こちら探索少女二名、今日もダンジョン走ってます。おんぶして。
高橋てるひと
どこかの酒場での探索者の話。
どこかの酒場での探索者の話。
女の子二人に助けられた。おんぶしてた。
酒場かなんかで、他の探索者に今は義足となっている片足を失ったときの話を聞かれたとき、彼はそう答えることにしている。
聞いた側の反応は様々だ。
何言ってんだこいつ、と顔をしかめる奴もいれば、たぶん何かの冗談なのだろう、と納得してみせる奴もいる。知り合いの女の子紹介しようか、と本気で心配されることもあるが別にそういうんじゃない。というか恋人ならちゃんといる。
それから、時々。
ああ、とその話に頷く奴もいる。
あの二人組か、と苦笑交じりで。
そんなときには彼も、そうそうそいつらに助けてもらったんだよ、とその誰かと一緒になって苦笑する。ちょっと恥ずかしい過去を、でも今では良い思い出になった昔の出来事を語るときに、大抵の人間がそうするように。
それから話は、いつだってこう続く。
あいつら、今、どこ走ってるんだろな。
彼は、その誰かと一緒になって笑う。
どこかのダンジョンで。
あのヘンテコな二人は。
今日も楽しげに走り回っているだろう、と。
□□□
死ぬ覚悟ならできていたつもりだった。
探索者になったときから、ずっと。
所詮は「つもり」でしかなかったのだな、と地面に伏せた彼は苦笑した。こうなってみると、やっぱり死にたくなかった。
どこかの世界の、奇妙な遺跡の中だった。
傍らには折れた剣。
そして、竜の遺骸。
そいつが最後に放ったブレスの一撃。その膨大な熱波が、天井を吹っ飛ばされた遺跡の内側から逃げ出していき、周囲に渦を巻いている。
とんでもなく強くて、美しい竜だった。
それ自体が光を放つ体皮を纏った大竜。
間違いなくこれまでで最強の竜だった。
本当に、馬鹿みたいに長い戦いだった。
最後の一瞬には、ぴたりと目が合って。
こいつになら殺されてもいいよな、と。
きっと互いにそう思い合っていた――そんな馬鹿げた錯覚をしてしまったくらい。
最後の一撃で。
竜のブレスが自分の片脚を消し飛ばし。
最後の一撃で。
こちらの剣が相手の心臓を刺し貫いた。
竜は敗北し、自分が勝った。
竜は死んで、自分は生き残った。
だというのに、
「……悪ぃな」
そんなものはただの感傷で意味がないと思いつつも、彼は竜の死骸に語りかけた。
「俺も、ここでくたばるしかなさそうだ」
ダンジョン。
異世界との交点から生まれ出てくるのだと言われている、突如現れては周辺地域を飲み込み、その場に鎮座する特異地点。
自分たち探索者たちが、その中に潜り続け、その中から奪い続け、そしていずれはその中へと飲み込まれていく場所。
それは「大古洞」と呼ばれているダンジョンだった。やたらと古く、馬鹿みたいに深く、アホみたいに広大で、ちょくちょく内部が変化し、おまけにモンスターがわんさか棲み付いている、とんでもなく危険度の高いダンジョン。
その深部に、新しく「生まれた」エリア。
経路探索を担当した連中が帰らなかったと聞いた時点で、威力探索の危険は承知していた――そして、想定していた以上の、とんでもないモンスターと出くわした。
その結果だった。
ざまあなかった。
傷口は回復薬で止血はできたものの、さすがに脚を生やすのは無理だった。
助けが来る見込みもない。
ダンジョン深部に設置され、探索者たちによって維持されている基地があったが、こちらの状況が不明なままでは、闇雲に救援を出すわけにはいかないだろう。
死にたくはなかった。
それでも、年貢の納め時のようだった。
どこかの世界の、奇妙な遺跡の中だった。
天井の消えた頭上を見上げる。
