第二部 * Second heavenly war
プロローグ
第1話 * 第二次天界大戦・種
鐘を打つような衝撃が走る。鋼と化した翼と拳が火花を散らす。突風が駆け、遠く漂う全ての雲が消滅した。無限の刹那に繰り返される手刀、拳、膝、足、緑色と薄桃色の翼の衝突。それから。剣、光線、羽の弾丸が爆ぜる。
エメラルドのような物憂げな瞳がわたくしを射抜く。
二メートルに迫る巨躯より長い新雪のような髪が乱れ舞う。
「アスターッ、キミは理解しているのか?」
抜き身の刀身を思わせる声に舌打ちが零れる。
「理解の上だと言っているでしょうが!」
そう、何度もいっているのだ。
わたくしがずっと悩んでいたことにいとも容易く答えを出してしまった彼。一途で誠実にカッコよく生きる人間もいると証明すると約束した彼。その約束を違えたらわたくしが導くと約束した彼。人間の彼はきっと今、ちょうどわたくしの力が必要になるくらいの年頃になっていることだろう。
だから、この神の野郎にいってやったのだ。
「何を言われようと、わたくしは彼と添い遂げるのです。そのためなら神も天使も人間も、世界の全てを敵に回しても構わない!」
すると神も決まってこういうのだ。
「ならキミは選ばなければならない。天使を続ける代わりに記憶を失うか、記憶を持ったままで消えるか。何度もそういっているじゃないか!」
彼のことを忘れて生きるなんて、死んでいるのと同じだ。彼のことを覚えたままで死ぬなんて不誠実、わたくしが成すわけにはいかない。自ら死を選ぶか、殺されるかを選ぶような選択肢も聞き飽きた。
「わたくしは、あなたを殺して彼と生きる」
「この親不孝者が――」
既に白から薄桃色に変わってしまった両翼を神の頭上に振り下ろす。筋骨隆々の両腕が防ぎ、世界の終わりを思わせる音が響く。
「――天の七戒律。その一、人には慈愛を、神には敬愛を捧げよ」
ミシミシと腕を軋ませながら、抜き身の刀身のような声は揺るがない。
そんな規律も聞き飽きた。
「神如きが、人と天使の色欲を禁じられるとでも?」
ぐっ、と翼をさらに押し込んだ。
それでも声は揺るがない。
「天の七戒律。その三、人の領分に踏み込むことなかれ、知恵を授けよ」
「神如きには、愛した人に自らの全てを食べさせたい気持ちなんてわからないでしょうね」
この一押しで腕が折れる。それから再生するまでの一瞬があれば、神に致命傷を与えることは不可能ではない。この十年で、億千万の有象無象の天使を葬ったわたくしなら。この十年で、十二使徒の十体を葬ったわたくしなら、神だって殺せる。
人の世界には油断大敵、という言葉がある。腕を折るべく力を込めた瞬間、神が消えた。
翼は空振り、大きく体勢を崩す。
神がその隙を見逃すはずもない。
「
それは神が持つ七つの権能の内の一つ。
空間支配。
あるときは空間を一瞬で移動し、あるときは別の空間を作り出し、あるときは空間そのものを見えざる手足や剣に変えて攻撃に転じる異能。今、命よりも大切なものを奪わんとする刃が迫っていることだろう。
でも。
わたくしにだって異能はある。
神から貰ったものなんかじゃない。
わたくしが、人の愛を知って手に入れた〈愛の力〉がある。
目の前から神が消失すると察したとき、わたくしも口早にこう呟いていた。
「〈愛する人と出逢い、愛し合うためなら死でさえも問題にならない〉」
それは元々、神から与えられたキューピッドとしての異能――〈思考操作〉だった。限りなく神に近い力を引き出せる異能は、人の愛を知って進化していた。愛を知らない神ならば、やってやれないことはない。
彼のおかげで進化した〈思考操作〉は、今やオリジナルの能力になっていた。人の思考に影響を及ぼすのみならず、人の
今、縦に回転する勢いを殺さずに羽を伸ばした。光の速さで迫る神に光の速さで食らいつく。
神はさらに背後に回ったわたくしを、信じられないという目で見ていた。
空間を操る不可視の攻撃を躱しきることはできなかったらしく、平手打ちでもされたかのように視界が揺れた。けれど、神の緑色に輝く片翼に噛みつくことに成功し――根元から噛み千切った。
神の食い縛った歯の間から声にならない悲鳴が聞こえた。
失われた翼の根元から赤黒い血と、緑色に輝く光の粒子が噴き出している。
傷を庇う神の手が離れた翼に伸びるより早く、わたくしは翼を喰らった。
神の一対の翼は、二つの役割を担っている。
〈思考を司る翼〉と〈記憶を司る翼〉。
これを喰らい、わたくしの異能は〈思考〉に関しては神を上回り、しかも神を弱体化させることに成功した。噛みついた瞬間に憎々しい筋肉に〈幼児化の異能〉まで使ってやったおかげで、神は今やいたいけな少年か少女のような姿になっている。
神もまた、憎々し気にこちらを睨みつけている。痛み分けといったところだろうか。聞き分けの無い神に一矢報いただけでも大戦果だが油断はできない。だというのに、こちらも平手打ちが存外に効いたらしく(何か他の異能との合わせ技だったのかもしれない)身体の均衡を保てずに頭からふらりと自由落下を始めてしまう。
神はいう。
「天の七戒律。その五、人の心を欲することなかれ、神の教えを称えよ」
わたくしは言い返す。
「神如きに、人の欲望がどれだけ人の心と文化を育ててきたか理解できるとでも?」
どこか諦観を込めた調子で、神はいう。
「天の七戒律。その七、戒律の三つ以上を破りし罪深き者、天よりの堕落を覚悟せよ」
油断せずに、わたくしは言い返す。
「どんなに怠惰だと罵られても構わない。わたくしは彼が誠実でいる限り、愛しか授けない」
神は大きく溜息を吐いて、いう。
「これでキミは四つの戒律を破った、どこに出しても恥ずかしくない堕天使だ。罰を受ける覚悟をしておけ」
目いっぱいに笑って、わたくしは言い返す。
「返り討ちにしてやりますよ、何度でも」
そうして神は緑色の光を残して虚空に消え、わたくしは黄金色の光の中を落ち続けた。
その最中、十年に渡る孤独な戦いの末に手に入れた未来に思いを馳せる。十年前、わたくしと約束をした男の子はどんな少年に育っただろう。ちゃんと約束を守れているだろうか。どうたしかめようか。約束を守れていなかったらどう導こう。
それから……それから……。
禁じられた恋をして、どんな愛を育んでいこうか。考えるだけで頬が熱い。緩み過ぎて蕩けてしまいそう。
「今、行きますね――蒼斗様」
――この数日後、あるいは永遠の刹那、わたくしは後悔しました。
約束が破られてしまったことに、ではありません。
神と戦争をして圧勝した、などと思い上がっていたことに。
食らいついたのが〈思考を司る翼〉で〈記憶を司る翼〉を奪えなかったことに。
それから。
神が作り出した、神と天使が人を愛するための法――〈天の七戒律〉。その抜け穴を読み切れなかったことと、わたくしに与えられた罰について。
人と天使の恋愛がどんな結末を生むかなんて、わかっていたはずなのに。わたくしの十年前は、心と一緒に貴方に奪われてしまっていたようです。
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