15.こちら探索少女二名、ぷらす一名。


 ふわり、と。

 一人でに宙に浮いた日傘の下。

 ぱっ、と。

 何かの手品のように、日傘を持ったマリーと、その足元でへたり込んでいる小隊長の姿が現れる。


「……助かったぁっ!」


 とマリーが「竜」がぶち空けて行った穴を見て、それから足元の小隊長に告げる。


「すごいね! おねーさんの『それ』って、ただ透明になるだけじゃないんだ! 触れたものも透明にできるし――『竜』が見つけられなかったってことは、熱探査とか音波探査もすり抜けてるのかな?」

「あ、あの、そんなことより……」


 と、小隊長が蒼白になった顔で、周囲を見回しながら言う。


「もう一人の方は……?」


 確かにフーコの姿がない。

 小隊長が真っ青になるのも当然である。普通ならば、今の「竜」のブレスを食らって消し飛んだと考えるのが普通だ。

 とはいえ、そこはフーコとマリーである。


「あ、大丈夫だよ。おねーさん」


 と、傘を畳みながらマリーが言う。


「スカートの中にいるから」

「……え?」


 小隊長にはちょっと意味がわからない。その辺、彼女もやはりまだまだ経験不足である。そういう問題ではないという気もする。

 そんな彼女を置いてきぼりにして、マリーは余裕たっぷり胸張って、何とも優雅にスカートの端っ子をちょんと摘まみ、呼びかける。


「フーちゃんフーちゃん。もう大丈夫だから、出てきていいよー」


 数秒後。


「あ、あの……あの……」


 小隊長は言う。


「だ、大丈夫ですか……?」

「……いや全然まったくこれっぽっちも大丈夫じゃないよおねーさん。ねえ、ちょっと、フーちゃんフーちゃんフーちゃん!」


 マリーの余裕はもうとっくに吹っ飛んでいて、めっちゃ慌ててスカートの端を掴んでばったばたしながら、フーコに呼びかける。


「何やってるの?」

「髪、引っ掛かった……」

「何やってるの!?」


 ちょっと状況を説明しよう。

 こんなこともあろうかと「竜」のブレスに対する防御機能を付加しておいたマリーの日傘だが、だいぶ無理して使っても二人用である。小隊長も含めて三人はちょっと入らない。

 だから、フーコはとっさにマリーのスカートの中へと一時的に避難したのだ。何かがちょっとおかしい気がするが、的確な判断であった。

 「竜」が立ち去った今、後はフーコがマリーのスカートの中からひょっこりと出てくるだけである。何かがちょっとおかしい気がするが、とにかくそれで完璧であるはずだった。

 が、その途中でフーコが引っ掛かった。


 もう一度、現状を説明する。


 スカートの中から出る途中なのだった。


 フーコの頑丈な靴が出てきて、生脚が出てきて、ぎりぎりなショートパンツが出てきて、服を着てても分かるめっちゃ細い腰とお腹が出てきて、服を着てても分かるぺったんこな胸が出てきて、手と腕も出てきて、でも、そこで止まった。