表面に刻まれた紋様に沿って青色の光を放つ、得体の知れない素材でできた巨大な柱。それらが、支えるべき天井を失った今でも周囲にそびえ立っている。
そして、さらにその遥か向こう――広い広いダンジョンの暗闇の中には、人工物か自然物かもわからない奇妙な発光物が、幾つも幾つも見て取れた。
夜空の星みたいだな、と思う。
ダンジョンの中の星空だった。
最後に見る景色としては悪くない、と彼は思った――ちょうど、そのときだった。
偽物の夜空から、何かが降ってきた。
自分を食いに来たモンスター、
いやたぶん違う、
手と足がある、
人間、
そこまで理解したときには、もう頭上まで落ちてきていて、そのまま――
ふわり、と。
倒れている彼のすぐ隣に。
そいつは静かに着地する。
すっく、と。
倒れている彼のすぐ隣で。
そいつは、立ち上がった。
ぽかん、と。
倒れている彼はすぐ隣を。
そいつの姿を、見上げた。
やっぱり、人間だった。
人間で、性別は女で――女の子だった。
少女と言っていい年齢。
ん、と。
両手を組んで頭の上に持ち上げる。ぺったんこな胸を張って、探索者用の頑強な外套を纏う細っこい身体が大きく伸びをする。着地の影響は、微塵も感じられない。
少女の背中で揺れる、左右で二つに結ばれたおさげ髪――その、さらに後ろ。
奇妙なものを背負っていた。
ひらひらふりふりした何か。
が、その疑問より先に、問答無用に目に飛び込んで脳髄に叩き込まれてくるもの。
少女の格好。
まずは上。
前述した、探索者用の丈夫な外套。
そして下。
実用一点張りの頑丈そうなブーツ。
だいぶぎりぎりなショートパンツ。
間に挟まれ――健康的な膝と太腿。
がっつり脚出していた。
位置関係的に、まあその、最高だった。
とはいえ、片脚を消し飛ばされたばかりの彼としては、そんな風にダンジョンで脚出したりして怪我とか大丈夫なんだろうか、という感想も浮かぶ。
「ええと……」
これが死に際の幻覚とかだったらまじで嫌だよな、と考えつつ、彼は尋ねた。
「……探索者?」
「ういっ! そうだよーっ!」
と、元気な返事が返ってくる。
ただし、少女からではなくて。
少女が背負っている何かから。
いや、違った。
よく見たら、そっちも少女だ。
栗色のふわふわ巻き毛の少女。
なかなか素敵な格好をしていた――貴族のご令嬢なんかが着ているような、ひらっひらでふりっふりな可愛い服。
当然、スカートを履いていた。フリルとレースの飾り付きだ。すげー可愛かった。
どう考えても探索には不向きだった。
ぎゅう、と。
自身を背負う相手へ細い腕の片方が。
一生懸命な感じにしがみ付いていて。
それからもう片方の手はスカートへ。
ばっちり裾を押さえていた。
位置関係的に、見えそうで見えなかった。
こっちの娘は脚の方も、ちゃんと可愛いストッキングを履いて無遠慮な視線からきっちりとガードしていた。完璧である。ダンジョンの障害物からガードできているかはちょっと不明だ。全然完璧じゃねえ。。
やべーな、と彼は思った。
脳が受け入れることを拒否していた事実。
それを彼はついに受け入れることにした。
女の子が女の子をおんぶしていた。
繰り返すが、ダンジョンである。
危険度がめっちゃ高い場所の深部である。
生えてきたばかりの、まだ全然未探索の、つまりすげーやべえエリアである。
そんなところで、街中みたいな格好の女子二人組(おんぶ)に遭遇してしまった。
本当に幻覚かもしれない、と彼は思った。
「ええと……」
幻覚ではないことを願って彼は尋ねた。
「何でここに?」
「経路探索です」
と、背負ってる方の少女が素っ気なく告げ、
「この娘はフーコ! 私はマリー! よろしく! ちょー強そーなおにーさん!」
