23.最強さん、嫌な予感が当たらない。

 ロッカールーム、と呼ばれている。


 狭き門を通り抜け、晴れて協会の職員となった者が一番最初に送り込まれる部署。

 正式な名称は、処理場管理部。

 だが、協会の職員も探索者もそちらの名称は使わない。


 どんな場所か? 

 死体置き場だ。


 探索で死んだ探索者たちの死体、もしくはその一部、あるいはその代わりの遺品が送られてきて、処分される場所。


 この世界には体系だった宗教がない。

 特に協会は、その成り立ち上、宗教的な儀式を嫌う。

 だから、死体(もしくはその代わり)は、さっさと燃やされ、粉砕された骨と灰はレンガのような形に成形されて各地の処分場に送られる。例外はまずない。


 墓標くらいは作られる。

 墓というか、大量の引き出しが並んだ部屋に遺品を入れて、取り外し式のプレートが取り付けられたもの。一年間だけそれは保管され、それからプレートは外され、遺品は引き取られるか処分される。


 およそ想像が付くと思うが、ここに送り込まれた新米の職員の何割かは脱落する。

 実質的に、第二の試験のようなものだ。

 どちらにせよ、ここで耐え切れないようなら、例えば探索者への斡旋業務なんてものをこなせるわけがない。斡旋した探索者の内、何人か、あるいは全員が死体となって戻ってくることがごく普通の世界だ。


 彼女のプレートには、例のちっぽけな拳銃が入れられていた。


 案内してくれた職員は、このロッカールームで脱落しなかった側なのだろう。

 あくまで事務的に、半身を包帯で包まれた彼を、プレートの前まで案内した。

 感情がないわけではなく、感情を切り離すことができる。そんなただの技術。


 その点、探索者と変わらない。


 実際、探索者の中でこのロッカールームを訪れる連中は稀だ。

 仲間の誰かが死んだとしても、せいぜい、そいつのために一杯やるくらいで、自身の肉体が回復すれば、何事もなかったかのように探索を続けるのが理想の探索者だ。いつまでも死者を偲んでいたところで食っていけない。あるいは、死者に引きずられて自分も死ぬことになる。


 そして、自分はこのロッカールームを訪れた。


 つまりは、こういうところなのだろう、と彼は思う。


 自分は、探索者には向いていない。 


      □□□


「先輩。先輩。先程、私の見事な活躍によって命を助けられた先輩。もっと感謝して、もっと褒めてくれてもいいんですよ? 先輩?」

「……助かった。お前はすごいな。うん」


 状況的には、命を助けたのはお互い様だったはずだが、面倒なので言われた通りに感謝して褒めてやる。棒読みで。


「やった! 最強のスキル持ちから感謝と称賛の言質を取った! こいつぁ友達に自慢できますよ! いませんけどね!」

「……」


 色々な意味で目の前の少女に戦慄しつつも、彼は粘土を思わせる味と触感と見た目の「粘土味」の携帯食料を苦労しながら飲み下す。味覚が「これ食い物じゃねえから! 飲み込むな! やめろ!」と吐き出させようとするのを努めて無視する。

 対して、目の前の少女はと言うと、先程からお喋りを続けながら、ぱくぱくと何でもないようにその粘土を平らげていて、そのことにも彼は戦慄を覚える。

 ちなみに、元左手のちっさいリィルは、彼がちぎって渡した粘土を小さな口で、こちらは無表情にぱくついている。彼女が食事をすることは知っているが、理由はいまいち不明である。絶対必要なさそうなのに。

 

 竜たちの襲撃を受けた後、周囲に残っていた「箱」を片付けてからの休憩だった。


 時間があるとは言えない状況だったが、さすがにあれだけの戦闘の後だ。

 流石に、ここらで休息を取らないと身体がもたない。

 というか、休息を取っても体調は万全とは言い難い。

 例えば、探索衣。海水で濡れていたそれは太陽の光ですでに乾いていたが、予想していた通り、水分に置き去りにされたと思しき塩分でべた付いており、何とも不快極まりない。できれば着替えたいところだが、防水のバックパックに詰めてきたのは短期の探索用の装備であり、下着の替えくらいならばあったが、探索衣そのものの換えはない。

 ちょっとべとついてるくらいなんだちょっと不快なくらいなんだお前それでも探索者か、など言った根性論は、その僅かな不快感に意識のリソースを取られて死ぬ可能性の高さにあっさり霞む。

