第30話 * 堕天使の心臓・その死
走馬灯と死の狭間で、彼女は目を閉じていた。僕の腕に乗った頭は、見た目よりもずっと軽かった。白光を返す黄金色の髪は密度が高く、地肌は見えない。眠っている顔はいつもより幼く見える。長いまつ毛は影にあってもきらきらと色あせない。すう、すう、豊かな胸が上下して、太陽の匂いが鼻腔をくすぐる。
堕天使の心臓が見せる夢。
今回はベッドの上だった。
「……おはよう、アスター」
茜色の瞳が覗く。
乾いた唇が開く。
「ぅ……あ、ぁ……蒼斗、様……?」
ぱちぱちと夕陽が瞬く。頭を浮かし、アスターが微笑む。まるで熱で浮かされているみたいな微笑みを浮かべ――玉の汗が零れた。幼く見えたのは、彼女の体温が小さな子どものように高いせいかもしれない。
「ごめんなさい。早く、あちら側に戻らなければなりませんよね。もう少々、お待ちください」
力なくそういってアスターは目を閉じた。僕の手を両手で――手は震えていた――祈るように握ると、黄金色の頭頂に赤い天使の輪が開き、背中に翼が開く。心なしか翼はいつもより小さく見えた。天使の輪は古びたデータディスクのように歪な高速回転をして、弱々しくもちかちかと点滅して、輝きを増していく。
聞きたいことは山ほどある。神の異能、
「いや、いいよ」
上体を起こし、アスターの手を引いた。
「このまま戻っても、僕に神殺しなんかできはしない」
アスターが
「っ、ですが、それでは蒼斗様は――」
「だから話して欲しいんだ。どうして嘘を吐いたのか」
一瞬、アスターの手に力が入る。
「……どこまで、見たのです?」
天谷さんのことを思い出す。
「知らないよ。どこまでなんて。僕にわかるのは、君は僕の心臓になる前から、ずっと僕を守ってくれていたってことだけだ」
天谷カガリ。カガリちゃん。天谷さん。誰よりも早く、僕に告白していたはずの少女。誰よりも強く、嫉妬深い彼女がいた戦いは、きっと僕に深い傷跡を残したことだろう。それを思い出せないということはそういうことだ。
唇が噛み締められて血の気が失せる。
「ねえ、アスター」
ぎゅっと手を握る。
「本当は今、何周目なんだ?」
かっと見開いた茜色が黄金色に隠れ、力が抜ける。
「何回必要だったか、ではないのですね」
ふっ、とアスターは自嘲気味にいった。
――アナタ、騙されてるわよ。
そういったのは九番目の天使、ガーベラだったか。殺し合いを意図的に繰り返す意味があるとしたら何か。刹那の殺し合いか、永久の殺し愛か。刹那の殺し愛か。永遠の刹那。アスターはどれも選ばない。無論、神を殺すための戦力を育成するための準備期間なんかじゃない。神を殺すのに、天谷さんを戦いから消す意味がない。
アスターは常に、僕が一途で誠実でカッコよく生きるために動いてくれていた。そのためなら、僕の意思すら聞き入れてはくれない。彼女はずっと僕を守ってくれていた
僕が手の力を緩めても、アスターの力が緩んでも、手は離れない。
「神を殺すために必要だった回数なんてどうでもいい。僕が訊きたいのは、君が吐いた優しい嘘の話だ」
アスターの表情を窺うことはできない。
「別にわたくしは、嘘なんて……」
歯切れが悪いアスターに、僕は食い気味にいう。
「知っての通り、僕は弱い。けど、君がいてくれるから、僕は君が思っているよりは強くあれる」
僕が覚えている一周目でもそうだった。アスターは二人きりの世界で僕と生きることではなく、僕が僕らしく――一途で誠実でカッコよく――生きるために、自分の愛を押し通すことを諦めてくれた。それだけ僕との約束を一途に思ってくれた。
「知りたいんだ。君の隠した愛を」
そこにはきっと意味があった。どれだけ辛い真実が隠されていたとしても、僕はそれを知る義務がある。
「僕らは何度、あの三日間を繰り返したんだ?」
「…………わかりました」
そういって浮かべられたアスターの微笑みは、去年の夏に見た冬の花に似ていた。
アスターが輝く。
世界が白い光に包まれる。
僕らは黄昏時の薄明光線の中を流された。
鈴のように可憐で、鐘のように荘厳な音色が響く。
「回数にして二十四万五千八百二十九回、占めて七十三万七千四百八十九日。年にして――二○○○年。わたくしと蒼斗様は三日間を繰り返しました」
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