第6話 * vs束縛・蕾
ザア、と雨の音が遠くに聞こえた。掟先輩と二人きりの生徒会室で、僕はドアを開くことができなかった。ドアに鍵がかかっていたわけじゃない。僕の手はドアに触れることすらできなかった。
何が起きたのか理解できなかった。掟先輩が何か呪文じみたものを口にして、次の瞬間には身体のバランスが保てなくなり、視界が前に流れたかと思えば僕は仰向けに倒れていた。
抗うことはできなかった。けれど頭を強かに打ち付けることもなかった。掟先輩が、妖しい笑みで僕を見下ろしていた。僕は今、掟先輩の膝を枕にして頭を撫でられている。
上半身も下半身も自由を奪われていた。
「掟先輩、これは、なんですか?」
口は動いた。
背を向けた一瞬で、何をどうすればこんなにもきつく束縛することができるのか。
「今、何をしたんですか?」
手首と腕と足首と太股には真っ白な包帯が巻き付けられていた。どうやら掟先輩の手首の包帯が伸びているらしい。まるで蜘蛛の巣に捕らえられてしまったみたいだ。
「やっぱり私、もう限界みたい――」
僕の髪の一本一本を労るように撫でる手が止まる。
「限界って……」
僕の顔の形を確かめるように、輪郭に沿って両手の指が這う。
間近に見る掟先輩は今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「――水無月君が私以外の誰かのものになるなんて、嫌。他の女の名前を口にするだけで胸が苦しくなる。手を繋いで、キスをして、抱きしめ合って、それから先のことも私以外とすると思うと生きる意味さえ見失いそうになる。もう、我慢できないの」
何も言い返せなかった。
僕だって、胡蝶が僕以外と僕以上の関係になるのは嫌だ。他の男の名前が口から出ることを思うだけで不安になる。僕より優れた男と手を繋いで、キスをして、抱きしめ合って、それから先のこともすると思うと死にたくなる。
掟先輩はそんな僕の心情を読み取ったかのように微笑んだ。あるいは、雪を象ったような後ろ姿を見た僕を見て確信していたのだろう。
「この気持ち。大切な人が誰かに取られてしまうんじゃないかって不安。胸の痛み。息の仕方すら忘れてしまいそうな喪失感。水無月君ならわかるでしょう?」
でも。
だからこそ。
「わかりますよ。だから僕を、今すぐ胡蝶の元に行かせてください」
耳の形を確かめるように弄っていた指が耳たぶで止まる。柔らかさを確かめるように優しく摘ままれて声が出そうになるのを口内を噛み締めて耐えた。そのまま引きちぎられてしまうのではないかと恐ろしくなる。
掟先輩の薄い唇が逆さまに迫る。熱い吐息からはほうじ茶の匂いがした。
「私なら、貴方を不安になんかさせたりしない。私だったら、ぽっと出の男にほいほいついて行ったりなんかしない。貴方以外にならどう思われたって構わない。貴方がどうしても冬馬胡蝶さんのことを忘れられないというのなら、私が忘れさせてあげる。私以外のことを考えられないようにしてゆっくり、じっくり、たっぷり時間をかけて私のことだけを愛するようにしてあげる」
言いながら、掟先輩は何やら手を動かしていた。片手は僕の顔を撫で、もう片手は自らの下半身を弄っていた。腰からスカートを伝い、ストッキングに包まれた太ももに触れて、指先がスカートの中に消えた。それから再び現れたほっそりとしていて長い人差し指と中指を境に薄っすらと見えていた白磁の肌が露わになり、黒い布とのあいだに蒸気が立っている。
むわっ、と。
――何かが僕の口の中に詰め込まれた。人肌程度の温もりがあるせいか異物感がない。まるで人の肌に触れることを前提に作られているみたいな感触だった。
キュッ、と。
咥えさせられたのは使用済みのストッキングだった。
言葉にならない叫びを上げたとき、僕の身体は中に浮いていた。掟先輩の片手から伸びた二本の包帯が僕を持ち上げているらしい。もう片方の手が段ボールへと向けられる。包帯の末端が荷台に伸びて巻き付き持ち上げてしまった。二人がかりで汗まみれになって運んだ、大人が余裕で入れるほどの段ボールを、易々と。
テーブルの上を超えて教室中央の空間で段ボールがひっくり返る。古びた紙の束が床を震わせた。その力強さは包帯というよりも触手を思わせる。書類を放り出してから二回、中のゴミや埃を振り払うと段ボールと荷台は元の位置に戻され、同時に僕の身体も持ち上げられた。
まさかお姫様だっこをされる日が来るとは思わなかった。
今や掟先輩の手首に巻き付けられた包帯は怪我の治癒というよりも、スポーツ選手が自らの関節や筋肉を補強のするテーピングに見えた。少なくともただの包帯ではない。液体のように伸縮して機械のような馬力を出す触手のような――僕の知り得る物理法則では理解の及ばない何かが、掟先輩の手にはある。
「またあとでね、私だけの貴方」
それから。
僕は段ボールの中にそっと降ろされて、視界が暗転する。
はずだった。
硝子の砕け散る音がした。
包帯が千切れる音がした。
掟先輩を見下ろしていた。
掟先輩は驚いたような顔をしていた。
ピンク色の――無数の羽が舞っている。
「呼ばれて飛び出てうふふふふ。蒼斗様だけの愛の天使、菊池紫苑。蒼斗様を救うべく参上いたしました。蒼斗様は渡しませんよ、この泥棒狐。蒼斗様独占禁止法違反で常識改変変態洗脳の刑です」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます