16.最強さん、憧れない。


「ねえねえ、先輩って憧れてる探索者とかいたりします?」


「いない」


 と、ポニーテールを揺らす彼女の問いは相変わらず唐突だったが、彼の方ももう慣れているので、即座にそう言って切って捨てた。


 彼女はというと、切って捨てられたその質問をひょいと拾い糊でくっつけ、


「ちなみにもちろん私の憧れは先輩ですよ」


「迷惑だ」


「そういうところがス・テ・キ」


「……」


「先輩は容易いですね」


 そう言って、にやにや、と笑う相手の顔を見ながら、彼は言う。


「……憧れている奴はいないが、嫌いな奴ならいるな。二人」


「ほほう。誰ですか。その不運な二人は」


「一人はお前だ」


「どうして!? こんなに先輩に尽くしてるのに!? そんなにポニーテールがお嫌いですか!? ツインテール派ですか!?」


「黙れ」


「で、もう一人は」


「『空飛び』だ」


「あー……」


 と、彼女は急にテンションを急降下させ、一度視線を天に向け、それから白けた表情で告げる。


「先輩。恋ですよもうそれは」


「おいやめろ」


「あーあーあー。私の先輩が寝取られちゃったー。どこの馬の骨とも知れない男に」


「まじでやめろ」


「一体どこがそんなに好きなん――おっと間違ったどこが嫌いなんですか?」


「何でそんなことをお前に言わなけりゃならないんだ」


「悲しいこと言わないで下さい。先輩のこともっと知りたいんです。……弱みとか」


 そう言って彼女が飛ばしてくるウインクを手で払いのけつつ、彼は言う。


「理由なんてねえよ。ただ単に一目見たときから気に食わねえだけだ」


「一目惚れ……」


「あ゛っ?」


「いえ何でも――っていうか、昔、なんかあったとかそういうんじゃないんですね。私、てっきりそういうのかと思ってました」


「会ったことはある。一度だけな」


「なるほどそこで一目惚れしたと」


「お前いい加減にしろよ――だが、まあ、そうだな。一目で気に食わないと思った」


「まあそうでしょうね」


「あ? 何だそれ? どういう意味だ?」


「先輩は鈍いですねえ。自分の気持ちが分かってない辺り本当に」


「お前なら分かるってのか?」


「分かりますよお。何となく」


 くすくす、と彼女は笑って言った。


「『空飛び』には、私も会ったことがあります。だから、先輩が嫌うだろうなあ、ってのも分かります」


「……へえ。じゃあ、お前はあいつと会ってどう思ったんだ?」


「私? お、気になります? 気になっちゃいます?」


「別に言わんでもいいが……」


「ムカつきましたね」


「あ?」


「あの人を見てると、めっちゃムカつくんです。ぶっ飛ばしてやりたくなります」


 そう言う彼女は笑顔で、だから一瞬冗談だと思って戸惑ったが、しばらくしてから本気だと彼は気づく。気づいて、また戸惑う。


「『空飛び』は」


 と、彼女は混乱する彼に構わず続けた。


「スキル持ちとしては異質です。まるで違うんですよ。私や先輩みたいな強力なスキル持ちの連中とは、特に」


 分かりますか? 先輩?


 そう、彼女は彼に尋ねてきて。

 分からなかった。そのときは。

 今は分かる。たぶん。きっと。


      □□□


「――ところで、先輩って誰か憧れてる探索者とかいますか?」


「後にしろ!」


 グレイは飛んできた質問をはたき落とし地面に叩き付けて足で背後に蹴り捨てた。

 当たり前だ。

 現在進行形で「箱」が押し寄せる状況でそんなことを聞かれても困る。出てくる端から彼はスキルを使って即座に破壊していくが、なんせ数が多い。

 ただ大量にいる、というわけでないところが厄介だ。それだけならどうってことはない。もし仮に全機が一斉にわらわらと出てきてくれるなら、彼のスキルでまとめて破壊できる。