と、背負われてる方の少女が非常に馴れ馴れしく自己紹介をしてきて、彼はむしろ警戒した。女の子に擬態する新種のモンスター、という可能性が頭に浮かぶ。
「よ、よろしくなお嬢ちゃん……」
「ういういっ! ねー聞いてよおにーさん! 一番奥まで行ったら、帰還用のアイテムが使えなくてだね! まったくもーここまで自力で帰ってくるのすっごくすっごく大変だったんだよー!」
と、ぴーちくぱーちくわんわんきゃんきゃんと喚く背負われてる方――マリーががっくがくと身体を揺らし、背負ってる方――フーコが少しイラっとした顔をするのが見えた。そのことを果たして理解しているのかどうか、容赦なくマリーは相方のお下げ髪をくいくい引っ張って、
「あとフーちゃんばっくっ! このおにーさん視線ちょっとやらしーよ!」
と叫んで距離を取らせる。
確かに、まあ、その、視線については確かだし、その気持ちはわからないでもないが、でも絶対不可抗力だと彼は思う。
というか。
こいつらが経路探索担当の二人か。
探索基地の方では完全に死んだものとして扱われていたし、だから自分はちょっとばかしフライングする形で情報不十分のまま威力探索を敢行することにしたのだが、どうやらどっこい生きていたらしい。
少しだけ、ほっとした。
何にせよ、ここで遭遇できたのは、このままただ死ぬのを待つしかなかった自分にとっては幸運だ。
「悪いが」
心の中で渦巻いている大量のツッコミを抑え込んで、彼は二人に告げる。状況的に、今はこの二人だけが頼りだった。おんぶしててもとりあえず構わない。
「ちょっと基地に行って俺の状況を伝えてきてくれないか? 『威力探索に出てた探索者ジグが負傷して動けない』ってよ。状況が分かれば救援だって出るだろうから」
そんな彼の言葉に対し、フーコは素直に頷いた。そのまま「分かりました」と言って立ち去ろうとして、
「すとっぷだよ! フーちゃん!」
ぐいっ、と。
マリーがそのおさげ髪を引っ張って停止させた。割と容赦ない引っ張り方だった。
「……マリー。いきなり何?」
と、若干キレ気味に言うフーコ。まあそりゃそうだろうな、と彼は思った。
「だって、このおにーさんさー」
と、それに対してマリーは、倒れている彼を無遠慮に指差して平然と言った。
「たぶん助け呼んでる間に死んじゃうよー」
「……おいおい」
と、その容赦のなさに彼は苦笑した。
見た目の割に腹の黒そうなお嬢ちゃんだ、と彼は思った。鬼畜過ぎる。
おまけに、と彼は思う――ずいぶんと甘っちょろい。
案の定、それを聞かされたフーコはきょとん、とした顔をしてマリーに尋ねる。
「まじで?」
「うん、たぶん、救援が来る頃にはモンスターに食べられちゃってると思うよー」
「そうなの?」
と、フーコは今度は彼に聞いてきた。こっちは逆にちょっと心配になるくらい素直な娘みたいだな、と彼は思った。以外と良いコンビなのかもしれない。
まったく、黙っておけばいいのに。
余計なこと言うから面倒なことになったじゃねえか、と彼は肩をすくめてみせた。
彼はフーコの言葉には答えず、マリーの方へと声を掛ける。
「……これでも俺は、それなりに実力のある探索者なんだがな。見ての通り、竜だって倒してんだぜ。あんまり舐めてもらっちゃ困るよお嬢ちゃん」
「強がっちゃってー。片足も武器もないんじゃさすがに無理だよおにーさん」
「だったらどうする――お嬢ちゃんの代わりに、そっちの娘におんぶしてもらうわけにはいかねえだろ」
半分は冗談だったが、半分は本気で言った。
実際、今の状況で助けてもらおうには、おんぶでもしてもらうしかない――そしてこのダンジョンのこのエリアは、専門の救護チームでない連中が、負傷した足手まといを背負って帰還できるような生っちょろい場所ではない。
