第26話 * vs一途&妄想・舞
僕らは叫ぶ。
「〈
あっという間に血に塗れる。
サイレンの止まない公園。巨大な手のひらがリップの乗った唇を隠す。
「うふ。すっごい圧。人間の身で〈七分咲き〉? いや、この大きさ……〈満開〉かしら?」
二体の天使が交差した。
〈剣〉と〈剣〉の応酬。
攻撃こそが最大の防御といわんばかりの猛攻。方や、曇天を映した鏡のような鈍色の翼。方や、赤い稲妻の駆ける夜空を破り取ったような赤黒い翼。どちらも攻撃のためにのみ振るわれる。
ガーベラの翼は近距離で剣と化し、遠中距離で硝子の破片の如き弾丸と化す。天谷さんの翼は物理的な形を持っていないのか、近距離で細く収縮した光線の剣と化し、遠中距離で極太の光線として放たれる。
鈍色の翼が硬く鋭く、剣のように振り下ろされる。すると、赤黒い翼は形を失い、背中から光線として放たれる。
拮抗。
留められた剣は天谷さんの命に届かない。引き裂かれた光線もガーベラの薄皮を焦がすに止まる。
光線というより熱線。血潮の如きレーザービームが肉を焼く。
残り時間、10。
地上での攻防(厳密にはどちらも防御の択は取っていないのだが)では埒が明かないと判断したのだろう。二体の天使は双翼を本来の役割で使用――螺旋を描きながら公園の空を舞う。翼をぶつけ合いながら、互い違いに足を薙いでは拳を振るう。
ダメージは僕とカンナにも与えられる。僕らは自覚のないまま斬られ、打たれ、焼かれた。
ぴたり、ガーベラの拳が止まる。かっと見開いたたれ目の前に止まり、引き戻される。稲妻の剣も首の薄皮を裂き止まっていた。
制限時間、0。
残り体力。
天谷さん、89。
ガーベラ、90。
「っ、ふ……ぅ……性能差は、ほとんどないみたいですし」
残り時間、50。
カンナの顔色が悪い。白すぎる肌は青白く、重たげな髪がべったりと汗で張り付いている。
「さあ、次はどうするんだ?」
小さな頭に指が向き、すぐに握りこんだ。
「わかってるんだろ? 僕の手は」
残り時間、40。
「当たり前ですし」
カンナがカードを伏せる。
「センパイの考えること、全部私の予想通りですし」
カードの上に雫が垂れた。
スラックスの太もも辺りが三度、引っ張られる。
「へえ、たとえば?」
僕はまだ伏せない。
カンナが不敵に笑う。
「私の出す手、緋鉈センパイに読まれてます。あの人なら、そういうチカラが開花するはずですし。一戦目の一手目でその方法をたしかめて、二手目で利用させて貰いました」
残り時間、25。
「へえ、合ってるかどうかはさておき、さすがだな。おおよそ、楓の性格まで読んでたんだろ?」
「ええ。わかりやすいですし、あの人」
「なら、天谷さんは?」
血と汗に塗れても、不敵な笑みは揺るがない。
「言ったじゃないですか。私、人の顔色を見るのは苦手ですし」
残り時間、15。
「でも、自分のことなら話は別です」
「そうか」
僕もカードを置く。
〈盾〉。
宣言はしない。
「ねえ、センパイ。もし、この戦いで私が勝ったら私と付き合ってくれませんか? センパイの命は私がなんとかしますし」
不敵な笑みに、花開くような影を見た。
「そういうのは勝ってからいえよ」
残り時間、3。
僕らは呟く。
「〈
遠く、サイレンが鳴る。
残り時間、30。
深呼吸を一つ。
先に動いたのは天谷さんだった。
赤黒い翼を広げ、前に出した。盾に見立てた防御行動のようにも、マントで自身を覆い隠しているようにも見える。
体力で劣っているとはいえ誤差の範囲。先に〈盾〉を見せる意味があるとすれば、それが防御行動ではなく、手元を隠すための挙動である可能性。
〈盾〉であればダメージはない。選ぶべきは〈剣〉か〈翼〉。〈翼〉の場合〈盾〉は打ち抜けるが〈剣〉を隠していた場合に手痛いダメージを受ける。
定石通り〈剣〉を振るえば腕力勝負に持っていける。
そう判断したのだろう。
