8.最強さん、竜と戦わない。

 竜の残した水飛沫が宙に軌跡を描いて。

 きらきら、と太陽の光を受けて輝いた。

 それが雨となって降り注ぐよりも早く。

 ほんの一瞬の間で何もかもが終わった。


      □□□


『君はたぶん竜と戦ったことがないよね』


 昔、そんなことを言われたことがある。

 そのときを含め二度会っただけの相手。

 言われたのはその一度目のときだった。


 自分と同じ探索者。

 自分と同じスキル持ちで。

 自分と同じ強力な能力で。

 自分と同じ最強の。


 最強の探索者。当時そう呼ばれていた。

 その手の話が好きな連中はいつもいて。

 最強なんて案外幾らでも転がっている。

 本当に馬鹿みたいだ。ちょっと笑える。


『その通りだ。最強なんて幾らでもいる』


 と、それに対してその相手は同意した。

 そして、その相手はこう言葉を続けた。


『けれど、熊の不意打ちで死んだりする』


『俺だってそうだと言いたいんですか?』


 皮肉を込めて、そんなことを言う彼に。


『私だってそうだよ。みんな変わらない』


 くすくす、と笑ってその相手は言った。


『死ぬときには、本当に、呆気なく死ぬ』


 そんな相手の態度に、彼は少し黙った。

 熟練探索者に食って掛かる馬鹿な新人。

 これはそんな状況だと自覚したからだ。

 が、聞くべきことは聞かねばならない。


『でも俺、今日、竜倒しましたよ。二体』


『ああ、しかも一人で、だ。見事だった』


『なのに、「戦ってない」って何です?』


 熟練だろうが最強だろうが、関係ない。

 ふざけたことを言われて頷く気はない。

 ちゃんとした理由を是非とも聞きたい。

 難癖ならば、これ以上話すことはない。


『俺は、がっかりしたくないんですがね』


 彼は相手をじろりと睨み付けて告げた。


『かの「氷結の女王」がその程度だとは』


 返ってきたのは沈黙だった。長い沈黙。

 彼は舌打ちをして、席を立とうとして。

 そこで相手が俯いていることに気づく。


 幼い頃から探索の経験を積んだ熟練者。

 視線一つで相手を凍らせるスキル持ち。

 最強と呼ばれる竜殺し専門の探索者が。

 ぷるぷる、と何やら身を震わせてつつ。

 頭を抱えて、しかも頬を赤らめていた。


 ちょっとどころでなく、彼は戸惑った。


『ええっと、あの……「氷結の女王」?』


 とりあえず、困った彼は相手に尋ねた。


『いや、すまない……でもお願いだから』


 と、相手は何やら切実な口調で言った。


『その名前で呼ぶの、止めてくれないか』


『何でですか?』


 聞くべきではなかったと、今では思う。

 でも、当時の彼はつい聞いてしまった。

 そしてめっちゃ後悔することになった。

 消え入りそうな小さな声が言ったのだ。


『……恥ずかしいから』


『あ、はい……すみません』


 それはたった二度会っただけの相手で。

 二度目はそれからしばらく後のことで。

 それからもう大分時間が経ったけれど。

 三度目はない。この先もない。絶対に。


      □□□


 ふっ、と。


 ライトのスイッチをオフにするように。

 ブレスの光が、その途中でかき消えた。

 まるでそのことが普通のことみたいに。

 もちろんそんなこと普通はあり得ない。


 その異常事態に、しかし竜は驚かない。

 そんな高度な機能はとうに失っている。

 長い間メンテを受けず海水に晒されて。

 その機体が錆び付いているのと同様に。


 思考もすでに錆に侵食され消えている。

 本来の竜とは、比べものにもならない。

 スクラップも同然の残骸のような竜だ。

 だが、それでも、その機体はまだ動く。


 その竜が積み重ねてきた戦闘の経験を。

 まだ動作するプログラムが覚えていて。

 その異常事態に対応して機体を動かす。

 破壊目標は、二人の人間と一つの何か。


 優先目標になっているのはその一人で。

 その顔には傷。片方の目が潰れていた。

 竜は初手ですでに死角に位置している。

 相手の片目は、まだ宙を見上げている。


 竜の機動の軌跡を辿り宙に残る水飛沫。

 それが落ちるより早く竜は次撃を放つ。

 ブレスが消えた原因は、考えられない。

 そのための機能を、竜は持っていない。


 だから、一番原始的な攻撃を選択する。


 ――ぎぎぎぎぎぎぃっ、と。


 錆び付いた機体を、再び軋ませながら。

 取りついた壁を足場にし、踏み締める。

 本来の竜の静音性は、望むべくもない。

 やかましい錆の音に、目標が気づいた。


 隻眼が、ようやくこちらに向けられる。

 けれども、もう何をするにも遅すぎる。