「もちろんダメだよおにーさん! フーちゃんの背中は私の特等席なんだよ! 誰にも渡さないよ! ねっ、フーちゃん!」
「よくわかんなけれど、その通り」
無表情のままでそう頷くフーコ。なんとなく、彼には二人の関係が見えてきた気がした。ちょっと心配になってくる。
「普通なら見捨てるとこだけど、何たってこのおにーさん一人で竜倒してるよーなトンデモな探索者なんだし、今助けとくと絶対後で何かと便利だから助けてあげるんだよ! 愛! 無償の愛だよ!」
「ああ、無償の愛だな。嬉しくて泣ける」
と、口では皮肉を言っておく。
が、本音を言えば、無償の愛なんてのものを本気で振りかざされるよりも、そっちの方がずっと良かった。自分たちのいるような業界では、ギブ・アンド・テイクがはっきりしている方がむしろ信用できるものだ。
「んで、お嬢ちゃん。どんな手品を使って俺を連れていってくれるっていうんだ?」
「それはだね――」
と、ちょっと呆れ気味の彼の言葉に対し、マリーは人差し指を立て、得意げなドヤ顔で説明しようと口を開、
ぐるん、と。
背後からの不意の攻撃を食らってマリーの首がへし折れた――そんな風に錯覚する程の速度と唐突さで、少女は背後を振り返った。ぐるり、とそのまま周囲を見回して、いきなり告げる。
「わんわん。31」
――何だ、それ?
そう、聞き返すより先に理解した。
彼にも辛うじて察知できたからだ。
接近している、モンスター。
彼に察知できた数は12。
全て同じモンスターの群れ。
思わず彼は舌打ちをした。
それからマリーに尋ねる。
「――『狼』の群れか」
「うん、わんわん。がぶがぶが12。うろうろ9。じろじろ10でボスわんもそこ。ばっちり囲まれてるよ」
「げ」
と、それを聞いたフーコが無表情のまま何とも嫌そうな声を上げる。
「ええと……」
分かりやすいようで微妙に分かりにくく、でもまあ分からないではないマリーの説明を、彼は頭の中で一つ一つ翻訳していく。
わんわん――「狼」のこと。
がぶがぶが12――直接噛みついてくる攻撃役が12。
うろうろが9――周囲を回って退路を塞ぐ役が9。
じろじろが10――こちらの状況を監視する役が10。
ボスわんもそこ――監視役に混じって群の長がいる。
そして、もう、ばっちり囲まれている。
そこまで頭の中で翻訳し終えて、なるほど、と彼は思う。問答無用で絶望的な状況だ。だとすれば、取るべき行動は決まっていた。
「逃げな。お嬢ちゃんたち」
上半身の力だけで起き上がり、近くに転がっていた折れた剣を手に取り構え、二人の少女に向かって告げる。一世一代の台詞を。
「ここは俺に任せて先に行――ぐふっ!?」
台詞は、途中でフーコの蹴りに遮られた。
後頭部への容赦ない一撃だった。
「そういうのはいいんだよ!」
と、フーコの代わりにマリーが叫び、
「格好つけてないで、おにーさんも一緒に逃げるんだよ! ほらほら邪魔だからそれ私に寄越して!」
と言って、あっさりと彼の手から折れた剣を奪い取る。鮮やかな手並みだった。
いやそれ実は親友の形見の剣だったりするから返してくれねえかな、と言おうとしたときにはすでにマリーの手から折れた剣は跡形も無くなっている。その辺にポイ捨てされたのかもしれない。ちょっと泣きたくなった。やっぱり鬼畜な娘だった。
「来たよ来たよ! わんわん来たよ!」
と鬼畜娘が喚く通りに、こちらを狙うモンスター共は、すでにその姿が見える位置にまで接近してきていた。
――「狼」。
探索者たちにそう呼ばれているそいつらは、もちろん、普通の狼とは違う――と言いたいところだが、見た目も能力もちょっと大きなだけのほぼ普通の狼でしかない。
