20.その日。

 その日、そのとき起こったこと。

 それは協会の記録に残っている。

 とてもとても奇妙な現象として。


      □□□


 その日。


 「竜の要塞」と呼ばれるダンジョン。

 協会が「探索不可」としたそのダンジョンを取り巻くように幾重にも設置された無数の拠点――その最前線となる監視基地の、さらに最前線たる監視用の塹壕内にて。

 そのとき監視役を務めていたその探索者は、今日も色んな意味で震えていた。


『誰にでもできる簡単なお仕事です』


 と言って、この長期任務を斡旋してきたあの協会員の女性は悪魔だと思う。


『大丈夫です。「おそらく」危険はありません。「今のところ」この任務で、戦闘による死者が出たことはありません。ただひたすら監視する「だけ」でいいんです。というか「絶対に」それ以上のことはしないでください。約束ですよ?』


 めっちゃ可愛い笑顔で言われた。

 まんまと騙された。

 けれども、その後に真剣な顔で言ってくれたアドバイスに関しては感謝している。


『ただ、あのダンジョン周辺はとんでもなく凄く寒いですので、防寒装備だけは整えていって下さい。本気で。全力で。冗談でなく死にますから。舐めた装備で行った結果、凍死して帰ってくる人は割といるので』


 嘘じゃなかった。

 冗談でなく死ぬ寒さだった。

 軽装でやってきては「止めろ」と周囲の連中に言われているにも関わらずそのまま監視に出て、数分後に冗談抜きに凍死しかけて帰ってくる奴も、本当に割といた。

 幸いというべきか、彼の任期中に死んだ奴はまだいない。でも、凍傷に掛かって探索医に足の指を切り落とされた奴は一人いた。大の大人が子どもみたいに泣いていた姿が忘れられない。

 気持ちは分かる。

 なんせ、この辺りは本来なら馬鹿みたいに陽気な太陽が照り付ける地域なのだ。幾ら寒いと知っていても防寒装備なんて持ち込む気にならないのもわかる。

 だが「竜の要塞」と呼ばれるこのダンジョンの周辺だけは、そこからばっさりと切り離されたように、一年中、極寒の環境下にある。気温は常に氷点下で、視界が真っ白に染まるレベルの吹雪がしょっちゅう発生する。そうなると全力で防寒装備を整えていたとしても危うい。

 過去の第一次から第四次威力探索においても、この極限の環境が間接的、あるいは直接的な原因となって命を落とした探索者は数知れない――このダンジョンが探索不可とされている要因の一つだ。

 アドバイスをもらっていなかったら、自分も指の一本や二本を失っていてもおかしくなかった。それについては感謝している。


 でも簡単なお仕事というのは嘘だ。


 彼は塹壕から顔を出し、息が凍る寒さの中で、震えながら銃から取り外したスコープを覗き込む。銃は持ってきているが、構えずに背負ったままだ――指示があるまで「絶対に」銃は構えるな、とここに来たばかりのとき何度も何度も繰り返し言われたことを思い出す。


 スコープの向こう側に見つける。


 ――「竜」。


 探索者にとっての災厄。

 それが当たり前のように、そこにいる。

 中型の「竜」だった。

 飼い主に「待て」と言われたよく訓練された猟犬ような姿勢で、凍り付いて死んでいるのではと勘違いしそうなくらい不動のまま、そこにいる。


 このダンジョンが探索不可とされる最大の要因――その中の「ほんの」一体。


 彼は、震える手でスコープを動かす。

 そこにも別の「竜」がいた。

 今度は大型の「竜」だった。

 中型もそうだが、大型も想像する程には大きくない。「腕」が四本になってたりもしない。単純に中型よりも一回り大きい程度だ。中型との大きな違いは、そのずんぐりとして角ばった体躯と、その背に甲羅のように背負っている六角形の物体。

