11.協会の窓辺にて①
協会の一室。一人の美しい少女が窓辺に座っている。
なかなか絵になる光景だ。窓から入ってきた緩やかな風が、青い空を見上げている少女の長い金髪と、セーラー服のリボンをなびかせる。
いや、めっちゃ危ない。
なんせ三階である。うっかりバランスを崩せばやべーことになる。具体的には血と肉片が飛び散って地面に真っ赤な華が咲く。良い子は絶対真似しちゃいけない。悪い子もだ。誰か良識のある大人が注意せねばならない。
「はい、リィルさん。お茶だよー」
良識のない大人がそんな少女にお茶を出した。しかも湯呑み。少女は差し出されたお盆から湯呑を両手で受け取る。両手で受け取る。大事なことだから二回言った。つまり今現在、少女はだいぶ危ういことになっている。バランスを崩してやべーことになる未来がちらつく。
もっとも、少女もお茶を差し出した男も何やら慣れた様子だ。実際、少女は窓枠の上で器用にバランスをとっている。世の中には色んな人間がいる。この少女は超人的なバランス感覚を持っているのだそうに違いないでも良い子は真似しちゃいけない悪い子もだ、と思われたところで「おっと」と、少女はバランスを崩した。
あ、これ死んだわ。
惨状を予想して目を瞑り、そして恐る恐る目を見開いてみれば、少女は窓枠のところでバランスを崩して背後に倒れかけている。そして、そのままの状態で止まっている。すわ落ちる寸前で時間が止まったのだろうか。
もちろん時間は止まっていない。
実際には、少女の金色の髪の毛が伸びて、窓枠をぐっと掴んでその体重を支えていた。髪の毛は瞬間的には伸びないし、絡んだりはしても掴んだりするものではないはずで、そうはならないだろうと思うかもしれないが、実際そうなっているのだから仕方ない。
ぐい、と髪の毛はバランスを崩して落下しかけた少女の体を元の位置に戻す。少女が手に持っている湯呑からお茶をこぼさせない繊細な動作だ。小柄な少女とはいえ、髪の毛で人間一人分の体重を支えられるかどうか、ましてや繊細な動きができるのか甚だ怪しかったが、実際そうなっているのだから仕方がない。
「――む」
ちょうどそのとき何かを受信したように髪の毛の一房が、ぴん、とアンテナ的な感じに立ったが、たぶん、気のせいだと思う。髪の毛にそんな機能はないはずだ。
その一房を取り巻くように虹色の光の輪っか――つまりは天使の輪っか的なものが発生し始め、何らかの通信を確立しているように見えるがきっと目の錯覚だろう。だってほらまあ美少女なんだし、何となく後光が射して見えたとしてもおかしくない。
「朗報ですよ。トーキン」
その割には、明らかに何かしらの通信を終えた様子で天使の輪っか的なものが消え、髪の毛が元に戻しつつ、でも何事もなかったかのように普通にお茶を飲みながら少女が言う。
「グレイ君が竜を一機撃破したようです」
「いつものことだろう。リィルさん」
と、こちらも何事もなかったように、お茶を渡したトーキンも応じ、自分の分のお茶をソーサー不在の安物のティーカップで飲む。
「まあそうですが。もう少し、こう」
と、リィルは口を尖らせて言う。
「そう言われても、僕、あいつのこと嫌いだからなあ……死ねとまでは言わないけど、死んでくれないかなあ、くらいにはちょっと思ってるし」
「息子さんに対して大人げないですよ」
「自覚はしているが直す気はないね。……そもそも、あいつももうとっくに大人だ。君の方こそ、いつまでもあいつを子ども扱いするのはどうかと思うよ」
「私からすれば、貴方だって子どもみたいなもんですよ?」
「そりゃ、僕の息子が生まれる前……死んだ僕の妻が協会長だった頃から、君や君たちはその姿だもんな」
――最初の協会長の頃から。ずっと。
うっかり付け加えそうになったその言葉を、口に出したら何となく危うい気がしたトーキンは、心の中に押し留めておく。代わりに、好き嫌いはともかく協会にとって最強の手駒の一つであることには違いない自分の息子の話題に戻る。
「どうせいつも通り、熊だろうと竜だろうと全部ぶっ壊して帰ってくるだろうさ」
「そうとも言い切れません」
「うん?」
「現在把握できている残りの竜の数は三機ですが」
「楽勝だろ。あいつなら」
「支援として魔術霊が付いているので、戦術的な動きをしてくるものと思われます。幸い、実戦経験が少ないのでそれほどの脅威とは言えませんが――それでも、厄介な相手です。それともう一つ厄介なことに、恐らく相手側にもう一機、竜がいると思われます」
