第18話 * 整形vs整形・華

 天谷カガリは人としての姿を失った。身体は伸び、縮み、水分とタンパク質の代わりに鉄と火薬を手に入れた。ヴェロニカは僕を人として認めた。


〈天の七戒律、その二。人を傷つけてはならない。罪深き者には罰を与えよ〉


 天使が人を攻撃するためには〈罰〉を与えるしかない。僕と楓は人であり、楓は〈罪〉を背負ってしまった。八十九ミリの暗闇――いや、そもそも天谷さん(バズーカ砲の姿)が火薬を内蔵しているとは限らない。神に天使、異能が存在しているのだ、もっと酷い何かが起きても不思議じゃない。

 そう思っていた。


「っ、どうして撃てませんの、この……っ!」


 美術室を飛び出した瞬間、尻目に見たヴェロニカは天谷さんの身体を擦り、叩きつけようとしてやめた。〈整形〉によって姿形が変わっても天谷さんのことも人として認めているのかもしれない。


 美術室の正面には渡り廊下があり、その先に図書館がある。東西の階段ではなく、袋小路へ逃げたのだ。隙を見せるには丁度いいが、少し後悔した。図書館は葵の居場所だ。たとえ不存在の学園でも汚されるのは嫌だ。


 渡り廊下の中ほど、図書館と美術室のちょうど中間に図書館前のトイレがある。トイレを過ぎると背後から轟音がした。振り返ると黄金色の夕日を背に二つの影が立っていた。


 片や、緋色の鉈を手に、ヴェロニカの傀儡となった葵。


 片や、少女一人分の背丈に並ぶ刃渡りの、血のように赤黒い両刃剣を手にした丸い天使。


「使えない子も、ウチが振るえば立派な武器になりますわぁ」


 立ち止まり、ブレザーを脱ぐ。ブレザーは楓の〈整形〉で一本の真剣と化す。燃えるような波紋。薄い刃に厚い刀身。手足を伸ばすより遠くに届く、抜き身の日本刀。しっかり握ったままの襟が柄に変わった。しっかり握っていたにも拘わらずリノリウムの床に刃が鳴る。使い方次第で人を死に至らしめる凶器が手の中に。


「アオト……いいんだな、本当に」

 うん、と肯く。

「大丈夫。もう誰も、僕の不誠実で死なせたりなんかしない」

 目も合わせずに得物を構える。


 片や、木刀。

 片や、真剣。


 ヴェロニカが嗤う。

「あぁん……悔しい、けど愛おしい……まさか自ら剣を取るだなんて……っ、自らのために殺し合う少女たちを見ていただけの人間と聞いていましたのに」


 悠々と迫っていたヴェロニカと葵が立ち止まり、構える。


「その子に〈罰〉を与えたら、あなたも神ぴに捧げるまでのあいだ、ウチのお人形さんになってもらいますわぁ」


 刹那、ヴェロニカと葵が撃ち出される。ロケットの如き猛進は衝撃波を生み出し、砕けた窓硝子に夕日が散乱する。迎え撃つ。木刀は緋色の鉈を、真剣は赤黒い両刃剣を打ち鳴らす。


 だが、高速で迫る大質量を正面から易々と受け止められるはずがない。僕らはトイレの前から図書館まで押された。上履きのゴムが擦れて異臭が昇る。


 木刀は、辛うじて鉈を受け止めた。

 真剣は、役目を成していなかった。


 剛性も柔性も申し分なかった。ただ、ほかの要素があまりにも不足していた。天使と人間、運動と静止、正面衝突した時点で――鍛え上げられているとはいえ――十七歳の少女の細い身体では斬り勝つことできなかった。それに変わり果てた姿とはいえ天谷さんに殺意を向けることができなかった。弾かれた真剣はくるくる回り、リノリウムの床を鳴らした。


 