 野郎の自分だってそうなのだから、一応のところ、年頃の娘であるはずのメトの方は大丈夫だろうかと尋ねようとしたところで、ちっさいリィルと話していたその少女は彼の目の前で「よいしょ」と塩漬けになった探索衣を脱ぐと、それをリィルに渡す。


「…………」


 はむ、と。

 リィルはそれを食べ始めた。


「いや――おい待て」


 あまりにも自然に行われている、どう考えても不自然なその行為に思わず反応が遅れたが、しかし言わずにはいられなかった。


「え、おい、何やってんだお前ら」

「何とは? ……というか、肌着姿の後輩をじろじろ見ないで下さい。先輩も、もういい年なんですから、肌着から透けて見える下着に興奮するのは関心しませんよ?」


 違うそうじゃない。


「何で食わせてるんだ」

「食べさせてないです。そんなことするわけないでしょう。クリーニングです」

「クリーニング」


 いや、どういうことだ。

 切実に説明が必要とされたが、それより早くメトが、ずるり、とリィルの口から探索衣を取り出した。

 ばさっ、と。

 メトが振った探索衣からは、なるほど、付着していた塩が無くなっている。


「どうです? 先輩も?」

「……」


 生理的に受け付けない、と言って拒否したかったが、先程、そんな不快感が致命傷に繋がる云々「どやぁっ」と考えたばかりだった。

 お願いすることにした。

 何かを失った気がするが、気にしないことにする。少なくとも不快感は消えた。


「よし。準備OKですね。二人とも」


 と、二人分のクリーニングを終えたリィル。


「では、これからエレベーターに乗ります」

「……エレベーター?」

「復旧してあるものがあります。それで地下に降ります」


 魔術者でなくとも、ダンジョンでそれなりに見かけるその魔術的な設備は知っている。知ってはいるが、だからこそ疑問だった。


「……相手には魔術霊がいるって話では」


 専門の魔術者でないのでいまいち理解はできないが、連中は肉体を持たず、魔術設備同士の目に見えない繋がりを渡り歩き、それらを誤作動させるなどして探索者を抹殺しようとしてくるらしい。


 具体的には、降下中のエレベーターを落下させるとか。


「ここのエレベーターはスタンドアローンです。大丈夫。心配ありません。というか非常用の階段の方は埋まっていて、他の道がありません」

「…………」


 危機感を覚える言葉だったが、他に道がないならば仕方がない。いざとなれば、この元右手が何とかしてくれるはずだ。……してくれるんだよな? と思ったが口には出さないでおく。

 その後、リィルの案内で探したエレベーターは案外近くにあり、明らかに誘導されている感じがして、グレイの心を暗くした。

 が、リィルもメトも気にした様子もなく乗り込むので諦めて付いていく。

 実際のところ、何となく嫌な感じがすると言っても、彼は特にこの手の勘が働く方ではなかった。むしろ外れることの方が多い。そして大抵の場合、予想もしなかった明後日の方から危機が飛んでくる。


「さて」


 ごぉん、という音と共にエレベーターが動き出すのと同時にリィルが言った。


「ここの地下に乗り込む前に、お二人には一応、説明しておいた方がいいでしょう。驚くなかれ、この地下には汎用人型歩兵と呼ばれる大量の人型モンスターが転がっていて――」

「何でそれ土壇場で説明するんですかね?」

「まあちゃんと話を聞いて下さい――それらの人型ですが、ちゃんと全機破壊されてますのでご安心下さい」

「…………」


 ダンジョン内のモンスターは全機破壊済み。

 そういう話だったのに、何かの拍子に再起動した「熊」なんかに襲われた探索者の例をよく知っているので、まだ見ぬ人型のモンスターが自分の足首を「ぬっ」と掴む光景が脳裏をよぎった。


「……もしかして、一機ぐらい稼働してたりするんじゃないですかね」

「ありえません」


 と、リィルは断定した。


「なんせ、ずっと昔、ここの施設を制圧したのは『魔法使い』ですから」


 ぽん、と当たり前のように出てきたその名に、というよりは。

 それを断定する言葉のあまりの強さに、グレイは黙り込んだ。


「あの人は『全部壊した』と言いました――そうである以上、この施設にいた汎用人型歩兵は、全部破壊されているんです。絶対に」


      □□□


「汎用人型歩兵は有名な駄作機です」


 竜の砦と呼ばれるその場所で、駒を動かしながら少女が言う。目の前の彼に聞かせるというよりは、単なる独り言のように。実際、少女の言っている話の中には、彼には耳なじみのない言葉が幾つも混じっていた。


