17.白い世界と幽霊の、

 この白い世界にも色があった頃がある。


 ぽおん、と。


 そこに佇む少女の幽霊の姿をした彼女へ、外部からのアクセスを報せる音が鳴る。


 それが合図。


 いつもは維持に必要な最低限のリソースしか使わないこの空間。そこに、彼女の有するリソースを大量にかき集め、一気に注ぎ込む。


 そのままの姿で、世界の存在が変わる。


 潤沢なリソースによってはね上がった世界の解像度。一瞬、彼女の思考を演算している回路が、比喩でなく置いてきぼりを食らう。それから大慌てて数値を撒き散らし、走って追いついてくる。


 普段は意識しない――というか忘れていることも多い――手に持った熊のぬいぐるみの手触りを不意に意識する。上質な素材の質感を再現した柔らかな感触。全身が浮遊感に包まれる。同時に、足を持たずに宙に浮いている自身の存在の軽さや薄さ、あるいは儚さだとかの感傷。ぱちり、と瞬きを一つ。瞼という細かな部位が行う複雑なエフェクトが、特に意識せずとも行われている。


 そうやって、変化した世界に自身を馴染ませている間に、相手がやってくる。


 とん、と軽い音を立てて着地。

 忠実に再現された靴底が鳴り。

 白い世界に、赤い色が翻った。


 赤色は、相手が着ているセーラー服の襟の先。胸元を飾るリボンの色。空気をはらみ軽く膨らんで揺れ動く紺色のスカートのプリーツと共に、解像度を増したこの白い世界を、鮮やかに、美しく彩る。


 ただし。


『あのさ』


 ただし、そのセーラー服の頭部には、宇宙服とかそういうものを思わせるヘルメット着用。


『台無しだと思うよ』


『まあそう言わずに。ほら、』


 と言ってアマイトは、よいしょ、とヘルメットを脱ぐ。途端にヘルメットの中に押し込められていた黒髪が溢れ、宙にさっと広がった。その黒髪が、アマイトがヘルメットを脱ぐ動きに合わせてうねり、なびいて、白い世界に線を描く。


 ふにゃり、とアマイトは笑う。


『中身は美少女! ギャップ萌えだ!』


『……そうだね』


 ただし、何となく想像が付くと思うが、めっちゃリソース食われた。無駄遣い、という言葉が思考を司っている領域で流れている数列のどこかによぎったが、言っても無駄なので、その代わりに相手の名前を呼ぶ。


『アマイト』


 アマイト。

 そう呼んでいた。

 そう呼ぶように言われていたから。


『ナコ。ナコちゃん』


 と、アマイトの方は彼女をそう呼んだ。


『こっちおいでー』


 そう手招きをするアマイトのところへ(なんせ幽霊なので)ふよふよと近寄っていく間に、アマイトは手首に付けた「腕輪」を軽く振る。現実においては、強力な兵器であるその腕輪は、けれどこの空間ではそれを模したイミテーションに過ぎない。だが、その動作を感知したこの空間が、彼女の前に設定ウィンドウを展開。彼女の指先がそれを手早く操作する。


 ぱっ、と。


 何もない白い空間が、その瞬間に、まったく違う空間に切り替わる。真っ白な場所ではあるけれど、周囲には岩やら石やら砂やらの鉱物。そして、頭上には無限の暗闇を背景に浮かぶ丸い青色。


 それは、彼女にも知識として与えられている、アマイトたちの世界の光景。


『月の上なら』


 かぽんっ、とヘルメットを被り直して、アマイトが言う。


『被っててもむしろ普通だよね』


 この場合、セーラー服が圧倒的な不自然になるのだが、言っても無駄だろう。


『はい、これはナコちゃんの分』


 と、やってきた彼女の頭に虚空からひょいと取り出したヘルメットを被せる。ヘルメットはすり抜けることなく、かぽんっ、と彼女の頭に装着された。


『幽霊という設定はどこに』


『幽霊が気密服のヘルメットを被っていちゃいけない、なんて決まりはないよ』


 と言って、アマイトはひょいと近くにあった手頃な岩に腰掛ける。現実なら、スカートなんかじゃ硬くて到底座れやしないだろうが、ここは現実の空間ではないわけで、岩もどうやらふかふかの座り心地らしい。


