第25話 * 妄想vs一途・華
五人の少女が僕を求めて殺し合った。
僕のせいで、殺し合った。
――僕はただ、誰に対しても一途で誠実でカッコよくありたいだけだった。
それだけなのに。
それだけだから、駄目だったのかな。
傷つけることも傷つくことも恐れた僕の代わりに、彼女は殺し合いを始めた。放課後の学び舎には、僕と彼女たちの他に何者も存在しない。
生き残っているのは二人。
今、最後の戦いが終わりを迎えようとしている。
決戦の舞台は屋上に繋がる鉄扉の前。階段と踊り場を、小さな窓から差し込む夕日が仄暗く照らしている。
夕日を背にした
踊り場で陰る黒髪ツインテールに月ののうな瞳の少女――カンナは尻の下に血溜まりを作る。
胡蝶は
ふっと、笑みがあった。
彼女らしい、僕以外は表情が読めずに不気味と評する不敵な笑み。
「私の、勝ちです」
カンナが
チキチキと不穏な音がした。
カンナが胡蝶の背後に立っていた。屋上に繋がる鉄扉を背にして、カッターナイフの刃を胡蝶に向けている。胡蝶が振り向くより、カンナが大動脈を切り裂く方が早い。
はずだった。
大動脈は飛沫を上げず、切っ先が薄皮を裂いて数滴の血を流すに終わる。ルール上、戦いが終わるまでは固く閉ざされているはずの鉄扉が開いたのだ。
「やめろ、カンナ!」
叫びがあった。鍵の回る音がした。錆を落としながら鉄扉が開き、何者かが現れる。聞き覚えのある声だった。見覚えのある影だった。戦いに制止をかけて息を荒げる人影は、どうやら僕であるらしい。
しかし、それは僕であって僕ではない。だって僕は未だ、こうして
そして、この局面で現れる僕ではない僕が誰の差し金かなど考えるべくもない。疲れ切った様子で迫る僕を見て、カンナの笑みが揺らぐ。そんな顔をしてくれるのが嬉しくて、胸が痛い。
「ああん、来てくれたんですね。ア・オ・ト・セ・ン・パ・イ♡」
あと一歩で僕ではない僕の手が届く。届いて欲しい。頭の片隅でそう願い、息を飲んだが届かない。
「―—とでもいうと思いましたか?」
一度止まった切っ先が今度こそ、胡蝶の大動脈を一閃した。人体から湧く源泉に吐き気を催す。胡蝶がぐらりと揺れた頃、僕ではない僕の手がカンナに届く。
ところで、僕ではない僕は、叫ぶ前にこう呟いていた。
「〈愛する人のことはすべて、知っていたい〉」
最初はフルートのような清澄な音色の、胡蝶の声で。後ろの方は叫びと同じ、僕の声で。
カンナもまた、こう呟いていた。
「〈愛する人は、記憶の中ではもっと愛おしい〉」
刹那、僕ではない僕の動きが制止した。吹雪にも似た煙が全身を覆い、晴れる。僕ではない僕の正体は胡蝶だった。豊かな胸を破るように、大きな穴が開いていた。サファイアのような青い瞳が視線を落とす。穴の向こうで、ピンク色の心臓が動きを止めた。
「残念。コピー能力って普通最強の一角なんですけど、本来の使用者に負けちゃうのがお約束ですし。ま、こういう運命だと割り切って、せいぜい蒼斗センパイとのあったかもしれない未来に思いを馳せていてください」
こうして、重い愛を用いた殺し合いは幕を閉じた。僕は終始、屋上にぽつんと置かれた学習椅子に縛り付けられて見ているだけだった。何もできなかった。何も変えられなかった。何も、選べなかった!
僕に涙を流す権利はない。握りしめた手の痛みは
――ところで。
『索敵』の文句を呟いたはずの胡蝶の瞳は、青いままだった。かつて僕ではない僕であった胡蝶の亡骸が、雪のように空気に溶ける。そして、
「……ああ、なるほど」
鉄扉に手を伸ばしたカンナの口から、一筋の赤色が零れる。黒すぎる瞳が足元に落ちる雫を追い、胸に生えた燃えるような刃紋の長刀を見て、見えない背中を睨みつけた。
「言ったでしょう。私は、私と蒼斗さんの恋路を邪魔する者は蒼斗さんでも殺す、と」
カンナの背後には、瞳をルビーのように真っ赤に染めた胡蝶が立っていた。カンナが掟先輩のように今際の際の一撃を繰り出すよりも先に、幻影の長刀がカンナを縦に両断した。
――きっかけは無限の弾丸と矢の虚像が衝突し、閃光が迸ったときだった。あのとき、胡蝶は閃光と殺意の雨に紛れて、〈想像を具現化する能力〉を使用していたのだ。
作り出した虚像は五つ。無限の矢、僕ではない僕に化けた胡蝶、矢を放った瞬間の胡蝶、屋上に繋がる鉄扉、そして燃えるような刃紋の長刀。
それから、葵の〈透明化〉を使って影に潜み、〈索敵〉を使って間違いなくカンナの胸を貫いたのだ。同時に使えないのは葵の能力である〈透明化〉と〈索敵〉であって、胡蝶の〈コピー〉自体は、条件次第で二つの能力を同時に扱うこともできた。
―—もしも。
――カンナが〈想像を具現化する能力〉を持ち前の物怖じのなさをかなぐり捨てて、虚像を作り出すだけの縛りプレイなんかに甘んじていなければ。
――僕でさえも殺すと決めて、僕の姿を利用していなかったら。
――コピーしたのがわからず仕舞いだった楓の能力だったなら。
――そしたら、結果はどうなっていたかわからない。
きっと今、カンナも選択している。過去を失い未来に賭けるか、未来を諦め過去を守るか。彼女は終始、前者を勧めていた。記憶を重んじる彼女のことだ。きっと後者を選ぶだろう――君と過ごした日々は、何よりも楽しかった。誰よりも愉快で物憂げな少女は二度と、不敵な笑みを浮かべない。夢のような日々を共有した後輩が今、死んだ。
鍵の開く音がした。開けっ放しの鉄扉と長刀が、舞い落ちる雪のように空気に溶けた。左右に分かれたカンナが遺した穴だらけのカンナが硝子のように砕け散った。死と虚像の向こう側で、鉄扉の鍵が開く。
赤く濡れた胡蝶が一歩ずつ、一歩ずつ踏みしめるように階段を昇る。
五月雨の音が聞こえる。
黄昏が網膜を焼く。
胡蝶が扉を開く。
どうしてか、二度と花開くような笑顔を見ることは叶わないような気がした。純粋な愛は殺し合いによって――僕の優柔不断によって失われてしまった。
――どうして、こんなことになってしまったんだろう。僕はただ、一途で誠実でカッコよく生きたかっただけなのに。
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