 ぶっちゃけ、何だか鈍重そうだし、変なもの背負ってるしで、少し不格好だ。中型の「竜」よりもむしろ弱そうに見える。


 もちろん、知ってはいる。


 外見に反して、平地における大型は索敵能力や機動力で中型を遥かに凌駕するし、外見通りに、装甲は極めて頑強だ――かの魔術学院が使用制限を掛けている類の兵器群ですらそれを貫くのは困難で、威力によっては「スキル持ち」の攻撃すら通じない。さらに、背中に背負う六角形の物体から繰り出される糸は、鋼鉄ですら容易く引き裂く切れ味で、自身に近づくあらゆるものをバラバラにする。

 そして、そのブレスは中型の数倍の威力を持つ高出力で――もし一発ぶっ放されたら、彼が隠れている塹壕どころか、その背後に設置されている監視基地もたぶん一緒に消滅する。


 このまま一生、知っているだけで有り続けることを、彼は願っている。全力で。


 そして、彼はさらにスコープを動かす。

 そこにも、また「竜」がいる。

 スコープを動かす。

 また別の「竜」が。

 動かす。

 「竜」。


 数える。


 本当は数えたくなんてないのだが、監視役の仕事なのだから仕方がない――いつも通りの数の「竜」がいるかどうか確認すること。


 数え終わった。


 「竜」の数は12。


 中型が10体と大型が2体――いつも通りの「連中」の数だった。今日もいつも通りに「連中」は「竜の要塞」の前に常駐している。

 ただし。

 週に一度、背後の「竜の要塞」から「交代」のために別の「竜」たちぞろぞろと出てくるので、そのときだけ「連中」はその不動の姿勢を崩し、その数は一時的に24体に増える。

 探索不可になって当然だ。

 むしろ、こんなところに四回も威力探索を試みた事実の方が信じがたい。っていうか馬鹿だと思う。


「――おい、どうだ? 若いの」


 と、そこで横から声を掛けられる。


「……いつも通りですよ」


 彼はそう答える。


「中型が10体と大型2体。いつも通りにじっとしてます」

「そいつは重畳。今日も平和だな」


 がっはっはっ、と豪快に笑う老人――こちらとしては「竜」を刺激するのではないか、と気が気でない。


「びびんなよ。こそこそしたところでどーせ『連中』にゃバレバレなんだ」


 どうせ無駄だから、と言って銃を持ってきていないこの老人は、その代わりに、何故か薄汚れた四角い旅行鞄を持ってきている。それを傍らに置き、その上に蓋の開いた酒瓶を堂々と置いている。つまり、仕事中だというのに堂々と飲んでいる。

 酒瓶か旅行鞄の角でその頭をかち割ってやりたい衝動に耐える。

 「竜爺」。

 この監視基地において、そんな風に呼ばれている探索者で、魔術者。


『有名な方です――いえ、有名というか名物ですかね。「竜の要塞」の監視基地の』


 何でも、監視基地が設置されてから、ずっとこの任務を続けているらしい。

 大ベテランというわけだ。

 協会員の彼女から聞いたとき、めっちゃ面倒くさそうな爺さんだ、と思った。


『めっちゃ面倒な方です』


 と、協会員の彼女も言った。


『でも、彼のアドバイスは聞くようにした方がいいです。面倒な方ですけど』


 なんせ、大ベテランである。


『「竜の要塞」のことなら何でも聞きな』


 などと、初対面で言われた。

 初対面からもう面倒くさい。

 本人は「俺ぁこの監視基地ができる前の、第一次から第四次までの威力探索の全部に参加してんだ。『竜の要塞』と『連中』のことなら何でも知ってる」などと主張しているが、例えそれが本当だったとしても、だからどうした、と思う。

 こっちは「竜の要塞」のことも「連中」のことも知りたくない。さっさと任期を終えて、さっさと帰りたいというのが本音だ――いや本当、まじで早く帰りたい。

 もっとも、これでベテランな「だけ」の無能だったりすると最悪だが、そこは不幸中の幸いと言うべきか――この老人のアドバイスは的確である。面倒くさいけど。 


「『連中』は、監視されてることなんてお見通しさ――というか、こっちに見られているからこそ、ああして突っ立ってんだ。俺らをびびらせるためにな」

「こけ脅しってことですか?」

「ああ。でも、何度も何度も何度も言われただろうが、銃を向けるのは止めとけよ。こけ脅しとは言っても、連中は完璧な臨戦態勢だ――こっちが戦る気を見せれば、その瞬間、ブレスをぶっ放してくるぜ」

