドブネズミ」を卒業してようやく一人前、というのが探索者たちの一般認識なのだ。
ただし、そこからもうちょっと上の連中になってくると、むしろ探索者を象徴する色として、敢えてその「ドブネズミ」と同じ色を選んでスーツを仕立ててもらったりして、まあ、その辺は色々複雑なことになっている。
ちなみに、女性の探索者の場合は事情がかなり異なっており、色やデザインがある程度選べるし、サイズも仕立て直してくれる。野郎どもの「ドブネズミ」との扱いの差が酷い。
そしてもちろん、ディーンにはそんなあれこれに全然まったく興味関心がないので、その「ドブネズミ」と呼ばれるスーツを着て、平気な顔で酒場の扉を開けた。
繰り返すが、中の上の店である。
出入りしている探索者は、ある程度は稼いでいる連中で、いわゆる「ドブネズミ」からは卒業した連中が大半だ。
というわけで、入ってきた「ドブネズミ」姿を見るなり、
(ああ、どうやら右も左も分からないどこぞの新米探索者が迷い込んできたんだな。ここは俺がそれとなく教えといてやろう)
という、どんなときにもどんな場所にも一人はいるお節介焼きが椅子から立ち上がり「おおい、そこの新ま――」と声を掛けようとしたその瞬間「ドブネズミ」を着ている相手が「空飛びディーン」であることに気づいて、腰を宙に浮かした姿勢で口を半開きにした状態のまま、ぴしり、と停止した。
そこから一瞬遅れて、ディーンの姿に気づいた探索者たちが一斉に黙り込んでいき、店内に静寂が訪れる。
ディーンはそんな空気には特に気づかないまま、いかにも慣れていない様子で店内をおっかなびっくり歩き、そのまま店の奥のカウンターに行く。
「いらっしゃい」
と、巨漢の店主がディーンを出迎えた。
「お一人様ですかい?」
「ええっと、いえ……」
と、ディーンは口ごもりながら、
「その、待ち合わせで。後で一人……」
「わかりやした――どうぞ、こっちへ」
カウンター席の一つに案内された。
ディーンが座ったことで、それまで静寂が満ちていた店内に再び喧噪が戻ってくる中で――隣の席に「先約有り」のプレートが置かれ、それからディーンの前に、氷の入った酒が置かれる。ディーンはそのコップを見下ろし、それから店主を見上げる。
「あのぅ……」
何も頼んでないんですけれど、と言おうとしたディーンを遮って、店長がまったく全然似合わないウィンクをして言った。
「こいつぁサービスですよ。なんせ、かの『空飛びディーン』のご来店だ」
「はあ……」
まあ貰えるものは貰っておこうと思い、酒を一口飲んだところで、
「よう」
と挨拶するなり、キープされていない側の隣の席に一人の男が座った。着ているものはディーンと同じで「ドブネズミ」だったが、そいつがディーンと同様に新米探索者ではないことは、この場にいる全員が知っていた。
見知った男だった。
正直、他人を覚える記憶力にディーンはまったく自信を持っていないし、何があったのやら片足が高度な魔術製の義足になっているが、その傍らに置かれている大剣――抜き身のままでは流石にまずいせいか布がぐるぐると巻き付けてあるが――は間違いない。
忘れられやしない。
あのときの大剣だ。
確かに折れたはずだったが、自己修復するというのは本当だったらしい。
「ああ、久しぶり」
とディーンは言って、それから記憶を探り、さらに探った後で、諦めて尋ねる。
「……ごめん。名前なんだっけ?」
かくん、と。
その男が肩をコケさせた。
「ジグだよ……」
「そうだった。うん、久しぶり。ジグ」
「ディーン。お前なあ……人の名前を覚えないのもいい加減にしろよ。俺みたいな奴ならともかく、相手によっちゃキレられるぞ」
「異名の方なら覚えてたんだけど……」
「そっちで呼ぶのは止めてくれ。……ぶっちゃけちっと恥ずかしい」
「僕も『空飛びディーン』は正直ちょっと馬鹿にされてる気がする」
「だよな」
ジグはそこで店主に対し「いつも通り。最初の」と注文し「あいよ」と即座に店主が出してきた酒を受け取るなり、それを一息に飲み干して空にし、そのまま店主に突っ返し、当然のように店主はそいつを受け取った。常連客と店長との間の見事なコンビネーションだった。