 くどいようだが、繰り返す。


 スカートの中から出る途中で、だ。


「ねえフーちゃん!? 今見た目ものすごくちょっとアレなことになってるんだよ!?」


 マリーが叫ぶのもそりゃしょうがない。

 もう半泣きである。顔も真っ赤っかだ。


「早く何とかしてよお! すっごくすっごく恥ずかしいんだよ! おねーさん見てるの! めっちゃガン見されてる!」

「そ、そんなことしてません!」


 真っ赤になった顔を覆った指の隙間からちら見していた小隊長は慌てて否定するが、マリーとしてはそれどころではない。


「とにかく早くなんとかしてよおっ!」


 むー、とフーコは不満げに呻く。


「整理してないせい。マリーのスカートの中、ごちゃごちゃしてて汚い……」

「それはごめんだけど! でもフーちゃんはもうちょっと言葉を選んでよおっ!」


 むーむー、とフーコ。

 マリーのスカートの中に腕を突っ込んで、


「……これは?」

「それはコンバットナイフ! すごく危ないから抜いちゃダメだよ! 『熊』の爪とかと同じ素材だから! 金属とかすぱっと切れちゃうから!」

「これで髪切れば」

「ダメだよ! フーちゃんのお下げ髪は私が乗ったときの操縦桿なんだから!」


 むーむー、とフーコ。

 マリーのスカートの中を腕で探し回って、


「……これは?」

「その紐は引っ張っちゃダメ! すごくすごくすごくすごく危ないんだから、絶対に絶対にダメだよ! 飾り紐じゃないんだからね! 解けたら脱げちゃうんだからね! もし引っ張ったら絶対絶対怒るからね!」

「……ごめん。マリー」


 と、フーコ。


「もう引っ張っちゃった……」

「ひぅ……うわあああああああああんっ! フーちゃんの馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿ぁっ!」


 ――しばらくして。


 きゅぽん、と。

 フーコの頭が勢い良くすっぽ抜けた。

 こてんっ、と。

 尻もちを付いて、フーコは転がった。

 わあわあ、と。

 ボロ泣きのマリーが、フーコを襲撃。

 ぽかぽか、と。

 目を回しているフーコを引っ叩いた。


 ――しばらくして。


「……こんなことしてる場合じゃないよ!」


 と、マリーが叫ぶ。


「あの様子だと、さっきの『竜』はリーダーさんたちのところに行ったっぽいから、早く追い掛けて援護しないと――」


 まあ、正論ではあった。


「――だから、今すぐこの手を離すんだよフーちゃん! いやほんとお願い! ぎぶぎぶ! もうぎぶあっぷだよぉっ!」

「……む。わかった」


 というわけで、もう一度紐を引っ張ってやろうか、などと思案していたフーコは、「ぽかぽか」に対して容赦ない逆襲を食らわせて組み伏せていたマリーを解放する。

 フーコは何かちょっとずるい、と感じても正論には従う娘である。少し心配だ。


 ひょい、と。


 フーコは、まだ若干涙目のマリーをおんぶし、まだちょっと涙声のの指示を受け、「竜」を追いかけるようと一歩を踏み出そうとしたところで、


「あの……」


 と、口を挟んでくる小隊長に対し、フーコは小首を傾げ、訪ねる。


「一緒に来る?」

「いや、そうじゃなくて――」


 その、と小隊長は聞く。


「――どうして私を助け」

「それ絶対に話が長くなる奴だから後にしてよぉっ!」


 背中のマリーがばたばた暴れ、小隊長の言葉をばっさりと切って捨てた。


「今それどころじゃないの! 結果論だけど、おねーさんのおかげで『竜』に見つからずに済んだんだから、今はとりあえず、うぃんうぃん、ってことでいいよ! とにかく今は来るか来ないかで答えて! 10秒で決めて!」

「いや、しかし、私は……」

「じゅうきゅうはちななろくっ!」


 一息でマリーは言った。


「あと5秒!」


 むう、と。

 フーコが何かを思案し、それを言葉に出そうとしたところで止まって、背中のマリーに尋ねる。


「えっと……ごめん。この人の名前」

「サティさん! ちなあと3秒だよ!」


 と、マリーが答える。


「さてい」


 と、微妙に合ってないような気もするが、ともかくフーコは小隊長の名前を呼び、怪訝な顔をする小隊長に告げる。


「しょーがねーなもう」


 魔法の言葉だ。


 マリーにはそれが分かった。

 残り0となる直前で、カウントダウンが止まった。


 小隊長には意味が分からない。

 カウントダウンが止まっても、ぽかん、と口を開けて何にも言えずにいる。


 フーコにはそんなの関係ない。

 むんず、と小隊長を引っ張って無理やり立ち上がらせる。


「いいから来て。みんな待ってる」

「――みんな」


 その言葉を、小隊長は繰り返した。

 それから、言った。


「……分かりました。話は後で。私も、貴方がたとご一緒します」

「そうと決まれば話は早いよ!」


 ぴょん、と。

 マリーは一旦、フーコの背中から降りると、スカートの端っこをちょこんと摘まんで軽く持ち上げてから、小隊長に向かって告げる。


「さ、どーぞ。おねーさん」

「え?」


 と、小隊長の目が点になる。

 ちょっと意味がわからない。


「引っ掛からないように入ってね?」


 冗談かと思って小隊長は二人の顔を見るが、マリーはちょっと微妙に恥ずかしそうだが至って真顔だし、フーコは無表情だが「早くしろ」と目で告げていた。最後に小隊長の視線は、マリーのふりふりひらひらなスカートへと戻って、