 あるプログラムがそれを判断したとき。

 別のプログラムはすでに仕掛けている。

 竜の機体自体が、砲弾のような速度で。

 いまだ宙に残っている水飛沫を散らし。


 目標に向かい一直線に駆け抜けるべく、


      □□□



『気を悪くしたのならば、すまなかった』


 こほんっ、と。

 咳払いを一つしてから、相手は言った。

 誤魔化せるわけないが彼は黙っていた。


『さっきのは私の言い方がまずかったな。


 君が弱い、と言いたかったんじゃない』

 むしろさ、と相手は彼に対して言った。


『君は強い、ということが言いたかった』


『ええと……』


 その言葉に対して、彼は再び困惑した。

 相手に悪意がないのはわかった。故に。

 相手が何を言いたいのか、わからない。


『それって……どういう意味なんです?』


『君は強い――というよりも、強過ぎる。

 最強なんて言われてる私よりもずっと』


『……いや』


 相手の言葉に対し彼はとっさに言った。


『貴方のスキルの方がきっと早いでしょ』


『そのはずだけどね。けれども、私には』


 じっ、とこちらを見て相手は彼に言う。


『君を殺せる気が、全然しないのだけど』


 内心、どきり、としたが。けれど彼は。


『まあ……状況次第でしょうね。そりゃ』


 そう言って誤魔化した。つもりだった。

 誤魔化せてなかっただろうと今は思う。


『もう一度言う。君は強い。だからこそ』


 その言葉を相手はもう一度繰り返して。


『竜を倒せても、竜と戦ってなんてない』


 彼はその言葉を意味を考えて、諦めた。


『それは、その――アドバイスですか?』


 強くても油断するな、とかそんな類の。


『違うって。これはもっと簡単な話だよ』


 と、相手はそう言っていたが。けれど。

 やっぱりアドバイスだったのだと思う。

 たった二度会っただけのあの探索者は。

 彼の致命的な弱点に気づいていたのだ。


 だからこそ、彼に向かってこう言った。


      □□□


 金属が軋む音を聞き彼はそちらを見る。

 彼にとって死角となる右側の建物の壁。

 竜がいた。中型。通常と違う部品付き。

 全身が錆びだらけの、残骸みたいな竜。


 そんな、今にも壊れそうな状態ですら。

 探索者の一団を僅か一瞬で殺せる怪物。

 そして、その怪物は左目の視界の中で。

 次の攻撃の準備を、すでに終えていた。


 頭上の水飛沫が落ちてくるよりも早く。

 二回目の攻撃を仕掛けるべく竜が跳び。

 一発の砲弾となって彼を轢き潰すため。

 それに対し彼ができることは何もない。


 ただその直前に彼は、ぽつん、と呟く。


      □□□




『だってさ、君にとって竜ってのは――』




      □□□




「――――■■■■■■」




      □□□




『――戦う必要がないの相手だから』




      □□□


 その呟きは、この世界の言葉ではなく。

 たぶん、どの世界のどの言語でもない。

 使っている本人ですら意味は知らない。

 誰にも理解できないそんな呟き一つで。


 竜が死んだ。


 ありとあらゆる回路が瞬時に焼き切れ。

 機体を動かす全プログラムが沈黙して。

 錆び付いた金属のあらゆる接合が外れ。

 生体部品を構成する全細胞が死に絶え。


 残骸のような機体が本物の残骸と化し。

 そのまま取りついていた壁から落下し。

 生体と金属が混じる耳障りな音を立て。

 落下の衝撃で竜の機体が砕け散る中で。


 一緒に、水飛沫も雨となって降り注ぐ。


 ぽかん、と。


 それら一連の出来事を見ていたメトが。


「――来ました。来てました、竜。先輩」


 と先程言いかけた言葉の続きを言った。


「ああ、そうだな」


 もう無駄なその言葉に対し彼は答える。

 大したことは何もなかったかのように。


「でも、大丈夫だ――もう、殺したから」


 竜なんてのは何でもない相手みたいに。


「さ。行くぞ」


      □□□


『だからこそ、君はちょっと危ういんだ』


 と、それからあの探索者は言ったのだ。


『君は戦わなくても竜を倒せる。けれど』


 もしもの話、と相手は前置きし言った。


『もしも、戦いになったら君は戦える?』


 その問いに対して、彼は答えなかった。


『そもそも、君は探索者って言えるの?』


 続く問いに対しても彼は答えなかった。


 でも。

 もちろん答えなんて分かりきっていた。


 そして。

 答えは今、彼に傷として刻まれている。

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