第7話 * 豪快に笑う親友・七海楓

 駅のホームで僕らは二人から四人になった。小さく手を振る胡蝶も、そっぽを向く葵も、四人で電車に駆け込むのも慣れたものだ。TPOを鑑みない声量と内容で僕に話を振るカンナに胡蝶がやんわりと注意し、葵が何か言いたげにそわそわしているのもいつもと変わらない。強いていうならカンナの口数がいつもより多かった気がする。自分の優位性でも示すかのように。胡蝶に向けて皮肉と嫌味を欠かさない点においてのみ平常運転だった。


 様々な臭気と人の立ち込めた電車から降りて、学校最寄りの駅出口に向かう。色褪せた日光に足を踏み出したとき、後ろから左肩を叩かれた。


 振り向くより先に左の頬に人差し指が押し付けられた。左を歩くカンナの頬も同様で、本領発揮した吊り目から豪快に歯を見せてにかっと笑う顔に目を配る。


「よっ」

 僕に押し付けた指を頭の高さに上げて、馴染みのある爽やかな香りが左を歩くカンナと僕の間に割り込んだ。

「今日もいい天気だな、アオト」


 鬱陶うっとうしそうに手を払うカンナに「つれねえなあ」なんてぼやく傍らで、僕は曖昧な空を見上げた。


「お前は学校よりも病院に行った方が良さそうだね、かえで。今日は生憎、曇り空だ」

 呆れたようにそう言った。


 背中をバシバシと力強く叩かれた。

「あははははっ! こまけえこたあいいんだよ! オレがいい天気っつったらいい天気。オレがルールだ!」


 自らを「オレ」と名乗り男らしく豪快に笑う親友は高校入学以来変わらない距離感で、燃えるような栗色のベリーショートと一緒にEラインの整った横顔を僕の目線で揺らしていた。


 変わらない態度のおかげで変わったものが強調されていた。楓は僕の目線に気づいたのか、にやりと笑って口を開いた。


「気づいたか? 気づいたよな? そうだよ。お前のために、いや、あなたのために? 今日から女の子らしくミニスカにした。お前のために、今日からタイツを履くことにした。お前のために、さらしを巻くのをやめた。お前のために、今日から化粧も勉強する。お前のために、今日から髪も伸ばすことにした。もちろん下に短パンなんざ履いちゃいない。見るか? あ、見る? 違うな。えっと、お見に? あ、ご覧になら、なられられましょうか???」


 楓は俯きながらもワイシャツ越しの胸に僕の腕を抱いた。たしかに今日の楓は昨日までと明らかに違う。


 いつもはスカートで隠れていた膝の曲線が見えていた。ハイソックスさえも敬遠していたはずなのに、素足の色は黒いタイツで薄っすらとしか見えない。いつも男性的だったはずの胸元は今まで抑えられていた分、見違えるように大きく見えた。元より整っていた目鼻立ちが一層眩しく見えるのは化粧のおかげだろうか。


 楓は昨日より見違えた。きっとこれからさらに見違える。


 七海楓ななみかえで

 昨日、僕に告白してくれた少女の一人。


 いつだったか楓が僕の好みをしつこく聞いてきたのを思い出した。分単位で楓からメッセージが飛んでくるのはいつものことだったが、昨晩のことを思うとそれもやめてイイ女って奴になろうとしているのかもしれない。


 見惚れる僕の代わりに右を歩く胡蝶が答えてくれた。

「とても女性らしくなりましたね、七海さん。お綺麗です」


 楓は頬を染め、自らの額を平手で打った。

「っかー! 流石はトウマ。わかってんじゃん! アオトったら何も褒めないでやんの!」


「ええ。努力を誇るようではいけませんが、大切な人のために努力するのは価値のあることだと思います。ね、蒼斗さん」


 静かに微笑む胡蝶の向こう側で、葵はまじまじと下から上に舐めるように楓の姿を見まわしていた。あるいは、憎らしげだとか悔しげ、といっても差し支えないかもしれない。正反対、楓の向こうから僕を見る不敵な笑みにも、きっと似たような意味を含んでいる。


「で、どうよ。アオト」

 楓は結局、口調を直すのを諦めたらしい。


「んー」

 見上げた空は依然、明るくも曖昧だった。


「そうだね。元のままでも綺麗だったけど、ちゃんとしたらもっと綺麗になったよ」


 新しい楓も、昔の楓も魅力的。そんな意図が伝わるか不安だったけど、どうやら杞憂だったらしい。楓は一瞬だけ目を見開くなりそっぽを巻いてしまった。耳が真っ赤になっている。でもカンナと目があったのか前に向き直り、バツが悪そうに笑った。

「お、お前なら、そういうと思ってたよ。サンキューな!」


 それから。

 楓は三人の表情を伺うようにしてから、僕の耳に手を添えた。何か、周りに聞かれたくない話があるらしい。こういうのは、あまり周りの目線を気にしない楓にしてはかなり珍しい。


「ところでお前って、やっぱ大きい方が好きなのか? Dか? それともEか?」

「人が大きいのが好きだと決めつけて話を進めるな」

「でも大きい方が好きだろ?」


 視線が思わず胡蝶とカンナへなびきそうになる。どうやら表情ではなく胸のサイズを伺っていたらしい。


「そりゃ、象徴みたいなものだからな、女の子の」

「だよなあ。まあ、早い話がオレはDなんだがオマエの好みを聞いときたくってよ。サイズとか形とか、アンダーとトップの差とか」

「お前、まさか」

「おう、オマエの趣味に合わせて豊胸しようと思ってさ」

「やりすぎだ」

「そうか? トウマだって良いことだって言ってたじゃねえか」

「それはそうだがそうじゃない」


 胡蝶が不思議そうに首を傾げているのを見てどうやって話しを切るか考えていると、避けては通れない質問が飛んできた。

「じゃあ、昨日の答えは聞けたりするか?」


 もう耳に熱い吐息はかかっていない。他の三人にも聞こえるように、牽制するような、三度目の正直どころか四度目となる問答。僕が今、言えることは変わらない。


「もう少し待ってほしい。今日一日だけでいいんだ」


 楓はにかっと笑って「構わねえよ。オレはイイ女だからな。いつまでだってオマエの答えを待ってみせるさ」と僕の背中を叩いた。僕は、苦笑を浮かべることしかできなかった。

 イイ女とは。

 と、思わないわけではないが、僕の右で微笑む胡蝶を見て、たぶん彼女のような人のことをいうのだと一人で納得した。

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