第17話 * 整形vs整形・蕾

 あおと、蒼斗、アオト。

 僕の名前を呼ぶ声がする。

「起きろ、アオト!」


 見慣れた天井だった。退屈なとき何気なしに上を見上げたときに見る景色――学校の床に倒れている。

 美術室。僕は天使の傀儡に〈整形〉された葵に刺されて死に、アスターの力を借りて現実に帰還したのだ。額に触れると傷はなくなっていた。痛みもない。

 収穫はあった。ヴェロニカという天使のこと、七戒律のこと、愛の力の仕組み。あとは、僕が成すべきことを成すだけだった。辺りに気を付けながら上体を起こすと楓はひとりで戦っていた。


 相手は一体と……ひとり。

 片や、かつての美しさを奪われた朽ちかけの天使、ヴェロニカ。


「ああん、いいですわぁ。俺様系女子! 迸る汗! 冴え渡る技とチカラ! お持ち帰りしたくなってしまいますわぁ!」

 天谷さんを片手に抱いたまま肉厚の手を楓に伸ばしては木刀に叩き落とされ、翼を振っては躱されている。


 片や、緋色に錆びた鉈、千枚通しを振り回す――葵。

 夜空を彩る小さな花が向日葵を捕える着物の袖を、長く艶やかな黒髪を振り乱し、赤みの強い瞳から水を散らしている。物言わぬ人形にされてなお、感情は未だに死んでいない。僕が死ぬ前にはなかったものだ。

 その涙が、僕を殺したことで湧き出たものだとしたら――


「楓! 僕は大丈夫! 一旦退こう!」


 ――立ち上がり、足元を確かめて、楓に視線を投げる。


「なに言ってんだ! オマエが大丈夫ならオレも大丈夫! ここはオレに任せて先に行け!」

「お前がなに言ってんだ! カッコつけてんな!」

「一度! 言ってみたかった!」


 僕が気をやっているあいだ、ずっとそうして僕を守ってくれていたのだろう。木刀で鉈の側面を弾き、千枚通しの持ち手を掴み、迫る手を回避する。が、その躱し方が問題だった。


「っ、手が来る!」

 上半身に迫る手を、楓はあろうことか上体をそらして躱したのだ。当然、空を切った肉厚な手が振り下ろされる。

「構わねえ!」


 楓は手と一緒に倒れた――ように見えた。葵の攻撃を抑えたまま上体を床に付け、その反動と腕の力を利用して飛び上がった。筋肉で筋張った脚がヴェロニカに伸びる。ヴェロニカの手が楓に伸びる。人間離れしたドロップキックは天谷さんを抱える手を打ち払い、ヴェロニカは彼女を取り落とした。

 しかし、楓の太ももに太い指が沈んでいた。あっという間に質感が変わり、膝が球体関節に変わったのと木刀が手を払うのはほとんど同時だった。残った脚で僕の隣に立つ。


「大丈夫か、足!」

「オレは! 一向に構わねえ!」


 ドンッ、と楓は球体関節人形へと〈整形〉されつつある足を踏み鳴らした。作り物めいた質感が失せる。本来の瑞々しさと人間らしい皺のついた膝が還る。


「〈愛する人が思ってくれるのなら、自分の生まれ持った姿さえ捨てられる〉!」


 ヴェロニカの用いた〈整形〉に、楓の〈整形〉を用いたのだ。変質したものを再び変質させたのか、同種の能力で解除したのかは定かではないが、たしかにそれなら構わない。

 ギギギ、と不気味な音を立てながら葵が立ち上がる。流れる涙に髪を張り付け、両手をだらんとぶら下げている。ヴェロニカは乱暴にカガリの腕を持ち、ぼやく。

「なんで動きませんの、この人形……まあ、いいですわ。えいっ♪」

 ヴェロニカが力を込めたと見るや、楓は僕の一歩前に出て木刀を構えた。持ち上げられた天谷さんの形が変わっていく。メキメキメキメキ、ガコガコガコ、と人体から鳴ってはいけない音がする。

