スキル持ち

『ねえ、先輩。こんな話知ってますか?』


 と、そいつはいつだったか彼に言った。

 例の事件の前だから随分と昔の記憶だ。

 状況や場所は、もうよく覚えていない。

 会話の中身だけが、記憶に残っている。


『私たち「スキル持ち」は、実は大半が、

 自身のスキルを誤解している、って話』


 そんな妙に小難しい話をする奴だった。


『例えば「空飛びディーン」のスキルは』


『おい』


 その名前を聞いて、思わず話を遮った。


『何であいつの名前がそこで出てくる?』


『だって先輩のほぼ同期じゃないですか』


『あんな雑魚と、俺を一緒くたにするな』


 当時の彼は本気でそんなことを言った。

 思い出すだけで恥ずかしくなる台詞だ。

 実際、相手からもめっちゃ呆れられた。


『そんなんだから嫌われるんですよ先輩』


『事実だ。あの雑魚よりも俺の方が強い。

 もし殺し合いになったら俺の方が勝つ』


 事実は逆だ。殺し合いになれば負ける。

 強さは関係ない。単なる相性の問題だ。

 今なら、それくらいはちゃんと分かる。


 いや。


 当時も分かっていたはずだ。本能的に。

 あのスキル持ちの男は自分の天敵だと。

 だからこそあんな風に噛み付いていた。


 恥ずかしい。


 そしてまずそれ以前の一般常識として、


『探索者同士で殺し合ってどうすんです』


 と相手は馬鹿を見るような顔で言った。


『ってか彼のスキル、私のと似てるんで。

 だから個人的にチェックしてるんです』


『下らないな』


『はいはい。それで、話を戻すとですね。

 彼は空気を操ってるということですが。

 実際は全然違うかもしれないわけです。

 操っているのは空気ではなく真空かも』


『真空?』


『養成所で習うレベルの魔術知識ですよ。

 ざっくり言うと、空気のない状態です。

 スキルで空気を操っているつもりでも、

 実際は真空状態の操作かもしれないし、

 真空を出現させてるのかもしれないし、

 あるいは、別の何かかもしれないです』


『よくわからんが、結果は同じわけだろ』


『ええ。だから一生勘違いしたままかも』


『そりゃあ、間抜けだな。あいつらしい』


『「空飛びディーン」の話じゃないです。

 スキル持ちは、全員そうだって話です。

 先輩も私もそうかもしれない、って話』


『俺は違う』


『わーカッコイイー。言い切りますねー』


『馬鹿にしてんのか?』


『いえいえ。そんなつもり全然まったく』


 と言って、そいつは笑って誤魔化した。


『ねえ、先輩』


 そしてそれから、そいつは言ったのだ。


『私たちスキル持ちは一生孤独なんです』


 また妙なこと言い出したな、と思った。

 けれどそのとき彼は何も言わなかった。

 すとん、とその言葉は彼に入ってきた。


『私のスキルは、私一人だけのものです。

 他の誰かと共有することはできません。

 例え同じようなスキルを持っていても、

 それが本当に同じかどうかわからない。

 私たちスキル持ちの、それが宿命です』


『……下らないな』


『そうでしょうか』


『ああ、下らない』


『ま、そうかもしれませんね。先輩には』


 馬鹿にされた気がして憮然と見返して。

 けれども彼は、続く文句を飲み込んだ。

 相手の目がじっと彼のことを見ていた。


『ねえ、先輩。逆にこうは思えませんか。

 スキル持ちは、もしかしてその一部は。

 自分の「本当の」スキルを隠している』


 そう言った相手の見透かしたような目。

 たまに見せるそれが、彼は苦手だった。

 はっきり言ってしまえば少し怖かった。

 あるいは、


『先輩』


『何だ』


『そのスキルは「本当の」スキルですか』


『そういうお前のスキルはどうなんだ?』


 そいつは、やっぱり笑って誤魔化した。