「……ぞっとしないんですけど」


 老人が笑顔で言う言葉に恐れおののきつつ、スコープで「竜」たちを監視しながら、彼はもう一つの仕事を行う。基地から背負ってきて足元に置いておいた通信機のボタンを手順通りに押し込んでいく。

 通信先は監視基地――定時連絡だ。

 本来なら「魔術者」である老人の仕事なのだが、無理やりに手順を覚えさせられ、無理やり彼の仕事にさせられている。


『もし俺が死んでも連絡取れるようにな』


 老人はそう言ったが、その場合は、たぶん彼も死んでいるのではと思う――が、まあ、それほど大した仕事というわけではない。伝えるべきことはいつも同じだ。


 まずは現在の時刻。

 次に現在の『竜』の数。

 そして最後に現在「異常なし」の一言。


 ただそれだけの仕事だった。

 そのはずだった。

 通信が繋がったその直後に。

 不動のはずの12体の「竜」が、一斉に動き出すその瞬間までは。


      □□□


 その日。


 「協会」本部の一室。


 スーツ姿の一人の中年男が、コンロの火にやかんを掛けてお湯を沸かしている。それはザ・執務室的な場所の中に併設された部屋で、入り口のところには「給湯室」と書かれたプレートがある。


 つまり、この部屋の主であるこの男、いまいちぱっとしないがお偉いさんである。


 スーツを着ているから?

 違う。

 スーツは例の「魔法使い」が広めた服装の一種として、ここ100年程かけて、都市部を中心として一般庶民に広く普及している。つまりは、その辺の魔術工場で上司の魔術者にこき使われている労働者のおっさんとそれほど変わらない格好をしている。保守的な貴族や騎士の何かが着る華美な装飾が施された服装なんかと比べると、どうしたって偉そうには見えない。


 じゃあなぜか。

 コンロにやかんに給湯室である。


 コンロを含めた給湯設備は銃火器同様に魔術学院がすでに解明している道具だが、一般レベルに普及しているとは言い難い設備である。そこまで高度な技術が必要なわけでもないが、魔術者でなければ整備ができないわけで、お金だってめっちゃ掛かる。結構贅沢な設備なのだ。

 そして、本来この世界にやかんは存在しない。というわけでダンジョン産の一品である。これくらい状態の良い代物は実は貴重品なのである。


 でも残念ながら、コンロとやかんを前にしたスーツ姿の男に威厳を見て取る文化はこの世界においても発達していない。その姿はささやかな哀愁しか感じさせない。


 その男は今、沸かしたお湯でお茶を淹れている。急須で。だいぶ年季を感じさせる「自分、茶ぁ淹れるための道具っすから」とでも主張するかの如き地味な急須だ。

 急須なんてものはこの世界にはないので、これもダンジョン産だ。もちろん緑茶もないので、淹れているお茶はそれとは全く別種の香草を使ったお茶である。

 お茶を注ぐカップは二つ。

 一つは、白磁に華麗な装飾模様が描かれた男の私物であるティーカップ(大量生産品。安物。ソーサーは無くした)。

 そして、もう一つは湯呑み茶碗。もちろん以下略でダンジョン産。こちらも「自分、茶ぁ注がれるための道具っすから」とでも主張するかの如き無骨な湯呑みであるが、その側面には後から彫られたと思しき、男には読めない文字が彫られていてちょっと台無し感がある。

 それらにお茶を注ぎながら、男は棚の片隅に目をやる。

 同じ丸文字で、でも、別の名前が書かれた湯呑がそこにある。使われている形跡もないのに、埃一つ被っていないそちらの湯呑みに、男は触れない。世の中には絶対触れてはいけないものがたくさんあって、この湯飲みもそんな触れてはいけないものの一つだからだ。