 贅肉塗れの顔が歪む。


「きゃははははははっ! 武器になっちゃえーっ!」


 天谷さんの細い腕はグリップになった。小さな頭は弾倉になった。豊かな胸はトリガーになった。括れた腰、それとお尻と脚は不自然に角ばり細く引き伸ばされて銃身になった。持ち手側は栗色の髪が点々と残り、銃身の大部分は彼女の履いていたストッキングが引き延ばされたように生地の向こう、肌の色が覗いている。

 天谷さんは、SFめいた見た目のバズーカ砲に〈整形〉された。もう、悲鳴を上げることすら叶わない。


 歯の軋む音が聞こえた。

「人の身体で……遊ぶな……ッ」


 今、楓が振り向いたら衝動的に目をそらしてしまうだろう。僕の口内の痛みなんか比にならないほどの怒気だった。勝ち誇ったような顔を見て楓を引き留める。彼女が振り向いたのはわかった。けど、僕の顔を見るなり何か言いたげなまま押し黙ってしまった。大きく息を吸って吐き、ヴェロニカに問う。


「貴女は天使ですか? それとも、堕天使ですか?」

「あらぁ、天使以外の何に見えるといいますの?」


 まるで悪魔のような〈整形〉をする奴が何を言っているんだ。そんなだから堕天しかけるんだ、と思った。口には出さなかった。どうやら思考や記憶にまつわる力はないらしい。


「なら、堕天使の心臓を持つ僕は?」


 瞼の上の肉がぷるぷる震える。ふう、と溜め息らしきものが聞こえた。


「思い上がるのも大概にしなさいよ。人間としての在り方を逸脱しようと人間は人間。天使に近づけたと思うことすら烏滸がましいですわ」


 もしかしたら、僕はもう人間ではないのかと思っていた。頭を千枚通しで貫かれたあと、当たり前のように立って話している人間がまともであるはずがないのだが、少なくとも目の前の天使にとって僕は人間なのだ。


「それは残念。僕も少しは特別になれたかと思ったんだけど、勘違いだったらしい」

「わかったならさっさとアスたんを返してもらっても? わたくしも暇じゃありませんの」

 ふっ、と笑ってやりたかったのだが、どうしてか上手く笑うことができない。

「まさか、僕はこんなところで死んでやるわけにはいかない」


「馬鹿にしてますの?」

「いいや。至って真面目だ。真面目に、貴女を倒して葵と天谷さんを返してもらう」

 ふっ、とヴェロニカが人を小馬鹿にしたように笑う。

「倒す? 人間ごときが天使を殺せると思っていますの?」

 僕は頭を横に振る。


「違うよ。僕に天使を殺せるような力はない」

 口の中を噛み、今度こそ笑って見せた。

「でも、死んでも負けない」


 たとえ生き返るとしても死ぬのは怖い。痛いのだって嫌だ。けど、負けてやるわけにはいかない。そんな内心を見透かしたように、ヴェロニカがいやらしい笑みを浮かべる。


「なら、あなたを殺し続けますの。心の奥底から殺してくれと泣いて許しを乞うまで弄んであいしてあげますわ」

 ――ヴェロニカの中で、僕はまだ人間の範疇にいる。ヴェロニカ自身は僕に攻撃できない。僕は誰にも攻撃していない。僕に〈罰〉を与えることはできない。身構える。この状況で彼女は何をするか。僕がやるべきことは決まっている。

「楓! 逃げよう!」


 葵が動く。泣きながら、僕に向かって鉈と千枚通しを振り被る。 

「はぁ!? 倒すんじゃねえのかよ!」

 僕は身を躱し、楓が受け止める。応戦する気満々の襟を掴み退く。

「早く! 撃たれるぞ!」


 そう。

 僕はまだ何もできていない。しかし、楓はすでにヴェロニカと戦っている。


「当たり前ですよねぇ? その子はウチを攻撃してますの。〈罰〉を受けてもらいますわぁ♪」


 到底人に向けるべきではない、天谷カガリ由来のバズーカ砲の銃口が楓に向けられていた。

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