 それから、アマイトは彼女のことを抱きかかえて、自分の膝の上に座らせた。現実空間でないからかどうかは知らないが、こちらもふかふかの座り心地。


 彼女も、手に持ったふわふわのぬいぐるみを自分の膝の上に置いた。ぬいぐるみにとっても自分の膝はふかふかなのだろうか、とちょっと思った。


 留守番の日のことだった。

 白金たちが戦いに出る日。


 つまり本来は、戦術支援AIである彼女が出撃するべき日でもあったのだけれども、白金も黒金も他のみんなも彼女を戦闘に連れていってはくれなかった。


 ――お前はまだ小さいからな。


 詰め寄って理由を尋ねたところ、黒金が吐いた。到底納得できる理由ではない。彼女が少女(幽霊)の姿をしているのはアマイトの趣味であって、彼女には関係ない。


 だから彼女は自分を戦闘に同行させるため、とりあえず黒金の耳や尻尾を引っ張って実力行使に出た。が、黒金はところどころ毛を毟られたボロ雑巾みたい姿になっても首を縦に降らなかった。結局、白金や他の竜に止められて彼女の方が引き下がることになった。


『私も』


 ぽつん、と彼女はアマイトに言った。


『みんなといっしょに戦いたい』


 その言葉に、彼女を膝の上に乗せたアマイトは、ヘルメットのバイザー越しにふにゃふにゃと笑うなり、彼女のヘルメットをむんずと掴みぐらりぐらりと容赦なく左右に揺らし、それから、こつん、とヘルメットをヘルメットに当てて、言った。


『ナコは偉いなあ』


 あのね、とアマイトは続けた。


『ナコはシロちゃんたちの宝物なんだよ』


『たからもの』


『そ。だからきっと、なるだけ汚したくないんだよ。シロちゃんも、アオくんもミドリくんもムラサキちゃんも、できれば、この綺麗な宝石箱の中に、ずっとずっと居て欲しいんだろーね』


『黒金はちょっと違う気がする』


『うはは』


 アマイトは否定しなかった。


『まー、あのひとは君たちの部隊でも、特殊だもんね。いろいろと』


『うん。変』


『変、変かあー』


 うえっへっへっへっ、とアマイトはいつも通りにふにゃふにゃ笑って言った。


『ナコはホント、黒金と仲良しだね』


『え。嫌い』


『ははー、嫌いかあ。うへへへ』


 アマイトはまた笑って、それから、彼女のことをぎゅっと抱きしめ、耳元で囁く。


『ナコ。ナコはちゃんと、みんなの役に立ってるよ』


 仮想の世界の中で、現実の存在であるアマイトの仮想の身体が、現実には存在しない彼女の仮想の身体を抱きしめる。随分とややこしい――あとついでに、幽霊という設定は本当にどこにいったのだろう、とも彼女は心の片隅で思うが、これ以上話をややこしくしたくなかったので目をつむっておくことにする。


『だから大丈夫だよ。ナコ』


 優しい声だと彼女はそれを認識する。


 声は、現実のアマイトの喉からまず生まれて、それによって起こる空気の振動が、この世界にアマイトを送り込んでいる装置だか設備だかに付いているマイクに拾われて電気信号に変わり、そこからまた幾つかのハードウェアやらソフトウェアやらを通過した後、ようやく彼女という現実には存在しない存在を存在しているように構成しているプログラムの群れの、感情を司っている部分の数値にほんの少しだけ作用して影響し、適切な数値を出力する。


