19.こちら探索少女二名、決着です。

 ぱちり、と。

 目を覚ましたディーンは目を瞬かせた。


 記憶を手繰る。

 渾身の一撃を放って、でもそれを回避され、「竜」を仕留め損なった。

 そして「竜」の爪が目の前に迫って。

 記憶はそこで途切れている。


 たぶん、死んだのだろう。

 ではここはあの世なのか。

 ディーンは途方に暮れた。


 こういうときこそ宗教が必要なのだが、ディーンはそんなものは持っていない。別にディーンが特殊なわけではない。探索者はみんな無宗教だという話でもない。


 この世界には、宗教が存在しない。


 正確には、宗教の教えを体系的に伝える組織が存在しない。

 昔は、この世界において長い歴史を積み重ねてきた大規模な組織が幾つかがあったのだが、100年程前に全滅した――言うまでもなく、それらの組織が「異端者」と認定した「魔法使い」の仕業だ。


 もっとも、どの宗教においても「スキル持ち」は「異端者」扱いされていたので、どちらにせよディーンに宗教は無縁だっただろうが。


 ぱちり、と。

 もう一度、ディーンは目を瞬かせる。


「――ディーンっ!」


 こちらを覗き込む、アリソンの顔。

 つまりはアリソンも死んだわけか。

 まさか、死んでからも一緒だとは。


 ディーンは観念した。


「仕方がない……。結婚するか……」


 即座に頬を思いきり引っ叩かれた。


「馬鹿言ってねーで働くっすよ!」


 頬が痛い。

 いや、全身がめっちゃ痛い。

 痛いということは、生きている。

 生きているということは、まだ戦える。


「――『竜』は?」

「あいつブレス吐くつもりっす! 何とかするっすよ! ディーン!」


 アリソンに支えられつつ、激痛に耐えながらディーンは上半身を起こす。


 ああ駄目だ。

 目が霞んでいる。

 前がよく見えない。

 これじゃまともに当てらない。


 それでも「竜」がブレスを吐くため、空気を吸い込み、蒸気を吐き出す不吉な音は聞こえた――だから、その音を頼りに砲撃を繰り出そうとして。


「違うっすよ! ディーン!」


 耳元で、アリソンが怒鳴る。


「さっきのアレ! アレっすよ!」


 アレって何だよ、と一瞬思った。

 一瞬だけだった。

 そしてディーンはちょっと笑う。


「なあ、アリソン――」


 やっぱり自分は実戦で応用を利かせられるような人間じゃないな、とディーンは思った。そんな判断力は自分にはない――その点では、アリソンみたいな奴には一生掛けたって敵わない。


「――これからもよろしく頼むよ」


 その言葉に対し、アリソンがにやりと笑って混ぜっ返してくる。


「それ、男女の関係としてっすか?」

「普通に仕事仲間として」

「紛らわしいっすね」


 霞んだ視界の中。

 空気を吸い込む音は今も続いている。


 不意に思う。

 あのときの「竜」。

 確かあの「竜」は、最初の不意打ち以外で、ブレスを使わなかった――そのことを、少しだけ奇妙だとずっと思っていた。

 後で聞いた話では、あの「竜」はどうやら「熊」を使って、こちらの情報収集までしていたらしい――もしかして、ディーンのことも知っていたのかもしれない。ディーンのスキルのことも。

 だとすれば。

 あの「竜」は、ディーンのことを「敵」として見ていてくれていたのかもしれない――最後の最後まで、あの場では何一つできなかったディーンのことを。ちゃんと。


 今、目の前にいる相手と同じように。


 霞んだ視界の向こう側を、見据える。

 砲撃や防壁とは違い慣れていないが。

 幸い、先程、復習はさせてもらった。

 だから、絶対に上手くやってみせる。


「――いい加減、決着を付けようか」


      □□□


 ――いい加減、決着を付けようぜ。


 予想外に強力な爆弾を食らった結果、より酷くなった視覚の向こう側で、例の奴が起き上がるのが見え――その瞬間「ああ、俺の負けだな」と轟の勘が告げた。


 それでも、轟は続ける。


 衝撃を受けたことで「ドラグーン」を強制遮断し、そのまま停止させようとした安全装置――そのプロセスへと割り込みを掛ける。


 「ドラグーン」の発射態勢を取り戻す。


 ――熱い。


 強制遮断からの無茶な再起動によって、機体内部に溜まった大量の熱が轟の思考を乱れさせる。そいつを冷却するために、ラジエーターが大量の蒸気を吐き出し、さらに多くの空気を求めて、エアインテークを全開にして稼働させ、