 カップと湯呑をお盆(ダンジョン産)に乗せ、男はザ・執務室的な部屋に戻り、


「お茶ができたよ」


 と、そこに置かれている応接用のソファに座っている相手に向けて、声を掛ける。

 そこには、一人の少女が座っている。

 ぱっとしない男とは、対照的な少女。

 要するに、美少女だ。

 窓から差し込む光に溶け込んでしまいそうな白い肌と、鮮やかに煌めく金色の髪。


 そして、セーラー服。


 白を基調として襟は紺色。

 スカートの色も同じく紺色。

 履いている靴は地味なローファー。

 胸元のスカーフだけが、鮮やかな青色。


 念のために言っておくと、スーツとは違って、この世界でセーラー服というのは一般的でない。やかんや湯呑と同じである。女子学生の制服としても存在しないし、海軍の軍服としてすら存在しない。

 この世界においてその格好は、どこぞの鬼畜小悪魔ちゃん並に変な格好である。

 が、男はその美少女の格好に慣れているのか気にした様子もなく、


「はい、どうぞ。リィルさん」


 と、彼女の座るソファの前に置かれたテーブルに無骨な湯呑を置く。


「ありがとうございます。トーキン」


 「リィル」と呼ばれたセーラー服の美少女はお礼を言いながら、湯呑を受け取って、お茶を一口啜り「ほう」と一息吐く。ちなみに湯呑に彫られている文字は、彼女の名前である。彼女専用の湯呑なのである。

 一方彼女に「トーキン」と呼ばれた男はというと、ソファではなく、何故か通信機が二大置かれた執務机へと座って、安物のティーカップでお茶を飲む。「やー良い香りだねえ」とのんびりした口調で言う。

 ちなみに。

 デスクにはちょっと冗談みたいに安っぽい作りの名前プレートが置いてあるのだが、そこには「協会長」と書かれてある。


「随分と落ち着いてますね」


 と、セーラー服の少女がお茶を啜りながら男に尋ねる。


「例のクーデターへの対処はもう?」

「大半は、もう制圧完了済みだよ。いやあ、先走ってくれた敵さんに感謝だね。対策打ち放題だったよ」

「随分とまあ」


 と、少女は含みのある間を入れてから言葉を続ける。


「こちらに都合良く行ったものですね」

「……まあ、増援が出せなかったダンジョンもあるから、そういうところからの連絡はまだのとこもあるけど。ほら――君が何かと気に入ってる例の二人が、初期探査に向かったとことか」

「あそこは『空飛びディーン』が派遣されてるでしょう? 彼は対人戦闘なら最高レベルの「スキル持ち」です。滅多なことがなければ制圧は余裕かと思いますが」

「滅多なことがあるのがダンジョンだからなあ。『竜』の襲撃食らったりとか」

「縁起でもないことを……。本当にそうなったらどうするんです……」

「はっはっはっ、大丈夫だって。そんな偶然あるわけ――」

「……ん?」


 ことんっ、と湯呑をテーブルに置いて。

 がたんっ、と不意に少女が立ち上がる。

 つかつか、と彼女は窓に近寄っていく。

 どばんっ、と勢いよく窓を開け放った。


「――ふむ」


 開け放った窓から身を乗り出し、目を閉じて何かに頷いている少女に、男は困惑した顔で話しかける。


「えっと……どうかした? リィルさん?」

「いえ、大したことでは。ただ――」


 と、少女は目を開き、僅かに驚きを滲ませた表情と声とで呟く。


「――こういうこともあるんだな、と」


 直後、男のデスクに置かれていた通信機の内の片方――非常事態用の通信機が、突如、けたたましい音を立てて鳴り出した。


      □□□


 その日。


 とあるダンジョンで、一体の中型の「竜」が敵から奇襲を食らって、その後ろ脚を切り飛ばされた。


 剣で。


 冗談みたいな状況だった。

 だが、それと同時に、複合視界で捉えた敵に向かって「竜」は腕の中に隠していた手榴弾を投げつけていた。

 魔術学院がまだ量産化に至っていない兵器だ――探索者が通常扱う爆弾とはかなり形状が異なるため、知らない探索者は「何だこれ?」といぶかしんでいる内に爆発の餌食になる――「竜」はそのことを知っていて、奇襲として使った。それができるだけの知性を残していた。


 本物の「竜」だった。


 だから、それに対して敵が瞬時に反応したのを捉えた瞬間、その奇襲が失敗に終わることをすでに「竜」は予想しており、同時に――自身の片方の腕が切り飛ばされることも予想していた。


