第24話 * 妄想vs一途・蕾
カンナが笑っていた。
「あははははははははははははははっ!」
不存在の教室に、夕日を背負うカンナの高笑いが響く。瞳孔を開いていても不敵なままで、警戒を強めても学習椅子から身体を起こすことさえしない。
「何が可笑しいのです?」
「いやいやいやいやいやいや、だってそんなの誰だって同じじゃないですかあ? 好きな人のために困難を乗り越えるなんて、そんな当たり前のこと誰だってやってますし。それを自分だけが特別みたいに悲劇のヒロインぶってるのが面白くって」
ここまでに選択を終えた彼女たちのことを思い出す。楓は、僕のためにずっと女らしく変わろうとしていた。掟先輩は、僕に恩を返すために人生さえも投げ打つ無茶をしようとした。葵は、僕と全てを理解し合おうとしていた。誰かを好きになることも、好きな人のために努力をすることも、程度と形に違いがあるだけで、特別なことではなかったのだ。
「でも、私が最も長く」
「付き合いの長さなんて関係ないですし。大切なのは過程ではなく結果ですし。蒼斗センパイと出会って一番変わったのは私ですし。一番救われたのは私ですし。一番理解し合っているのは私ですし。私だって蒼斗センパイのためなら何だってできますし。冬馬センパイよりもずっと上手く困難を乗り越えてみせますし。蒼斗センパイと一緒にいるためなら他の全人類だって殺してみせますし。将来のことだって私が誰よりも考えている自信ありますし。高校卒業したらすぐに結婚して二人だけの世界で生きていくんです。セックスは興味ありますけど子どもはいらないかもですね、流石にめんどくさそうですし。蒼斗センパイとの子どもなら絶対可愛いですけど私子ども超苦手ですし。上手く育てられる気もしないので。まあ蒼斗センパイが欲しいっていったら世界一のママにだってなってみせますけど。結婚したら私はセンパイのことを『蒼斗』って呼んでセンパイは『カンナ』って呼ぶんです。たまに私が『センパイ』って呼んだら蒼斗は仕方なさそうに笑って『なんだ後輩』って応えてくれるんです。あ、すみません。私ったら今『蒼斗』って呼んじゃいましたね。よくあるんです、現実と妄想の区別が付かなくなって、ついセンパイに甘えちゃうこと。あ、またまた失礼しました。妄想じゃなくて将来設計でしたね。まあ私は寛容ですから冬馬センパイのことは嫌いですけど蒼斗センパイの愛人ぐらいだったら許してあげてもいいですけど子どもだけは絶対に許しませんので出来の悪い頭でよく覚えておいてくださいね? それと」
「私はっ!」
胡蝶が叫んだ。自らの耳をふさぐ代わりに叫んでいた。叫ぶ姿を見るのは初めてだった。足りない語彙の代わりに、否定された存在意義を叫んでいた。彼女は本来、泣き虫なのだ。
「それでもっ、私は蒼斗さんの許嫁です! 蒼斗さんのお嫁さんになるのが幼い頃からの夢なのです! そのためにどんなことも耐えて生きてきました! 他のどんな男性と比べても蒼斗さんより心惹かれる方などいませんでした! 誰がなんと言おうと私は蒼斗さんのものになるのです! それを邪魔する者はすべて――」
胡蝶が笑う。
「―—すべて、死んでしまえばいいのです」
しかし、僕にだけ見せてくれるぱあっと花開くような笑顔はそこにない。陰った瞳に涙を湛え、笑っている。負けじと不敵に笑っている。カンナも不敵にくすりと笑い、呟いた。
「〈愛する人は、記憶の中ではもっと愛おしい〉」
楓を殺したときと同じ文句だった。
胡蝶からギリリと心を削るような音が聞こえた。それが噛み締めた歯から鳴ったのか、食い縛って血を流す唇から発されたのか、弓と指から響いたのか、僕にはわからない。
「〈愛する人のことはすべて、知っていたい〉」
胡蝶も呟いた。それは葵が索敵するときと同じ文句だった。
それらは異能〈愛の力〉発動のトリガー。即ち、開戦のゴングに等しい。