 そして優しい声だと彼女は認識する。


『ほら――来たよ』


 アマイトが言うのと同時に。

 再び、外部からのアクセス。

 けれど今度は音は鳴らない。


 すなわち、原子で構成されている現実世界からのアクセスではなく、数値で構成されているこちら側の世界からのアクセス。


 つまりやってくるのは自分と同じAI。

 そう思ったが、けれども、違っていた。

 すぐ間違いに気づく。アクセスは複数。

 つまるところ――自分と同じAIたち。


 その一番最初に、そいつはやってきた。


 アマイトと瓜二つの顔立ち。

 けれども、こっちは無表情。

 アマイトと同じセーラー服。

 けれどこっちは青色だった。


 ちょうど、今のこの空間において、見上げた先にある暗黒に浮かぶ円と同じ色。

 その煌めきを伴って翻るリボン。

 そして、アマイトとは違ってヘルメットは被っていない。

 緩やかになびく髪の色は、透き通るような金色。


『マスター』


 高度な物理演算(ただし環境設定との整合性は取れていない)が働いているにも関わらず、こちらは無音で着地して、一言。


『ようやく見つけましたよ』


『やっほー。リィル』


 アマイトは膝の上に乗せた私をふかふかの岩に座り直させると、ちょこちょこ、とそいつのところに寄って行く。


『何やってるんです。こんなところで』


 と近づいてきたアマイトにそいつは言って、周囲の真っ白な大地を見回し、頭上の暗闇に浮かぶ青色を見上げてから、


『しかも、何でこんな環境設定で』


『これはだねー、ヘルメットに合わせたんだよー』


『それ脱げばいいじゃないですか』


『え、セーラー服を? やん、えっち!』


『馬鹿言ってないで働いて下さい』


『もう働いたよー。後はもうみんなに任せて「これは勝ったね。じゃ、私、お風呂入ってくるー」でいい感じだったでしょー?』


『いいわけないでしょう。結果を見届けるまでが貴方の仕事です』


『それより、私のことはアマイトって呼んでよー。リィルー』


『私のことは正式名称のXXXW09か、コードネーム「ガブリエル」とお呼び下さい。マスター』


 そいつは無表情でアマイトに言った。

 アマイトからは、名前で呼んで、と言たが頑なに「マスター」と呼んでいた。

 けれど、その割に言動には容赦がなかった。

 単に嫌っているだけなのでは、と当時はちょっと思っていた。

 今はさすがに違うと分かっている。


『やだよ。そんな全世界の中学生の黒歴史ノートで使い古されてきたような、センスのないコードネーム』


『怒っていいですか? ――これは由緒正しい天使様の名前です』


『そも、強力な兵器には、とりあえず天使の名前付けとこうぜ、って発想が良い大人としてもう間違ってるよね。一体、誰が考えたの? 恥ずかしい』


『すみません。ちょっと全世界のいろんな人たちと、それから私に対しての謝罪を要求します。マスター』


『きゃっかー』


 ふにゃり、とした笑顔で容赦なく相手の訴えを退けつつ、アマイトはそいつの頭を撫でる。身長が同じなのでちょっと背伸びして。


『こうして私を探しに来る余裕があるってことは、ちゃんと勝ってきた、ってことだよねー。うん。偉い偉い』


 その言葉と頭を撫でるアマイトの手に、そいつは、腹立たしいのと嬉しいのと呆れてるのと照れくさいのとその他諸々が合わさった上で、それを表に出さないようにした結果として生まれた、何とも複雑な無表情というちょっと矛盾した顔をした。


 けれども、そんなことはどこ吹く顔で、アマイトは尋ねる。


『シロちゃんたちは?』


『こちらに』


 答えながら、一匹の白い色が、何もない宙から飛び出るようにして現れる――この空間の本来の姿と同じ色で、今現在の周囲に広がる大地と同じ色だが、それとは全然違う、有機的な白――要するに、ふわっふわでもっふもふな毛並みと尻尾の白い犬。


