2.最強さん、船酔いする。


「失礼ですが、貴方『墓穴』さんです?」


 彼は酒場の奥のテーブルに座っていて。

 彼女は、勝手に彼の前の空席に座って。

 いきなりそんなことを言ってきたのだ。


 一瞬だけその手の商売の女かと思った。

 相手の姿を見て、すぐ違うと分かった。

 化粧っ気がまるでないし雰囲気も違う。

 たぶん探索者だと思った。自分と同じ。


 ――あるいは、自分とはまったく違う。


 当時の自分とそう変わらぬ年齢の少女。

 頬にそばかす。ポニーテールにした髪。

 それから、奇妙に心をざわつかせる瞳。

 その瞳を細めて彼女は、にっ、と笑う。


 何故か、昔飼っていた犬を思い出した。

 大きいが、落ちついていて穏やかな犬。

 尻尾を振って、彼を見つめる瞳の記憶。

 ポニーテールのせいかもしれなかった。


 とはいえさすがに失礼な奴ではあった。


「…………」


 そんなわけで彼はその言葉を無視した。


「あれ、ちょっと。聞こえてますよね?」


「…………」


「無視? え、ひどい。無視しないでー。

 何か言って下さいよー、『墓穴』さん。

 『墓穴』さーん? 『墓穴』先輩ー?」


「黙れ」


 彼の堪忍袋の緒は、すでに限界だった。


「お前もうそれ以上喋るな。ぶっ殺すぞ」


 そんなことはお構いなしに彼女は言う。


「あ、『墓穴』先輩で反応しましたね?」


 堪忍袋の緒が見事な音を立てて切れた。


「俺を『墓穴』って呼ぶな! 殺すぞ!」


 彼が叫んだ直後、店内が静まり返った。


 元々、探索者が来る騒がしい店である。

 大声で騒ぐ客なんて珍しいものでない。

 ただし、彼が叫んだ場合はまるで違う。

 恐怖で凍り付いたような沈黙が生じる。


 それが当時の彼には堪らなく嫌だった。


 が、その沈黙を平気で破り彼女は言う。


「じゃ、今度から『先輩』って呼びます」


「……」


「ね、いいですよね? ――『先輩』?」


 そんなやり取りが、何回か続いた後で。

 少しずつ――本当に本当に、少しずつ。

 誰かと喋るのを恐れていた当時の彼は。

 彼女と、話をするようになっていった。


      □□□


「ねえ、先輩。ちょっと大丈夫ですか?」


「……先輩、って呼ぶんじゃねえよ……」


「そんなこと言ってる場合ですかね先輩」


「うるせえ黙……ぐっ……う、ぷ……っ」


 彼。グレイこと、グレイブ・トーカー。

 世界最強のスキル持ち。通称、「墓穴」

 探索者の最高峰として数えられる彼は。

 現在、船酔いを起こしダウンしていた。


 目的のダンジョンに向かっている最中。


 最初の蒸気船の時点でもうやばかった。

 途中、乗り換えた小型艇で限界が来た。

 学院から協会へ提供されている実験機。

 とんでもなく早くて、めっちゃ揺れた。


 こいつは改善の余地が必要だ。絶対に。

 帰りに学院側の魔術者に要求してやる。

 死んだ顔で、そう心に誓う彼に対して。

 肩に引っ付いてる元右手が言ってくる。


『グレイくん、昔から貧弱でしたもんね』


「少し黙ってくれませんか。リィルさん」


『あの頃は私を『お姉ちゃん』と呼――』


「おいこらいい加減にしろよ黙れ元右手」


「ってか先輩って本当に最強なんです?」


 メトがヘルメットを使い彼を仰ぎつつ、


「現状、情けないとこしか見てないです」


 と、なかなか辛辣なことを言ってくる。


「別に俺が言い出したことじゃない……」


 いやーそりゃそうでしょうよ、とメト。


「自分で最強を名乗る奴とかいませんて」


 確かにその通りだが理由があれば別だ。


『それ言い出したのはあの協会長ですね』


 元右手こと手の平サイズの少女が言う。


『ウチの子まじ最強、と吹聴して回って。

 それがそのまま、業界で定着しました』