「〈天の七戒律、その二。人を傷つけてはならない。罪深き者には罰を与えよ〉」


 腹部を貫く天谷さんは氷のように冷たかった。熱が食道を登る。溺れながらしゃべるのは鉄の粒を喉を飲み込むようで苦しかった。


 僕と楓が入れ替わったのは、美術室から飛び出した直後のことだ。


 *


「楓、僕を女の子にしてくれ。そしてお前は男になってくれ」

「オマエ、頭大丈夫か? 脳死んでねえか?」


 状況が状況でなければ僕も似たような反応をしただろう。


「ごめん、言葉が足りなかった」

 続けて、最低限の説明をした。

「あいつを倒すのに必要なんだ。僕を楓の姿に、楓は僕の姿に〈整形〉してくれ。それから楓は葵を止めて欲しい」


 協力を仰ぐというのに説明不足にもほどがある。楓に対して不誠実というほかない。時間がなかった。天谷さんが作ってくれたかもしれない機を逃すわけにはいかなかった。


 一抹の不安。

 抱くだけ無駄だった。


「オレの分まで殴――僕の分まで、任せたよ」


 楓はすでに僕になっていた。楓は僕になってもよく通る声だった。自己嫌悪めいた吐き気を自覚するより早く僕ではない僕が僕の背に触れ、口上を述べる。

 疾走の最中、身体が変わっていく。

 骨盤と肩の辺りからメキメキと嫌な音がした。


 まず、振るう腕に違和感を覚える。肩幅が狭くなったのだ。次に胸に痛みを感じた。下着を付けていないせいだろうか、走り辛い上に擦れて痛い。うっすらと割れた腹筋と裏腹に、柔肌の張り詰めた乳房を思い出す。心なしかスラックスのお尻の辺りがきつくなったような気がする。体外に存在する男性器が下腹部に引き込まれるように、体内に子どもを育てるための器官ができていくような感覚があった。それ以上下腹部を意識しないように努める。


 無意識に両の手が自身を弄っていたことに、僕ではない僕に肩を殴られて気が付いた。人の顔でそんな表情を浮かべないで欲しい。


 *


 


「今、貴女が攻撃したのは〈罪〉のない〈人間〉」

 声が低さを取り戻していた。

「〈罰〉を受けるのは貴女の方だ。〈天の七戒律、その七。戒律の三つ以上を破りし罪深き者、天よりの堕落を覚悟せよ〉」


 肉に潰された目が見開かれた。エメラルド思わせる緑色。

「聞いてませんわ……自分を、犠牲にできる人間になっているだなんて……」


 ヴェロニカの震えが天谷さんを通して伝播する。両手のひらに埋めた顔から低い呻き声を上げながら、辛うじて立っているという風だった。身体の軸を失ってしまったかのようにふらつき、床を踏み鳴らしている。指のあいだから覗く顔が不気味に蠢いていた。天谷さんが腹部から抜け、葵も糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。


 中身が零れ落ちないように傷口を抑え、身を屈める。そのまま倒れて眠りに就きたくなってしまう。指のあいだから零れる赤色を見ているだけで気が遠くなる。けれど、まだ。まだ、倒したかどうかもわからないのに倒れて、あっち側に行ってしまったら、あの人アスターに笑われてしまう。


「まだだ……僕はまだ、自分を犠牲になんかできていない。楓の力を借りて、やっとできた自己犠牲」


 ふらつく身体を楓が支えてくれた。僕の隣に並ぶように肩を貸してくれていた。燃えるようなベリーショートの下、にかっと歯を見せる困ったような笑み。揃って敵の姿をあらためる。

 ヴェロニカは〈罰〉に苛まれていた。


「はぁあ、あぁあっ、いいっ、いいですわぁ……」


 心なしか、エメラルド色の瞳は笑っているように見えた。


 ヴェロニカの身体が〈罰〉によって変わっていく。壁に背を預けた途端、身体の末端から変化は始まっていた。肉厚だった五指がすらっと伸びて無機質に固まり、白濁した。足が溶けるように、あるいは繋ぎとめるように円形の台座に変質してふたつがひとつに合成された。新郎を思わせる衣装は解け、装飾のないワンピースめいた一枚の布地に変わった。かと思えば、風に翻ったような形で固まった。無駄毛の一本も見受けられない腕と脚が露わになり、垂れた贅肉が引き締まってメリハリが生じた。胴体もきゅっと引き締まり、顔からも無駄が削ぎ落される。脂ぎった黒髪は艶やかな金髪になり、癖一つなく伸びたそばから白く固まった。朽ちかけの翼は朽ちかけのまま固まった。彼女は一体の石膏像に生まれ変わろうとしていた。


