第37話 * 紅葉を狩る

『今日は雨なので部活は自主練にします。帰りはご一緒しませんか?』

 ―—恋人として、初めての帰り道ですし。


 控えめで自己主張の強いメッセージは掃除の時間になって間もなく届いたものだ。送信主は許嫁と恋人を兼ねるようになった胡蝶から。僕が了承したら、きっとぱあっと花開くような笑みを浮かべてくれることだろう。返事を送ると玄関で待っているという旨が届く。僕の為に部長権限さえ使ってしまうような可愛らしさに頬が緩む。僕にとって大切なものは何か改めて考え、快諾かいだくした旨とスタンプを送信して緩む頬を引き締めた。

 放課後。

 僕には用事が二つあった。一つは教室で待つ楓の相談に乗ること、もう一つは生徒会の仕事を手伝いに屋上へ行くこと。それから今、三つめの予定が組み込まれたわけだ。胸が高鳴ってるのは、別に珍しくもない二人きりの帰り道を楽しみにしているのか、三、四度目の正直を恐れているのか。

 万に一つ、楓に告白されたとして、僕のやるべきことは変わらない。億に一つ、掟先輩に告白されても同じことだ。たとえ今までの関係が壊れてしまうとしても、二人を傷つけることになったとしても、二人を拒絶しなければならない。大切な、たった一人の恋人に一途で誠実でカッコよくあるために。

 ―—そもそも、億に一つでも一日に四人から告白を受けるかもしれないと考えること自体、思い上がりも甚だしいのだが。まるで誰かが罰ゲームで彼女たちに告白を強いているような感覚を覚えてしまうのは不誠実だろうか。

 遠く眩い黄金色から目を逸らした。降り出した五月雨に揺れる紫陽花あじさいに目が留まる。昔、父さんがいっていた言葉を思い出す。紫陽花の花言葉は〈無常〉〈移り気〉〈浮気〉、要するに〈変わらないものなどない〉という意味らしい。あの花と比べても、僕は――。

 藍花高校は授業が終わると掃除が時間が始まり、掃除を終えた生徒から放課後を迎える。掃除を終え次第、僕は楓の元に向かうことにした。


 *


 最後列、廊下側から二列目の席に楓は突っ伏していた。そこは楓の席ではなく、しかし僕と楓が大切な話をするには絶好の席だった。

 僕が呼びかけるより先に楓が眠たそうな顔を上げた。

「よお」

 笑う。

「やあ」

 僕も笑う。

 今や僕の場所ではない席に着いた。


「どうしたんだよ、こんなとこに座って、わざわざ呼び出すなんて」


 なんとなく、僕は呼び出された理由を察していた。なんせ一日で似たような状況を二度も体験している。

 先生の愚痴、放課後の予定、昨日観たYouTubeの話、恋の話。人が疎に残る教室で、楓は堂々と最後の一つを切り出した。


「よく聞けよ? 聞き逃すなよ? アオト……オレは、オマエが好きだ」


 僕の両肩を掴む手が震えていた。でも目はそらさずに、歯を見せて笑っている。黙って聞く僕に勘違いをさせないように、楓は続ける。


「親友としてじゃない。オレはオマエのことが、一人の女として好きなんだ。今の関係が壊れちまったらって考えると怖くて言い出せなかった。でも、もう我慢できない。この感情を隠すのは男らしくない。そう思ったんだ。だからアオト。オレと付き合ってくれ。オマエが望むのなら、オレはどんなオレにでもなってみせるから」


 ―—そうか。

 やっぱり、お前もか。

 三度目の正直とはいえ、苦しかった。力強い眼差しと目を合わせているのも辛い。けれど、これだけの勇気を出すのは大変だったろう。これから傷つけられて、辛いだろう。逃げるわけにはいかない。大きく息を吸って、吐いた。


「ありがとう。それと、ごめん。僕は胡蝶のことが好きなんだ。だから、楓とは付き合えない」

「そっか……ま、だろうなと思ったよ」

「……ごめん」

「謝んなよ。オレもオマエも誰かに恋してた。それが愛に変わったかどうか、それだけの話だろ?」


 謝るなと言われても謝るべきだっただろうか。苦笑さえもできなくて、失恋してなお男らしい彼女は眩し過ぎた。きっと困ったような顔をしていたのだろう。僕の代わりに浮かんだ苦笑があった。


「っあー、ったく、いいんだって! 気にすんなよ。今のオマエに必要なのはオレじゃなくてトウマってだけの話だ。いつかオマエをオレに惚れさせてみせる。最期にオマエの隣で添い遂げるのがオレなら、それでいい!」

 

 せめて誠実に、微笑んでみる。

 きっと鏡写しのような苦笑を浮かべていた。


「ありがとう。―—また、明日」

「ああ、じゃあな」


 背を向ける。すると、ドンッ、と背中を叩かれた。きっと紅葉のような痕がついてしまっただろう。振り返ると楓はにかっと歯を見せて笑っていた。人を殺せそうな笑みだ。


「トウマのこと泣かしたりしたらマジ許さねえぞ?」

「わかってるよ」

「ならいい。ほら、さっさと行けよ。シッシッ」


 笑顔で手を振り合った。

 最後。

 尻目に見た楓は唇を強く噛み締め、溢れる嗚咽を押し殺していた。僕に拒絶された瞬間から溢れ続けていた涙を今になってようやく拭った。自分の目が傷つくことも恐れずに。教室からだいぶ離れてから聞こえた叫び声が楓のものであったなら、嬉しいけれど悲しい。


 *


 気づけば僕は走り出していた。

 何故なのか。

 楓の弱みを忘れるため? 掟先輩の急用のため? 胡蝶と一緒に帰るため? 僕らしくあるため? なんにせよ、やる気に溢れているときほど何かしらの障害が発生するのが世の常だ。僕は廊下の角で人とぶつかってしまった。

 胸に1ヒット、顎で2ヒット、ついでに後頭部にクリティカルヒット。波打つ栗色の長髪を最後に、視界が天井に占領された。後頭部から顔の裏側に向けて熱が拡がる。


「だ、大丈夫ですか?」


 僕を案ずる声が視界の端に顔を出した垂れ目の――どこか西洋人形を彷彿させる少女によるものだと理解するのに数秒を要した。

 後ろ髪を引かれるような重さに抗い上半身を起こすと幼い顔が目と鼻の先にあった。


「ああ、うん。大丈夫、僕は大丈夫だよ」


 そういうと、潤んだ瞳から不安げな色が消えた。

「良かったです」

 いつの間にか両手いっぱいに抱え直した掃除用具と頭を下げた彼女は颯爽と僕の来た方向に消えていった。

 何となく見覚えがあったのは彼女が同じクラスだったからで、必要以上に驚いてしまったのは新鮮だったからだ。天谷あまがいさん、清掃委員だったんだ。というのが一つ。もう一つはという表現がこんなにも当てはまる表情を初めて見たことだ。

 妙に胸騒ぎのする表情を思い返していると、身体を支える手の平に違和感を覚えた。見ると開封済みのゴム手袋を床に押し付けていた。落とし主は遥か彼方。返却を諦めてゴム手袋を手に屋上へ急ぐ。

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