「すみませんまじで黙ってくれませんか」


 恥ずかしい事実を明かさないで欲しい。


『実は、私もこっそりと吹聴してました』


 知らない新事実も明かさないで欲しい。


「それじゃ親の七光りってことですか?」


「おい、メト。お前、オブラートを……」


『まあ確かに親の七光りっぽく思えます』


「リィルさん。貴方もオブラートを……」


『でも実際は、息子の七光りですけれど』


 とリィルが彼を無視して言葉を続けた。


『息子が最強のスキル使いだということ。

 そのことを彼は最大限利用してるので』


「ええと……つまりどういうことです?」


 そう聞いてくるメトに、彼は苦笑する。


「『最強』なんてのはそのための看板だ。

 だからあんま真に受けんなってこった」


 ふむ、とメトはしばし考えた後で一言。


「つまりは先輩、実際は弱いんですか?」


「いや違う。それは違う。違うからな?」


 一応持ってる矜持が看過できなかった。


「世界最強、ってのは、まあ大袈裟でも」


 無理をして起き上がって彼は説明する。


「相応の実力は持っ……うおえええっ!」


 吐いた。まあ、たぶん無理をしたから。

 そんな彼の背中をさすりながら、メト。


「先輩先輩、説得力まったくないですよ」


「……いや……だから先輩って、言うな」


 ぐったりとしながら何とか彼は言った。


 やがて小型艇がダンジョンに辿り着く。

 小型艇を操作するのは肩の上のリィル。

 何らかの魔術機能を使っているらしい。

 小型艇を係留して上陸する地点を探す。


 そのとき『むっ』とリィルが声を出す。


 ぴこーんっ。


 と奇妙な音が響いた。発信源はリィル。


 ぴこーんっ、ぴこーんっ、ぴこーんっ。


 鳴り響くその音を聞きつつ彼は尋ねた。


「……あの、リィルさん。何すかこの音」


「この音は『れーだー・あらーと』です」


 魔術的な専門用語はわからなかったが。


「えっと、どっから出てるんですこの音」


 と、非常に気になることを彼は聞いた。

 音を鳴らしたまま、相手はそれを無視。


「どうやら捕捉されました――来ますよ」


 いや何が来るって何が、と彼は思った。


「一体何が来るんです? リィルさん?」


 と、彼の代わりにメトが彼女に尋ねた。


『もちろん、例の「敵」からの攻撃です』


「なるほど」


 先に吐いていたのは幸いだったようだ。

 どうも船酔いしてる場合でないらしい。


「それで、一体、何が来てるんですか?」


『竜です。半端な水中仕様の中型が一機』


 竜。

 探索者にとっての災厄。

 スキル持ちですら、容赦なく殺す怪物。


 が、リィルは当たり前のように言った。


『じゃあ迎撃お願いします。グレイくん』


「分かりました」


 と、彼の方も当たり前のように答えた。


 が。

 そこでリィルが少し困った様子で言う。


『あ、水雷も一緒。まずは逃げましょう』


 逃げる? と彼は訝しんだ。どこへ?


『舟を捨てるんですよ。海へどぼんです。

 幸い泳げばすぐに上陸できる距離です』


「……」


 彼はちょっと黙る。泳げばすぐの距離。

 泳げるならば――そして彼は泳げない。


「いや、あの……」


『水雷来ます! お二人とも早く海へ!』


 と、リィルが叫んだ言葉に対しメトが、


「よく分かりませんが行きますよ先輩!」


 と、即断即決で彼の手を引いて、跳ぶ。

 抗議する暇も、抵抗する暇もなかった。


 ぼぉん、と。


 聞こえたその音が海に落ちた音なのか。

 それとも「敵」とやらの攻撃音なのか。

 泳げない彼にはすぐわからなくなった。

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