「変わったあなたを、弄びあいしたい」


 ミシミシミシ、と石化したはずの腕が僕らに伸びる。まるで抱擁するかのように伸びた腕は届かない。エメラルド色の瞳まで白濁した石と化し、無理に動かした腕と朽ちかけの翼にひびを残して彼女は堕ちた。


 痛いほどに眼球を動かして辺りを見渡す。


 葵も天谷さんも、人としての姿を取り戻していた。

 溜め息が出る。何か大切なことを忘れている気がして天使の石膏像を見る。


「ああ、そうだった。ひとつ、大切なことを忘れてた」


 石になることが〈罰〉だというのなら、きっと意識は残ったままだろう。そうでなければ死と変わらない。過去か未来の選択を強いるような神が、その程度で堕落と呼ぶとは思えない。意識がある前提でいう。


「アスターから伝言がある。『ずっと、貴女に謝りたかった』ってさ」


 石膏像は笑っている。

 けれど、僕には泣いているようにも見えた。


 *


 神妙な顔をして楓がいう。

「オマエ、その傷」


 そう。

 僕は今、絶賛吐血中なのだ。

 お腹に穴も空いている。


「ああ、わかってる」

 楓は膝が僕の血で汚れるのも構わず肩を貸してくれている。僕はまだ主役にはなれていない。ふっ、と息を吸う。血が噴き出すのも構わずにお腹に力を込め、呟く。


「〈愛する人のために、一途で誠実でカッコよくありたい〉」


 アスターはいっていた。

 大切なのは声に出すこと。告白と同じだ。失敗を恐れて躊躇えば成功はありえない。

 僕は胡蝶のために、一途で誠実でカッコよくありたい。

 神様を殺したいわけじゃない。


「アオト、オマエ、何を」


 だから、こんな力が〈開花〉したのだろう。

 致死量だった。僕は天谷さんに貫かれて死ぬはずだった。零れ落ちた血は消失していた。血溜りは一瞬、結晶化したように見えた。目を疑ったときには空気に溶けてなくなった。まるで地面に落ちた雪のように、跡形もなく。

 敗れた服はそのままに、傷もなくなっていた。

 でも、痛みはなくなっていなかった。


 あるいは、因果逆転。


 血を失うことはない。内臓を零すこともない。死に至るという結果だけが消失し、死に至るまでの過程――不可視の痛みだけが死の代わりに残っている。何をしたのかと聞かれたら――


「僕の死を〈先送り〉にした」


 ――僕を好きだといってくれた人たちに幾度も痛みを与えた〈先送り〉。たとえその記憶が彼女たちから失われていたとしても、その〈罪〉を僕だけは忘れない。


「さき、おくり?」


 楓は目の前の超常と僕の言葉の意味が結びついていないようだった。あらためてそれをを語るのは夢を語るようで気恥ずかしく、顔を背ける。

「……とにかく問題ないってことだよ」


 嘘だった。

 強がりだった。

 腹部を擦る。傷はない。痛みだけが拭えない。未だに穿たれたままのように熱を帯びている。


「でもオマエ……汗」


 腹部に当てた手のひらを見る。血は出ていないのにじっとりと濡れている。額もそうだった。汗がまつ毛から滴る。手足に鉄球付きの枷でも着けられたかのような気だるさと、内側からこの世の終わりを告げるような頭痛に吐き気を伴う熱っぽさ。死んだ方が楽なんじゃないかと思う。死んでもいい理由を探してしまう。けれど、死ぬわけにはいかないと思い直す。


 胡蝶が待ってる。

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