つまり、竜を始めとしてとんでもない危険生物だらけのモンスターの中では、それほど脅威的ではない。
なんせ、探索者に遭遇すると逃げたり見て見ぬふりをしたり餌をねだって芸をしたりする程で、だから、ただちょっと大きめな可愛いわんちゃんでしかないとも言える。
基本的には。
ただし、それが探索者に慣れていない群れの個体だったりすると、「こっちおいでー」とか言った瞬間に仲間を呼んで襲い掛かってきて、熟練の探索者でも容赦なく狩り殺されたりする。
ちょうど、今現在の自分たちみたいに。
視界に12匹の「狼」が姿を表す。明らかに統制の取れている。明確な意図を持って数匹ずつのチームを組んで、こちらを囲む形で現れ、そのまま近づいてくる。そしてマリーの言葉通りなら、その背後にも大量の「狼」が潜んでいる。退路はない。
マリーが叫ぶ。
「わんわんぱにっくだね!」
言葉の意味はよくわからないが、ニュアンスはまあ伝わるな、と彼は思った。まあそういうことだ。わんわんぱにっくである。探索者は死ぬ。
「なあ、おい……」
どうするつもりだ、と彼が言いかけたその瞬間、マリーが叫んだ。
「フーちゃん! れっつごーっ!」
「あいよ。マリー」
ひょい、と。
襟首を掴まれた。
そう思った次の瞬間、重力が消え去る。
ふわり、と。
宙を飛んでいた。
先程は見上げていた、星空の中だった。
わおん、と。
「狼」が吠える。
その咆哮が遥か下の方で聞こえていた。
彼は荷物か何かみたいに引っ張られつつ。
二人を見た。
彼を荷物か何かみたいに引っ張っている。
二人の少女。
「きゃっほぅっ! 突っ走れーっ!」
マリーは満面の笑顔で叫んでいた。
正直馬鹿なんじゃないかと思った。
「あいあいさー」
フーコはほぼ無表情でそう言った。
でも少し笑っているように見えた。
思った。
――こんなときだってのに。
彼は思った。
――こいつら、なんか楽しそうだな。
不思議な気持ちで、そう思った。
そしてその直後、崩れた遺跡の崩れた柱の一つにフーコが着地し、その拍子に思いっきり全身を叩きつけられ、激痛で不思議な気持ちとか言っていられなくなった。
「……ごめん」
と、こちらの首根っこを掴んだままのフーコが申し訳なさそうに言う。どうやら謝れる娘らしい。良い子だ。
「そんなのどうでもいいよフーちゃん!」
と、こちらは相変わらずな発言する鬼畜娘。まるで全然容赦がなかったが、確かにそれどころではなかった。
「わんわん来るよ!」
その叫びと同時に。
一匹の「狼」が跳んだ。
その背に他の「狼」を乗せて。
そして背に乗っていた「狼」がさらに跳躍。
わんわん来た。
やばい、と彼は思った。
何らかの魔具か、それとも「スキル持ち」なのかは知らないが、先程のフーコの動きなら、自分を抱えていなければ避けるのは余裕だろう。
だが、自分を抱えたまま避けられるかは、微妙なところだ――最悪、自分が盾になってでも止めなければ、と思ったその瞬間。
がしゃこん、と。
音がした。
聞き覚えのある音だった。知り合いの探索者が持っていた武器。
振り仰ぐ。
フーコが身体を横に向けている。
なぜか片耳を塞いでいた。
マリーがその背で何かを構える。
彼は思わず目を疑った――銃だ。
発砲した。
轟音。
耳を塞がなかったことを後悔した。
どうやら直撃はしなかったらしいが、衝撃を食らって落下する「狼」を見つつ、ぐわんぐわんと鼓膜をやられて揺れる頭の中で思う。
銃。
ダンジョンで見つけた魔具に頼りがちな、自分たちのような昔ながらの探索者とは違う、新世代の探索者たちが扱う火薬を使った強力な量産武器。あの形状は、確かショットガンとか呼ばれてた奴だ。
でもそんなもんどっから――と思っていると、また何やら妙なものをマリーは手にしていた。今度は彼も知らない代物だった。