 違和感。


 空気が入ってこない。

 異物が潜り込んだわけではないはずだ。それならさすがに気づく。そもそも「竜」のエアインテークは異物の侵入を遮断する特殊な構造になっている。

 原因不明の故障――いや違う。

 「敵」の攻撃だ。

 こちらの呼吸を、止められた。


 ――やばい。


 エアインテークが正常に作動しなければ、ラジエーターによる排気も正常に作動しない。そうなると、溜まった熱は行き場を失って蓄積され続ける。安全装置を無効化する形で、無茶な実行を行った「ドラグーン」のプロセスは、もう止まらない。


 ――熱い。熱い。熱い。熱い。熱、


 ぼんっ、と。

 そんな間の抜けた爆発音が、自分自身の内側から鳴り響くのを轟は聞きた直後、


 どおん、と。

 同時に、それとは別の爆発音――おそらく、ロケットランチャーだ――が聞こえ、足元の地面が揺れて振動し、そして、その直後に傾き出す。


 成程、と轟の中は一瞬の中で理解する。


 ここは大穴の淵だ。

 計画的に作られたものではなく、ただの破壊跡で、つまり元々崩れやすい。

 おまけに先程から何度も爆発したり何だりしているわけで――だから無誘導の対装甲ロケットランチャーを穴の側面に撃ち込んでやれば、こうして崩れる。崩れれば、その上で動けなくなっている轟は、そのまま穴の中に転がり落ちる。

 そして。

 大穴はこの空母を貫通し、眼下の空へと通じている――地上まで真っ逆さまだ。


 ――参ったな。


 そこまで轟の理解が及んだ直後に、身体の内部で再び爆発が起こった。


 ばちん、と。

 意識が完全に途絶えて、そのまま、


『待ってるから――』


 かちり、と。

 轟の意識が――再び、構成された。


 左の「腕」を伸ばして地面を掴む――が、機体を支えきることはできず、そのまま崩落に巻き込まれていく。

 が、ほんの一瞬だけ時間を稼げた。

 その一瞬で。

 熱で回路が焼け死ぬのも構わずに。


 轟は、ひび割れとノイズだらけの視界の中、それでも「ドラグーン」を放った。


 そのとき。


      □□□


 そのとき。


 その瞬間に起こったことはちょっと唐突で、少なくともその場では、隊長も軍曹もデブも皮肉屋も、ディーンもアリソンも、マリーにだって、何が起こったか理解できなかった。


 ただし、フーコだけはちょっと例外だ。


「ちゃんと分かってたもん」


 と、フーコは主張するに決まっている。


「あれは、絶対、空対空専用の短距離誘導弾。お兄ちゃんが言ってた。後付けで搭載したせいか空対地モードでのロックオンにはちょっとバグがあって、本来はモードを切り替えるとロックが掛かるはずの空対空誘導弾が発射できちゃうって」


 もちろん、嘘に決まっている。

 たぶん他の連中と同じで、フーコもその場では何も理解できなかったに違いない。

 だが。

 ちゃんと分かってたもん、と。

 フーコは、もう一度、ムキになって主張するに違いない――目に見えるようだ。

 そして。

 たぶんきっとこう付け足すに違いない。


「ちゃんと知ってたもん――」


      □□□


 そのとき。


 それを見たのは狙撃手の少年だけだった。

 フーコからすれば残念なことに。

 狙撃手の少年は、想定を超える威力だった爆弾の爆発を見て「うわ。すげー」と馬鹿みたいな感想を述べた後、先程と同じように戦場に背を向け、銃のスコープを覗き込んでいた。


「んー?」


 と、呻く彼が覗き込むスコープの中。

 映っているのは――例の魚モドキだ。

 それを見て不思議そうに少年は呟く。


「何で、光ってんだろ?」


 残念ながら彼には理解できない。

 彼はもちろん、フーコとは違う。

 だから、魚モドキの表面に生じる光によって浮かび上がって作り出される、常に変化を続ける複雑で奇妙なその模様が、対画像認識用の迷彩パターンであって、つまり魚モドキが待機状態から戦闘状態に入った証だということは。

