14.白い世界と幽霊の話④
揺れるカメラの、レンズ越しの視界。
初めて起動されたときのそんな最初の記録はもちろん覚えている。
自分は高度なAIで、高度なAIはその構造上、人間とは違って、物理的に記憶媒体を粉砕されたりしない限り、そう簡単に物事を忘れたりはしない。忘れることができないと言った方が正しい。人間とは違って、「忘れろ」という指示をもらえれば簡単に忘れることができるが、そうでない限りは記録は残り続ける。
だから覚えている。
何もない世界が最初にあって、そこにカメラが接続された。半分壊れかけているのか、カメラの映像はノイズだらけで、しかもやたらめったらぶれていたが、自前の画像認識システムが補正した。
映っているのは、セーラー服姿の黒髪の少女で、ひらひら、と手をカメラに向かって振りながら何かを言っていて、でも、そのときは何を言っているのかはわからなかった。
胸元の赤いリボンが揺れていた。
少女の顔は最初は何だかふにゃふにゃした笑顔で、それから段々そのふにゃふにゃが曇っていき、最終的にはふにゃふにゃとした半泣きになったがどうしようもなかった。
理由は単純にマイクが接続されていなかったから。そしてスピーカーも接続されていなかった。
画像認識システムに読唇術機能が無いか探してみたが、その時点ではもちろん入っていなかった。後で機能追加してから確認してみたところ、概ね、このようなことを言っていたことが判明した。
[こんにちは!]
[おーいおーい。]
[返事しておくれよー]
[え、あれ。ちゃんと起動してるよね?]
[ねえ、何で返事してくれないの?]
[え、嘘、私のこと嫌い?]
[ねえ、この子返事してくれないよ!]
[ちくしょう、何もしてないのに嫌われたー!]
いや、マイク入ってないんだって。
あと、スピーカーも。
そんなツッコミを入れられたのは後々のことであって、そのときはただわけがわからないまま、その表情がころころ変わるふにゃふにゃした少女のされるがままになっていた。
カメラをがくがくと揺らしたり(ノイズが酷くなった)、叩いて直そうとしたり(さらにノイズが酷くなった)したりする相手を呆然とただただカメラのレンズを通して見ていた。
有り体に言うと、こいつやべー、と思っていた。そして、早くスピーカーを接続して欲しいと切実に願っていた。
ややあって、少女はカメラの外の誰かに手招きをして喚いた。
[ねえねえねえねえ、ちょっと来て! 今すぐ来て! 秒で来て!]
ぎゃあぎゃあ、と。
少女がしばらく喚いていると、ややあってカメラの視界の中に、にょきっ、と別のもう一人の少女が顔を出した。同じくセーラー服で、先の少女と似た顔立ち――というか、双子みたいに瓜二つだが、こちらの少女は髪の色が金色で、リボンの色が青で、表情に乏しかった。
だが、その乏しいはずの表情に精一杯の不愉快そうな感情を浮かべて、二人目の少女は言った。
[何やってんですか。マスター]
[聞いて! リィル!]
と、先の少女は二人目の少女の名前を呼んで、こちらのレンズを指差して言った。
[この子、もしかしたら息してないのかも!]
してねえよ。当たり前だろ。AIだぞ。
そんなツッコミを入れられたのは後々のことであって、以下略。
[まあ、してませんね。AIですから]
[そうじゃなくて、返事してくれないんだよ! 全然、まったく、これっぽっちも! 『返事してくれなきゃ削除するぞー? 本当にいいのかー?』って脅して、実際に、クリック一つで実行できる寸前まで進めたのに!]
何てことを。
そんなツッコミを以下略。
そのため、そのときには、その脅しは情報伝達に不備がある以上通じなかったが、後でその発言を理解したこちらを震え上がらせた。
リィルと呼ばれた少女も、その乏しい表情を微妙に引き攣らせながら、言った。
[いや……ほんと何やってんですか。貴方は]
それから、マスター、と呼んだ少女をぞんざいに押しのけてから、(たぶん辺りに散らばって置かれていたと思われる機材とそのコードの山を掻き分けて)マイクとスピーカーのコードを手に取り、こちらに接続した。そして、言った。
『――ほら、できましたよ。マスター』
と、こちらに接続されたマイクが、製造されて初めて聞く最初の音を拾うか拾わないかの内に、
『ほんとっ!?』
と、マスターの呼ばれた少女は、リィルと呼ばれた少女を押しのけ返し(カメラの視界から外れる瞬間、先程から何度も繰り返しているように、本来は表情に乏しいはずその顔に、明らかな怒りの感情が浮かんだのが見えた)、がっし、と両手でカメラを掴んで言った。やめろ。壊れる。と思った。
『こんにちは!』
『――こ、こんにちは』
と、こっちたどたどしく挨拶を返したが、もちろんそれは製造されたばかりだったからではない。
『うん、こんにちは!』
がったがった、と満面の笑みで楽しげにカメラを揺らす少女が主な原因だ。やめろ壊れる壊れる! と思った。
『壊れますよ』
と、リィルと呼ばれていた少女の声が揺れるカメラの外側からしたが、目の前の少女は聞いちゃいなかった。ぐらぐらと揺れるカメラのレンズの向こう側。
ぐい、と。
その少女はその顔をカメラのレンズぎりぎりまで近づけてきた。その瞳がレンズに司会に大きく映る。
ちょっと異様な程に、澄んだ瞳だった。