 予想した通りになった。


 敵は手榴弾の爆発を避け、潜り抜けて、同時に振り上げた剣が「竜」の片方の「腕」をぶった切る。


 そこで予想を超えられた。


 「竜」は腕に刃がめり込んだ瞬間に刀身へと無理な力を加え、剣をへし折ろうとしていのだが――それを許さない速度と技量で剣は振るわれた。


 「竜」の腕が宙を舞って。

 それでも――剣は、折れない。


 その時点で、「竜」の戦闘支援システムはほとんど使いものにならなくなくなっている。支援システムはおおよそ考え得る近接戦闘の状況を想定して組まれているが、剣で攻撃してくる敵と戦う状況なんてものはさすがにカバーしていない。「竜」を軽々と引き裂ける剣はまあ作れたとしても、そんなものをわざわざ運用する状況はまず考えられない。


 しかも、相手は人間である。


 爪でも腕でもはね飛ばすのでも何でもいい。こちらはただ接触するだけで相手に致命傷を与えられる。それだけの質量差があるし、速度でも完全にこちらが上だ。


 だが、捉えられない。


 敵はこちらの繰り出す攻撃を紙一重で避けながら、一瞬の隙を見つけた瞬間、返しの刃で――繰り出した爪がまとめて切り飛ばされて宙を舞う。


 何だ、こいつは。


 いや、その理由を「竜」はすでに分析し終えていて――でも、理解できない。

 こいつは、こちらの動きを完全に理解し切っている。

 見切っているのではなくて、理解。

 「竜」の身体が移動するときにどう動くのか、攻撃するときどう動くのか、どの瞬間で無防備になるのかをどうやら完全に知り尽くしているらしい。


 それ自体は驚くことではない。


 「竜」の戦闘支援システムだってそれと似たようなものだ。想定される戦闘の状況や各種兵器情報から相手の動きを予測して可能な限り先手を打つ。まったく同じだ。


 だが、こいつは人間だ。


 そのために必要なデータベースとプログラムをインストールして、それを利用できるだけの演算速度を確保すればそれで済む「竜」とはわけが違う――同じことを人間がやろうとすれば、途方もない時間と労力と覚悟が必要になるはずだ。


 ただ「竜」を倒すためだけに。


 たったそれだけのことに、それだけの力を注げる理由が「竜」にはちょっとわからない。率直に言って馬鹿だと思う。人間にはもっと、こう、やることがあるのでは。


 振り上げた刃が頭部を掠め、メインカメラの一つがブラックアウトする。


 それでも、あるいはそれだからこそ――完全に押されている。他のメインカメラで視覚を補正しつつ、相手の姿を必死に追う。


 何らかの電子的機能でも搭載しているのか、奇妙な光を刀身から放つ馬鹿でかい剣を構えた、その敵――おそらくは片脚は義足――は何かを叫んでいる。

 いや。

 おそらく意味はない。

 ただ、とにかく叫んでいるだけだ。「竜」と戦うために。必死で。

 たぶん、きっと、人間だから。

 そう思った。

 その直後だった。


 「それ」が来た。


 思わず「竜」は動きを止めた。

 致命的な隙だった。


      □□□


 その日。


 とある谷を見下ろす崖に「熊」がいた。

 倒れている。

 うつ伏せだ。

 その「熊」は、ぴくり、とも動かない。

 何となく、戦場から必死で逃げてきた兵士が、そのまま敢え無く討ち死にしたような格好である。冬眠中って感じではなく、普通にもう死んでいるように見える。なんせ装甲だってべこべこに凹んでいることだし。

 その「熊」は、背中に妙なものを背負っていた。たまに「熊」が背負っているバックパックみたいなのものに似ているが、それともちょっと違う。

 何か変なものが生えている。先端が底の深い皿を串刺しにしたみたいな形状の、変なもの。そっちが本体なんじゃないかと思うくらいでかい。それが二つ。互い違いになるような格好で空へと向けられている。

