第4話 * ローズクォーツな黄昏刻

 放課後になっても雨は止まなかった。ローズクォーツのようなピンク色空を見上げて足が止まる。空が赤やピンクに染まる理由――レイリー散乱というのだったか――を教えてくれたのはダウナーで天才肌な後輩、カンナだった。


 *


 あのときもローズクォーツな黄昏刻たそがれどきだった。夕日は赤すぎるほどに赤く、空の大部分をピンク色に染めて、手前に向けてアメジストのような紫のグラデーションを描いている。幻想的な色の空を見上げながら僕がぼやいたのがきっかけだった。


「なあ、カンナ。どうして空の色は変わるんだ?」


 隣を歩く黒髪ツインテールの後輩は不敵に笑い、わざとらしく口元を隠してみせた。ショッキングピンクのパーカーの袖が手の甲を隠し、フードがツインテールの根元を隠し、眼帯が満月のように真っ白な右目を隠している。


「ええっ、センパイったら、高校生のくせにそんなことも知らないんですかあ?」


 格好からして休みの日だったのだろう。楓やカンナと朝からゲーセンに入り浸った日は大抵、近所のファミレスかラーメン屋か回転ずしで夕食を済ませていた。その道すがらの話だ。


「なんだよ、悪いかよ?」


 今どんな気持ち? とでも言わんばかりに僕の顔を覗き込む新月のような左目から必死に目をそらした。夕日がやけに目に染みる。

 一つ年下の後輩にゲームでぼこぼこにされた挙句、一般的な知識ですらマウントを取られてしまうのが情けなくなってしまったわけではない。

 悔しくなんかない。


「ほんとにもう、仕方ないですねえセンパイは。別に悪くないですし。冗談ですし。私が教えてあげられるのでオールオッケーですし」


 バキバキと嫌な音がして隣を見る。カンナは得意げに胸を張っていた。酷い猫背を強引に伸ばしたせいだろう。慣れない真似をしたせいで背骨が鳴った挙句、胸元のジッパーが左右に引っ張られて今にも壊れそうになっている。密かに、今度一緒に服を見に行くべきか一度真剣に考えなければならないと思った(胸元の話でからかわれるのが目に見えているから結局提案しなかった)。


「別に難しい話じゃないんです。光の屈折の法則は知っているでしょう?」


「まあ、なんとなくは」

 煌めく水溜まりを飛び越えながらそういった。見る角度によって、実際の水深と見えている水深が変わってくるというあれを思い出した。


「じゃあ、ゲームの液晶画面。あれの仕組みは?」

 ジジジ、と音がした。背筋を伸ばすのに疲れたのか前のめりになったカンナの胸元ではなく頭上、パチンコ店であることを示すネオンのパの字が切れかけて点滅している。カンナは、さっきまでプレイしていたゲームのことを言いたいのか両こぶしを握って顔の前に構えていた。ファイターというよりは招き猫の様相。


「たしか青と赤と緑の組み合わせで発色してる、とかじゃなかったか?」


「その通り。そこまでわかればあとは簡単です。どのルールを破って、どのルールを守るか。それだけを考えてください」


 どのルールを破って、どのルールを破るか。

 どうして空は青いのか。どうして赤く染まるのか。


 単に日光の入射角が違うというだけなら赤や青には染まらない。カンナの瞳と同じように白か黒かしか存在しなくなってしまう。かといって単に地球の外側に青と赤の緑のフィルターが存在するというのなら、こんな雨の日に限って空がピンク色に染まる理由としては弱い気がした。


 光の屈折、というワードを出すあたりから、角度の線は間違っていない気がした。なら色の話、これを全うに受け取ってはいけないということだろうか。

 雨の日、というのが鍵になる気がした。


「大気中の水分が乱反射して色が変わってる? 日光の入射角が高ければ青、低ければ赤って感じで」


「その通り! だいたいそんなカンジです。よくできましたね、えろいえろい。ご褒美に、あとでいっぱいいいこいいこさせてあげます」


 こいつ、どこまで人を馬鹿にして、自分がされたいだけだろうが。と思ったけれど、他人との関りを断ち続けてきた彼女なりに人との距離感を図っているのだと思い直し溜飲を下げた。こんなことで気を荒立てていたらカンナの隣は歩けない。


「……で、実際はどういう理屈なんだ?」

 僕のために密かにレベルを合わせてくれるのはカンナの美点の一つだ。袖の先からちょこんと出た指が赤すぎる夕日を指さして、自分を中心に大きな円をゆっくりと描いた。


「地球の外側にある水とかガスの粒子に乱反射して色が変わっているんです。本当は、日光の角度だとか距離、光の波長と粒子のサイズが関係していたりするんですけど、蒼斗センパイが知りたいのは『どうして空の色が変わるのか』です。夕焼けや朝焼けの赤っぽい色がレイリー散乱って現象だなんて、どうでもいいでしょう?」


 どうでもいい、と言われると困ってしまう。肯定するとせっかく説明してくれた好意を無下にするようにも思えるし、かといって否定すれば僕への気遣いを無下にしてしまうような気もする。七回コンクリートを踏み締めて、僕は肯いた。


「おかげですっきりしたよ。ありがとう」

 けれど。


「虹……」


 カンナは隣を歩いていなかった。袖を引かれて振り返ると、僕らの歩いてきた道を指さしていた。東の空に五色の虹が出ている。


「七色じゃないこともあるんですね」


 足りない色は――青と紫。

 僕にはそれが、誠実サファイアさと真実の愛アメジストに思えた。


「ああ、虹が七色じゃなきゃいけないなんてルールはない」


 思い切り水溜まりを踏み抜いて、みるみる足が濡れていく感覚があった。水溜まりを踏み抜いた因果そのものをどうにかできるルールはないだろうか。流石にカンナに聞いても無駄だと思い、口を噤んだ。


 *


 そういえばカンナ、今日の昼はどうしていたんだろう。連絡がなかったということは机で突っ伏して眠っているはずなのだが、今日に限っては胸騒ぎがした。これが単に失恋による変化だとしたら成長に思えて喜ばしくもあるけど、同時に少し寂しいような気もした。あまり誠実とはいえない。

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