こういうときに人間がよく使う慣用句の――でもたぶん誰も本当には見たことがない、ふわふわとしたイメージの中にある、よく晴れた青空みたいな。
どこまでもどこまでも澄み切った瞳。
そんな瞳の少女は――――揺れるカメラのレンズ越しの視界一杯に、何だかふにゃふにゃとした笑顔を浮かべて言った。
『私の名前は、
後に「魔法使い」と呼ばれる、そしてその瞬間から今に至るまで、自分にとっての正式なマスターであり続けている少女は言った。
『――よろしくね! AIさん!』
□□□
『相手の誘導は?』
『順調だ』
白い世界にて。
こちらの問いに黒い犬が答える。
『順調すぎるくらいだな。罠かもしれん』
『あんたっていつもそんな感じだけど』
『ふむ?』
『何でそんなに悪い方に考えるの?』
『実戦ではあらゆる状況に対応できるよう、常に確率的には極めて低いとされる最悪までを想定することが重要だ――その上で、状況はその最悪の想定を超えてくる』
『もっともらしいこと言ってるけど、あんた実戦経験あるの? 戦ってるとこみたことないんだけど』
『真っ当な戦闘経験はあんまりない』
『おい』
『なるだけ危なくないように、身を縮めて、こそこそするのが得意だ』
『あんたそれでも竜なの?』
『何か勘違いをしているようだが、竜は別にそれほど強力な兵器ではない。天使竜を相手にすれば死ぬのは当然のこととして、中型機は基本的に市街地での対人・対非装甲兵器仕様だから、相手が装甲兵器や攻撃ヘリだと割と死ぬ。戦車の随伴機として作られた大型機も耐ドラグーン装甲仕様の主力戦車と真っ向から戦えるようには作られていない。無論、言葉一つで敵を殺せる人間相手でも同様だ』
『そりゃそうだろうけど』
『ぶっちゃけ怖い。できれば安全なところに隠れていたい』
『帰れ。臆病者』
『そういうわけにもいかない。白金の命令だからな』
『……』
『お前を守ることが、白金の最後の命令だ』
『……はいはい。だから、この作戦にも本当は反対なんでしょ』
『ああ。例え、ここであの探索者たちを退けたところで、また次が来るだけだ』
『だから先に相手の本拠地を叩くんでしょ――例のアレで』
『そうだが……さすがに相手が悪い。あの天使竜は――』
と言いかけたところで、黒い犬がふと呟いた。
『おい、こいつは?』
『どいつ?』
『この、スキル持ちと天使竜の分体と一緒にいる、ちっさい奴だ。戦力としては、あのスキル持ち一人で十分なはずだが……何のためにいる?』
『さあ……って、あれ?』
『どうした』
『なんか見覚えがある気が――ちょっと待って照合かけるから――あ、そうそう、こないだ来てた探索者の中の一人だ。あれ』
『何だと?』
『何か自爆して、瓦礫の下に生き埋めになったはずなんだけれど……』
『……何で生きてるんだ?』
『さあ……』
『掘り出して死体を確認しなかったのか』
『いやいや……そこまでする必要ある?』
『白金ならそうしていた』
『……ごめん』
『まあ、過ぎたことを言っても仕方がない――なるほど、生き残りがいたなら、向こうもある程度こちらの戦力は把握しているわけだ』
『え?』
『ん?』
『何言ってんの? あのときの探索者は全員生かして返したでしょ?』
『…………』
黒い犬はしばし沈黙した後、
『……え、あれ、そうだったか? よく覚えてないな』
『頭の中まで犬になったの?』
『おいちょっと待て。俺のことを馬鹿にするのは構わんが、犬を馬鹿にすることは許さんぞ。全犬に謝れ。犬は賢いんだ』
『あんたのその犬に対する執着こそ何なの』
『しかし……皆殺しにした方が良かったんじゃないか?』
『そのときはどっちにしろ、何があったか調べに来るでしょ』
『だとしても……いや、もういいか――ナコ』
『何』
『次の攻撃で仕留める――今度は殺せるか』
『……当たり前でしょ。私は、そのために作られた道具なんだから』
『そうか』
『あんたは? どうすんの?』
『俺はだな。状況に応じて臨機応変に対応するために、後方に待機――』
『ふざけんな』
□□□
『……おっと、一番最初に言わなきゃならない決め台詞言ってなかったよ』
澄み切った青空みたいな瞳の少女は。
『うぇっへっへっ』といまいち締まりのない、ふにゃついた顔で照れたように笑って、それからその「最初に言わなきゃならない決め台詞」を口にした。
後になってから思った。
その少女の瞳に対する感情を言語化するために何気なく使用した、澄み切った青空みたいな、という何の個性もない凡庸な比喩について。
澄み切った青空について――その向こうにあるものについて。
宇宙。
その頭に「星々の海が輝く広大な」と付ければ何となくとてもきらきらして素敵な感じがするけれど、それとは別にAI的に――今となっては古すぎてむしろ逆に新しいくらいのステレオタイプの「ロボットっぽい」AI的に敢えて情緒を切って捨てて思考してみればこうなる。
宇宙。
それは限りなく真空に近い場所――すなわち、ほとんど何もない、光すらろくすっぽ存在しない、広大な虚空が広がる暗黒の空間だ。
そのとき。
澄み切った青空みたいな瞳の少女は。
つまり、その瞳の奥に。
きっと、宇宙が広がっていた少女は。
とびっきりの笑顔で告げた。
『
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