「格好いいなあ」
と、ディーンが素直な感想をジグと店主に対して告げると、にやり、と店主は笑ってジグを顎で示す。
「だけど、こいつが飲むのは安酒ばかりでな。無駄話だけ弾んで大した金にならん」
「好きなんだからいいだろ。別に」
「金はあるんだ。偶には良い酒を飲め。こっちのお客に出してる酒みたいな奴をだ」
と、ディーンの飲んでいる酒を示す。
「えっと……」
ディーンは、よくわからないまま飲んでいた酒を見、店長に視線を向け、尋ねる。
「……これって、幾らするんですか?」
店長が言った一杯分の値段は、ディーンの感覚からすると、とんでもなく高い値段だった。ディーンは不安になった。
「サービスと言いつつ、実は別の料金の方がものすごく高くなってたりは……」
「しねえよ。安心して飲んでくれ」
と店長は満面の笑顔を浮かべ、告げる。
「そして良い酒の味を覚えて、これからウチに金を落としていってくれ。な?」
「なるほど」
そういう策略か、とディーンは納得したので、逆に安心して酒を楽しむことができた――うん、まったく安酒と違いがわからない。
「ま、とりあえず、だ」
と、二杯目の酒を飲みながら、ジグがディーンに言う。
「お互い、ここまで生き残ったな」
「うん」
「本当に、よく生き残れたもんだ」
「君は」
と、ディーンはジグに尋ねる。
「『あの』後で、『竜の要塞』の監視基地に行ったんだったか」
「そうだ」
「しかも自分で」
「まあな」
探索不可とされているダンジョンである「竜の要塞」の監視基地と言えば、騙されて送り込まれる間抜けな探索者の話が後を絶たない有名な場所だ――それに、この男は自ら望んで参加したらしい。
そんな馬鹿は他にいなかった。
しかもその後、数期居残った。
おかげで、有名になっていた。
それを聞いたとき、ディーンは「あいつ正気なのか」と思って――「でも、あいつならやるだろうな」とも思ったことを覚えている。
「あそこにゃ有名な爺さんがいてな」
と、ジグは言う。
「正直眉唾だったが、話してみると面倒臭い爺さんだけどどうもマジモンみたいだったからから、そりゃもう色々と話を聞いてな。後は、そう――ただひたすらずっと『竜』を見てた。知ってると思うが、あそこは常時12体の『連中』が立ってて」
「……で、それが週に一度、交代するんだろう? そのとき24体に増えるって」
「ああ」
ジグは頷いて酒をぐいと一口飲み、
「だから、そのときを一番注意して見てた」
と、事も無げに言った。
「なんせそのときだけだったからな――『連中』が動いてるのを見れたのは」
「……そうやって見続けた結果が、今か」
「まあな。そうじゃなきゃ剣一本で『竜』となんて戦り合えるかよ。先の先の先を読んで、ようやくぎりぎり対等、ってとこだ」
「なあ、ジグ」
「なんだよ?」
「君さ、怖くはなかったのか?」
「そりゃ怖かったよ。死ぬほど」
「そうだよな」
「ってかさ、今でも俺は怖いぜ」
「だろうなあ」
と、ディーンは笑った。
「なあ、ジグ」
「なんだよ?」
「僕は、君が羨ましかったんだけど」
「はあ?」
と、ジグは眉を潜める。
「ふざけんな。ディーンお前てめえ『スキル持ち』が何言ってやがる。こっちからすりゃお前の方がずっと羨ましいっての」
「うん。何となくそれはわかってた」
わかってはいたのだが、それでも。
自分はあのとき動けなかったから。
「けれど。今はもう僕は、」
と言いかけたところで、ちょうど店の扉が開く音がした。そちらに視線を向けると、入ってきたのはアリソンだった。
相変わらず、この店よりもうちょっと上のランクの店が似合うような、そもそも探索業に縁がなさそうな、いかにもおとなしめの女性といった私服姿である。
(ああ、世間知らずなどこぞの女性が迷い込んできたんだな。ここは俺がそれとなく教えといてやろう。……そして、これをきっかけに仲良くなれたらベスト!)