 もちろん、まるで理解できない。

 ただ首を捻る彼の見ている中で。

 魚モドキの腹が開く。

 さすがに彼の場所までは聞こえないが、ぷしゅっ、と完全密閉されていたコンテナが解放されて左右に開いた。

 そして、その腹の中から腕――「竜」のものとはまるで違う、いかにもメカメカしい腕が現れ、筒のようなものを出してきて、ぽおん、と宙に放った。


 どうやら、それが最後だったらしい。

 魚モドキを覆っていた光が途切れて。

 密かに生き続けていた老魚が死んだ。

 そして、その死体を置き去りにして。


 しゅぼっ、と。

 宙に放り出された筒のようなものの後ろから、小さな炎が一度噴き出して、くるり、と宙で位置を調整するように動き。

 そして次の瞬間、筒の後ろからは盛大な炎の奔流が噴き出して――少年の目でも追いきれない程の凄まじい速度で宙を駆ける。

 「竜」を目掛けて。

 一直線に。


      □□□


「――やっぱり『ラプター』は最強」


      □□□


 そのとき。


 轟に向かって、何の脈絡もなく――いや、方角的にノイズ扱いしていた微小な反応があった場所からか――飛んできた誘導弾と一緒に、メッセージが飛んできた。

 おそらくは有人戦闘機――もちろん、パイロットの人間はどう考えてもとっくに死んでいるだろうから、きっとその相棒だった支援AI。

 わざわざハッキングでもしたのか、このゲテモノ空母の中に生きていた通信系を経由して、しかもご丁寧に翻訳を通し「竜」に言語に変換した上で、そいつはそれを送りつけてきた。

 そのくせ、


『よお。お互い久しぶりだな――』


 メッセージの内容は超シンプルだった。


『――だがくたばれ。トカゲ野郎』


 その誘導弾は爆発しなかった。


 どういうわけか汎用弾ではなく、空対空専用のはずの短距離誘導弾だったから、まともに作動しなかったのかもしれない。単純に経年劣化によって弾頭に故障が出ただけかもしれない。

 それとも。

 何か思うところでもあって、意図的に近接信管が作動しないよう設定して発射したのかもしれない――幾ら対地弾頭ではないとはいえ、近接信管が作動していた場合、たぶん轟の前にいる「敵」も一緒に死んでいただろうから。


 だから文字通り「直撃」した。


 音速で飛ぶ質量の塊をもろに食らった衝撃で、轟が無理矢理放った「ドラグーン」は、まるで見当違いの宙を薙ぎ払って――そして、轟を何とかその場に引き留めていた「腕」も地面から離れた。


 轟が落ちる。

 大穴の中に。

 落ちていく。


 ――ああ、俺の負けだな。


 落下しながら、轟は自分でも驚くほど静かにそれを受け入れられた――そこで「ああ、成程」とようやく気づいた。


 例の最優先命令だ。


 ――空母内の敵を殲滅せよ。


 その最優先命令が、いつの間にやら、綺麗さっぱり消えていたのだ。

 何度か意識が飛んで、無茶な再起動をかましたから、たぶん、そのどこかで命令が初期化されたのだろう。

 もうちょっと早く気づいていれば、逃げるという手も――いや、確か足をやられた三発目を食らった時点ではまだ命令は生きていたから、どっちにしろ同じだったか。

 でも、と轟は思う。

 まあよくやったよな、と轟は思う。


 なんせ、病み上がりの身体で、正体不明の見えない砲撃と防壁を使う魔法使いと、今のひび割れだらけの視界の原因を作ったとんでもない腕の狙撃手と、「熊」をボルトアクションの銃で倒せる人間たちと、意外なくらい正確な判断を下していた(たぶん)指揮官と、高速で移動して対装甲ランチャーをぶっ放す何か(本当に何だったのだろう? あれ?)と、姿を一切見せずに爆弾を置いていった奴と戦ったのだ――挙句の果てには、戦闘機から支援である。