「よく言われるのがコストパフォーマンスの問題ですね。通常装備での戦闘能力が歩兵相当――つまり、単純な戦闘能力だけで言えば『熊』より遥かに脆弱。それにも関わらず、歩兵の完全な代替機というコンセプト上、使用されているAIは高性能で、機体の構造は極めて複雑。結果、一機辺りのコストは『熊』を遥かに上回る。破壊された場合、AIはまだバックアップを取れるとして、機体の方はそうはいきません。はっきり言って、兵器としては致命的なコスパの悪さです」


 ひょい、と。

 駒の一つが取り除かれる。


「ただ、実のところ、そのコンセプトは悪くありませんでした。笑い話としてよく語られる開発者の考えは、確かに些か飛躍し過ぎているように思えますが……しかし、もしも状況が違っていれば存外実現していた可能性は高いと私は考えています。仮に戦場の最前線で戦う『人間』の全てを兵器で代替できるならば、多少コストが掛かったとしてもそれだけの価値はある――ありました。問題は、」


 少女は取り除いた駒を手の中で、くるり、と回す。


「状況が変化があまりにも早過ぎたことです――汎用人型歩兵の配備が進む速度よりもずっと早く、戦場に送られる『人間』のコストは急速に下がっていって――やがてそれは、汎用人型歩兵のコストを大幅に下回った」


 要するに遅すぎたんですね、と話を締め、少女は手のひらで弄んでいた駒を置く。

 その駒を見て、少女を見て、それから半分くらいしか理解できなかったその話を考えて、彼はちょっと気になったことを言った。


「……さっきから話を聞いてると、何だか金の話ばっかりだな」

「戦争のことを考えるなら、お金の話を考えることは大事ですよ――少なくとも正義云々の話を考えるよりはずっと健全です」

「いや、そっちじゃなくて、ええと……その、はんよーなんちゃら、って言うモンスター? でいいのか? のことだよ――そいつ、人間と同じくらいには考えられて、人間と同じくらいには動けるんだろ?」

「ですね」

「でも、人間と違って生き返れる」

「厳密には違いますが、認識上はそれであってます。バックアップしたAIのデータを新しい機体に入れればそれで復員可能です――でも実際には、前述のコストの問題から補充の機体は製造されず、基本的に使い捨てにされていたようです。ですから、時代に恵まれなかった結果とはいえ、やはり駄作機としか言いようがありません」

「うん、それだ。その辺りの考え方が――」


 ぽん、と彼は駒を進めながら言う。一番弱く、一番駒数が多い駒。


「――俺には、ちょっとよくわからないんだが」


 その言葉に対し「はい?」と、少女は何故か愉しそうに小首を傾げる。


「そいつって、何でそんなダメな扱いなんだ?」


      □□□


「――私には、ちょっとよくわからないんですが」


 その言葉に対し「はい?」と、リィルは心底不思議そうに首を傾げた。


「その子って、何でそんなダメな子扱いなんですか?」


 汎用人型歩兵なるモンスターについての、一通りの説明を終えた後。

 その直後の、メトの言葉だった。

 ぱちくり、と手のひらサイズのリィルは瞬きをして、発言者を見た。


 グレイも同様だ。


 半分ぐらい内容は分からなかったが、とりあえず、そのモンスターが「熊」より弱く、人間と同じくらいの戦闘能力しか持っていないことは大体分かった。たぶん「箱」よりは多少マシなのだろうが、それほどの脅威とは思えない。少なくとも、「竜」よりも上ということは絶対ない。それくらいは分かった。


 ――何言ってんだこいつ。


 そう思った。

 それはリィルも同様らしく、困ったように言葉を探す表情をしている。


「え、あれ? 何ですかこの微妙な空気? 私、変なこと言いました?」


 が、当のメトはというと、こちらも心底不思議そうな顔をして、


「だって――」


 と、言葉を続けようとしたところで、ちょうどエレベーターが無事到着した。

 どうやらやっぱり自分の嫌な予感は外れたらしい、とグレイはそう思ったが。

 同時に、どんな予想外の場所から危機が飛んでくるのだろうか、とも思った。


 そして、エレベーターの扉が開く。

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