「……え?」


      □□□


 その場の全員の「鈴」が一斉に鳴り響いた。

 ダンジョン内を探索するため移動していて「冬眠」している「熊」をうっかり目覚めさせたときには、鈴はこういう鳴り方はしない。その「うっかり」をやらかしてしまった誰かの「鈴」がまず鳴る。目覚めた「熊」が動き出すことで、順々に他の連中の「鈴」が鳴り出す。それが普通だ。


 つまり、とアリソンは理解する。


 普通ではないことが起きている。


 そもそも、今の自分たちは移動なんてしていない。つまり「熊」を目覚めさせた別の要因があるということで――おまけに、さっきディーンは見たこともない顔をしてとんでもないこと言いやがったのだ。


「『竜』だ。アリソン」


 また言った。


「たぶん『熊』を操って、僕たちを探してる……というか、きっともう見つかってる。こんな風に『鈴』が鳴ってるってことは『あのとき』の奴より、ずっと雑な奴みたいだけれど――」


 近くの茂みから一体の「熊」がいきなり現れて、三つ目をぎょろめかせ――直後に、ディーンが放った空気の砲弾を食らって粉砕された。


 ディーンはそちらを見もしなかった。


 じっと穴の中を見下ろしたまま、告げる。


「――本物の『竜』だ」


 直後、穴の側面の一部をぶち破って、光の奔流が溢れ出て――それに遅れて、先程のものとは比べ物にならない程の爆音と振動が襲い掛かってきた。


 アリソンが悲鳴を上げる隣で、ディーンがぞっとするほど静かな声で呟く。


「来るぞ」


 アリソンは思う。

 普通でないことが、起きている。

 普通でない何かが、やってくる。


 「竜」。


 ディーンがさっきから言っているその言葉を脳が受け入れるのを拒否して、非現実的なものとして処理したがっているのをアリソンは自覚する。「何を馬鹿なこと言ってんすかディーンちょっとおかしいっすよ」という言葉が今にも口を突いて出そうになる。


 だが、ディーンが正しい。


 初めて見たから確信はないが、今の光はどう考えたって「竜」のブレスだ。

 お伽噺に出てくる大トカゲが放つ炎とは比べ物にもならない――高熱や爆発にも耐える最も重装な防護服を着ていても、その一撃を食らえば跡形もなく消し飛ぶ。

 そんな破壊力を単体で行使する怪物。


 「竜」。


 探索者にとっての最大の脅威は間違いなく「熊」だ。何たって遭遇率が尋常じゃない。大抵のダンジョンにはいるし、大抵の探索者にとって単独でどうこうできる相手じゃない。問答無用に探索者にとっての天敵だ。探索者をやってる奴の大半が「熊」に知り合いの探索者を殺されている。ディーンだってアリソンだって、知り合いの探索者や魔術者を何人か「熊」に殺られている。「熊」が嫌いな探索者は別にフーコだけではない。


 それに対して「竜」は遭遇そのものが稀だ。


 探索者なら誰もが「熊」と遭遇することを警戒し、全力で「熊」対策をして探索に臨むものだが、「竜」との遭遇を警戒したり、対策したりする探索者はほとんどいない。


 意味がないからだ。


 「竜」は探索者にとっての「災厄」だ。

 もし遭遇したら、威力探索チームですら通常装備だとどうにもならない。抵抗は無意味だ。通常の探索者が使う銃火器や爆薬では「竜」の身体には傷一つ付けられない。逃げるのも無理だ。「竜」はあの巨体で「熊」よりも遥かに早く、信じられないほど静かに動き回る。物陰に隠れてみるのもいいだろう。まず見つかって引き摺り出される。死んだふりでやり過ごしてみよう。無論通じず、踏み潰されて本物の死体になるに違いない。