投げるためのものだろうか、何やら丸い。何かの果実を連想させるような形状だが、金属製。上の方に、針金のような何かが付いている。
はむ、と。
それをマリーは口で咥えて引っ張る。
ぴん、と。
小気味のいい音を立てて外れるそれ。
ぽい、と。
マリーはその金属製の果実を落とす。
ぽん、と。
それは「狼」の群れの手前に落ちて。
ぎゅ、と。
耳を塞いでいたフーコが目も閉じる。
爆発した。
さすがに彼は悲鳴を上げた。
威力的には竜のブレスのが遥かに上かもしれないが、まさか爆発するとは思っていなかったのだからしょうがない。めっちゃ情けない声が出た。
「ひゃっはぁっ! みな殺しだぁっ!」
と、少女の姿をした鬼畜な悪魔が爆炎の中で楽しそうに笑う中、きゃんきゃん、と「狼」たちは悲鳴を上げて撤退していく。おそらく、後方に控えていた群れも一緒に撤退していっただろう。その辺りの判断は賢明なモンスターだった。
「……マリーはいつもやり過ぎだと思う」
ふう、と。
ため息を一つ吐いてから。
フーコは柱の上から宙へと軽く飛び出す。
とんでもない高さ。
背中にはマリーを負ぶって。
手には彼を引っ掴んでぶら下げて。
ふわり、と。
ほとんど無音で着地した。
――重力なんてないみたいだな。
ぽすん、と。
その辺に投げ出されながら、彼は思った。
「よーし! 大勝利だよーっ!」
と、鬼畜悪魔――ではなくマリーが言う。
「それじゃ、わんわんたちはいなくなったけれど、次にどんな子が来るかわからないから、さっさと済ませちゃうよ! おにーさん!」
何をだ、と彼は聞こうとして黙り込んだ。
マリーがフーコの背中から降りたからだ。
めっちゃ普通に、ぺたん、と降り立った。
「降りられるんじゃねえか!」
思わず彼は叫んだ。
実は膝に矢を受けて歩けなくなっているとか、実は魔女の呪いとかで降りられないとか、そういうものだと思っていたのだが、全然そういうことではないらしかった。
そして、それが彼の最期の台詞になった。
「ちょっとごめんだけど――」
とてとて、とマリーが近づいてきて。
そして素敵な笑顔で振り上げたもの。
彼はそれを見た。
金槌だった。
「――しばらく気絶しててね?」
素敵な笑顔で、振り下ろしてきた。
□□□
「この鬼畜悪魔めっ!」
「うひゃあっ!?」
絶叫と共に探索基地のベッドで起き上がった彼に、近くにいた女性が悲鳴を上げた。今回の探索のために基地に派遣されてきていた、探索医。お互いにぺーぺーの新人だった頃からの知り合いだった。
「だ、大丈夫ですかジグさん!?」
と言って、彼女は着ている白衣の懐から、即座に注射器を取り出す。その中に入っているのは、何かこう、禍々しい色の液体。
「安心して下さい! お薬打ちますから!」
と言って、注射器を構える。
ぶっとい針の先端が迫る中、彼女の掛けている分厚い眼鏡が照明を受けて光っていて、その口元には微妙に歪んだ笑みが浮かんでいた。
「ほら! 怖くなーい怖くなーい!」
「怖いから大丈夫だから正気だからやめろ」
こちらの主張を無視し、探索医が首筋に注射しようとしてくるのを両手で何とか受け止める。
おそらくそいつは、発狂して暴れ出した探索者の意識を一発で吹っ飛ばすことで知られる強烈な鎮静剤である。一発打たれると治療期間が倍に伸びるともっぱらの噂だ。やべえ。
結果として、鎮静剤の脅威からは無事に逃れることができたが、代わりに謎の栄養剤を腕に注射された。この探索医、とにかく注射できれば何でもいいのだ。やべえ。
「まったく……」
よっこらせ、と。
手近な椅子を持ってきて、彼のベッドの隣に探索医の彼女は座る。
そっ、と。
途中から無くなった彼の片足を軽く撫でて、ちょっと目を伏せて言う。