ドガガガガガッ、と。不存在の教室に影が踊る。カンナを発端に規則的に立ち並ぶ机と椅子が砕けて吹き飛ぶ。近所の工事さながらの音も相俟って嵐のような様相。
床を埋めるカンナの影。
小さな手の虚像。
実体のある影が胡蝶に伸びる。
胡蝶が〈透明化〉で逃げると予測したのだろう。囲む虚像は逃げ道を塞ぐようだった。予測は間違っていなかった。瞳に青さを取り戻し、胡蝶は舞い落ちる雪のように空気に溶けて、虚像は不存在の黒板を粉々にするに止まる。胡蝶の残骸は混ざらない。
不存在の教室に亀裂が走る。カンナが舌打ちを零し、座っていた学習椅子を前に蹴飛ばして後ろに下がる。右側を背にしている辺りに十年来の嘘が見える。
カンナが作り出した妄想の世界が崩壊する。蹴飛ばしたはずの学習椅子もカンナに跳ね返り、鉄扉を鳴らす。胡蝶が姿を消したまま四本目の矢を放ち、椅子を吹き飛ばしたのだ。
吹き飛んだ椅子の消失と共に大きく変わったものがある。カンナが足を滑らせて、見えない
不存在の教室は崩壊した。しかし、そこは屋上前の階段と踊り場ではない。さらに薄暗く、しかしカンナの近くに灯りのある世界。
カンナが足を滑らせたのは恐らく意図的なものだった。何故なら、その原因は洗濯物の山で、滑ったのを境にフロアテーブルと洗濯物の山によってカンナの位置がわからなくなったからだ。
五本目の矢が貫いたのは42インチの薄型テレビだった。カンナの妄想は倉石家のダイニングに移行したらしい。
胡蝶の姿が露わになる。瞳は
「倉石さん。一つ、伺ってもいいですか?」
弓を引いたまま、胡蝶が
「私の能力は貴女のいう通り、〈透明化〉と〈索敵〉です。貴女の能力は、なんですか?」
「信じられませんが、まあ、いいでしょう。冥土の土産に教えてあげます」
声は放送機器を通したかのように部屋全体に響いた。
「私の能力は〈想像を具現化する能力〉です。それではセンパイ、さようなら」
刹那、倉石家のダイニングが閃く。目を開けているのが難しいほどの
――いや、違う。受け入れてもいいのだ。
だって、胡蝶は撃ち抜かれていない。
不存在の倉石家が砕け散り、硝子の粒子になって空気に溶ける。
夕日を背にして階段の中腹に立つ胡蝶。そして踊り場で陰るカンナ。
胡蝶は
「〈愛する人は、記憶の中ではもっと愛おしい〉」
――それは、胡蝶の呟きだった。恐らく、動いたのは同時だった。閃光と共に、弦を弾く音がした。迫りくる殺意の雨。対するは一本の矢。胡蝶が穴だらけになって倒れる。そのはずだった。穴だらけになって吹き飛ばされたのはカンナだった。
矢は、弾丸の数だけ増えていた。一度弓を引くと矢の虚像が現れ、弾丸諸共自動小銃の銃口まで正確に射抜き、破壊していた。矢の虚像はカンナの全身を射抜き、つがえていた矢がカンナの額を穿ったのだ。
『〈愛する人のためなら、どんな困難でも乗り越えられる〉』
胡蝶は最初、そういっていた。相手のことを理解して、一途に能力を手に入れる。一途に僕を想って努力を続けた胡蝶らしい〈愛の力〉は〈コピー能力〉だった。学ぶの語源は『真似ぶ』だという。
胡蝶が構えを解き、嘯く。
「貴女が蒼斗さん以外の全人類を敵に回すというのなら、私は、蒼斗さんとの
それが、葵の激情に触れて、カンナの思いを理解し、2人の気持ちも察して出した彼女なりの答えだった。
『誰より命を尊ばねばならない』
かつて、そう語ったときと同じ目をしていた。悪寒が走る。戦いの全容を知ってなお、僕は胡蝶の想いを否定する言葉を持ち合わせていない。
踊り場で両足をだらんと開脚するカンナは血と肉と臓物の詰まったぬいぐるみのようだ。そうして血の海を創りながら虚ろな目で――不敵に笑っていた。
彼女らしい、僕以外は表情が読めずに不気味と評する不敵な笑み。
「私の、勝ちです」
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