 そのときは。


『ねえ、先輩』


『今度は何だ』


『話をしてたら、私、お腹が空きました』


『そうか。じゃあ、なんか食ってこいよ』


『先輩。「食事に誘って」って意味です』


『何でそんなことしなきゃならないんだ』


『えー、先輩。だって私、後輩ですよー」


『知るか』


『しかも、すごく可愛い女の子ですよー』


『いや、少なくともお前に可愛げはない』


『どケチー。奢って下さいよー。先輩ー』


 結局、根負けして、食事は奢らされた。

 ポニーテールにしているそいつの髪が。

 ぶんぶん、と何か上機嫌に揺れていた。

 そのことを何故かちゃんと覚えている。


 彼女が死んで、もう随分と経ったのに。


 それでも彼は、今でもまだ覚えている。


      □□□


 目を覚ます。


 片目を開けると酒場の喧噪の中にいた。


 見回せば「ドブネズミ」姿が目に付く。

 彼自身も今着ている探索者への支給品。

 景気の悪い探索者が集まる場末の酒場。

 そのカウンター席に突っ伏し寝ていた。


「…………」


 とりあえず、彼は状況の把握に努めた。

 目の前には度数だけがやたら強い安酒。

 中身は空っぽ。同じ空のグラスが二つ。

 三杯目を飲んだ後の記憶が消えている。


「だから二杯でやめとけって言ったろ?」


 と、カウンターの向こうの店主が言う。

 何だかいつも不機嫌そうに見える髭面。

 いかにも場末の酒場の店主らしい風貌。

 生まれたときからそこにいたような男。


「…………」


 とりあえず彼は自分の財布を確認した。

 ある。

 中身が盗まれていないことも確かめる。

 ある。


「あんたの金を盗む馬鹿なんていないよ」


 ほっとしている彼を見て店主が言った。

 その言葉に、動きの鈍い指先を上げる。

 そして、自分の顔の右半分をなぞった。

 そこには、消えない傷跡が残っている。


「…………」


 顔の右半分を抉り、右目の眼球を潰し、

 右耳を引き千切り、右胸を深く裂いて、

 肋骨を砕き右肺を破り、心臓を掠めて。

 それでもまだ幸運だった致命傷の痕跡。


 確かに、この傷は目立つかもしれない。


 というか割とヤバい奴に見られがちだ。

 当然、トラブルの元になることも多い。

 逆に言えばハッタリにも使えたりする。

 半端なチンピラは傷を見た瞬間逃げる。


「いや、そりゃあそれもあるだろうがな」


 と、店主はちょっと肩を竦めてみせる。


「こいつに関わったらヤバい、ってのは、

 そういう連中は、直感で分かるんだよ。

 というか、その手の鼻が利かない奴は、

 その内、近くのドブ川で死体で浮かぶ」


 なるほど。

 彼は財布を盗まれても殺しはしないが。

 けれども。

 中にはそうでない連中もいるのだろう。


「あとはまあ、俺も普通に止めるからな。

 あんたに目を付けられて死にたくない」


「……別に俺は、そんな小さいことじゃ」


 と、彼は、そこでようやく口を開いた。

 その直後に、店主の顔が僅かに強張る。

 失敗したな、と思いつつも彼は続けた。


「いちいち殺したりしねえよ。安心しろ」


「……そりゃどうも」


 あまり安心してない顔で店主は言った。

 まあしょうがない。

 彼は勘定を払い店を出ていこうとした。


 ちょうど、そのときのその瞬間だった。

 どばんっ、と。

 酒場の扉が、超勢い良く開け放たれた。


「たのもぉーーーーーーーーーーっ!!!!」


 なんかやべー奴が来た。

 その場の全員がたぶん絶対そう思った。

 そのやべー奴は続けた。


「探索者の『グレイ』って方いますか!」


 彼はカウンター席に座り直した。

 店主はカウンター席の彼を見た。

 客の大半も一瞬彼をチラ見した。


 やべー奴の言う「グレイ」は彼だった。


「ここにいるかもって聞いたんですっ!