 が、それを見透かしたかのように、こちらが進んでいるルート上の各所で、散発的に「箱」の群れは出てくる。


 というか、おそらくは見透かされている。


 「箱」が装備している銃は連射が可能とはいえ、比較的、威力は弱い。例えば、稀に「熊」が装備しているような人間を冗談抜きに木っ端微塵の肉片に変える代物や、肉片すら残さず跡形もなく消し飛ばす「竜」のブレスなどとは違い、例え直撃しても死なないときは死なない。


 逆に言うと、死ぬときは容赦なく死ぬ。


 先程から、何度も何度も現れては、「箱」の群れが撃ってくる大量の銃弾。その中の一発が、脳天だの心臓だのにぶち込まれれば、「最強のスキル持ち」だの「墓穴」だの呼ばれて恐れられている彼でも問答無用で即死する。


 とてもじゃないが気を抜ける状況じゃない。

 もちろん、話をしている余裕もない――ないのだが。


「いやいや、ふと気になったときが聞くときなんですって。教えて下さいよ。先輩」


 こちらの事情を無視して、意味があるのか不明な応射をしつつメトが言ってくる。

 彼は射撃に関しては完全にど素人だが、その素人目にも、メトの射撃はあまり上手でないように思える。ほぼほぼ相手に当たっていない。

 対して、そんな下手くそな射撃に対する仕返しと言わんばかりに飛んでくる「箱」の群れの銃弾は、直前に頭を引っ込めた彼女のヘルメットの上をほぼ正確に通り過ぎていく。というか一部はかあんと良い音を立ててヘルメットの表面を掠めていく。この状況でよくそんな話をしていられるな、と彼は思う。


 が、実のところ珍しいことではない。


 戦闘の極限状況下で、精神を安定させるための方法は人それぞれで、こうしてひたすら無駄なことを喋り続けるというのは、その中でも特別珍しいものではない。くそやかましいことは否定できないが、無視すれば実害も――


「ねえちょっと、先輩。返事して下さいよ」


 という言葉と共に、蹴りが飛んできた。脛に当たった。めっちゃ痛かった。


「…………」


 しばらくして「箱」の襲撃と弾丸の嵐が一段落したところで、彼は彼女のことを手招きした。はいはいなんでしょうか、と無防備に近づいてきた彼女の頭を、ヘルメットの上から、ぺしり、と引っぱたいた。