 腕の良い「魔術者」なら、それが強力な受送信能力を持った通信装置であることに気付けるかもしれないが、今、この場所には誰もいない。

 ちなみに。

 その谷の底には、霧に覆われた「霧渓谷」と呼ばれるダンジョンが存在している。

 ほとんど探索が完了したダンジョンであり、時折、状態確認のために探索者が派遣される以外、人が訪れることはない場所だ。

 故に、その日も周辺に人間はいなかった。

 仮に、この「熊」がまだ生きていて冬眠中だったとしても、周辺に誰もいない以上、目を覚ますことはないはずだ。

 が。


 むくり、と。

 その「熊」は起き上がった。


 とはいえ、その動きはぎこちない。たぶんどっかが故障しているのだろう。放っておけば機能停止しそうな感じだが――それでも、まあ、とにかく立ち上がった。


 そして、そのまま動かなくなる。

 立ち上がって、力尽きて壊れた。

 そんな風にしか、思えなかった


 だが、違った。

 その動かなくなった「熊」の内部で、とあるプログラムが起動し始めていた。

 それは特定の通信を背中の通信装置でキャッチしたときに起動するよう、この「熊」に仕組まれていたちょっと複雑なプログラムで――機能だけを言えば、その送信者の位置を割り出し、そこからもう一つ、複雑な計算を行うためのプログラムだ。

 通常の「熊」なら演算の負荷で即座に回路が焼け死ぬような代物だったが、この「熊」は、こう見えて一味違う――その演算能力は改造され、強化されている。背中に背負った通信装置にも演算支援用のコンピュータが仕込まれている。

 それでも足りなかった。

 プログラムが結果を吐き出すのと同時に、


 ぼんっ、と。


 発生した膨大な熱量が「熊」の内部で小規模な爆発を起こした。

 「熊」は、その時点で半分ほど死んだ。

 だから、残る半分のまだどうにか生きている部分で「熊」はそれに連動するプログラムを起動させた。こちらはもっとずっと単純なプログラムだ。先のプログラムが出した結果を、一つのプログラムとセットにして、通信装置で送り付ける。

 送り付ける先は、他の「熊」だ。

 最大出力で送った。


 ぼんっ、と。


 再び、小規模な爆発が起こって。

「熊」の残り半分の部分も死んだ。


 ぽてんっ、と。


 再び「熊」は地面に倒れた。

 今度は仰向けだった。

 そのため、倒れた拍子に背中の通信機から生えていた奇妙なものがへし折れてしまった。どちらにせよ、もう使うことはないのだろうが。


 倒れた「熊」は三つの目を閉じている。

 何だか昼寝でもしているように見える。

 やっと仕事を終えて一息ついたように。


 べっこべこになったその身体の。

 寸胴なその胴体のお腹のところ。

 ペンキで、何かが書かれている。

 ほとんど掠れていて読めないが。

 この世界には存在しない文字で。


 誰かの名前が書かれている。


      □□□


 単なる思い付きだった。


 例の戦闘機のAIに通信を送り付けられたのが、きっかけと言えばきっかけか。


 落下しながら、轟はこれだけ機体に損傷を受けているというのに奇跡的に残っていた通信系を使って、ゲテモノ空母のシステムへと、ダメ元でハッキングを試みた。


 信じられないくらいあっさり成功した。


 空母内のセキュリティは、まるで数年後の未来から持ち込まれた最新のハッキングツールによって容赦なくぶち破られ放置されたような、大量の傷跡が幾つも残った無残な姿に成り果てていた。

 何でたかが戦闘機の支援AIが空母の軍用セキュリティを突破して通信システムをハッキングできたのか、ちょっと理解できなかったのだが、なるほど、この状態なら幾らでも侵入し放題だろう。


 やることはあのAIと同じことだ。

 メッセージを送り付ける。

 ただし範囲を広げて。

 そして、もし可能ならば。

 返事を受け取れるようにすること。


 ゲテモノ空母に搭載されている無駄に強力な通信設備を使って、準備を整えた。


 ちょっとだけ、思ったからだ。

 自分がこの世界に来たように。

 クマ子もいるんじゃないかと。

 だとしたら謝らないとな、と。


 そんな可能性は、まあないだろうけど。

 でももしかしたら、と。

 轟はそれでもメッセージを送り付けた。

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