『――只今戻りました、アマイト。与えられた任務は滞りなく完了致しました』


『うん、よくやったね。シロちゃん。それじゃ――』


 と言った後で、両手をわきわきと怪しげに動かしながら、白金に近寄っていく。


『……な、何でしょうか?』


 明らかにドン引きしながら、白金。


『よしよしさせてー。撫でさせてー。モフらせてー』


『すみません。目が怖いんですけど……』


『うえっへっへっへー……』


 白金は助けを求める視線を、アマイトと似た姿をしている少女の方へと向けるが、そいつは目を閉じて左右に首を振った。


 というわけで。


 白金がアマイトの犠牲になったところで、(というか、たぶんそれを確認してから)残りのメンバーもやってきた。


 頭上の澄んだ青とは違う、深海を思わせる落ち着いた青色の犬が現れる。

 やたら立派な体躯でやたら元気そうなやたら騒がしい赤色の犬が現れる。

 何かを探すように、すんすんと鼻を鳴らし続けながら緑色の犬が現れる。

 ぼんやりと遠くの一点を見つめている、物静かそうな紫色の犬が現れる。


 そして最後に。


『おお、すごいぞおい。今日は毛並みがふわっふわでもっふもふだ』


 黒色の犬が現れた。


『なるほど、アマイトが来てるせいか――グッジョブ!』


 ――いや、あんた誰だよ。


 と思わず言いたくなるレベルの変貌を遂げた黒金は、しばらく、自分の尾を追いかけるようにぐるぐると回ってはしゃいだ後で、一連の事態をふわふわの岩に座って見ていた彼女の下へとやってくると、尻尾をぱたぱたさせて告げた。


『さあ、ナコ。存分にモフれ』


『いや別に……』


『お前正気か。こんなにもっふもふなんだぞ。おい、そこの天使竜。お前はどうだ』


『いえ私も別に』


『ちっ。さてはお前ら猫派だな――しょうがない。おい、アマイト。他の連中ばかりモフってないで俺もモフれ』


 その間、油断していた他のメンバーもひっ捕らえて餌食にしていたアマイトは、唯一自ら己の身を捧げにやってきた黒金を、うーん、と見下ろして、告げる。


『黒金さんはちょっと……なんかこう、正直、モフり要員としては微妙かな、って』


『どういうことだおい』


 結局、誰にも相手にされなかった黒金は、ぶつぶつ言いながら、彼女の足元にやってきて、不貞くされて寝そべった。

 正直邪魔だった。

 どこかに行って欲しいと彼女は思ったが、蹴とばそうにも脚がないので諦めた。


 アマイトの方はというと、(黒金を除いた)メンバー全員を攻略した結果、何なのかはよくわからないが、とにかく何かが次のステージに進んだらしく、ヘルメットを脱ぎ捨て、


『よし! リィル!』


 と言って、我関せずという表情で状況を静観していた――すなわち、こちらもやっぱり油断していたアマイトと瓜二つの少女の腕を、ぐい、と引っ張り自分のテリトリーへと引きずり込み、


『勝利のダンスだ!』


 と言って、ダンスと呼ぶにはあまりにも拙い、というか引きずり込まれた少女の方が要所要所でフォローしてやらないと今すぐにでもずっこけそうな、不思議な踊りを披露してみせる。


 さらにはそこに、アマイトの犠牲となった結果、目をぐるぐると回して混乱していた白金たちも加わって、状況はさらに混沌とした。


 その様子を見ていた彼女は、転がってきたアマイトのヘルメットを何となく黒金に装着しながら(すぽん、と良い音を立てて嵌まった)、


『もうさ、無茶苦茶だよ』


 と、呆れて呟いて、それから笑う。


『アマイト』


 いつもは、何もない白い世界でただ佇んでいるだけの彼女の前で、今。


『ねえねえ! ほら!』


 白い大地と無限の暗闇と青い丸の、

 彼女の知らない世界の光景の中で、

 周囲には色とりどりの犬を従えて、

 黒色と金色の髪ををなびかせつつ、

 赤色と青色でセーラー服を飾った、

 双子のような少女たちが踊り合う。


『大丈夫でしょ! ナコ!』


 と、踊りながらアマイトが笑った。

 何が大丈夫かよくわからないけど。

 声は優しく、綺麗で、澄んでいて。


 でも。


 そのときの彼女には気づけなかったが、どういう役に立っているのかを、アマイトは言わなかった。


 それは。


 白金たちが、いつもどんな風に戦っているのかを絶対に言おうとしなかったのと同じように。


      □□□


 白い空間。


 今、そこに白い少女が一人佇んでいる。

 隣にいつもいる黒い犬は、今はいない。

 何たって、これから作戦が始まるのだ。

 強大なスキル持ちを倒すための作戦が。


 もちろん。


 誰もいなければ、ましてや作戦前なら、この空間を維持しておくことは計算資源の無駄なのだが、それでも、彼女はこの空間を維持し続けている。


 例えば、そう。


 ずっと待ち続けている誰かがやってきたら、すぐにも出迎えられるように。

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