「痛い! な、何をするんですか先輩!」


「こっちのセリフなんだが」


「何をわけのわからないことを――あ、ところで、さっきの話なんですが」


「何でそんなことを言わないといけない」


「先輩の弱みを握りたいので」


「ストレートだなお前」


「裏表のないことには定評があります」


「絶対悪い意味でだろそれ」


「憧れてる人がいないっていうなら、この際、気に食わない奴でもいいですよ」


「何でだよ。全然違うだろ」


「先輩、たぶんきっと好きな女の子に対してちょっかいかけたり悪戯したり『お前なんか嫌いだし』とか言っちゃうタイプだと思うんですよ」


「…………」


 余計なことを言うと揚げ足を取られそうな気配を感じ、話題を変えることにした。


「そういうお前はどうなんだ?」


「はい?」


「お前は憧れてる探索者とかいるのか?」


「え?」


 きょとん、と。

 どうやらその質問は彼女にとって想定外だったらしい。え、あ、う、とあからさまに彼女は動揺して口をぱくぱくさせた。

 彼の方としても、そこまで劇的な反応が返ってくるとは思っていなかったので、こいつ動揺とかすんのか、と動揺した。


「な」


 と、ようやく体勢を整えた彼女が口を開いた。


「なんでそんなプライベートなことを大して親しくもない先輩に教えないといけないんですか?」


「お前ちょっと前の会話を思い出せよ」


「弱みを握りたいと!? 一体、私に何をするつもりですか先輩!?」


「そこだけ取り出すんじゃねえ」


 彼女と一緒にいて死んだ連中というのは、もしかして怒りで憤死したのではないか――そんな疑問が沸いたところで、彼女は言った。


「くっ……しょ、しょうがないですね……先輩がどうしてもどうしてもどうっしても聞きたいというのなら、特別に教えてあげましょう。」


「そりゃどうも」


 正直、まったく全然これっぽっちも興味はなかったが、とりあえず彼は頷いた。


「ちなみに、先輩じゃないです。もちろん」


「わざわざ言う意味は」


 なんでこいつはこうも神経を逆撫でするどころか、やすりで削り取るような言い方しかできないのか、と微妙に傷ついた彼を捨て置いて、相手は話を進める。


「ええとですね……」


 と、メトはそこでちょっと顔を赤らめ、もじもじとして、ヘルメットを両手で目深に被り直すようにして、つまりはいかにも恋バナをする女の子的な仕草を見せつつ、


「ここだけの話ですよ? だ、誰にも言っちゃダメですからね?」


「早く言え」


 絶対誰かに言ってやる、と心に誓いつつ彼は言った。生憎と心当たりがいないが。

 ちなみに、肩の上に乗っている元右手のことは、目の前の後輩の頭からはすっぽ抜けているらしい。つまりもうこの時点で「ここだけの話」にはなりそうにないが、そんなことは彼の知ったこっちゃない。


「そ」


「そ?」


「『空飛びディーン』……」


 ――よりにもよって。


「……あいつか」


「武装した『熊』の群れに囲まれた状態で、例によって、私以外の部隊全員が全滅したときにですね、一度助けられたことがありまして……」


「むしろお前は何で生きてるんだ」


「頑張って生き延びました。でも、もう駄目かと思ったときに現れて、『熊』の群れを一掃して助けてくれた『空飛び』の姿を見て、こう……ぴぴっ、とくるものがあったんですよ」


「助けられて一目惚れだな」


「ちーがーいーまーすー! これはそういう浮ついた気持ちとは別です!」


 と、顔を真っ赤にしてメトが言った。

 彼は思った。やべえ。すげー面白い。


「だいたい、あの人って、もう恋人いるんでしょう? なんかいつも一緒にいる、魔術者の女の人で……」


「諸説ある」


 本人たちは否定しているが、どう考えても傍から見ると付き合っているように見えるとのことで、それについては探索者の間では賭けの対象になっていたりする。


「とにかく、そういう浮ついた気持ちではないので! そこのところご理解頂きたいのですよ、先輩!」


「お前がそう言うんなら何も言わんが……あいつのどこがそんなにいいんだ?」


 その問いにメトは、一秒、二秒、三秒……そのまま一分ほど考えた後で、一言。


「顔が」


「おい」


「いえ違いますそういう意味じゃなく」


「ならどういう意味だ。俺にも理解できるように分かりやすく説明してみろ」


「ええっとですね……ほら」


 メトは言った。


「あの人って、探索者の顔してますよね――スキル持ちの顔じゃなくて」


 分かりやすいとは言い難いその言葉に対し、


「…………」


 けれども、彼は完全に沈黙した。


「先輩?」


「いや……」


 内心の動揺を必死に隠しつつ、彼は言った。


「そうだな。あいつは――『空飛び』の奴は――そういう奴だ」


      □□□


「ねえ、先輩。私たち『スキル持ち』は」


 と、彼女は例の見透かしたような目で、彼の目を見て言った。


「自分のスキルに、自分の人生を縛られているんですよ。多かれ少なかれ」


 笑顔で。でも、真剣な表情で。


「ちょっとした呪いです。私たちは、自分の持っているスキルから逃れられない――先輩がそうであるのと同じで」


 彼は思った。なら「空飛び」は。


「あいつは俺たちとは違うって言うのか?」


「まさか。その点では『空飛び』だって同じです。でも、自分のスキルに縋りつくようにして生きている私たちとは違って――」


 あの人には、と彼女は続けた。


「それ以上に大事なものがある」


 ――羨ましい。


 そう彼女は言って、こう付け加えた。


 ――先輩もそう思ってるんでしょう?

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