「へえ。察するに、その一機がとんでもなく強いとか?」
「いえ別に。むしろ弱い方です」
「ええ……?」
「どういうわけか妙に逃げ足は早いですが、至って普通の竜ですよ。ちなみに、本人曰く犬派だそうです」
「その情報要らなくない? ……え、何、知り合いなの? その竜と? 犬の話するくらいに?」
「昔の仲間です。ちなみに、魔術霊の方も同様――というか、彼女に関しては一応、私も製造を手伝ってるので生みの親の一員ってことになりますね」
「へえ、君の娘さんか」
「そうとも言えますが、そこまで深い関係じゃないですね。あくまで手伝っただけで、正式なマスターじゃないので」
「――それじゃ、説得で何とかできない? 竜と魔術霊を無傷で提供できたら魔術学院にでかい貸し作れるんだけど」
「無理ですね。私、本来なら味方だった彼女の部隊を全滅させてますし。一応のところ娘と呼べなくもない彼女のことも筐体ごと破壊しようとしましたし。関係の修復は難しいと思います」
「ごめん今ちょっと君の所業にドン引きしてる」
「その後、生き残ったその竜に持ち去られて逃げられまして――いや本当、妙に逃げ足だけは早いんですよね。あの犬好き」
「犬好きって……」
「発見次第破壊するつもりで割と探してたんですが、ずっと見つけられないまま、仕方なくどこかでひっそりスクラップになっていることを願っていましたが――なのにまさか、向こうからこうして攻め込んでくるとは、好都ご――いえ、予想外でした」
「薄々気づいてはいたけれど、僕はそこそこアレな奴だけど、君の方も相当だよね」
「元々、戦闘中に一歩も動かないでじっとしてばかりの、何を考えているのか何でいるのかもよくわからない竜でしたね。白金も何を考えて彼を副隊長にしていたのか不明です。その辺りを拾ってきた本人に聞いても『ひ・み・つ』とか言ってぼかされてばかりで、まったくあの人は本当に――」
言いかけて、リィルは口を噤んだ。
トーキンも黙って次の言葉を待つ。
「……ともかく、向こうは本気でこっちを殺す気で来てます。交渉なんて悠長なことをしてる暇はないですよ」
「うーん……でも、だから君は、あいつを送り込んでるわけだろう? でも、ええと……その犬好きの変な竜が問題なんだっけ? 一体、何が問題なんだ?」
「『熊使い』と接触した形跡があります」
「『熊使い』?」
「いえ、失礼。『霧渓谷の悪魔』のことですよ」
「ああ、あの」
と、トーキンは頷いた。さすがにその竜のことは知っている。何せ、当時はまだ最強ではなかったとは言え、彼の息子に致命傷を負わせた「竜」で――当時最強のスキル持ちを含めた最高の竜狩りチームをほぼ壊滅させた化け物だ。
「でも、まさか、スキル持ちの攻略法でも伝授されたわけじゃないだろう?」
「勘が良いですね」
「え?」
「そのまさかです」
「は?」
「『霧渓谷の悪魔』の破壊された機体の残骸からサルベージしたデータに、スキル使いのデータがありました。同じデータを今回の竜も持っている可能性があります」
「ごめんちょっと意味がわからないんだけど……なんで竜がそんなことしてんの?」
「私だって知りませんよ。普通の竜の行動じゃありません。本来なら連中はただの戦闘兵器であって、熊を遠隔操作したり、敵の情報を事前に調査したり、独自に戦術を組んで行動したりする兵器じゃないんですから……」
天才としか、とリィルは言う。
「ええと、だとすると――いや、別にいいや。あいつが死んだところで、僕にはそれほど関係ないしな」
「貴方の息子さんでしょうに」
「さっきの自分の発言をもう一度よく見直してみようか――何にせよ、僕がこの世界で愛したことがあるのは、死んだ妻だけだ。あとはまあ、妻の意志を継いで協会を守ろうかな、くらいで――」
「今、協会、割とピンチですよ」
「だから別にあいつがどうなったって僕は何とも思わな――え? 何だって?」
「大ピンチです。協会。最悪の場合、この協会本部が吹き飛びます」
「何で」
「実はサルベージしたデータの中には、この協会本部と主要な支部のかなり正確な位置座標情報もあってですね――私が窓枠に座って空を見上げてるのはどうしてかわかりますか?」
「美少女だから?」
「違います。狙われてるからです」
「……どこから?」
微妙に震え声になったトーキンの問いに、リィルは人差し指を窓の外の青空に向けて、こんな状況だというのに笑顔のままで告げた。
「――空の上から」
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