 何をやっても無理だ。

 生きるか死ぬかは、もう運に頼るしかない。


 その「竜」が来るのだ。


 脳みそがパニックに陥りかけて、

 心臓が恐怖で凍えそうになって、

 手足が馬鹿みたいに震え出して、


 それでも、アリソンが正気を投げ出す誘惑に耐えることができたのは、彼女が並外れて強い精神を持っているためでも、積み重ねてきた探索者としての経験のおかげでもない。彼女自身がどうであるかは、全然まったくこれっぽっちも関係ない。


 ディーンが「スキル持ち」だからだ。


 ディーンが「竜」と戦えるだけの力を持っているのか、アリソンは知らない。生半可な「スキル持ち」なら、「竜」は呆気なく瞬殺してみせる。ディーンも瞬殺されるかもしれない。この前ちょっと聞いたときにも、曖昧な返事を聞かされた。

 それに、ディーンは普通の探索者よりもずっと「竜」を恐れている。

 例の「竜」の事件のことなら、実のところアリソンはすでに知っている――そういう話はお節介な誰かのおかげで自然と耳に入ってくるものなのだ――知ってはいるし、個人的に調べもした。被害状況を見ただけでもぞっとするような内容だった。

 だが、そのときのことを直接ディーンから聞いたことはない。事件の当事者であるディーンが、目の前で起こったその惨状を見て、何を思ったのかをアリソンは知らない。それによって、ディーンの中で何が起こったのかを、アリソンは知らない。何も知らない。


 それでもディーンは「スキル持ち」だ。


 だからアリソンはまだ希望を抱くことができる――縋りつくことができる。ただそれだけのことだ。


 でも、ディーン自身はそうはいかない。


 アリソンは自分の両頬を思いっきり叩いて、パニックと恐怖と震えを抑え込む――本当は全然抑え込めてなかったけれど、抑え込んだことにする。


「ディーン」


 挫け掛ける意気地をかき集めて、言う。


「私にできること、あるっすか?」

「僕の代わりに、みんなの指揮を頼む」


 巨大な縦穴の中、先程の閃光と爆発で空いた横穴を見つめ、ディーンが言う。


「僕の方にはたぶん余裕がない。あと『熊』が出たら、そっちも頼む」

「了解っす」


 アリソンは頷く。

 実際、未だに「鈴」はけたたましい警戒音を鳴らし続けていて、今この瞬間にもその辺の茂みから「熊」が出てきておかしくない。「竜」と違って「熊」なら自分たちでも対処できる。