ガーベラは両手と翼を前に出し、自らの手を翼で隠した。半身になって腰を落とし――きっと拳を握っている。
〈剣〉にも見える。
〈盾〉にも見える。
〈翼〉にも見える。
結局、カンナはカードをすげ替えなていなかった。
ふと、口を突いて出る。
「――コマンド不一致の〈剣〉」
ガーベラの手元があらわになる。翼を開くと同時、砲弾の如く天谷さんの目前に迫る。
地の底に響くような声がした。
「〈愛する人の悲しみも喜びも憎しみも自分だけのものにしたい〉」
残り時間、19。
残り体力。
天谷さん――89。
ガーベラ――0。
赤い闇夜が拳を受け、
ダメージを追ったのはガーベラだった。
その量、100。
――コマンド不一致の〈翼〉。
互いに不一致だったことで二番目に威力の高い100が出たのだ。
なぜ〈
天使と互角程度の差しかないなら、なぜアスターは天谷さんに苦労させられたのか。
単純な話。
天谷さんの能力は、攻撃を返す類のものだったのだろう。ゆえに〈剣〉では母から受け継いだ天使としての力を使い、〈翼〉には強大な異能そのものを当てはめていたのだ。戦うと決めたとき、あるいは楓が〈剣〉に負けたときには戦い方を決めていたのかもしれない。
僕と同じ因果逆転。
強度は天谷さんが上。
僕の場合〈結果〉を先送りに〈過程〉を繰り返す。痛みの先に死が待つのではなく、死の先に痛みが待つ。致命傷であれば死を〈先送り〉に痛みが残り、致命傷でなければ傷を〈先送り〉に痛みが残る。
天谷さんの場合、与えられた〈結果〉ではなく〈過程〉が逆転しているのかもしれない。
今回は、ガーベラの繰り出した攻撃が、強度はそのままに天谷さんが繰り出したことにされたのだ。アスターが戦いから排除したのも肯ける。
〈愛する人の悲しみも喜びも憎しみも自分だけのものにしたい〉
その詠唱から、ふと思う。
天谷さんはいったい、何を犠牲に力を振るっているのだろう。何を犠牲に生きていくのだろう?
「っ、カンナ!」
画面上の超常に理解が追いつく。ガーベラが100のダメージを負ったということは、
画面から弾き出されたガーベラが、吹き飛ばされた勢いでカンナに衝突したのだ。
小さな身体が巨体に押し潰されている。今こそ敵だがあくまで本領は天使ということだろう。ガーベラは上体を起こしてどいた。
包帯塗れの右手が空を掴む。
包帯塗れの右手で右手を掴む。
「――ごめんなさい、センパイ。私もう、何も見えなくなっちゃいました。一緒にゲーム、できません」
満月めいた右目が輝く。
新月めいた左目は僕の姿を捉えていない。
「最期にキス、してほしいです。いいこいいこってしながら」
包帯塗れの右手が握り合う。
「馬鹿いうなよ」
血が滲むのも構わずに。
「〈愛する人のために、一途で誠実でカッコよくありたい〉」
左手を振り払い、頭を撫でる。
「君の致命傷を〈先送り〉にした」
できる、という確信はあった。楓が教えてくれたことだ。僕の〈誠実〉は、僕以外にも使うことができる。
「いったろ。もう誰も死なせやしないって」
――ああ、痛い。
痛いなぁ……
みぞおちの辺りが熱すぎる。
空気が冷たすぎる。
小さな左手が、露出した腹部をさする。穴は開いていない。双丘のあいだに手が滑る。そこにも穴は開いていない。頭をさする左手に、小さな左手が重ねられる。じっとりと汗が滲んでいた。
新月めいた左目から涙が滲む。
「一途で、誠実で……センパイ、私のこと愛してくれるんですか?」
「……友達としてなら」
顎に伝う熱に、見てから気づく。
僕は唇を噛み締め、血を流していた。
小さな左手が食い込む。
「嘘つき」
僕は左手から力を抜く。
「よくいうよ」
右目も右手も変わらない。
どんなに場当たり的な犠牲を払っても、変わらない。
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