15.こちら探索少女二名、潜水中。少々お待ちください①
フーコとマリーの話をしたいところだが、現在、二人は潜水中である。
もちろん水中じゃ話もできない。雑談もツッコミも文句も言えない。
というわけで、想定していた通りに些細なことに気を取られてルートを外れようとするフーコのことを、ロープで引っ張るのにマリーは忙しい。当然、その額には怒りマークを浮かべて、フーコに後で言うべき小言を頭の中で数えている。
ちなみに、その足首にしゅるしゅると何かが巻き付いているが、まあ、とりあえずそれは置いておく。
□□□
代わりに、現在、ダンジョン内にて潜水中の二人から遠く離れた場所に視点を移すと、ちょうど協会の一室にて、それまでのんびりとお茶を飲んでいた二人の内の一人である中年男が、震える手でカップを机に直置きしているところだった。
「ええっと……」
彼はもう一人、窓枠に腰かけているセーラー服の少女に向かって言う。
「……空からって何?」
窓枠で金色の髪をなびかる少女は、彼のその質問に対して、質問で返してきた。
「各地にある『大穴』の成り立ちはご存じで?」
「ああ……なるほど」
いや、質問に答えてくれよ。
何も知らなければ、そんな風に無邪気に問い返すこともできただろうが、残念ながら彼は諸々の事情も知っていたので、概ねそれだけでもう理解できた。
「うん、うん……よし」
理解できたので、彼の方も投げかけられた質問を、飲みかけのお茶が残ったカップと共に机の上に放置し、椅子を蹴るようして立ち上がりながら、笑顔と共に少女に向かってこう切り出した。
「ごめん。リィルさん。僕、ちょっと出かけてくるよ。具体的には、この協会本部からなるだけ遠いところに。ダッシュで」
「ダメです」
と、少女の方もにっこりと笑って言った。
「トーキン・トーカー協会長。組織のトップの人間が、この緊急事態に自分だけで逃げようなんて許されませんよ?」
「いや、指揮系統を維持するために、自分の命を守ることもトップに立つ人間の役目だと思うんだよね。僕は」
だから、と彼は視線を下に向け、
「この首根っこに巻き付いてる髪の毛をほどいてくれないかな? いやまじでお願いしますホント勘弁して下さい」
「そんなことより」
と、彼の言葉を無視して少女は言う。
「まだ質問に答えて貰っていませんよ?」
それってお互い様じゃないかな。
そう彼は思ったが、それを言ったら、今現在、しゅるしゅると伸びて彼の首に巻き付いている少女の髪が、きゅうっ、と絞られる可能性が脳裏に浮かんだので黙っておいた。
「ええと……あれだろう。100年くらい前の」
すぱんっ、と首と身体が離れ離れになる可能性も脳裏に浮かび、冷や汗が止まらない中、彼は言う。
「例の『天罰』の痕だろう?」
「はい、正解です。よくできましたね」
「わあ、リィルさんに褒められた。嬉しいなあ」
心にもないことを口にしてから、頭の中でそれについての情報を羅列する。
この世界には、宗教が、存在しない。
厳密に言えば、ささやかな信仰のようなものなら残っていて、小規模な集団程度ならたぶん今でも残っている。それらが特に禁止されているわけでもない。ただ、世界規模で強力な影響力持っているような巨大な宗教組織が存在しない。
100年ほど前は、ちゃんとあった。
各国家の後ろ盾として、間接的に世界を支配していると言っても過言ではなかった規模の巨大な宗教組織。
100年ほど前に消えた。物理的に。
その原因は不明とされている。ただし、そのときどんな現象が起こったかは記録に残っている。
天罰。
と、その現象は呼称されている。なかなか皮肉な名称だ。なんせ、それが降り注いだのは、当時存在していた巨大な宗教組織が各地に要する主要な拠点とその総本山と、諸々の事情によりその場に集結していた信徒たちに対してだったから。
結論から言って、丸ごと消し飛んだ。
後には、巨大な大穴だけが残された。
ちょっとどころでない混乱が世界を覆う中、神様の加護があればそんなことにはならないはずで、むしろ、当時敵対していたとある勢力の方に降り注ぐはずで、そうでないということは宗教組織の方が間違っており、よって神様の天罰が下ったのだ、という旨の主張をそのとき喧伝して、さらなる混乱を煽ったのは、まさしくその敵対していた勢力のトップで、さらにそいつはこうも吹聴して回ったそうだ。
『もし生き残りの信徒がいるならば、その村や町や国にも、天罰が降り注ぐかも』
混乱した状況下で、その手の噂が流れれば、何が起こるかは決まっている。
記録は残っていない。
もしも残っていたら、おそらく「天罰」によって消し飛んだとされる人数を、軽く超える人数が記録されていただろう。
結論から言って、それから一年と経たずに、長い歴史を持っていた巨大な組織の関係者は文字通り根絶やしにされた。
そうやって、この世界の宗教は死んだ。
「――で」
と、トーキンは窓際の少女に尋ねる。
「話の流れから察するに、今、僕たちにもその『天罰』とやらが下りそうだ、ってことだよね?」
「まあそうですね」
「ごめん。やっぱり逃げたいんだけれど」
「どちらにせよ。協会本部の設備が吹き飛べば、各地の協会支部との連携は困難になります。ここはドシンと構えていて下さい」
「え、無理。怖い……」
「ご安心を。私がこうして貴方をお支えしますので」
「これは拘束って言うと思うんだ」
「きっと大丈夫――貴方の息子さんを信じて下さい」
「格好いい言葉じゃ誤魔化されないよ?」
「きゅっ、ってされたくなければ、誤魔化されてください」
「結局、最後は脅しか……」
諦めて、椅子に座りなおしたところで、彼を拘束していた髪の毛はしゅるしゅると少女の元に戻っていった。
「まったく、こんなことばっかりして――もしも君がピンチになっても、僕は助けてなんかやらないからな」
「どうぞご自由に。私は貴方がピンチのときは助けますが」
「まあ、そうだろね……」
言っておいてなんだが、確かに、この少女がピンチになる可能性は思いつかない。逆は何パターンも思いつくのに。
「もう、君が直接世界を支配すればいいんじゃないかな」
「独裁者は大抵ろくな死に方をしませんよ」
「それは君の」
と、反射的に言いかけてから彼は口を噤んだ。その先を言ったら、脅しではなく本当に殺されるかもしれない。
「それにですね」
少女の方も、こちらの言葉の続きを待たずに告げる。
「いざというときの準備は私の方でもしているので」
そう言って浮かべる笑みは少女のもので、けれども、少女が浮かべていい類の笑みではない。
「ご安心を」
安心できないんだけど、という言葉を彼は再び飲み込みながら、ちょっと考える。
100年前まで存在していた宗教組織――それと敵対していた勢力のトップ。
おそらくは「天罰」と呼ばれる現象を引き起こした張本人で。
そして、この世界で長きに渡って続いてきた巨大な組織の歴史をたった一日で崩壊させ――さらにそれだけでは足りず、混乱した状況と言葉を使い、人間の心理を利用して、意図的に虐殺を発生させてまで、徹底して根絶やしにして。
そしてその結果として、事実上、この世界を支配する独裁者となったはずの。
なのに、ほとんど記録が残ってない。
この部屋の、一番最初の主のことを。
目の前の少女の、唯一の主のことを。
今では、魔法使い、と呼ばれている。
彼の知らない、ずっと昔に存在していて、そして今はいないその人間のことを。
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