 とりあえず目の前で銃を構えたまま、堅い表情で顔で今の一連のやり取りを聞いていた軍曹に話し掛ける。


「軍曹さん。そういうわけなんで、『竜』が来るっす。ここは協力し合うということで、とりあえず一旦、副リーダーの私の指揮下に入ってくれるっすか?」

「ああ」


 と、二つ返事で了承する辺り、やはり見かけ倒しというわけではないらしい。内心では小隊長の安否を気にしているのだろうが、それを一切表には出さず、


「――おい、お前ら。いいな?」


 と、皮肉屋とデブ、それから無線機越しに狙撃手の少年へと彼は呼びかける。


「了解」


 と、デブが犬歯を剥き出しにし、銃を手に取って立ち上がる。戦うデブの復活だ。


「『竜』ね――いや、まったく、とんでもねえのが出てきたもんだな。武器もねえことだし、逃げちゃ駄目かね?」


 やれやれ、とでも言いたげな皮肉屋に、アリソンは持っていた銃を投げ渡す。


「返すっすよ。私、下手くそなんで任せるっす」

「逃げるなってか」


 ぱしり、と銃を受け取った皮肉屋がそんな風に苦笑しながらも、銃を構える。


『「竜」ですか。俺、見んの初めてですよ』


 と、無線の向こうから狙撃手の少年が言ってくるのに対し「お前だけじゃねえよ」と軍曹は告げ、「そっすよねえ」とアリソンが返したところで、


 どすんっ、と。


 新手の「熊」がアリソンの背後から飛び出してきてその爪を、ぎらり、と伸ばし、


 銃声が三つ――遅れて一つ。


 ばたんっ、と。


 計四発の弾丸を受けた「熊」が現れた勢いのまま倒れ、アリソンの横に倒れ伏す。


 軍曹が、デブが、皮肉屋が、そしてたぶん無線機の向こうで狙撃手の少年も、ボルトを操作して空薬莢を排出――野郎どもを代表して軍曹が告げる。


「ま、よろしく頼むぜ。副リーダー」

「……そりゃどうも」


 まったく優秀な人たちっすねえ、とほんのすぐ足元に倒れた「熊」を見下ろしながら、こりゃ指示する側も楽じゃないっすよ、とアリソンが思ったそのときだった。


 とうとう、その瞬間がやってきた。

 誰よりも早くディーンが反応した。

 深く深く深く深くただ息を吸った。


 そして――


      □□□


 標的は人間が6――楽勝なはずだった。


 けれども、と『ドラグーン』でぶち抜いた通路を駆けながら、轟は思っている。

 人間というのはあれで案外侮れない。

 性能的には「竜」の方が上だ。

 そりゃそうだ。考えるまでもない。

 「竜」というのは兵器で、つまりは戦争のための道具であり、何であれ道具であるからには生身の人間が戦うよりもずっと効率的に戦えるように作ってあるに決まっている。


 道具ってのはそういうものだ。


 コンピューターは数学の得意な人間を集めて紙とペンで計算させるよりずっとスマートに膨大な数の計算をこなすことができるし、自動車は足腰を鍛えた人間が汗水垂らして何日も掛けて踏破する道をペダルを踏み込むだけで大幅にショートカットしてみせるし、コンピュータゲームは友達のいない一人ぼっちの子どもが自分の部屋で妄想の友達を作り出して遊ぶよりはたぶんもうちょっと手軽に楽しい時間を提供することができる。


 道具ってのはそういうものだ。


 人間が木の実を素手でカチ割るより、石でカチ割った方がずっと上手く割れると気付いたときから、もちろん出来不出来もあったろうし失敗作もあったろうし捻くれ者が作った得体の知れない代物もあったのだろうが、それでも基本的に道具はずっとそうだ。


 「竜」だってそうだ。


 人間の代わりに戦えるし、人間より上手に戦える――たくさんの道具の内の一つ。


 それが自分たちだ。


 でも、だから人間というのは侮れない。


 つまるところ、人間は大量の人員と大量の時間さえ掛ければ理論上はコンピュータと同じ計算ができるわけだし、時間と体力と根性さえあれば自動車と同じ距離だって走れるわけだし、友達のいない一人ぼっちの子どもは、ちょいと本気になれば妄想の友達と遊ぶどころか、世界一つを丸ごと創造してしまったりもする。


 木の実を素手で割れる人間だっているのだ。


 ――なんてことは、もちろん轟自身が考えたことでなくて全部クマ子の言っていたことを丸ごと記憶しているだけだ。轟はそんな小難しいことを考えられるような性格をしていない。「竜」だって木の実くらい割れる、とか的外れなことを言ってクマ子に怒られたことを覚えている。


 轟が人間を警戒するのはただの経験則だ。

 なんせ人間に負けたことがある。

 相手はたったの二人だった。

 しかも子供だった。


 敵戦闘艦群への強襲任務だった。


 そういう建前での民間人の輸送船の襲撃――というわけではなかったはずだ。もしそうだったら、たぶん記憶には残っていない。

 その手のPTSDを起こしそうな任務に就いた「竜」は記憶を丸ごと消去された上で、任務に出る前のバックアップから記憶を復旧することになっているらしい。記憶を一部書き換えるよりそっちの方が楽なのだ。目覚めた「竜」に対しては作戦は中止された、とだけ説明される。轟も十回以上そういうことがあった。その内のどれぐらいが本当の作戦中止だったのか、轟は知らないし、特に興味もない。