「……無茶しましたねえ。ジグさん」
「義足にでもするさ。探索者用の頑丈な奴を作ってくれる奴にツテがある。元の脚より便利かもだぜ」
「そういう問題じゃありません――ちょっと一人で『竜』を倒せるからって、上の指示を無視して奥に突っ込むからこうなるんです。……幾ら経路探索に出てた子たちが心配だったからって」
「いやいや……そういうんじゃねえし」
「もう」
と、ため息を一つ吐いて彼女は言う。
「本当に、足一本では済まなかったかもしれないんですよ?」
「そんときゃそれまでさ。俺たち探索者なんざそんなもんだ。特に俺みたいな一匹狼なんざ、いなくなっても誰も困らん」
「何を孤高の探索者気取って格好付けてるんですか。貴方がいなくなるとすごく困る人だっているんですよ?」
「へえ、どこに?」
「私とか」
彼は黙った。
くすくす、と。
探索医の彼女は、そんな彼を見て笑う。
揶揄われたのだろうか、と彼は思った。
「そんなことよりですね――」
そう言って立ち上がり、何かを取ってくる。それを見た彼は思わず「おっ」と声を上げた。半ばから折れた剣――あの鬼畜悪魔にポイ捨てされたとばかり思っていた彼の愛剣だった。 何だよ、と折れている愛剣を見て、思う。
あいつら意外と良い奴らじゃねえか、と。
俺も大概ちょろい男だな、と彼は思った。 探索医が笑顔で言う。
「――ちゃんと感謝するんですよ。あの二人がいなかったら、こうやって私とお話することだってできなかったんですから」
「そうだな……」
「特に、あの、可愛い服着てた娘。あの娘には、その……本当に感謝すべきかと」
「?」
確かに感謝はすべきだとは思うが、あの鬼畜あく……マリーの方に特別に感謝しろ、と言われる意味はよくわからない。フーコに襟首掴まれた状態で運ばれてきたのだと思っていたが、違ったのだろうか。フーコにおんぶされたマリーにおんぶされてきたとかそういうことだろうか。
というか俺あいつに金槌で気絶させられたんだけどあれだったんだろう、と思いながら、彼は尋ねる。
「あいつらどうやって俺運んだんだ? しかも、剣まで一緒に」
彼は何の気なしにそう尋ねた。
探索医は何やら目を反らした。
嫌な予感がした。
「おい。どうした」
「聞かない方がいいかも……」
「いや気になるだろ。言えって」
「……スカートの中です」
「は?」
「そのですね。貴方と貴方の剣は、あのマリーって娘のスカートの中に入れられて運ばれてきたんです」
「ええと………………………………え?」
ちょっと意味がわからない。
わからないが、そう言えば、あの鬼畜悪魔はどこからともなく銃やら謎の爆発物やら金槌やらを取り出していた。
彼は記憶に残っている、そのときの彼女の動作を頭の中で再生して確かめてみる。確かに、まあうん、毎回、スカートの中に手を突っ込んでいたような気がする。
「スキル持ち」という言葉が頭に浮かぶ。
例えば、スカートの中にいろんなものを仕舞っておける、みたいな。
もし銃やら爆発物やら金槌やらをスカートの中に仕舞っておけるなら、同じように彼の剣も、そして彼自身も仕舞っておける――つまり、そういうことだ。
いや、どういうことだ。
何だそれ。
「あのですね」
探索医はちょっと言い辛そうに顔を赤らめながら、でも真剣な顔でこう言った。
「何色だったとか言いふらしちゃ駄目ですよ。年頃の女の子なんですから」
「気絶してたっつーの」
例え見えていても、不可抗力だ。
誰が何と言おうと、不可抗力だ。
絶対、そう絶対に、不可抗力だ
今でも、彼は断固としてそう主張している。
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