という、どんなときにもどんな場所にも一人はいるお節介焼き(下心有り)が椅子から立ち上がり「おおい、そこのねーさ――」と声を掛けようとしたところで、全力で仲間の男に止められた。
『……なんだよ。どうした。止めるなよ』
と、小声で告げる男に対して、仲間の男が小声で慌てたように告げる。
『馬鹿野郎! お前あの女はやめとけ!』
男が、何でだよ、と聞き返そうとしたところで「お待たせっすー」とアリソンが片手を挙げ「あ、うん」とディーンがそれに応じたのを見て、即座に沈黙した。
「何だよおい。お邪魔か?」
と、ジグが言って席を立とうとしたのと、
「ん? その人誰っすか?」
と、アリソンが彼を見つけたのは同時で、
「ええと……」
と、ディーンは両者の言葉を同時に受けてちょっと困惑したが、とりあえず、まずはアリソンを先約済みになっていた席に座らせてから、ジグに紹介する。
「こっちはアリソン。よく仕事で一緒の相棒。たぶん君が考えている関係じゃない」
「アリソンっす。ちなみに、絶賛恋人募集中っすよー。おにーさんはどっすかー?」
と、私服姿だと割と結構に魅力的なウィンクをしてみせる。
が、それに対して、ジグは肩を竦めるだけで笑って流した。
「悪いが、これでも恋人がいるんでな」
「ありゃりゃー。そりゃ残念っすねー」
「え」
と、ディーンはそんな話は聞いていないぞ、と思ったが、今突っ込むと説明が面倒になりそうなのでやめておいた。何となく、自分の知っている相手、それもごく最近会ったばかりの誰かの気がするが。
「……ええと、で、こっちはジグ」
ディーンはジグをアリソンに紹介し、その先の説明をどうすべきか悩んでいると、
「は? え、ちょ、ジグって……ええ?」
アリソンが先に彼の名前と彼が傍らに置いている武器からその答えに思い至った。
「あの『ドラゴン・バスター』っすか!?」
と叫んだ。
「剣一本のたった一人で『竜』倒しまくってる、あの出鱈目な威力探索者っすか!?」
「……あー、うん」
ジグはいかにも嫌そうな顔で頷いた。
「まあ、俺がそれ」
「まじっすか! ……ねえ、ちょっとマスター。ここで一番良い酒をこの人に飲ませてやるっすよ。私が奢るんで」
「いや、そいつ安酒しか飲まねえんだよ」
「何でもいいからとにかく奢るっす。いざってときのために媚売っとくんすよ」
「おい、丸々聞こえてんぞ……なあ、ディーン。お前の彼女――じゃないってのが噂を聞く限りどうも信じられないんだが、この綺麗なねーさん、見た目と中身が全然違うぞ。詐欺だろこれ」
「でも、こう見えて良い奴なんだよ」
「ディーン! てめーこんにゃろ! なんだってこんなコネ持ってるの黙ってたんすか! もしかして、他にもとんでもないコネ隠し持ってるんじゃないっすか!? もしまだあるならここで全部教えとくっすよ! おらっ! 吐けっす! 吐けぇっ!」
「……本当か?」
「まあ、たぶん」
がっくがく、とアリソンに揺さぶられながら、ディーンはジグに笑ってみせた。
数分後。
「では。ディーンの回復を祝って――」
こほん、と。
ようやく落ち着いたアリソンは咳ばらいを一つして、ディーン当人と、それから成り行きで一緒になったジグと一緒に、酒のカップを重ねて言う。
「――乾杯っすっ!」
そして、アリソンは決して安いわけでも度数が低いわけでもないはずの酒を、ぷはっ、と一気に飲み干し、「おかわり! おかわりっすよーっ!」と最高に素敵な笑顔で店主に叫び、ウェイトレスが持ってきた酒を、いっひっひっ、と笑いながら受け取って飲み始める。
結構なハイペースだ。
二杯目の酒をちびちびとやっているディーンと、二杯目からあっさりペースダウンを始めディーン同様にちびちびやっているジグはそれを見て、
「おいディーン……」
「吐く前に止めよう」
「よっしゃ分かった」
すでにアリソンが酔い潰れるのを阻止するための算段を始めている野郎二人。
「おりゃあこんの野郎どみょおっ!」
開始数秒で、もうすでに酔っているらしいアリソンは微妙に呂律の回っていない口調で、そんな二人に向かって叫ぶ。
「何か面白っしょい話するっすよぉ!」
ディーンは「ほら、次の酒だ。飲みなよ」と言ってアリソンに水を手渡しつつ、店主とウェイトレスにも目配せを送っておきながら、
「そうだなあ。それじゃあ、僕が……」
「いやディーンの話はつまんねーっす」
一蹴されて、ディーンは黙った。
「そっちのにーさんは何かねっすか?」
と、そこで話を振られたジグは、
「あー……そうだな」
しばし沈黙した後で言った。
「俺が片足無くしたときの話だけどさ」
と、いかにも冗談めかして。
「実は、女の子二人に助けられてな」
ジグは、いつもの話をした。
「しかも、おんぶしてた」
その無茶苦茶な話に対して。
聞いた側の反応は様々だが。
けれでも――ほんの、時々。
「……ああ」
と、ディーンが頷く。
「あの二人組っすかぁ!」
と、アリソンが笑う。
「そうそう」
と、彼も一緒に笑う。
「そいつらに助けてもらったんだよ」
ちょっと恥ずかしい過去を。
でも今では良い思い出になった昔の出来事を語るときに。
大抵の人間がそうするよう。
「あの二人、今、どこ走ってるんだろな」
と、ディーンが言うのに対し、酔っぱらって顔を赤くしたままアリソンが告げる。
「わかんねっすよ。でも、どーせきっと」
その言葉の続きは――ディーンにも、アリソンにも、ジグにも分かりきっていた。
だから。
三人一緒になって笑う。
どこかのダンジョンで。
あのヘンテコな二人は。
「今日も楽しそーに走り回ってるっすよ」
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