 とにかく、あれは本物の戦闘艦群だったはずで、だから機関部を破壊されて沈んでいく燃え盛る艦の上で、あの二人に遭遇した理由は未だによくわからない。


 たったの二人で、しかも子供だった。


 一人は、髪をお下げにしてる女の子。

 一人は、お人形さんみたいな女の子。


 二人が一緒になって構えているのは、一体どこから持ち出したのやら、骨董品みたいな護身用の小型拳銃。二連装の奴。


 何でそんなところに子ども二人がいたのかも、どうして逃げずにそんな銃をこっちに向けているのかも、轟には何一つ分からなかった。意味不明過ぎて動きを止めてしまった。


 止まったところを容赦なく撃たれた。

 こてん、と。

 撃った二人が一緒にひっくり返った。


 状況は意味不明だったが、その小型拳銃の銃弾の威力は知っていた。


 轟からすれば玩具みたいな武器。

 わざわざ避けるまでもなかった。

 銃弾は装甲表面に容易く弾かれ、


 その直後、二人に意識を丸ごと奪われている間に、背後からこちらに向かって飛んできていた誘導弾の直撃を食らって、轟の意識は吹っ飛んだ――その後で回収されたのだが、よく人格まで一緒に吹っ飛ばなかったものだと思う。


 だから、あの二人の子どもがどうなったのか、轟は知らない。どう考えたって、焼け死ぬか海の藻屑になったに決まってるが、そう思いたくない自分がちょっといる。

 何たって、玩具みたいな拳銃の一発で自分を負かしてみせた連中だ。ちょっと船が燃えて沈んだ程度で、そう簡単にくたばるとは思えない――きっと、またどっかで自分の前に現れて、今度はもうちょっと物騒なものをぶち込んでくるに違いない。そしてそのときは、絶対に絶対に、今度こそ轟は負けない。


 もちろん、ただの願望だ。


 ――入口に辿り着いた。


 ひょい、と。

 轟は入口から頭を突き出したところで、そこが巨大な縦穴であることに気づく。


『おいおい……』


 轟は呆れる。


『あのバケモン兵器ぶっ放したのかよ……』


 すぐに分かった。

 この縦穴は、アダムスキー・ドライブの莫大なエネルギーを「破壊」のためだけに注ぎ込んだ、「ドラグーン」の親玉みたいな「あの」衛星兵器の痕跡だ――「もし、あんなもん撃つような事態になったら世界とか滅びるよね」とクマ子が言っていたことを思い出す。まじで世界滅んだのかもしれないな、まあしょうがねえよな、と轟は思いながら宙を見上げ、


 こちらを見下ろす人間と目が合った。


 センサー群が送ってくる数値の羅列をすっ飛ばして、轟はそいつから尋常でない殺気を感じ取った。長い眠りの中で錆び付いていた無数の戦闘プログラム群が、懐かしい気配を察して目を覚ます。

 ほらみろ、と轟は思う。

 人間ってのは、全然、これっぽっちも油断ならない連中なのだ。

 全力で行く。

 けれど「竜」である轟は咆哮しない。

 無音で行く。


      □□□


 ――すとんっ、と。


 「熊」にしては妙に小さ過ぎる音がして、アリソンがそちらを振り向いたときには、もうそこにいた。


 「竜」だった。


 奇妙な複眼で覆われた小さな頭部と、四本脚の間に一対の腕を持つ異形の姿。おそらく中型。自分たち人間や「熊」に比べれば巨体だが、見上げる程ってわけでもない。思ったより小さいっすね、とアリソンは思った。

 そしてその時点で、すでに「竜」は攻撃動作に移っていて、その複眼は攻撃対象としてアリソンを捉えていた。


 ――ああ、死ぬっすね。


 何か指示を出すより、誰かが銃を撃つより、身を伏せて避けるより、先に攻撃が来る。これはちょっともう駄目だ。


 せめて、目は閉じないようにしよう。


 アリソンはそう思って――だから見た。


      □□□


 最初の一秒で、他の4人を排除する。


 跳躍一つで相対距離をゼロに、相対高度をプラスに変え、人間たちのど真ん中に着地点を定めたところで、轟はそう決めた。

 例の奴はまだ武器を構えていない――というか、そもそも持っているようにも見えない――何を仕掛けてくるつもりかは知らないが、それを準備する一秒の間に、他の不確定要素を始末しておく。離れた場所にいるもう一人も気になるが、さすがにそちらは後回しにするしかない。

