エピローグ

第40話 * 誰そ彼に笑う堕天使

 来年のことを言えば鬼が笑うという。明日のことさえわからないというのに、来年のことなどわかるはずがない。そのときにならなければわからないことを言っても仕方がないということだ。しかし、明日のことは予定に、来年のことは目標に、一つ一つ着実に、夢ではなく現実に変えて行ける未来の話なら、鬼の笑顔だって可愛いものだ。たとえばインターネット上で見られる(w)や(草)が、(笑)と同じ由来の(咲)だったなら立つ腹も立たないだろう。可愛いは正義ともいう。


 *


 六月六日。

 朝、フルートに似た清澄な音色の声で目を覚ました。ぱあっと花開くような笑顔を見て微笑みが零れる。拈華微笑ねんげみしょうとはこういうことか。こんな風に心を通わせられる相手と出会えること自体、幸せなことだ。泣いても笑っても一生に一度きりのチャンスという奴が存在するならば、それはきっと昨日の告白のようなものを指すのだろう。ささやかな幸せを噛み締めて、新しい朝が始まる。


 **


 朝食を終えた頃インターホンが自己主張する。モニターには想像通り、日本人形を彷彿させる顔が映し出されていた。しかし、想像通りの無愛想さは失われてしまった。風鈴を滅茶苦茶にかき鳴らしたような元気のいい挨拶、それに負けないほどの下手くそな破顔一笑。そういえばベランダの洗濯物の中に昨日出した覚えのないパンツもあった。プランターはズレていない。


 ***


 二人に見送られて僕は一人、陰鬱な影を落とすマンションを駆けた。綺麗に整えられた黒髪ツインテールに呼びかけても形のいい頭を差し出すだけだった。思わず苦笑して、髪の流れに沿って頭を撫でる。いいこいいこ、と。俯いた先、僕の足に向けてでもいい。眼帯の下の満月にまで強制はしない。不敵な笑みで構わない。少しでも喜んで笑っていてくれたらいいなと思う。きちんと傘を持たせてマンションを出た。傷だらけの手は取らない。僕はただ、少し先で彼女を待った。


 ****


 四人で電車に揺られた。学校最寄りの改札を潜って間もなく、誰かに首を絞められる。乱暴な挨拶を振り払う。呵々大笑かかたいしょうの正体はやはり、にっと真っ白な歯を見せていた。やられっぱなしなのが悔しくて、昨日までとは打って変わって女の子らしい姿を爪先から旋毛まで絶賛してやると、名前に負けないくらい顔を上気させて走り去ってしまった。


 *****


 昇降口には昨日までと変わらない全校生徒の手本のような笑顔があった。昨日より、胡蝶に対する生徒会への誘致がしつこくなった。昨日より、カンナに対する当たりがきつくなった。けれど、カンナは億劫そうでありながらも一歩も引かずに相手取り、胡蝶は優雅な物腰で断って見せた。僕だけに密かに見せた妖しい笑顔の裏には、きっと今でも刀が隠されている。


 ******


 一途で誠実でカッコよく在りたい。僕は、そうやって生きてきた。そうやって生きようとした。けれど、誰かに誠実であるためには、誰かに不誠実にならざるを得ないときもある。誰も傷つけないために、誰かを傷つけなくてはいけないときがある。要するに僕は、誰よりも誠実であるべき相手を冬馬胡蝶という少女に定めたのだ。人に優先順位を付けるようになったのだ。結果として、僕は四人の大切な女の子を傷つけた。でも、それが間違いだとは――99パーセント、思わない。

 1パーセントの不安が拭えなかった。もしかしたら、僕が付けた傷が原因で死んでしまうかもしれない。もしかしたら、僕が付けた傷が原因で誰かを傷つけるかもしれない。それは僕かもしれないし、胡蝶かもしれない。たった1パーセントの不安はいつしか肥大して、僕を押し潰されてしまうかもしれない。

 僕と胡蝶のクラスは隣だが、違うクラスに他ならない。社会の中で生きるためにはエゴだけでは生きていけない。別れを惜しむように手を握り締めると、同じくらいの力で握り返された。細くて、冷たくて、皮の硬い、氷細工のような手。顔を上げる。冬を思わせる顔に、どこか恥ずかしそうな笑顔がぱあっと花開く。すると、1パーセントの不安も消えてなくなってしまった。


 ――大丈夫。彼女たちは僕がいなくても、僕よりもずっと、ずっと、カッコ良くて、強くて、清く正しく美しい。どんな弱さももろさもかてにしていける。も僕は、胡蝶のためなら何があっても一途で誠実でカッコよく在れる。


 胡蝶のいない教室で楓や葵を含めた友人たち他愛のない話をしているとあっという間に時間が過ぎる。予鈴が鳴って間もなく担任が教壇に上り、朝のホームルームが始まる。気だるげながら誰もが大人しく席に着き、起立、気を付け、礼、それからおはようございます。点呼をして、連絡事項を簡単に話して、終わる。というのが常だった。どうやら今日、変わったのは彼女たち五人だけではなかったらしい。教室が静まったのは一瞬だけだった。


「今日は転校生を紹介する――入ってくれ」


 クラスメイトの視線が一様いちように教室前方のドアに向く。こんな時期に珍しいこともあるものだとか、もしかしたら楓と似たような事情かもしれないとか、意気込んでいる場合ではなかった。新しい環境において不安なのは誰だって同じだ。だからそう重く捉える必要はない。そのはずなのに。


 ―—ずきり、頭が痛む。


 ドアが開く。現れたのは日本人離れした外見の少女だった。教室内を見渡す大きくて丸いだった。肩口で揺れるだった。動作の一つ一つが羽でも生えているみたいに軽やかで、どことなく優雅だった。

 黄昏をかたどったような少女から目を逸らしたくて堪らないのに目が離せない。目を離したら最後、何が起こるかわからない。固唾を飲む。黄昏時の茜色が二つ、僕をまっすぐ射抜いている。嫌な汗がどっと溢れる。どうしてだろう。僕の心臓は胡蝶を想っているときと同じように激しく震えていた。


「はじめまして。わたくし、菊池紫苑きくちしおんと申します。好みのタイプは水無月蒼斗みなづきあおと様。好きな食べ物は蒼斗様。趣味は蒼斗様観察。夢は蒼斗様のお嫁さんになることです。皆様どうか、わたくしが蒼斗様と添い遂げる邪魔だけはしないでくださいね♡」


 鈴のような可憐さと鐘のような荘厳さを兼ね備えた不思議な圧のある声だった。冗談ではないと言外に語るだけの凄みがあった。彼女に集まっていた視線の半分近くが僕に向けられた。彼女以外、誰も笑っていない。笑っているのは鬼ではない。


 ――とろけるような笑顔。

 恍惚こうこつを転じたような花が黄昏の中に咲いていた。








〈ヤンデレバトルロワイアル*黄昏に咲う堕天使〜一途な許嫁vsストーカー幼馴染vs妄想癖の後輩vs整形の親友vs束縛癖の先輩〜〉


 第一部〈Bloomブルーム inイン the twilightトワイライト〉*了








 *








 ――To be continued.








 *








 第二部〈Secondセカンド heavenlyヘブンリー warウォー

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