 すいませんそこの人知りませんかっ!」


 ぶんぶん、と。

 やべー奴に指差された男は首を振った。

 絶対知ってる。

 が、彼の前では言いたくないのだろう。

 だが助かった。


 彼もこんなやべー奴と関わりたくない。

 よくわからんがさっさと帰って欲しい。


「ちっ、情報無しですか。使えねー奴め」


 普通ならば八つ裂きにされる台詞だが、

 今回は普通じゃないためスルーされた。


「あ、でも、そのお酒は奢ります。どぞ」


 と、やべー奴はそいつに酒代を渡した。

 しかも少し多めの金額。意外と律儀だ。

 何だかよくわからないやべー奴だった。


「へい、マスター。ミルク。蜂蜜入りで」


 さっさと帰ればいいのにそう注文して、

 そのやべー奴はカウンター席へ座った。


 彼の隣の席だった。


 思わず、彼はそのやべー奴の姿を見た。

 少女だった。何をどう見てもまだ十代。

 明らかにこんな場所に来るべきでない。

 今からでも、入店を拒否するべきでは。

 店主にそう伝えるべきか考えていると、


「ねえ、貴方なら何か知ってるのでは?」


 にやり、と。

 意味ありげに笑って少女は彼に聞いた。

 これは何かの挑発か、と彼は戦慄した。

 もしかして本気で殺し合いになるのか。


「……どうして、俺なら知ってるって?」


 割と本気で臨戦態勢に入った彼に対し、

 けれども、そいつが返してきた答えは、


「だって、カウンターに座ってる人って、

 何か色々知ってそうな気がしません?」


 ああ、こいつはただのやべー奴なんだ、

 と彼は思い直して、臨戦態勢を解いた。


「いや、全然これっぽっちも知らないな」


 むう、と。

 その少女は何やら思案げな顔をし呟く。


「まさかここまで誰も知らないとは……。

 『グレイ』さんってぼっちなのでは?」


 ぶふぅっ、と客の数人が酒を吹き出し、

 がしゃっ、と店主がコップを落とした。


「なんだか可哀想になってきましたねー。

 よし、決めました。もしも見つけたら、

 私がお友達になって差し上げましょう」


「……そうかそうか。じゃあ、頑張れよ」


 本当は言いたい全ての言葉を呑み込み、

 それだけ言って彼は立ち去ろうとした。

 が、相手に服の袖を掴まれてしまった。


「ちょい待って下さい。お礼がまだです」


「サービスだ。縁があったら返してくれ」


「私って借りは作らない主義なんですー。

 お酒の一杯ぐらい奢らせて下さいよー」


「悪いが今日はもう飲み過ぎてるんでな」


「大丈夫もう一杯ぐらい平気ですってー」


 何だ。このやべー上に面倒くさい奴は。

 放せ。蜂蜜入りのミルクでも飲んでろ。

 と、口を付いて溢れ出そうになる暴言。

 彼はそれを理性で押さえ逃げ道を探す。


 だが。

 どがんっ、と。

 酒場の扉が再び勢いよく開け放たれた。


「おいてめえらもうお開きだ! 帰れ!」


 面倒くさいときに面倒くさい奴が来た。

 その場の全員がたぶん絶対そう思った。

 その面倒くさい奴は怒鳴り声で続けた。


「今夜ここは『煙の王』が貸し切るぜ!」


 ――「煙の王」。


 割と名の知れた探索者で、スキル持ち。

 素手で触れた物体を燃焼させるスキル。

 相手が人間なら数秒で黒焦げにできる。

 ただし、その名が知られる理由は別だ。


 要は、関わり合いを避けるべき探索者。


 大規模な探索チームを率いてはいるが、

 部下はチンピラ上がりの連中ばかりで、

 つまりは素行がいまいちよろしくなく、

 場末の酒場に縄張りを作ってたりする。


「おらおら、お前らどうした! ああ!?」


 具体的には、まあ、こんな風な感じで。

 その部下が怒鳴り散らしていたりする。


「焼き殺されたくねえ奴は失せやがれ!」


 この手の酒場ではよくある光景である。

 ぶっちゃけ、風物詩と言ったっていい。

 はいはい、と従うのが場末のルールだ。

 ただし、場末のルールにも例外はある。


「あのう……」


 店主が愛想笑いをしつつその男に言う。


「申し訳ありませんが、本日はあちらに」


 それから、ちょっと言葉を選んでから。


「――『彼』がいらっしゃってますので」


 と言い、店主は彼のことを目線で示す。

 その目線を追って男は彼のことを見た。

 本来なら話はそれで終わるはずだった。

 が、厄介な事は重なるものらしかった。


「あぁ? ふざけんなよ。誰だそいつ?」


 一瞬、店主と客は全員が目を丸くした。

 信じ難い大馬鹿野郎を見るような目だ。

 だが、その男のスーツを見て理解する。

 まだ真新しい「ドブネズミ」のスーツ。


