第12話 * 妄想vs整形

 あとから思えば、それはある種の走馬燈みたいなものだったのだと思う。

 カンナが重たげに腰を上げた。夕日に陰った顔に浮かぶ不敵な笑みは、楓には見えていない。これ見よがしに嘆息したカンナがいう。


「この扉はダメです。壁みたいになっちゃってて、どうしようもありません」

「だったら二人でやれば!」

「二人でも三人でも変わりませんよ」

「やってみなくちゃわかんねえだろうが!」

「わかりますよ。蒼斗センパイにメッセージは送れたんですか?」

「帰ってこなかったって言ってんだろ、だからオレはここにきた!」

「本当に? ほんとのほんとに、メッセージは蒼斗センパイに届いたんですか?」

「はあ? お前、何言って」

「私たちに殺し合いをさせようっていうのに、外部との連絡手段を残しておくと思いますか?」


 楓は押し黙り、スカートのポケットから取り出したスマホを見た。左上には圏外と表示されている。居心地が悪そうな舌打ちが響く。


「……屋上には、本当に入れないのか?」

「ええ。私が思うに、たぶん物理的な方法では開かないでしょうね」

「じゃあ、堕天使が言ってた〈愛の力〉って奴が」

「そういうことです。確認のために聞いておきたいんですけど、七海センパイ。さっきまでどこにいました?」


 すると楓はそっぽを向いて後頭部を掻いた。


「……落ち着かないから体育館で竹刀振ってた」

「では、ここに来るまでに誰か見ました?」

「……見てないな」

「ということは、蒼斗センパイのことを好きな人しかこの世界にはいないと見ていいでしょうね。七海センパイも〈愛の力〉を貰ったんですよね?」

「……ああ」

「ということは、この殺し合いを企てた運営側も〈愛の力〉によってこの会場を成り立たせていると見ていいでしょうね。逃げることも助けを呼ぶこともできないように」


 あるいは、そもそも私たちが逃げたり助けを呼ぶことを想定していない、という可能性もありますし。きっとそういう人選ですし、とカンナは爪を噛んでいた。


「……協力してぶち破るってのは?」

「はあ……こんなときまで脳筋ですね。話、聞いてましたか?」

「うっせえなあ、お前はいちいち理屈っぽいんだよ。つうか、今は喧嘩してる場合じゃねえだろうが。人を否定するなら人を納得させられるだけの意見を出せよ」

「……まあ、このデスゲームから抜け出す方法がないわけじゃないですよ。たとえば、知っていますか。七海センパイ」


 カンナは落ち着き払った様子で、屋上の扉を指差した。楓の視線がカンナの人差し指に吸い寄せられて、夕日に目を細めて手をかざした。瞬間、カンナがいう。


「〈愛する人は、記憶の中ではもっと愛おしい〉」


 夢に見た呪いのような言葉は、〈愛の力〉発動のトリガーであるようだった。一瞬のことだった。楓の驚いたような素振りが攻撃に備えたものなのか、攻撃を受けたことによるものなのか、わからなかった。


「……あ?」


 と、楓が楓史上最高に女性らしかった胸を見下ろした。


「私が生き残って、ここを開けさせればいいんです。私が堕天使も殺して蒼斗センパイを救いますから、七海センパイはここで死んでてくださいよ。協力、してくれますよね?」


 カンナは不敵な笑みを浮かべていた。

 楓の瞳はきっと黄金色の円を映している。楓の影の中央で、ひらひらと燃えるように揺れる影は楓の手のひらだった。世界が震える。それが僕の動揺によるものか、崩れ落ちた楓によるものか、円の中央に落ちて手のひらの影で動きを止めた赤黒い塊によるものか、今はもうわからない。

 夕日と校舎が作る影の中、カンナが何をしたのかまるでわからなかった。


「大丈夫ですよ。思い出を失くして生き返れるらしいですし。もしかしたらもう一回、蒼斗センパイと出会い直すことだってできるかもしれませんし? ま、天文学的な確率でしょうけど」


 きっと今、楓は走馬燈の中で僕との記憶を見ている。思い出を失ってでも生きて来世の可能性に賭けるか、思い出を抱いたまま死んでいくか、選んでいる。

 陰陽いんよう真逆な二人も、いつかは楽しく遊んでいたはずなのに。どうして。唇の端に激痛が走り、間もなくぬるりと湿ってざらりとした生々しい感触があった。噛み切った唇から流れた血をアスターが舐め取ったらしい。


「ご安心ください。このゲームが終わるまでは死者の記憶は残りますから、殺し合いの傍らで存分に堪能しておいてくださいまし」


 どうやら記憶を奪われるのは彼女たちだけではないらしい。


 *


 一つの戦いの幕切れと共に視界が切り替わる。彼女の安否が気になったせいだろう。黄金色の空の下、生茂る雑草が風に吹かれて揺れている。はかま、胸当て、弓道着。棚引く銀髪ポニーテール。弓道場で、胡蝶こちょうが弓を引いている。

 しなった弓と、矢を載せたつる、それと指を覆うかけが擦れてギリリと鳴って一息、弦が弾けて矢が放たれた。風を切る音と鉄の弾ける音を追う。青い瞳が見据える的の中央に、四本の矢が刺さっている。驚くべきは的に直接刺さっているのは三本であるということだ。

 継矢つぎや、というのだったか。四本目の矢は、元から刺さっていた矢の羽を裂いて刺さっていた。狙ってできるようなものではないらしいが……今の胡蝶の集中力がそれだけ高まっているということだろう。

 胸が大きいと胸当てがあっても大変だと、悪気なく葵をしょげさせていたのが随分と昔のことのようだ。ぱあっと花開くような笑顔はない。僕以外にあんな笑顔を見せていたら嫉妬をしてしまう。

 それから。

 胡蝶は射った矢を回収し、競技用の矢に持ち替えた。予備まで含めた矢は、胡蝶の手に収まることなく零れ落ちる。震える手で拾い上げ、あらためて弽を着けたままの右手での矢を握り締めた。弽を着けた右手の親指と人差し指の先で滑り止めの役割をする粉――ぎり粉というのだったか――その余剰がギリリと鳴った。

 本当に殺し合いが始まってしまったんだな、と思う。

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