 一応、戦闘支援プログラムの一つにデータを突っ込んで演算させる――轟にもよく分かっていない基準を下に、プログラムが最優先攻撃目標を弾き出し「おそらく指揮官」と判断理由を付けてくる。例の奴の優先度が一番下になっている辺りちょっと信用できないが、とりあえず轟は素直にそれに従った。


 着地と同時にそいつを狙った。


 無音で着地するつもりだったが、微細なトラブルを起こした左後脚の関節部がぐずって、微かに音が鳴った――相手が気付いて振り向いたが、でも、もう遅い。


 轟は、右前脚を振り下ろした。


 悲鳴が上がった。


      □□□


 悲鳴が上がった。


 アリソンの悲鳴ではなかった。

 そんな余裕はまるで無かった。

 それはディーンの悲鳴だった。


 悲鳴みたいに情けない、叫び声だった。

 そして。

 叫び声と一緒に空気の砲弾が放たれた。


 巨大なハンマーか何かで横っ面を張り倒されたように、アリソンを攻撃しようとしていた「竜」の身体が思いっきり傾いだ。


      □□□


 巨大なハンマーか何かで横っ面を張り倒されたような衝撃が来て、機体が傾ぎ、そのまま倒れそうになって――それでも轟は何とか踏みとどまった。

 機体各部が無数の損害報告を知らせ、サブカメラの幾つかが潰れて全方位を見渡す視界の一部が欠ける。そんな中で、食らった攻撃を分析する戦闘支援プログラムが大量のエラーと共に「不明な攻撃」のメッセージを吐き出す。


 轟にも、何が起きたかは分からない。

 でも、誰がやったかは分かっている。


 ぎょろり、と。


 メインカメラである複眼を動かして、各種様々なセンサーをフル稼働させて、混乱する戦闘支援プログラム群を引っ叩いて正気に戻しながら、「竜」としての全性能を行使してそいつを迎え撃つべく、それでも声を持たない「竜」である轟は無音で、


 自身の「敵」であるそいつを見た。


      □□□


 一撃で倒せなかったな、とディーンは思う。


 それが自分の限界だ。

 だが、通じてはいる。

 攻撃も、間に合った。


 スキルの応用を止めた理由はごく単純だ。

 ディーンには、そんな才能はないからだ。

 スキルの応用法を見つけることはできる。

 でも、それを実戦で使うことはできない。

 それだけの冷静な判断力は自分にはない。

 だからスキルの使い方を絞ることにした。


 まず、一番単純な攻撃手段。

 次に、一番単純な防御手段。


 使えれば何かと便利な飛行能力は例外として、この二つさえ上手いこと使えれば、モンスターとは戦える。

 そのたった二つをより強力にできれば、より精密に扱えれば、より早く発動できるようになれば――そう思った。


 それでも、一撃では倒せなかった。


 それが自分の限界だ。

 だが、通じてはいる。

 攻撃も、間に合った。


 アリソンは今のところ生きている。


 それだけでも十分だと、そう思う。

 そして。

 「竜」が頭をディーンへと向けた。


 ――やっと「ここ」に来れた。


 ディーンは思う。

 あのときは「ここ」に来ることすらできなかった。何一つできず――何一つ、始められないまま、全てが終わるのを見ているだけだった。


 ――やっと、始められる


 ディーンは頭を向けてきた「竜」を見る。


 ちゃんと分かる。

「竜」が見ている。

 自分を見ている。


 己の「敵」として、ディーンを見ている。


 ――勝負だ。


 そう告げる代わりに、次撃のためにスキルを展開しながら、「竜」と違って声を持っている人間であるディーンは、恐怖で震えそうになる身体を必死に動かすため、ちょっと悲鳴みたいで情けないことは自覚しつつも、


 「竜」に向かって叫び声を上げる。

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