 どうやら「煙の王」の新米らしかった。


 だからこいつは、彼のことを知らない。

 よりにもよって、とほぼ全員が思った。

 運のない奴だな、と何人かが哀れんだ。

 彼もそう思った。なので店主に言った。


「なあ店主。勘定はもう終わってたな?」


「あ、ああ……」


「俺は帰ってた。だから問題はなかった」


「そ、そうだな……」


 彼は振り向き、黙り込んでる客たちに、


「な、そうだよな? 俺はここにいない」


 と、だけ言った。誰も返事は返さない。

 ただ黙々と、全員が帰り支度を始めた。

 要求通りの返答だ。なんせ彼はいない。


「え、何言ってんです? 馬鹿ですか?」


 隣の少女が空気読まずに言ってくるが、


「いいから。まずは場所を変えて話そう」


「あと蜂蜜ミルクと席代の支払いがまだ」


「店主。悪いけれどツケにしといてくれ」


 彼はそう言って、その少女の手を引き、

 半ば無理やりに店の外へ出ようとした。


「おい、待てよ」


 だが、外へ出る扉の前で、止められた。


「ふざけんな。何でお前が仕切ってんだ」


 立ち塞がったのは、「煙の王」の新米。


 真新しい「ドブネズミ」を着ている男。

 こうして近くで見てみるとかなり若い。

 もしかすると、まだ十代かもしれない。

 今、隣にいる少女と同じくらいの年齢


 ほんの一瞬。


 こちらの傷跡を見て、その男が怯んだ。

 それから、怯んだ表情をすぐに戻した。

 もちろん、彼はそれを見逃さなかった。

 相手の声が、先程よりも大きくなった。


「俺は『煙の王』の部下なんだぞ。おい」


 肩を掴まれた。そして、彼は思い返す。


『こいつに関わったらヤバい、ってのは、

 そういう連中は、直感で分かるんだよ』


 先程の、店主の言葉。


『というか、その手の鼻が利かない奴は、

 その内、近くのドブ川で死体で浮かぶ』


 その通りなのだろう。

 今のやり取りでの店主や客たちの態度。

 そこにある、彼に対しての異様な怯え。

 その明らかな違和感。


「『煙の王』を舐めた奴がどうなるのか」


 それにこの新米の男は気づけていない。

 もしかしたら、と彼は思った。

 初仕事で緊張しているのかもしれない。

 でもそれは言い訳にならない。

 こういう世界だとそれでは許されない。


「知らねえなら俺がてめえに教えてやる」


「……そうだな。分かった」


 と彼は言った。目の前の相手を諦める。


「外に出よう」


「指図すんな」


「……床を血で汚したら店主にも悪いし、

 後から来る『煙の王』にも悪いだろ?」


「はんっ、殊勝なこと言うじゃねえか?」


 無駄に攻撃的な顔を作って男は言った。

 彼の肩を掴んだまま、店の外へと出る。

 隣にいた少女もそれにくっ付いてきた。


 ……いやいや。


「おい。お前何やってんだ」


「は? 店を変えて話を続けるのでは?」


 いや状況見ろよ、と言いたくなったが、

 何となく通じなさそうな気がしたので、


「じゃあ、先に行って待っててくれるか」


 と言ってこの手の場末の酒場とは違う、

 まっとうな表通りの店の名前を告げる。


「そう言いつつとんずらするつもりでは」


「大丈夫だ。安心しろ。すぐに行くから」


「なんか今から死ぬ人間のセリフですね」


「いいから早く行け」


「ええー、ちゃんと来て下さいよー?」


 去っていく少女を彼は見送って思った。

 とりあえず、問題の一つは解決したと。

 当然、ちゃんと行くつもりなんてない。

 後はもう一つの問題を乗り切るだけだ。


「おら、お前らもとっとと出ていけよ!」


 と、客へ怒鳴り散らす新米の姿を見る。

 店の客たちはそれに素直に従っていた。

 ぞろぞろと雁首を並べて店を出ていく。

 新米の高揚した気持ちが伝わってくる。


 言葉一つで、自分に他人が従う全能感。


 気持ちはよく分かる。彼には、分かる。


 それは「煙の王」の名前を借りただけ、

 ただそれだけの偽物の全能感なのだが、

 それを理解するには男は若いし、鈍い。

 勘違いしてしまってもまあ仕方がない。


 だから。


 怒るよりむしろ憐れむような顔をして、

 客の一人が漏らしていったある言葉を、

 うっかり聞き逃していたのも仕方ない。

 彼の方は、その客の言葉を聞いていた。


「本当に運がない奴だよな――可哀想に」


 とその客は言った。彼の姿を見ながら。


「『煙の王』の野郎は、これでお終いだ」

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