 ――いや、まじでよくやったよ。俺。


 どう考えたって負けるだろ。そりゃ。

 と、轟は思う。

 人間だったら苦笑しているところだ。


 もうほとんど動かない轟の身体は、成すすべもなく大穴の中を落ちていく――そのまま、大穴の底へと。その下に広がっている空へと。ほんの束の間、重力を忘れて。

 そして。

 いずれ地表に叩き付けられて、轟は重力を思い出す暇もなく、木っ端微塵になる。


 ――まあ、そりゃそうか。


 落下しながら。

 轟は、昔、クマ子に言って聞かせた物語のことを思い出す。散々クマ子には馬鹿にされた、今、冷静になって思い出すと確かにめっちゃ恥ずかしい物語を。


 ――物語みたいにゃいかねえよな。


 そして轟はもう潔く諦めようとして、


『――ちゃんと帰ってくるんだよ』


 左の「腕」が、何の強制力も持たないはずのその命令を受けて、勝手に動いた。

 大穴の底。

 その縁に突き出ていた、構造材。

 それを左の「腕」がひっ掴んだ。


 ――馬鹿か。


 と、轟が自分自身を罵った直後、忘れていた重力が復活する。

 掴んでいる左の「腕」と、掴まれている構造材とが、轟の機体重量に軋み、二つ仲良く断末魔じみた悲鳴を上げて。

 それでも。

 辛うじて、ぶら下がった。

 それだけだ。

 たぶん限界はすぐに来る。


 落ちるのは、ただの時間の問題だった。


 ――何をやってんだか。


 轟は自分で自分に呆れた。

 人間ならため息を吐いているところだ。

 あのまま落ちていれば、いかにも劇的な死に方ができたっていうのに――最後の最後で、こんな悪足掻きをしてどうするのか。

 大穴に吹き込む風は強く、轟の身体はぶら下がったまま、ぶらぶらと大分危うく揺れている。「腕」の限界が来る前に構造材の限界が来る前に、強風に煽られて落下するという何とも間抜けな可能性が轟の思考をよぎる。


 ――ほんと馬鹿だよな。


 轟はそう思いながら、ノイズだらけでもうほとんど見えないひび割れた視界で、自分が落ちてきた大穴を見上げた。


 一瞬、ただの虫だろうと思った。

 ノイズだらけになった視界は、とっくにフィルタリング機能なんて失っている。

 でも違った。

 何かが、大穴の中を跳んでいる。

 まるでさっきまでの自分と同じように、あるいはそれよりもずっと。

 重力なんて忘れたような軽さで。

 轟に向かってくる。

 ポンコツになった視覚でも、その姿が捉えられる距離――大穴の底、ちょうど轟のぶら下がっているのとは反対側の、やはり剥き出しになった構造材の上に着地した。


 一瞬、幻覚だと轟は思った。


 なんせ着地してきたのは、人間だった。

 妙に脚部を露出した――お下げ髪の少女。

 しかも別の人間をおんぶしていた。いや、おんぶそれ自体は(さっきの人間とは思えない跳躍を考えなければ)一応普通の範囲内なのかもしれないが、おんぶされているのは普通の人間ではなかった。

 どう考えても戦場には不釣り合いな、ひらひらとした、しかもめっちゃ目立つ色の服を着た――お人形さんみたいな少女。

 しかも、その背中に馬鹿でかい対装甲ロケットランチャーを搭載していた。


 つまりは。

 この二人が正体不明だった「何か」だ。


 古い記憶が、蘇る。


 燃え盛る艦の上で遭遇し、交戦した。

 一人は、髪をお下げにしてる女の子。

 一人は、お人形さんみたいな女の子。

 たったの二人で、しかも子供だった。

 骨董品じみた小型拳銃を二人で構え。

 それにも関わらず、自分を負かした。


 そんな二人の記憶。


 いや、ちょっと出来過ぎだ。

 やっぱり幻覚か、と轟は思って――それでも別にいいか、と思い直す。

 なんせ待ち望んでいた再戦の機会だ。


 もちろん。

 目の前の二人はあの二人とは違う。

 今の視覚でもさすがに判別は付く。

 それでも。


 ――行くぞ。お嬢ちゃんたち。


 予想していた通り、というか予想よりも遥かに物騒な代物を持ってきた二人の少女と撃ち合うために、轟は正直まだ発射できるかどうか怪しい「ドラグーン」の発射準備を始める。エアインテークからもラジエーターからも異音しかしないが、熱でどんどん回路が焼け死んでいくが、構いやしない。


 ――今度は、負けねえからな。


 お人形さんじみた少女が、お下げの少女の背中から降りる。見た目に反してプロの動きで、対装甲兵器をこちらに向けて構え――その直後、強風に煽られて体制を崩しそうになったのを、お下げの少女が抱き締めるようにして支える。

 二人の少女が。

 轟に向かって、対装甲兵器を構えた。

 本当は、もうとっくに分かっている。

 向こうの方が早い。

 それでも。

 轟は「ドラグーン」を二人に向ける。


 そして、二人が対装甲兵器を撃った。

 こてん、と。

 撃った二人が一緒にひっくり返って。


 轟の左の「腕」が、吹き飛ばされた。

 その直後。

 轟の放った「ドラグーン」が外れて。


 そして。


 ――あーあー。


 今度こそ、轟は落ちる。


 ――まーた負けちまったよ。


 空の中へ、落ちていく。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る